第232話 謎の商品
そう言ってシルクが店の奥から取り出したのは、小さな籠であった。他の籠と同じく細い木製の棒によって真四角に形作られたそれは、虫やネズミなどの小さな生き物を入れるのに丁度いい大きさに見える。
彼女の手の動きに合わせて揺れ動いた“地面”に驚いたのか、中に入っていた生き物は二枚の羽をばたつかせて僅かに飛び上がった。
私達は疑問を抱きつつ、それを詳しく覗き込む。一見しただけではそれが何なのか理解できなかったのである。
籠の中に入っているのは手のひらサイズの小さな生き物。体に比べて圧倒的に長い羽を持っているようで、シルエットは尾のないトンボに近い。
ただし、動物っぽい白い毛が生えているので虫ではないだろう。羽を広げた大きさは30㎝程度で結構大きめだ。
「……何ですか、これ」
「さぁ……? 私にもよく分からないんですけど……」
じっと籠の中身を覗き込んでも、私にはこれが何なのかがさっぱり分からない。
……というよりも、シルクを含めてこの場にこの毛玉の正体を知る者は一人もいなかった。そんなよく分からない物を売っているのか、君は。
その生き物を端的に言い表せば、空飛ぶ毛玉である。
直径5㎝もない大きさの綿が、鳥の羽根の様な物を二枚広げて風に乗っているのだ。見た限りその生き物には目も口もない。本当に綿花の実に白い鳥の羽根を突き刺しただけの様な見た目なのである。
一応地面に降りた時に転がらない程度の安定感はあるが、籠の外から見ただけでは足すら生えているのか怪しい。
「え、何このふわふわ……」
「大きさと飛び方は虫の様ですけれど……見た事がありませんわね」
「間違っても鳥には見えないし……他に飛ぶ動物ってのが心当たりないから完全に正体不明だね」
コーディリアでも知らないとなると、これはティファニーの言う通りで完全に正体不明と言い切ってもいい。
正直に言えば私なんて、動いている所を実際に見てもこれが生き物である自信がない。その辺の手芸屋に売られている綿に、鳥の羽根を突き刺しただけにしか見えないのである。
これが突然部屋の中に入って来たら、私は風で飛ばされてきたゴミとしか思わなかっただろう。海岸でこんなのが飛んでいるのを見て、“捕獲”した彼女には感心してしまう。
シルクは私達の反応を見て苦笑を見せる。
「実は、図鑑を調べても正体が分からなくて、売値に困ってるんだよね。餌も生態も分からないから、飼育も完全に手さぐりになっちゃうし……」
それは……ペットショップとしてどうなのだろうか。
いくらゴミにしか見えないからと言って、自分の飼育下で殺してしまってはやや寝覚めが悪くなるのは想像に難くない。流石にそんな状況では、“図鑑に載っていない生き物”としての価値を見出す人間しか買わないだろう。
少なくとも、私達には縁はなさそうだな。唯一可能性がありそうなコーディリアも慎重な構えらしく、購入する考えはなさそうだ。
折角の学院生出店の生き物市ではあったが、この正体不明のお勧めを含め、特に買いたい物は見当たらない。今回は特に買い物をする必要はなさそうだ。
しかし、私が別れの言葉を口にするよりも先に、一つの大きな決断を下した人物がいた。
「それ、買うわ」
「……え」
私は突然のその言葉に、思わず隣の女を見上げる。
視線の先のリサはそんな私の視線は気にも留めず、ただじっと籠の中身を覗いていた。
一瞬、本気かと問い掛けそうになってしまったが、別に私が気にする事ではないはずだと開きかけた口をつぐむ。リサにはリサなりの欲求があってこれを飼育する決断をしたのだろうから、外野がとやかく言うべき事ではない。
……まぁ、コロコロ君を可愛いと思うような女なので、これも可愛いと思ったから買うというだけの、単純な話なのかもしれないが。
値段が決まっていないという事で商談は長引くかと思いきや、シルクはやや遠慮気味な確認を数回行うと、そこそこの値段を提示し、リサは特に文句もなくそれを支払った。
新種の可能性のある生き物としては安いくらいかもしれないが、他のペットと比べても結構な良い値段であるはずなのだが。
尤も、今回の試合は順位によって少しばかりの賞金が出るので、今の彼女にはこの程度の出費は払えなくもない。
時間当たりの稼ぎは魔法世界よりも圧倒的に低いのだが、薬や装備の維持費等がかからない今回のイベントは、そこそこの勝率さえあればそれなりに金だけは稼げるものだったのである。その代わり魔石の入手はまったく出来ないが。
リサは小さな籠を満足気に受け取ると、淡泊な別れの挨拶を告げて店を離れたのだった。
私達もそれに倣ってシルクに別れを告げる。まぁティファニーが何かを画策しない限り、私達が出会う事はもうないのだろうけれど。
シルクの店を出た後も、生き物市はまだまだ終わらない。ここから見える幟の数からしても、まだ半数程度しか見て回っていないだろう。
いつの間にか保護者役……いや、面のティファニーの手から逃れたコーディリアは、一軒の屋台を見付けると何の躊躇もなくそこに突撃した。
一瞬にして人込みの中に入って行ってしまったな。
そんな彼女を若干慌てて追いかければ、コーディリアはこの広場の中では異彩を放つ店の前でしゃがみ込んで商品を手に取っていた。
