第218話 秘策と秘策
封印の檻はセイカを止める役割をしっかりと果たしたが、だからと言ってのんびりとはしていられない。彼女に対する拘束がいつまで機能するかは未知数だ。次の瞬間には動き出していないとも限らない。
私は脱兎の如くその場から駆け出すと、距離を取って体勢を整える。
戦場を振り返れば、左足が固まったまま変な形で檻に挟まれているセイカを見て、シオリがげらげらと笑っている所だった。助けようと手助けするわけではなく、滑稽な様子のセイカをただただ笑っている。
セイカは笑われながらもしばらくじたばたと暴れていたが、腕の力だけでは檻を抜け出せないと悟ると、まだ生きている右足と腰をぐりんと回してその勢いで鉄の柵を蹴破った。
何とも調子の狂う光景だが、まぁもう何でもいいか。……そろそろだしな。
時間稼ぎはもう十分だろう。相変わらず、一人で複数人の相手をするのは骨が折れる。
それもこれも、この試合で今までにない程に昏睡と麻痺が大流行しているからだ。生徒に出会ったならばほぼ確実に耐性持ちだと考えた方がいい。私はその二つを封じられてしまうと手札が大きく削られてしまうし、用意した突破法もこの場では使えないし……。
私は大きく息を吐くと、シオリの持っている酒瓶へと視線を向ける。最後に一つ確認しておきたい事がある。
「……アイテムの持ち込みは不可だったはずですが、どうやってそのお酒を密輸したんですか?」
ようやく正体に気付くことが出来た違和感。私は少し離れた場所にいるシオリへとそれを静かに問い掛けた。
今回のルールではアイテム類の持ち込みは禁止だ。
酒は当然アイテム扱いなので持ち込めないし、中に薬を詰め込んだ武器なんてのも認められていない。身近な例で言うと、私の持っている注射器はルール違反で弾かれてしまう。基本的には銃の弾や弓矢などと同じ扱いだが、それに対応する支給品が用意されていないという事だ。
しかし、シオリはこうして酒瓶を持ち歩いている。
これはよく考えてみるとおかしな事だ。彼女なら持っていてもおかしくはないという先入観が、その違和感を覆い隠してしまっていた。
どのようにして彼女はあれを持ち込んだのか。
いや、それよりも“あれ”は何なのか。
私の疑問はそこである。
「いやいや、何を言っているのかな? これは中にアルコール度数の高い飲用水が入っているだけの殴打武器だよ」
彼女は私の問い掛けに対して軽い口調でそう答えると、確かにこん棒のように長めに作られている酒瓶の中身を口に含む。
……もちろんその中身は酒ではないのだろう。
その正体について、私は一応の予想を立てている。そもそもこの試合で使える液状の薬品はその一つしかないのだから、そこに気付いてしまえば簡単な結論だ。
「どこの世界に、“弾薬”をお酒と言い張る部族がいるんですか」
「いやいや、すべての世界の呑み助は、可燃性の液体の事を大体全部お酒だと思ってるからねぇ」
最初は誤魔化してまともに答える様子もなかったシオリだが、私に瓶の中身を言い当てられ、もう隠す事は無いとばかりに開き直る。人を馬鹿にしたようでありながら同時にどこか憎めない笑顔の前で、ちゃぽんと瓶の中身を振った。
彼女が“空洞を持つこん棒”の中に仕込んでいるのは、銃の弾薬用に支給されている無属性の液体魔力だろう。あれは見た目通りの酒ではない。
何度も言う様に、酒の持ち込みなんて許可されていないのだ。食料品は薬とほぼ同じ扱いなので、この情報が間違っているという事はない。
彼女はおそらく私と同じように使う気のない銃を試合に持ち込み、運営から支給された弾倉の中身を瓶に注いでいるのだ。見た所元の銃を携行している様子はないので、開始と同時にどこかへ捨てているのかもしれない。
ちなみに、弾薬なのでもちろん飲用ではない。
中に中途半端な量しか残っていないのは、試合中にぱかぱか飲んでいたからではなく、最初から瓶の半分程度の量しか支給されていないからだ。
それをまさか、あんな方法で攻撃に使ってくるとは……意外と言っては少々失礼かもしれないが、そう思ってしまうほどには策士だな。少なくとも私は、似たような手法を使いながらもその活用法を思い付いてはいなかった。
銃に使われている事からも分かる様に、液体魔力は非常に反応性が高い魔力だ。中には私の使う爆薬と似たような性質を持つものもある。
今回配布される弾薬は無属性なので、特に属性を持たない魔法と良く反応するはず。
この性質を使って、銃の弾倉を投げて直接爆発させるという何とも危ない使い方をする生徒も居るらしいが、彼女が今使ったのはそれの応用だった。
瓶の中の液体魔力を口に含んでから噴霧し、反応用に高速化した魔法陣の中に通す。液体魔力は火吹き芸の要領で魔法陣に次々と反応し、攻撃性の強い魔法として敵対者(今回の場合は私)を襲う。
もちろん口から吐き出すなんて事をせず、普通に銃で射出する方がダメージ効率は良いし、射程も長い。
しかし、騙された身として認めざるを得ないが、人間が口から火を吐くなんて一般的には考慮しない可能性なのである。初見殺しとして使うにはそこそこに効果を発揮することもあるだろう。
軌道の読みやすい直線的な攻撃で防御を捲った上で火吹き芸、そして天文術の追加効果の攻撃力上昇を期待した鎌の追撃。それが彼女が私に行った一連の攻撃である。
確かに彼女の言う通り、運が悪ければ死んでいたな。
