第207話 ゲームバランス
本話は二話更新の後半です。
ブックマークから最新話に飛んだ方は、前話からお読みください。
要するに小さいおにぎりとほぼ構成要素が変わらないというのに、寿司というだけで何となく多めに食べてしまう人はいないだろうか。私の甥は初めて行った回転寿司で興奮し、吐くまで食べた事がある。
きっとそう言う人には、一貫を一口で食べてしまう癖があるだろう。今目の前に居る彼女の様に。
「あー、久し振りにこんなに食ったかもしれん……」
「あれだけ急いで食べるからよ」
絵筆は湯呑を手にして中身を覗き、湯気の立つそれを口に運ばないまま机に戻す。液体すら喉が受け付けないのだろう。そうなって当然と言っていい量の寿司を食べていた。
そんな様子の彼女の目の前にあるのは、調子に乗って注文した寿司の数々。見ていた限り結構食べたはずだがそれ以上に注文していたらしい。
私は見るからに萌の食べられなさそうな物を選択して、既に自分の注文で限界に近い胃の中へとそれを落とし込む。
「わたしも、これ以上食べたくないんですけど……」
「食べられなかったら絵筆が家のお土産にするでしょ。別に残しても気にする事ないわ」
萌には一応そう言っておくが、私は注文を残すのが気になるからこそこうして食べている。もしかすると飲食店に勤めている人間としての意識なのかもしれない。
ちなみに萌は自分で言っていた通り、生魚を避けて結構な注文をしていた。
玉子を筆頭に、アナゴ、タコ、エビ、いくら、カルフォルニアロール、かっぱ巻き、かんぴょう巻き……と、改めて見ると結構な種類の“生魚ではない寿司”がメニューに並んでいる。ちなみに納豆巻きは生魚じゃないけど普通に嫌いとの事。
意識した事はなかったが、言われてみれば確かに結構“食べ物”があるな。蛸の寿司なんて、今までの経験を思い返して見てもどこも茹蛸ばかりだった気がする。いや、そもそも魚ではないので生でも萌は大丈夫だと思うが。
彼女の言葉は焼肉に行って冷麺を食べるみたいな抜け道なのかと思いきや、萌は普通に寿司屋を楽しんでいる様子だ。雑にお任せとか特上とか頼まない限り、こうして単品で頼む事で色々と食べられるらしい。
私は鯛の寿司を口に放り込み、そう言えばフグって寿司になっている所を見た事がないな……なんてどうでもいい事を考える。
「……そう言えば、あのお客さん最近毎日遅い時間に来るようになりましたね」
萌はもう食べたくないと言いながら、寿司下駄の脇にちょんと乗っているガリを口に含む。それを飲み込むとそんな言葉を口にした。
彼女の言う“あのお客さん”が誰なのかは、名前を出さずとも私も絵筆も推測する事が出来た。そう言えば、そもそも萌は彼女の名前を知っているのだったか。もしかすると知らないままで、あのお客さんとしか言い様がなかったのかもしれない。
「暇な時間じゃなくて人のいる時間に来たいみたい。絵筆とは逆ね」
「へぇ……わたし普通にセンパイ目当ての人なのかと思ってました。結局どこで会ったのかイマイチ思い出せないままですけど、何となくそうかなって」
「それは、まぁそうなんだけどね」
萌の言う通り、笑顔はあの日から毎日店に来るようになった。私が午前中の勤務だという事は当然把握しているので、毎朝一番にやって来るかと思いきや、意外にも客の増え始める昼前に来ることが多い。
私と話したいのなら早めに来て絵筆を追い払った方が……と思っていたのだが、結果的に今の所絵筆の平穏な時間は守られたままだ。あっちの方が店としては健全だとは思うのだが。
私の言葉を聞いて絵筆は詰まらなそうに顔を逸らし、萌はぐいとこちらに身を乗り出す。その目には興味という二文字が爛々と輝いているようだ。
どうやらサクラちゃんではなく、私を目的にしている人物には悪印象を抱かないらしい。彼女の中では同一人物ではないのだろう。当然か。……いや、彼女の常識が他の人物に適応されるとは絶対に思わないので、当然というのもちょっと違う気がしてしまうが。
私は一つため息を吐くと、いつだか笑顔に聞かされた話を口にする。別に口止めはされていないので問題ないだろうと気楽に考えて。