その店は、一切の檻や籠を置いていないのだ。動物や飼育用の設備ばかり売っているこの広場の屋台としては異例の存在である。
しかし、生き物にまったく関係のない物を販売しているわけではない。そういう店はこの会場に出店できない決まりでもあるのだろうし。
そこに置かれていたのは、平易に言えば虫の死骸。額縁の中にピン留めされた、所謂標本という奴である。
彼女が見ているのは色鮮やかな甲虫の標本。僅かな体色の違いがグラデーションになるような順番で、厚めの額縁に入れられている。私にはそれらがタマムシなのかカミキリムシなのか判断が付かないが、もしかするとどちらでもない虫なのかも知れない。
しかし、それを見るコーディリアの表情はやや硬い……というか、険しいと言っても過言ではない様子。普段はあんな顔を滅多に見せない女なのだが、商品に何か気に入らない所でもあったのだろうか。
ちなみに標本にはいくつも種類があり、虫だけでなくサソリやカエルなども売られている。中には20㎝を超える羽を持つトカゲまであるが、本当にああいう生き物がこの世界に居るのか、はたまた作り物なのかは判断が付かない。
「おじさん……この標本は、あなたが作ったのですか?」
「……ああそうだ」
コーディリアはゆっくりと額縁を元の位置に戻すと、店主であるらしい強面の男に静かに問い掛ける。男はその見た目通りの低い声で、言葉少なに返事をする。
彼女はそれを聞いて小さく息を吐いた。そこには明白に落胆の様な物が混じっていて、店主の眉がピクリと動く。
……何か残念な所でもあったのだろうか。私も標本をチラリと確認してみるが、どこにも不自然な所はないように見える。
そもそも、昆虫標本についてはよく知らないが、これって虫の死骸を乾燥させてピンで留めただけの物なのだろう? 体の欠損や変色以外に何か気になる点なんて思い付かないのだが、特にそれとわかる様な部分は見当たらない。
虫の種類もしっかりと書き込まれているし、素人目から見れば普通に学術的に使えそうですらある。
「そうですか……」
コーディリアは落胆と共にそう呟くと、標本その物ではなく一緒に売られている薬やピンなどに視線を移した。その様子は言外に、これらの標本に買う価値がないと言っている様な物だった。
それを黙って見ていられなかった店主は身を乗り出すと、コーディリアの小さな体をじっと睨み付ける。私達と違って本来戦うような職業の人ではないのだろうけれど、海を越えてここまでやってきたはずのその男は、独特な迫力を持っている。
「嬢ちゃん、俺は本職は細工屋だが、売り物に手を抜いたりはしねぇ。こいつらが十分に売り物になるって自負がある。……文句があるならはっきり言ってみな」
「……では言いますが」
店主の突然の行動にティファニーが動こうとしたが、それよりも早くコーディリアが口を開いた。そこに臆した雰囲気は一切感じられず、むしろいつも以上に堂々とした振る舞いにすら見えた。
「標本の、真ん中にピンを刺さないで下さい!!」
「……あ?」
いつになく真剣な、そして大きな声が喧騒の中に響いて行く。その唐突な声に反応して、周囲の人間も一斉にこちらを気にして声を落としたようにすら感じた。
……今一つ何を言っているのか分からないのだが、標本ってピンで留めちゃいけないのか? 私はそういう認識を持っていたのだが……。
店主もまさかそんな事で怒られるとは思っていなかったのか、目を瞬かせるばかりで声すら出ない。
代わりに響くのは、なぜかいつになく怒っているコーディリアの声だけである。
「真ん中の組織をピンで潰したら、元がどんな形だったのか分からないじゃないですか! 左右対称の構造なら反対側を見れば分かりますが、中央の構造は基本的に一つしかないんです! そこに穴を開けてしまったらダメだって子供でもわかるでしょ!」
いつになく力強くそう捲し立てる彼女の言葉を聞いて、私はようやく何に怒っているのかに気が付いた。ピンその物ではなく、その場所が問題だったのだ。
確かに、言われてみればそうかも知れない。考えた事もなかった。
何となくの標本のイメージで真ん中にぐさりと長いピンを差し込むものだと考えていたが、中央にしかない構造に穴を開けてしまってはそこが完全に欠損してしまう。そうなっては“標本として”不十分とさえいえるかもしれない。
店主の男も彼女の言葉に目を見開き、ふらりと力なく立ち上がる。
「……そうか。考えてなかったな。確かに言われてみれば左右どちらかにずらした方が……いや、そうしなきゃ駄目なんだな……」
「こんなに状態が良いのに、それだけが残念ですわ……」
沈痛な面持ちで互いに視線を下げる二人。そこには直前までの険悪さは見当たらない。
……まぁ私も言っている事は理解したと思う。穴をあけるにしても一つしかない場所ではなく、左右に二つある場所にした方がいいという話だろう?
ただ、正直それがどうしたと考えてしまうのは、私の“理解”が浅いせいなのだろうか。
私は自分の理解の及ばない所で、同じ悲しみを共有している二人から視線を外す。
そして視線を投げたその先で、それを見付けたのは本当に偶然の事だった。




