第208話 研究と予想
少女は暗い部屋の中でペンを握り、明るい画面を擦っている。部屋には画面とペンが当たるカツカツという音が響くばかりだ。
既に山には雪が降り、日の沈むまでの猶予はすっかり短くなった。いつの間にか少女の部屋にも床暖房が入っており、エアコンは暖房としての役目を終えている。
外は随分と寒くなって、いつ初雪が降ってもおかしくない状況だが、部屋の中はいつも通りの部屋着でも十分に過ごせる環境だ。
そんな部屋で明かりも点けずに彼女が何をしているのかと言えば、いつも通りの掲示板の監視……ではなかった。
連続接続制限の関係で学院から追い出されてしまった彼女は、現実世界で魔法の勉強をしているのである。
目の前の画面に映っているのは、シファ・アージンのチャンネルの動画。もちろん画面の中で講義をしているのは彼女ではなく、サクラ・キリエだ。
彼女はこれを何度か参考にと聞いた事はあったが、現在はその時よりも余程真剣に授業を聞いている。
手元にあるのは学生時代に使っていた電子端末。
机の中に仕舞い込まれたまま数年沈黙していたそれは、ペンと共に持ち主に発掘されて十全にその役割を果たしている。授業で使っていたはずなのにあまり使い込まれている様には見えないが、それは決して彼女の物持ちがいいという訳ではなく、本当にあまり使っていないだけである。
そこに描かれているのはいくつかの魔法陣。少女が手を付けている物は、外円が蠱術の基本形のものだ。
しかし比較的簡素なその陣は、蠱術で多く使われている召喚陣ではない。これは少女が考案したオリジナルの魔法である。サクラもよく使う、別の学科の魔法からの流用という手法を使って、一般的な魔法を蠱術の形に変形させているのだ。
本来召喚系に分類される蠱術師は、魔法陣が改造可能な詠唱魔法を使う機会がない。そのためそもそも魔法陣の改造に手を出そうと考える者は殆どいない。これは似たような立場の召喚術師も同じで、例外は詠唱魔法が一応使える死霊術師だけだ。
そしてその大多数と同じ様に、彼女もまた今まで一度も魔法陣の改造について真剣に学ぼうとしたことはなかった。
しかし、学院から特別な報酬が貰えるという話の時に蠱術についての研究施設を専用に作った彼女は、そこに魔法陣の改造についての参考書がある事に気付いたのだ。
それを見た少女は思った。
もしや授業で習わないだけで、蠱術にも普通の詠唱魔法があるのではないだろうかと。
いや、もしかすると蠱術だけではなく、改造可能な詠唱魔法が無いと思われていた学科、歌詠みや召喚術にも同じ事が言えるのかもしれない。それらの学科にも改造詠唱魔法が実は扱えるが、誰も魔法陣の改造やオリジナル魔法の制作に手を付けないから発見されていないだけなのではないだろうか。
それが偶然古代魔法になっていればそれを見付けるだけで済むかもしれないが、そうではない場合誰かがこうして地道な実験を繰り返さなければ発見されない。
……なら、偶然ヒントを見付けた自分がやるべきなのだろう。幸いにも多少の知識はあるし、助言を求める相手には困っていない。
部屋にはカツカツと画面を叩く音が響き、時折内容に詰まっては映像が指定の場所に飛ばされて動き出す。食事も碌に取らない少女は、じっとそんな作業を繰り返していた。
少女が真剣な表情で勉強道具に向かっている隣では、普段使っているノートパソコンが自動で画面をスクロールさせていた。どうやら開いている掲示板の最新の書き込みを自動で追っているようだ。
持ち主はそれに気付くことはなかったが、掲示板は次のイベントの告知内容についての話題で盛り上がっていた。
『これダメだろ。普通に対人戦の結果とか内容とか見てないのでは?』
『あのバランスでバトロワだと高速型アタッカーが一方的にボコって終了です』
『でも学院外からも参加者来るって話だし、半分くらいボットなんでしょ?
