第248話 精霊
大精霊という存在に(ある意味曖昧なものではあるが)“系統”があると知ったのは図書室で調べ物をしていた時だった。忘れ得ぬ記憶として残っているあの最初の特別課題の直後、精霊という存在を改めて知る必要があったので調べていた時の事だ。
それはもちろん課題の報告書、つまりは提出するレポートの作成のためでもあったが、それ以上に“加護”という存在に何か一つでもいいから対策をしておきたいという、副次的な目的があったのは否めない。
その忘れかけていた知識が、今になって役に立とうとしている。
まず、精霊とは何者なのか。彼らは簡単に言えば“意志を持った魔力”に他ならない。更に簡単に、そして誤解を恐れずに言えば、あれは自律的に動き回る魔法だ。
風や水、火や大地など特定の属性に偏った環境の魔力が、ある一定の形になると精霊としての“始まりの魔法”が発動する事がある。それは人間の使う魔法陣と似たような性質を持ちながら、自然現象として偶発的に起きうる程に簡素な陣だ。
それ故にその魔法の効果も単純で、ただ周囲の魔力を吸収して大きくなる事と、自分自身と同義であるその魔法が止まらない程度に魔力を保持する事の二つだけ。それも周囲から無尽蔵に魔力を吸収できるわけではなく、自分が存在する空間中の過剰な魔力が自分の体に勝手に流れ込んでいるという形に近いものだ。(尤も、この“過剰な魔力”という言葉自体、低位精霊が吸収してしまう程の魔力という定義なのだが)
そうしてただ単に“集まった”状態の魔力の塊を、私達は低位精霊と呼んでいる。
もちろん低位精霊に人間や獣と同程度の意思はない。ただ、自分が死なない様に行動を続ける事、それ自体を意志と呼んでいるだけなのである。
つまり、偶発的に発動に至った、自分自身を消費し続ける【魔力を保持する魔法】それその物こそ、あらゆる場所に存在する様々な精霊の根本であると言ってもいい。
そんな低位精霊だが、私達の暮らしにはある意味で欠かせない存在となっている。無自覚な環境の保全者なのだ。
彼らは空間中に魔力が過剰にあればそれを食い、逆に足りない時は自らが餓死する事で蓄えていた魔力を放出する。そうして魔力という一定の条件下での反応性が極めて高い存在を、危険性が比較的低い状態(つまりは低位精霊の体)で保ってくれているのだ。
彼らが居なければ火山で常に爆発が起き、氷河で永遠に吹雪が続いても何らおかしくはない。空間中の過剰魔力というのは何をしでかすか分からないのだ。
そのため、低位精霊はどこにでもいるありふれた存在でありながら、この世界の環境を“常識的な範疇で”保つために必要不可欠な存在とも言える。
そして、そんな彼らが食事を続けその体が大きくなっていくと、次第に変化が起きる。
一定の属性の魔力が常に流動を続け、増えたり減ったりしているのだ。かの有名な無限の猿定理ではないが、そんな状態の魔力がいくつも存在する場合、“始まりの魔法”と同じ要領で偶発的に簡単な魔法を組み上げる事がある。
それは当然、人間が扱う魔法に比べればあまりに些末な物ではある。
例えば、自発的に動こうとする魔法。例えば、他の精霊を捕食しようとする魔法。例えば、動物の鳴き真似をする魔法。他にも色々。
そして、それらがいくつもいくつも重なり合った時、低位精霊は獣と同等程度の“意志”を持つようになる。
もちろん、彼らも低位精霊と同じく内部の魔法にただ従うだけの魔力の塊であることは間違いない。明確に複雑な思考をしているとは言い切れないのだ。
しかし、他者を捕食し、鳴き声をあげ、気の向くままに移動する存在を見て、『これには意志がない』と断言できる人間がどれだけいるだろうか。
それも、内部の魔法に断続的に続く条件がある以上、その精霊はある程度の法則性を持って行動を続けているはずだ。近くに捕食可能な規模の精霊がいなければ捕食行動はしないだろうし、移動を開始する条件と停止する条件も設定されている。
それらは本当に、“意志”とは呼べないのだろうか。
……そんな曖昧な存在を、私達は中位精霊と呼ぶ。
獣と同程度の意思を持った、もしくは持っている様に見える状態の魔力の塊、またはそれによって断続的に発動する“魔法群”の事。
そこから更に進展し、人間と同程度の意思を持つに至った存在が高位精霊だ。そしてそのまたの名を、大精霊とも。
