第216話 狩場の主
転移門の不安になる通路を二人で抜け、出た先は綺麗な青空。それ以外の物は一切見当たらない。
目の前に広がった足のすくむ光景を見て、私達は思わず足を止めた。
街中にある転移門が私達を放り出した先は崖の手前。
下を覗き込まずとも、そこには見渡す限りの雲海が広がっている。振り返れば転移門は綺麗さっぱり消えており、私達に後戻りはできないのだと暗に告げていた。
「ここ、丁度会場の一番端のようですね」
「時間経過と共に足場が崩れていくって話、まさかこういう意味だったとは……」
私は背後を振り返り、やや疎らに木の生えている林の中に目を凝らす。誰も居ないように見えるが、実際には多くの人間があの中に居るのだろう。
今回の試合会場は、転移門を潜ってそのまま到着だ。受付だとかそういった面倒な手続きはここにはなく、学院で事前に済ませておく必要がある。
そして制限時間が許す限り、この場所で他の人間を殺すと言うのが今回の戦いだ。
私達が突然放り出されたこの場所は、今回の会場の一番端だろう。ここから先は物理的に見当たらない。
試合会場は見ての通り空に浮かぶ島だ。ただし、時間の経過によって徐々に崩れ落ちていく。最終的には島のどこか一ヶ所だけが、人間の生き残る事の出来る足場となるのだ。
もしも足場の崩落に巻き込まれたら……まぁ考えるまでもなく死ぬので、その時点で試合続行不能判定となる。
参加者は基本的に、“最後の場所”を奪い合うような形で戦う事になるだろう。
……それにしても、空に浮かぶ秘境ねぇ。この試合が終わったら生徒にも秘境探索が可能になるだろうとは思っているのだが、人が入る度に崩れていく場所で一体何の調査をすればいいのだろうか。
いや、そもそも何度でも試合には挑戦できるのだから、この浮き島は無数に存在している、もしくは崩壊以上の速度で生成されているのだろうか。
試合会場ではランダムに参加者が転送されることになっているが、今回私達が飛ばされた先は島の端。
立ち回り的には少しばかり不利な状況だ。島の中央に居た方が移動の手間が小さくなるし、様々な地形が用意されている以上、攻めたり移動したりするより防衛の方が楽なのには間違いない。
私はその光景の物珍しさからしばらく島の内外を観察していたのだが、コーディリアは早速事前に決めてあった基本方針に従って桜月を呼び出す。
桜月は確かベニモニなんとかという種類の蝶で、目立たない偵察役として大変重宝する召喚体である。
私達はとりあえず彼女を可能な限り常時召喚し、周囲の状況を確認。こちらの場所を知られるよりも早く敵の居場所を見つけ出そうと言う魂胆だ。一方的に奇襲が出来ればかなり優位に立ち回ることが出来るだろう。
桜月の偵察が終わる間、少しでも視界が遮られるようにと、私達は島の外周ではなく林の中へと足を踏み入れる。
こぶのような物が垂れ下がっている木を興味深げに眺めているコーディリアの隣で、私は腰から一丁の銃を抜いた。私が扱いやすいようにと大きさを整えたその銃には、大型のスコープが取り付けられている。
「……そういう事よく思い付きますよね」
「そうですか? このくらい皆持ち込んでると思いますよ」
やや呆れたような表情でコーディリアは私の事を見るが、私はそれを気にせずにスコープを覗き込む。銃なんて今まで一度も扱ったことがないので構えは分からないが、スコープだけは自作なので使い方はばっちりだ。
倍率を調整しながら、私は桜月の向かっていない方向を確認する。隠れ潜んでいる場合はどうしようもないが、これで肉眼よりは少しは見つけやすいはずだ。
この試合、ルール上望遠鏡の持ち込みは許可されていない。道具判定だからだ。
しかし、装備品は特に制限されていないという抜け穴がある。ティファニーのあの弓矢が通るという事は、使うつもりも一切ないこの銃ももちろん持ち込んで大丈夫に決まっている。一応これも武器であって望遠鏡じゃないからな。
