第228話 噂
大広間を出てしばらく。私達の次の目的地は次の試合の受け付けだ。
広間に居た多くの生徒も同じ考えなので、廊下は結構な混雑となっている。何せこの場に居る生徒の大部分は試合に勝ったか負けたかして移動した生徒なのだから当然だ。例外は、普通に魔法世界で息絶えた生徒と、連続で試合に参加しない生徒だけである。
いつものように、ただただ人の流れに乗って進んでいるだけで苦労無く辿り着くだろう。相方も居ない事だし、私の体で廊下を急いでも、良い事など一つもない。
目的地である試合への参加受付は、大広間を出て生徒準備室や記録庫の反対側にある。
具体的には、その方面にぽつんと一つある特別教室だ。受け付けでは弾薬や矢の支給も行っており、参加の最終確認時に魔法の書を専用の設定へと書き換えて貰う事になる。
ちなみに特別教室とは、その名前に反して特に用途の決まっていない部屋の事でしかない。別の言い方をすれば空き教室だ。今回受付を行う教室は、ただ単に大広間から一番近く、転移門への道の途中にあるというだけで選ばれている物なのである。
私はリサの隣を歩きながら、人の流れに逆らわず、目の前の背中をただひたすらに追っていく。
こうして改めて見ると、私とティファニーの事前の予想に反して試合の参加者は意外に多い。今は特に人の多い時間帯というわけでもないはずなのだが、こうして人で溢れ返っているのだから相当だろう。
まぁ今回の催しの性質上、“人の多い時間を避けたい”と考える生徒は多いはずなので、そのせいで逆に人が増えているという面もあるのかもしれないな。
渡り廊下には柔らかな日差しが差し込んでいる。
この前は雨が降っていたが、今日は気持ちのいい快晴だ。やや西に傾き始めた日差しは、中庭に植えられた大木に遮られて木漏れ日だけをキラキラと廊下に落とす。
……そんな快適な渡り廊下を抜けた直後、平和な時間は唐突に終わりを告げた。
「さっくらちゃぁああん!!」
「ぐぇっ……」
長閑な風景に油断していた所で腹を圧迫され、意志に反して肺から空気が漏れる。
人影から突如として現れたその人物は、もちろん私にとって大変見覚えのある人物で……。
「サクラちゃん、会いたかったよー!」
「……ああそう」
突然の抱擁と、蚊か何かかと思うようなキスを首元に受けつつ、私はその人物を見下ろす。……まぁ、公衆の面前でこんな事をする人物と言えば当然ティファニーしかいないので無駄な行為なのかもしれないが。
体を一周するようにロックされた腕を外そうともがいてみるが、いつも以上に固く結ばれたその腕が外れる事はなかった。腕力の数字のために転科を真剣に考えるのもいいかもしれないな。
「相変わらずね……」
「あー、生き返るぅ……最近必須サクラちゃん物質が足りなかったから」
「何が“必須”ですか。本気で言っているなら一度解剖される事をお勧めします」
彼女は周囲の生徒やリサから冷ややかな視線を受けても一切怯まず、私からの言葉は喜んでいるようにさえ見える。嘆かわしい限りだが、こうなってしまってはただただ耐えるしか私に選択肢がないのが常だ。
今回も人目があるとは言え、特別な事はないだろう。本当に何かを私から吸い取っている様な口付けに辟易しながら、ただただ抱き付かれている事しかできない。
しかし、この場に居るのが私達だけではないというこの状況は、私が考えていた以上に好意的に働く物であった。
突如として響くピーっという、周囲の喧騒を吹き飛ばすような鋭い笛の音。これは間違ってもフルートとかトランペットとか言う上品な楽器ではない。
私がそれを聞いて咄嗟に思い出したのは、体育の教師が集合をかける時に聞かされた学生時代の記憶だが、今回はそれとは役割が異なる。“警笛”と呼んだ方が的確であろう。この音は所謂ホイッスルだ。
そしてそれに続く、笛と同じ様に鋭い声。
「そこ! 人の迷惑になる行為は止めなさい!」
「……」
「派手な服を着て、サクラさんに抱き付いているあなたです! 風紀委員として不埒な行いを見逃すわけにはいきません!」
……そういえば、こうしてこの変態につっかかっている所を見るのは初めてだな。彼女の活動自体はちょくちょく見るが、“私一人が助けられる”というのはもしかすると初の体験だろうか。
私は、制止されながらも完全に無視を続けるティファニーの肩を叩く。