実際には高位精霊の中でも更に上位の存在を大精霊と呼び分ける事も多いが、少なくとも人間はそれらの二つに明確な違いを定義していない。
高位精霊ははただの連続する魔法的な現象でありながら、人間と同様に思考し、活動する。……私はこの理屈を見ると、“少なくとも見かけ上は”と付け足したくなってしまうのだが、それは今はどうでもいいか。
人間と同程度の思考能力を持ちながら、体が特定の属性に強い偏りを持った魔力の塊なのだから、人間と比ぶべくもない程の上位存在と言っても過言ではない存在だ。
そのため人間と関係を持てる程に温和であれば土地神、つまり鎮守の神となっている事例も多く、人間からの信仰によって神格を獲得する事例の中では代表的な存在でもある。実際、私は課題で訪れた魔法世界の中で、彼らが神として祀り上げられている状況を複数回見た事があった。
そんな彼らであるが、実は上位精霊までたどり着くまでにいくつかの道筋があるらしい。一つの精霊の進歩、つまり成長は今語った通り偶発的な魔法の発動によるものなのだが、その成長にもある程度の法則性があるのだ。
それが精霊の“系統”と呼ばれる物を生み出している。
もちろん精霊の内部の変化など、人間には基本的に観測不可能なものである。そのため対話可能な高位精霊がそう語っているというだけの、曖昧な見識ではあるのだが、完全な嘘とも言い切れない。
例えば、動くという動作から思考能力を得て高位精霊に至った精霊は、魔力の肉体を使った戦闘が得意で、自由気ままな性格になる。この系統の高位精霊は火炎系の属性に多いというのも特徴だろう。
他にも、食らうという動作から思考能力を得て高位精霊に至った精霊は攻撃的な性格で、魔力の扱いに極めて長けた存在になる。属性は水が多いらしい。
そして、音を聞き、音を放つ。それを繰り返した経験から自己と他者の違いを知り、思考を得て高位精霊となった精霊も居る。
彼らは人間や動物との“対話”を尊重する傾向にあり、結果的にある程度の神格を得る例が多い。音に関連してという事なのか風属性の精霊が多いが、他の系統に比べるとそもそもの母数が圧倒的に少なく、高位精霊の中でも更に珍しい例だ。
彼らの名はリューター。遠く離れた同類とも会話できるという性質を持っているため、他の精霊と比べても圧倒的に知識が豊富で、彼らだけは系統を自分の名前に含めるという独自の文化まである。
この単語が精霊の名前に含まれているのであれば、その個体はまず“対話の精霊”であると考えて間違いないのだ。今回、刃の一族とやらが信仰している対象の精霊もその類だと断言してもいいだろう。
……そして私は、そんな珍しい例を他にも知っている。本で読んだというだけではなく、それに関連した遺跡を魔法世界で実際に見たのだ。
そしてそれは更に“三体が同時に同じ地域で祀られていた”おそらくは世界で唯一の例。
リューター・ギーチカ・エルマポン。
あの“精霊の里長達”の内の一人が、確かそんな名前であった。三人の精霊が集まって出来た、人間と精霊の交わる里。そこで一人の研究者が起こしたあの事件の、唯一の生き残りこそが彼である。
私は直接会った事もないが、とある正義漢にとんでもない加護を授けてしまった迷惑な奴という印象は未だに強く持っていた。
彼はあの魔法世界だけに存在する、ある種架空の精霊ではない。学院のある世界の、歴史上の人物なのである。
……私達は過去をある程度体験できるだけで、歴史に介入する事は出来ない。
本来の歴史であればあの事件の後、一人だけの里長となった彼は二人の親友を殺した人間を憎み、精霊の里と人里の関係を完全に断ったはずだった。旅の竜騎士が訪れて、親友の供養のために加護を授けたなんてありがちな英雄譚にはならないのである。
学院に保管されている数少ない歴史書にはそう書かれているし、滅ぼされた敗戦国の歴史を調べる物好きが里の場所を探ろうとした時、既にそこには遺跡しか残されていなかったという記録もあった。
もちろん精霊の里が人間との関係を断った時、既にあの国家は戦争によって地図から消えていたわけだが、それでもその土地の精霊信仰が途絶えたわけではない。
