第225話 召喚の心得
私の魔法は当然想像通りに動き、そしてロザリーが意地の悪い事を事前にしているわけでもなく、デュラハンに対して混乱状態をしっかりと付与できた。私の動きの読みにも大幅な狂いはない。
ロザリーが一体何を考えていたのか分からないが、混乱状態の攻撃対象の選択はランダムだ。現在この場には5つの対象がいるので、こちらが狙われる確率は四割。それが一定間隔で抽選されるのだから、機能としては十分であるはず。
デュラハンと幽霊を同時に相手にするのは、私の能力値からして不可能なのでこうするのが最善のはずだ。
私はやや歩調を緩めた様に見える騎馬武者と、その後ろを鬼の形相で進んでいる半透明の死霊を確認して、次の魔法の準備を開始する。
しかし、結果から言えば私のこの判断は間違っていた。
ここで待ち構えず、即座に動きを封じるのがこの場の最善の手だったのだ。それが例え、不確実な賭けになったとしても。
尤も、今更後悔しても仕方のない事ではあるのだが。
「ふははは! かかったな!?」
「これ……チッ」
私は完全に予想していなかった光景を見て、思わず舌打ちをする。魔法の打ち消しは……間に合いそうもない。下手に手を出すよりは防御を選んだ方が適切だろうか。
錯乱しながらも敵に向かって動くデュラハンの足元に、魔法陣が展開される。
それは召喚陣ではない。つまりロザリーが詠唱していたのは死霊の呼び出しのための魔法ではないという事。そしてこれは、私にとっては多少覚えのある陣だ。何を隠そう、これを改造したのは私なのだから覚えていて当然だ。
運が悪い事にこちらへと駆けて来る騎馬武者の動きに合わせて、輝きを増す魔法陣。私は自分の選択を後悔しつつも、傘を盾にして防御体勢を整えた。
直後、全身に走る衝撃と爆発音。傘がめくれ上がらない様に両手に力を込め、吹き飛ばされないように地面へと踏ん張る。
目の前で開かれていた傘は、その骨組みをみしりと鳴らしながらも私を危機から守り抜いた。
これは生贄の魔法だ。死霊術にだけ存在する、召喚体を消費して発動する攻撃魔法。
死霊術科を闇の三賢者という不名誉称号から“若干”救っている、強力な魔法の一つである。死霊術師の奥の手の一つだ。
まさかこんなに早く使ってくるとは思わなかった。
私が改造したロザリーの攻撃魔法は、発生速度と威力に特化している。戦場に居る召喚体を消費する関係であまり連続で使えない事から、再使用時間や詠唱時間等を犠牲にした大技だ。私が改造したので当然だが、ロザリーからは結構な好評を得ている。
欠点といえば、攻撃範囲が大したことがないくらいか。今も私が爆風を受けたから、後に居たコーディリアに影響はなかったようだ。詠唱も続けられている。
死霊術師の奥の手という事で威力の方は流石だ。ロザリーの装備品が魔力特化ではない事が幸いして即死は免れたが、余裕があると強がることはできない。
私は半分以上吹き飛んだ自身の体力を確認してから、次なる脅威である霊のために身構える。
勝利の礎となった味方の屍を、何の感情も見せずに乗り越えたその幽霊は、私に向かって半透明な爪を振りかぶる。
この行動を見るに、どうやらロザリーは最初から私を狙っていたらしい。コーディリアの召喚を止める様な言葉を口にしたのは、真っ赤な嘘だったわけだ。……我ながら単純な手に引っかかってしまったな。
詠唱中は陣が読めないのでその内容を見る事は出来ない。攻撃魔法での速攻も考慮して、もう少しこちらから大胆に行動するべきだった。
親友の思い掛けない裏切りにより私の純真な心は痛く傷付いたわけだが、そんな事より面倒なのはもちろん今の戦況である。
私はあまり効果がないと知りつつも、死霊に向かって傘を振る。何の手応えも返さない白い傘は、予想通り彼女の体をするりと抜けた。
ロザリーの召喚するこの幽霊は、物理的な影響を受けない。いや、受けないというとやや誇張的な表現なのだが、彼女の体は様々な攻撃をすり抜ける。
今私がやったように武器で殴っても手応えはないし、向こうからの攻撃を防ぐこともできない。逆に言うと向こうも私の攻撃を防ぐことができないわけだが、彼女がいくらでも呼び出せる召喚体であることを考えれば、ロザリー側の一方的な優位と言っていいだろう。
ただし、幽霊は物理的に攻撃をすり抜けている様に見えるだけで、実際には攻撃が当たったその分の体力はしっかりと減る。その上矢や銃弾を受けても貫通してしまったり、体を張って敵の進行を阻止する事も出来ない。耐久力が大変低いのもあって、普段は少し使い所が限られる。
実際、最近まともに戦っている彼女を見たのはいつの事だったか。コーディリアの特別課題の時に一度見たくらいで、この幽霊を呼び出すよりは自分で斬りかかっていた様な記憶がある。
しかし、思えば今回は大活躍だろうな。攻撃が防げないというのは対人戦闘では厄介極まりない性質だ。
そもそも生徒は武器や盾による威力の大幅な減衰を前提に装備を整えるし、その上今回は防御よりも機動性を重視されるバトルロワイヤルだ。装備品もそちらを重視して整えている事だろう。
……まぁ、私の場合は仮にデュラハンに迫られてもなす術無かったとは思うが。
骨のような爪の様な、歪に伸びた指先がそっと私の体を抜けて行く。
こちらからの攻撃から衝撃を受けている様には見えないが、不思議と彼女の攻撃は私を仰け反らせるには十分な重さを持っていた。