ちなみに、この世界の銃は弓矢よりも有効射程が短いので、こんなスコープを付けた長銃に索敵以外の意味はない。
何せこれ、仕様的には水鉄砲である。魔力は重力の影響もある程度受けるし、それ以前に空中に解けていくので射程が稼げないのだ。
さてと、それでは私達の最初の相手を探すとしようか。私達がどの程度通用するのか確認しなければ始まらないからな。
***
男は戦場を走り抜けていた。
学院生に配布されている魔法の書からは、救援を求める小さな声すら途絶えている。相方の情報が本から見えなければまず間違いなく単独行動中に襲われ、命を落としたと考えていただろう。
やはりこのルールで二手に分かれた行動などするべきではなかった。
男は小さく後悔するが、そう悔やんでももう遅い。彼にできる事はただただ親友のために走る事だけである。
地図上の相方の反応がある場所の手前で、男は立ち止まる。目の前にあるのは崩れてしまった黒い石の建物と、そこを縫うようにして生い茂る正体不明の植物群。
ここは島の中でも特に視界の悪い遺跡地帯だ。まだ相方が生きている事は魔法の書から分かるが、戦闘ログなどの記録系が一部制限されているこの試合では、相方の場所と体力以外の情報を得ることはできない。
この先に救援を求める相方が居るのは確かだが、男は状況も分からないままに突入するほどの度胸と友情を持ち合わせていなかった。もちろんそれは正しい判断である。
尤も、男の姿をしっかりと捉える黒い複眼の存在に気付く事が出来ていなかった時点で、彼の命運は決定されてしまっていたのだが。
男は壁に背を預けると、無理矢理に息を整えて壁の向こう側の様子をそっと窺う。
しかし、そこには黒い石畳が疎らに並んでいるだけだ。特に誰の姿も見えない。確かに地図上ではそこに居るはずの相方の姿が見当たらないのだ。
「……どういうことだ?」
男はそれを不思議に思って更に身を乗り出す。
崩れた壁が作る死角に注意を向けつつも、男は地図の反応のある場所まで辿り着いた。ここまで誰かの妨害を受けた訳でもなく、それどころか争っている気配も感じられない。何かの不具合だろうか。既に戦いは終わっているが、魔法の書の情報が更新されていないとか。
そんなことを考えたその瞬間、男は奇妙な事に気付いてしまう。
この遺跡、静か過ぎる。
遺跡地区は遮蔽物が多いため、ここを好んで潜伏する生徒も多い。その上最後の足場にこの場所が選ばれると、どうしても防衛側が有利となる展開が多かった。
それらの理由から、今回の試合では一種の激戦区となっている場所でもある。
相方がここの様子を見に行ったのも、それが主な理由。敏捷性の低い男を置いていくというある意味無謀に思えるような判断をしたのも、下手に争いに巻き込まれることを恐れたからだ。
しかし、ここら一帯はまるで誰も居ないかのように静かだ。
……そんなはずはない。少なくとも彼の相方は既にここで戦闘に巻き込まれているはず。
何やら言い様のない不気味さを感じ、男は一歩後ろに下がる。
そして天井で何かが僅かに動いたと思った直後、どさりと音を立てて空から何かが降って来た。
男は唐突に落ちてきたそれを見て、慌てて駆け寄る。
見覚えのあるターバンに黒い長髪。蛇の様な曲刀を腰に下げている。こんな特徴的な姿を見間違えるはずもない。それは間違いなく男の相方だった。
どうやらこの建物の二階部分から、誰かに突き落とされたらしい。
そう判断した男はひとまず物陰に隠れるために相方の手を取り、立たせようとするが、彼はぴくりとも動かない。
「……おい、一旦逃げて……」
「……」
動かない相方に小さく声をかけるが、反応はない。まるで死んでしまったように動かない相方を見て、男はようやくその症状に気が付く。