何しろ運良く……と言い切ってしまっていいのかは分からないが、生き残る事が出来た大半の国民にとって、大精霊とは普段から会えていたわけでもなければ、関係を断たれて何か困る事がある存在ではなかったのだから。
戦勝国に土地を追われ、“蛮族”の烙印を押されても新たな支配者に膝をつかなかった彼らは、深い森の中で生き延び、大精霊“リューター・ギーチカ・エルマポン”の名を後世に残すこととなるのだから。
……私はその事実を数秒かけてゆっくりと確認し終えると、大きく息を吐く。
今回の課題においてとても大事な事を教えてくれた男は今、私の足元で一本の薬を恐る恐る探していた。
視界が遮られ、半ば強制的な恐怖心と戦いながら、もう必要なくなってしまっている薬を探す様は大変滑稽だ。木の枝と試験管を間違えて両手でしっかりと握り、そして手触りがおかしいと気付いてそれを手放す。
自分でも趣味が悪いと自覚はしているが、それでも楽し気な見世物であることには違いなかった。
尤も、今の私の頭は考え事で埋め尽くされており、それを嗤って蹴り飛ばす余裕などなかったのだが。
……読んだはずのあの歴史書の内容が、どうにも思い出せないのである。
確か、あのレポート作成の時に精霊の里関連の資料を見付けて喜んだ記憶がある。そこには確か蛮族や戦勝国のその後の顛末まで記載されていたはずであり、その記載はどう考えても今後のヒントとなる情報であろう。
……いや、もしかして私、あれを読んでいないのではないだろうか。
歴史は面倒だと適材適所を言い訳にロザリーに押し付けて、私は同時詠唱の考察を深めていた記憶がある。むしろそれについての記憶しかない。
精霊の里の知識なんてもう必要ないと思っていたのだが、まさかあの課題の続き、もしくはそれよりももっと前の時代に再び来ることになるなんて思わなかったからな。
何と言う偶然だろうか。これはもう忘れていても仕方がないな。あれが何か月前だったかも覚えていないし。
ちなみに、歴史書を読んだロザリーの言葉によると、精霊の里に居た(私は見張り番の二人しか見ていないが)住民達は人間ではなかったらしい。
半精霊という、精霊として生まれながら人間の様な特徴を最初から持っている存在だ。しっかりとした肉体を持っている代わりに精霊としては魔力量が少なく、戦闘力は中位精霊にも及ばない。しかも人間と違って加護を受け取りにくいという特徴まで持っているらしく、魔法使いとしてはそこそこ止まりといった能力だ。
それに対して、目の前にいるこの男、つまり刃の一族とやらは当然人間である。今は亡きとある精霊信仰の国で生まれただけの、ただの人間。その加護も前に見た反則級の“あれ”と比べればあまりにお粗末であり、彼らの関係性の薄さが窺える。
その生き残り、もしくは子孫である彼らもあの里長達を信仰していた様子ではあるが、精霊の里自体とはもうほとんど無関係と言ってもいいだろう。
私はそんな考えをまとめつつ、そして今回調べるべき“魔法兵器”とやらにある程度の予想をしていると、男の前に一人の少女が立ち止まった。彼女は私の視界を塞ぐようにして、手にした凶器を掲げて見せる。
……どうやら他も終わったようだ。
彼女の足音を聞いて男は怯えるように動きを止めたが、それは正解とも不正解とも言い難い。結局最後までこの絶望的な戦況を目にせず、そして苦しまずに死ねたと思えば、むしろ正解の方に近いだろうか。
「相変わらず、趣味が悪いわね」
「……どうやら他も終わったようですね」
リサは一人の男に向かって振り下ろした鋸を担ぎ上げると、私に若干の非難が混じった視線を向けたのだった。
また更新に期間が空いてしまって申し訳ありません。
実は今回の話、精霊の解説を入れないパターンで作っていたのですが、どうにもしっくりこずがっつり長めの解説を入れる話に変更しました。一話ほぼ丸々解説回というのはいつ以来なのか覚えていませんが、そもそも元々こういう作品だったんですよね……。
そして、前回は沢山の良いねありがとうございました。きっと感想を書くのが時間的に憚られるという方や、特に感想はないけどいいね、みたいな方が気軽に応援してくださっているのだと思います。評価やブックマークが一度しか使えないので、結構需要がありそうな機能ですね。
応援ありがとうございました。一応明日の予定ですが、次回更新も気長にお待ちいただければ幸いです。