いうていつもとそんなに変わらんのでは?』
『勘違いしてる奴結構いるけど、同条件ならボットは普通に人間より強いっすよ』
『それな
反応速度と思考速度は人間の100倍はあるぞ』
『それ理不尽系の作品の話で、花冠は結構気持ち良く勝たせてくれる設定になってるじゃん』
『まぁ世界観的に学院が一強みたいな設定だからなぁ
その他の所属の連中は弱そうだし、本当の敵は参加すると噂の教師陣なのでは?』
『それはある
上級試験永遠にクリアできる気がしねぇもん』
『諦めて筆記の勉強しろよ、な?』
『格闘学部は殆どの学科が筆記で満点とっても合格にならんのだ……侍のかむりん先生、あり得ん速度で弾いて碌に攻撃通らん……』
『ダウト
キモオタデブ侍が上級クリアしている時点で侍科の程度は低い』
『あれは見た目とRPがアレなだけで普通に実力はトップクラスだから……』
『魔法学部も教師陣が強すぎて一時期図書室が賑わってたな
筆記で突破した方が圧倒的に楽だから』
『圧倒的に楽(一つのテストに事前準備数時間)』
『でも実技は試験専用に装備品整えたりするから、それに比べれば楽なのは違いない』
『図書室と言えば、最近魔女さん図書室で見なくて寂しい』
『誰や魔女さん』
『いつの話だ、いつの
もうずっと居ないだろう』
『今回のイベント、魔法学部は全体的に駄目そう
忍者が唯一クソキャラとして存在を認知されそうだけど』
『忍者とかあったな
まぁ敏捷高い銃持ち以外に人権がないのは確か』
『えー、ちょっかい出すなら魔法の方がいいと思うけどな
アイテムの持ち込みとか弾数の問題がルール上どうなるのかまだ不明ってのがあるし』
『俺は、別に強いわけでもないのに一発一発に金が掛かる銃装備に、ようやく光が当たる珍しい機会として期待してるんだが』
『銃って回避と防御の機会が減る分、実質的なDPSでいうとかなり高いだろ
光が当たらんとか流石にないわ』
『実弾受けたら即死とかいうリアル系クソシューティングゲーやりたくない』
『それは安心しろ
毎試合実弾使える程金が有り余ってるやつなんて一人もいないから』
『このイベント、医者に、医者に人権はないんですか……?』
『二人の内片方が回復専門は流石に……補助系覚えてどうぞ』
『医者って補助一応覚えるんだよな、能力値上昇じゃなくて状態異常系だから累積耐性があるってだけで……』
『閃いた
つまり影響力上昇系装備が売れるのでは?』
『不良在庫抱えるだけだから諦めろ』
『医者は普段は普通に強いので……実はイベントで死ぬの召喚系では?
消費重いし効果時間もあるし』
『サポート職の大半が死ぬだろ
というか、そもそも特定の学科の独壇場になりそうな予感が凄い』
『高速化狂戦士とか無難に強そうかなって思うけど
まぁ軽い装備と人型特効は売れるだろうな』
『特効とか今まで市場で一度も見た事ないんですが……』
『売れるとなれば作る人はいるんじゃね?
特効系が嫌われる理由って、作りづらい上に汎用性が低くて価値が低いからだし』
『何で高速遠距離が強いって結論になるのか分からん
普通に自己回復と攻撃力の両立してる学科のが強いだろ
回復機会が減るならその分回復の価値は上がるし』
『そういうのって全部足遅いんですよねぇ
だからそもそも敏捷振りにしてる人がいない』
『バトロワって移動系スキル無いと囲まれて死ぬゲームだからな』
『それってつまり実技首席が負けるかもって事……?』
『あー、いやあの人はどうだろうな……』
『そもそも三首席、対人バトロワに適合する性能してる生徒一人も居ない説』
『求められてる性能が普段と違い過ぎるのよ』
『うーん……銃とか弓矢ってみんなが思ってる程強くないと思うんだけどなぁ』
「……これで、あってるのかな」
しばらく作業に没頭していた少女は、完成した魔法陣を見て小さく首を傾げる。
何分初めての経験なので、実際に試してみない事には分からない。
目の前の動画の講師ならばその程度すぐに判断してくれると思うのだが、少女は出来る限り自分で作ってみたいと考えていた。どうしても分からなかったら、そして一応完成してから更に完成度を高めたい時に聞いてみようと心に決める。
……この魔法陣の研究が、意外な進展を見せたのは次の日の事であった。