このだらりと弛緩した体は昏睡状態の特徴だ。彼らは足止め系の状態異常に強い耐性を得る装備を身に着けていたはずだが、これは一体どういう事だろうか。歌詠みの魔法程度ならば問題なく防げるはずなのだが……。
それを考える前に、とにかく今は早く起こさなければと考えた男は、即座に行動を開始する。
しかし、もちろんそれが許される事は無かった。ここに足を踏み入れた時点で、狩場の主に目を付けられているのだから。
「その人、ゆっくりお休みのようですからそのままにしておいて欲しいのですが」
「……!」
突然の声に男は振り向くが、そこには誰の姿もない。影すら見えないし、声の響き方から壁越しではないと判断できる。
しかし、誰も居ないのだとは考えない。彼はその可愛らしい声の主について心当たりがあったのだ。
男は不可解な声に慌てず右目を閉じ、視界の中に黄色い反応を見付け出す。正面、声の主は姿を消している。
優しい風が右側から頬を撫でている事に気付かぬまま、男は腰から刀を抜いた。
「忍者か!」
「残念、不正解」
目にも留まらぬ速度で振り抜かれた居合切りは、確かに黄色の判定の場所を通り、声の主の胸辺りを斬った……はずだった。
しかし、白銀に輝く刀はピタリと止まった。そこから一歩も動けない。
体が麻痺したわけではない。もちろん昏睡でもない。それなのに体が一切動かない。自分の意思と体が上手く噛み合わない。
直後、戦場で聞くにはあまりに軽い靴音と共に、男の首元に鈍い痛みが走る。
その直後に隠形が崩れて姿を見せる少女。その姿を見て男は大きく目を見開いた。
彼女が手にしていた刃物を男の首に差し込んでいたからではない。少女を見て驚いたのは、男が彼女の名を知っていたからだ。こんな場所で有名人に出会うとは思っていなかった。
しかし、呆気に取られていたのも僅かな時間だ。すぐに気を取り直した彼は次の行動に出る。
すぐさまに刀を引いて、二撃目を叩き込む。尤も、肉眼で見ていようとも当たるはずもないという事を、少女は確信しているのだが。
脳天をしっかりと直撃したはずの刀は、その直前で勢いを緩めて再び止まった。
少女が防御したわけではない。男の体が誰かに乗っ取られたように、少女を傷付ける事を拒否しているのである。
「何だ、これは……」
いくら力を込めようと、刀がそれ以上動く事は無い。それを見て少女は不敵に笑うだけだ。
それを見てようやく何かをされたという事に勘付いた男は、大きく後ろへと跳んで距離を取る。どう考えても短期決戦を挑むべき相手だとは分かっているのだが、体がそれを許してくれない。
昏睡状態の相方を叩き起こすのに時間がかかるので、逃げるにしても彼を置いて行くことになる。
共倒れだけは絶対に避けるべきなのだが、相手の動きが読めない事と仲間を置いて行くという罪悪感が迷いを産み、無視できない長さの空白の時間が流れて行く。
そしてそれは少女の思惑通りであった。
こうして意味有り気に出てきた魔女の役割がただの時間稼ぎでしかないのだと、男には知る由もない。
「……仲間思いで助かりましたね」
「……何の事だ?」
少女は少し気を抜いたように不敵な気配を抜く。まるで戦いが終わったようなその姿を見て男は怪訝に思ったのだが、それ以上の異様な気配に気付いて動きを止めた。
何か不快な、蠢くような音が遺跡に響く。
それと同時に“天井”が確かに動いた。
男はそれに気が付くと、恐る恐る上を見上げる。
そういえば、この遺跡に二階部分なんて残っているのはおかしくないだろうか。毎試合、島の形が変わるとはいえ、今までそんなことは一度もなかったし、何より壁でさえ崩れてこの有様だと言うのに。
目が、合った。
無機質な目が男を捉えている。
鏡のように光沢を持った8つの目が、男がその島で見た最後の光景となったのだった。