しかし、召喚体は召喚体。その上こんな厄介な性質を持っている幽霊が、“数字上も強い”なんて事はあり得ない。
この攻撃は致命的な一撃ではない。死に体の私でも、十分に時間を稼ぐ事は可能なのだ。
私の体が爪で引き裂かれた直後、鋭い風の刃が私のすぐ隣を抜けて行く。
それは見事に悪霊を斬り裂き、そしてその威力を誇示するように地面に深い傷を残す。
「颯、お願い!」
虫の羽ばたきとは思えない大迫力の羽音を立てて、黄色と黒の頼れる龍が戦場へと飛び出した。
ムカシトンボという種類らしい颯は、凄まじい速度でロザリーへと接近するとその薄い翅で彼女の首を刈り取ろうと迫る。
今度こそ召喚のための長い詠唱に入っていたロザリーだったが、彼の接近を前にして詠唱を中断せざるを得なかった。見た限り、大鎌を構えて迎え撃とうという算段だろう。
それは、この試合中に何度か見た状況に酷似している。そしてその結果は、大抵いつも同じだ。
……そもそも、私達はお互いの手の内を知ってはいるが、こうしていつもの面子同士で戦うなんて事は当然初めての経験である。
今回の試合でも、顔を遠くから見る事はあっても直接対決はこれが初めて。何も知らない連中に比べれば対応できる可能性は高いが、お互いの手札の本当の脅威、つまり強みを深く理解しているかと言えばそうではない。
それは例えば、私がロザリーの攻撃魔法を見誤ったように。
そしてそれは、ロザリーもまた颯とコーディリアの厄介さを深く理解しているとは言い切れないという事を意味する。
颯は持ち前の空中機動で僅かに鎌の軌道から逃れると、深く翅を動かし風を巻き起こす。その風は再び刃となって標的を切り裂いた。
予想外の攻撃を受けて僅かに動いた鎌の動きを読み解くように、颯は二度目の急接近。そして薄く頼りなく見えるその翅は、見事に彼女の首に深い傷を残した。
「ぐっ、速過ぎてこの距離では目で追えんか……!」
三度目の攻撃は何とか読み切って相手を遠ざける事に成功したロザリーだが、その表情は苦し気だ。
近くにコーディリアの操る颯が居ては、詠唱時間も稼げないだろうし、だからと言って魔法抜きで切り抜けられる状況でもない。ああなってしまっては、何とか耐えつつ援軍を待つしかないだろう。
もしくは逃げるか。私と敵対して逃げ出す彼女というのもうまく想像が付かないので、おそらくその選択肢はないとは思うが。
コーディリアを振り返れば、彼女は颯に命令を出しつつ次の詠唱に入っていた。その表情は愛しの虫達を活躍させられて大変満足気である。
きっと、コーディリアが次の詠唱をしているのが見えたから、ロザリーは迎撃を選択したのだろう。颯を無視してこちらに向かってくることもできたはずだ。時間稼ぎなのか消耗を嫌ったのか分からないが、そこに勝機を見たのだ。
普通、詠唱にはそれなりの集中力が必要となる。
魔法の発動のためのキーワードを強く認識しなければならないので、例えば私が“今日の晩御飯はピザを作ろうかな”なんて考えつつ魔法を使うと、その魔法は失敗になる。……というか、そもそもどの魔法を選択しているかすら分からないので、詠唱の段階にすら入らない。また、詠唱の途中で別の事に意識が逸れても、魔法が失敗してしまう可能性が高い。慣れていないと確実にそうなってしまうだろう。
しかし、コーディリアはこの点が少し特殊だった。
呼び出す虫を細部まで記憶している関係なのか、彼女は“他の虫に指示を出しつつ詠唱をする”事が異常な程に得意だった。今も詠唱を途切れさせずに、高速戦闘を後ろから見て颯へと指示を出している。
普通、例えばロザリーなんかもそうなのだが、詠唱中というのは既に呼び出した召喚体を自動戦闘状態で戦わせるのが基本だ。もっと言うと、召喚系の魔法使いの最大の強みはこれだ。勝手に戦ってくれるからこそ、詠唱が中断される可能性が低い。
例え詠唱中に簡単な指示を出せたとしても、どうしても素早い判断は難しくなる。指示を出す場合の召喚師は、“次の召喚体の事を強く意識しながら、今目の前の召喚体の面倒を見なければならない”わけで、それはある程度当然の事なのだ。
私が詠唱しつつ考え事が出来るのは、彼女達のように指示を出すなんて面倒な行為をしていないため。召喚体への指示は口に出さず、魔法と同じ様に考えた事が伝わる仕組みなので、慣れとかどうとかそういう事では基本的にはどうにもならない。
しかし、コーディリアは何の問題もなくやってのける。それも今見せつけた様に、颯の高速で繊細な動きの指示でも問題なく。
恐らくだが、“虫を意識する事”が彼女にとっては当然なのではないだろうか。
普通、カブト虫と聞いてその体を隅々まで思い出すのには、それなりに時間と集中力が必要なものだ。私がパッと思い付くのは角と色くらい。翅や脚の付け根まで“無意識に意識が向く”人間がどれだけいるのだろうか。
彼女にはそれが簡単にできるから、詠唱が途切れない。これも、一種の“愛”なのかも……。
そしてそんな、コーディリアの目立たぬ実力を私は隣で散々見て来たわけだが、いつも私達よりも前に居るロザリーはこれを知っていたのだろうか。知ってはいたとしても、それがどれだけの脅威となるのか理解していただろうか。
さて、あともう一人の方も流石にそろそろ姿を見せるだろう。
……正直私達にとって、ロザリー何かとは比べ物にならない程に厄介なので、もう出て来なくてもいいんだけど……。
もちろん、私の淡く甘い期待は当然のように裏切られる事となった。