「……ティファニー、呼ばれていますよ」
「え? 何?」
笛の音と制止の言葉を響かせて、人込みを掻き分けて出て来た一人の女生徒。
自作の風紀委員腕章を腕に着けている女を、私は彼女一人しか知らない。実際、学院には彼女しかいない事だろう。
ティファニーはまさか自分が呼ばれるとは思っていなかったようだが、私が背後を指し示すとそれに従って振り返る。
警笛を携えた風紀委員長、ミシェル・ガードナーは眉間にしわを寄せてこちらをじっと睨んでいる所だった。
……それから程なく。私は解放されたが、まるで反省しない彼女と風紀委員長の間に多少の問答があったのは言うまでもない。
ガードナーも自分が絡まれていない分にはあまり面倒はなく、偶にはこうして役に立つのだなと感慨を覚えつつ、私は待合用の席に腰を下ろしたのだった。
***
ティファニーとガードナーの下らない争いが続く空き教室へ、見慣れた人物が足を踏み入れる。
彼女は待合用の席に向かって視線を振って私達を見付けると、明るい笑みを見せた。尤も、即座に笑顔から困惑へと表情を変えたのだが。
「これは……どういう状況なのでしょう?」
「あまり気にしないでください。ティファニーが風紀委員長に捕まっただけですから」
私がコーディリアにここで何が起きたのか簡潔な説明をすると、正論を振りかざす風紀委員長相手につらつらと不平を述べるティファニーがこちらをぐるりと振り向いた。
ガードナーからの説教を受けてもまるで反省していない彼女は、コーディリアの登場にその瞳を輝かせる。
そしてその勢いのまま、変態相手に可能な限りの努力をしていたガードナーを放置してこちらへと駆け付けた。
「コーデリアちゃん! 試合お疲れ様!」
コーディリアはティファニーの熱烈な歓迎を受け止めつつ、小さく首を傾げたまま私とガードナーを見比べた。
おそらくティファニーがガードナーに絡まれていた理由が、よく分かっていないのだろう。
過度な身体的接触が迷惑行為となっている事が頭から抜けている辺り、かなりティファニーに毒されてきているのかもしれない。それを指摘するのも馬鹿らしいので、これ以上は本人から聞いて欲しい。
しかし、その疑問が彼女の口から出てくることはなかった。その前に別の人物が口を開いたのだ。
私に比べるとやや落ち着きを持ってコーディリアを愛でていたティファニーだったが、彼女と目線があった時にふとその動きを止める。
「……あ、思い出した。わたし伝えたい事があってここまで来たんだよ」
「伝えたい事?」
突然呟くように口を開いたティファニーの言葉を耳にし、私とコーディリアは顔を見合わせる。
近くに居たリサやガードナーも、私達と同じく彼女の言葉に心当たりがないようで困惑の表情である。
彼女が突然理性的になったのもそうだが、伝えたい事があってここで待っていたというのは少し理解に苦しむ部分がある。
ただ何かを伝えたいだけならば、メッセージでも送ればそれだけで済む話なのだ。やる事がなくて暇だったとか、私やコーディリアに会いたかったとか、ここに居たのはそれだけだと思っていた。予想に反してしっかりと用事があったんだな。
しかし、こうして直接会いに来て伝えたい事というのはあまり予想が付かない。何かあったのだろうか。
ティファニーはオウム返しのコーディリアに頷いて見せ、耳慣れない言葉を口にした。
「そう。えっと、今日は市場で生き物市が開かれてるみたいだよ」
「……一体何の話でしょうか」
しかし、彼女の言葉を聞いても私達は理解できない。話が難しいとかそう言う事ではなく、単純に出て来た言葉が記憶の中になかったのである。
生き物市とは一体何なのか。
コーディリアはこの場に居たほぼ全員の疑問を代表して口にする。リサもガードナーも特に何か私達の知らない情報を知っている様子ではない。
そんな私達を見て、ティファニーは大変簡潔な説明を口にしたのだった。
「わたしも詳しく知らないんだけど、何か動物が売られてるみたい。面白そうだし行ってみない?」
年末年始でお休みしていました。
……というのは半分くらい言い訳でして、本当はこの後のプロットに悩んでいました。結局大幅に変えたわけではありませんが、時間の経ったプロットってどうしてこんなに詰まんなそうに見えるんですかね。