勝率2割というのは期待していた追加効果が発動する確率だったのだろう。まぁ天文術科相手に“運が悪ければ”なんて言い始めても、大当たりが5連続で出る可能性を否定できない以上、仕方のない事だ。
相手の手の内が分からない中で、確実な危険性をもつセイカからは距離を取る事に成功した。今はこの状況で十分に上手く対応できたと考えることにしよう。
それに、もうこちらの準備は済んだのだ。
私は物陰に隠れていたコーディリアの気配と、自分の役割が終了したことを感じ取る。まだまだ戦うつもりでいるらしい二人とは対照的に、私は気楽にどうでもいい話を口にした。世間話というやつだ。
「ところで、二人はどうやって点数を重ねていますか?」
「……どういう事?」
「いえ、今回は極力戦わない事も選択肢の一つだと思いますけど、どうも二人とも違いそうだなと」
唐突な話題の転換を前に、二人の気配が少し変わる。呆気に取られたというよりは、何かを警戒するようなそんな余裕のない表情。
もしかすると私の言葉ではなく、周囲の気配へと注意を切り替えたのかもしれない。まぁ私にはそれを読み取る程の人間観察能力はないし、そもそもそんな事を気にしてすらいない。
「だからですよね。コーデリアが私を置いて逃げた事を、“戦略的”で“正しい”判断だと考えて見逃したのは」
今回の試合、召喚系は生存能力が高い。
召喚さえできれば、ペナルティを受けない最低限の戦闘行為を行いつつも本人は安全圏に居ると言う状況を作りやすい。その上単独でも戦い様があるため、消極的な戦闘をしつつしぶとく生存できる。
その反面、召喚術科や死霊術科は味方を見捨てて逃げる判断が早い。むしろ自分の順位のために、できる限り囮になってくれと言わんばかりに逃げて行く生徒も居る程だ。
そして、蠱術師であるコーディリアもその例に漏れているわけではない。どうやっても逆転できなさそうと思える状況では、私を見捨てて即座に逃げて行く手筈になっている。
しかし、私達の“基本方針”はそうではないのだ。一見すると逃げた様に見えるが、それはただ単純に準備に時間がかかると言うだけの事。
私の言葉を聞いて、二人が半身の構えで背後をちらりと窺う。
コーディリアが逃げ込んだはずのそこには暗い森が広がっているが、それは確かに奇妙な気配を感じさせる光景にも見える。
そして、誰かがはっと息を飲んだ。
「っ!」
風がざわりと梢を鳴らす。
それと同時に姿を現したのは、奇怪な、そして恐ろし気な大型生物。
密集している木を、ぬっと出てきた暗い色の鋏が握り潰す。悲鳴を上げながら倒れて行くその奥に、彼女は立っていた。
横二列に並んだ宝石の様な目は8つ。足は6本で、顔の前には大きな二つの鋏。そして、体の前へと突き出された毒の針を持つ長い尾。
全身は黒く艶やかな鎧に覆われ、その隙間から地面を引きずる程の長い毛が流れている。
サソリとクモの特徴を併せ持つその虫は、現実には存在しない異形の怪物だ。コーディリアが自分の趣味を曲げたのは、クモもサソリも“虫ではない”という妥協でもあるが、それ以上に戦闘での強さを重視した結果である。
ゆっくりと森から姿を見せた彼女は、片足の動かないセイカへと跳躍し襲い掛かる。木を易々と鋏で潰すような巨体からは考えられない速度だ。
「な、何よ、こいつ!」
叩き潰すような攻撃を間一髪で避けたセイカだったが、石となった左足を取られて反撃を踏みとどまる。無理に攻めるよりは様子を見た方がいいと考えたのだろう。
……初見の敵には慎重に行動する。
学院生のほとんどに広まっているこの考えは、こんな特殊なルールの中ではやや不都合が多い。
続く攻撃も躱すためにじっとその怪物の様子を窺う彼女だったが、おそらくもう私達の脅威にはなり得ないだろう。残念だが、慎重に行動するだけでは足りないのだ。
本来、召喚系と戦う時、攻め手を緩めるのは得策ではないのだから。
音もなく、物陰から忍び寄るもう一つの害意に、セイカは気付く事が出来なかった。
如何にも魔物然とした敵の出現に、これが“対人戦闘”であるという感覚が抜けてしまった事が原因の一つなのだろう。
「っ! ぎゃー--っっっ!!!」
それに気付いた時にはもう遅い。
戦場に響く大絶叫は、私がこの試合を始めてから何度も何度も聞いた類のものだ。
セイカの体に巻き付いた黒い影。
まるで鎧を着た蛇の様なそれは、ムカデの百だ。完全に意識の外から忍び寄り、体にがっちりと巻き付いてからその顎を分厚い筋肉へと突き立てる。
……まぁ、予想していない時にあれに組み付かれたら、誰でも悲鳴くらい上げるだろう。私もあれをやられたら泣く自信がある。
何しろ自分の何倍も大きな敵を目の前にして、背後と足元に注意を払わなければ発見できないのだから。彼女は他の召喚体と違って翅音も立たないし、脚の本数が多いので碌に足音もしない。その気配を察するのは相当な慣れを必要とする。
突然脚の多い生き物が体を登って顔を目指しているというのは、否応なく生理的嫌悪感と恐怖を体の奥底に産み付けるはずだ。
熊くらいは簡単に咬み殺すであろう大ムカデに巻き付かれ、半ばパニックで暴れる大男。
そういえば彼女は虫嫌いだったなと何となく思い出すが、まぁこれにめげずに頑張って欲しい。トラウマにならなければいいのだが、私にはどうすることもできないし、それに加担している以上何かを言う権利もない。
最優先で百を振り払おうと暴れる彼女に、頭上から迫る毒針の攻撃を避ける余裕などあるわけがなかった。