「何でも、私が働いている所を見たいらしいのよ」
「……働いている所?」
「ええ。よく分からないんだけど、話掛けられるより、そっちの方がいいみたい」
「えーっとそれは……どういう事ですか?」
「知らないわ。本人に聞いたら?」
どうせ明日も来るのだから。
……まぁ正直な所、笑顔の考えは私には少し予想が出来る。
きっと彼女は私に“どうでもいい存在”として見られたいのだろう。会話をする特別な友人ではなく、接客するだけの有象無象の中の一つ。そして、働きも勉強もしない自分と働く私を見比べた自己嫌悪で心を自傷し、私の接客という一応の優しさを受け取ってその傷を慰められる。
そういう事にある種の幸福を感じる屈折した人間なのだ。彼女は。……少なくとも私の中ではそういう印象で固まってしまっている。これを覆すには、あの日以上の衝撃を受けなければならないだろう。
尤も、それを彼女らに言ってやる必要はない。秘密ではなくただの予想でしかないわけだし。
何となくの態度と目線から、萌は笑顔が私に気があるようだとは気付いたらしいが、それで私があんな変態の解説をしなければならないなんて事にはならない。
絵筆は学生時代の友人の話などほとんどしたがらないので、私がまともに情報を出さなければその話題はすぐに終わってしまう。
ただ、私が原因で会話が停滞するのも何となく避けたかったので、ふと思い出した話題を口にする。
「そう言えば、何か新しいイベントがあるらしいわね」
「え? ……あー、あれですか。センパイ興味あるんですか?」
「いえ、あんまり……正直に言うと多少興味はあるのだけれど、積極的に参加したいとは思えないのよね。どう考えてもバランス悪いし」
私が思い出したのは、学院で……いや、賢者の花冠で新たに開催されるイベント、“試合”についてだ。
試合は文字通りの一対一の形式で行われる生徒同士の争い……ではない。
現世、つまり魔法世界ではなく学院のある世界に“新たな秘境”が見付かり、その調査権を巡って“学院とそれ以外の調査機関”が試合をするのだ。
勝った方が無事にその秘境を調査できるようになる……という触れ込みだが、おそらくプレイヤーが一切参加せずとも勝手に勝つだろう。何せ生徒の壁となって幾人も中級に送り返している教師陣も参加するようだし、この新たな秘境というのが更なる新要素となるのは明かだ。
ただし、その形式はバトルロイヤル。
学院の他の生徒や教師も敵として参加する中で、生徒達は一位を目指すことになる。
はっきり言おう。無茶だ。
あのゲームバランスで対人戦のイベントは、もう無茶苦茶になる未来しか見えない。
そもそも賢者の花冠は対人戦を想定していない大味なバランス調整だ。学科毎にはっきりとした役割を持たせ、生徒同士で協力する事が前提になっている。
それはそれで作品としては良いのだが、あくまでもそれは魔物相手にやるからこそ。個人で対人戦なんてしたらキャラクターの戦力差があり過ぎてまともな戦いになるはずがない。
初代実技首席のキンはそういう事を好んでいるようだが、あの学院には私を含め、まともな攻撃が出来ない生徒がいくらでもいるのである。
だからこそ私は“興味はあるが参加は躊躇する”という考えになっていた。興味と言っても、何が景品になるのかなんて期待ではない。どうやってまとめるのか、それともそのまま放置されてしまうのかという事の方が余程気になっている。
それについては萌も同じ考えの様で、頬杖をついて首肯した。
「ですよねー」
「まぁあなたはそこそこ強そうだけど、私なんて参加しても碌な結果にならないわ」
「いや、どっちかというとサクラちゃんの方がクソ試合でハメ殺してそうなんですけど……」
私は萌に言われた言葉を一瞬考え、そして結局否定する。
そんなわけがない。
私が対人戦闘でそこそこ強いのは、相手が徒党を組んでいるからこそだ。つまり、弱らせた相手を横取りされない環境で、尚且つ味方同士の距離が近いからこそ強いのだ。
“敵の味方”も居ないバトルロイヤル形式では、私は碌な活躍は見込めないだろう。状態異常にするという行為がどういう判定になるかはまだ分からないが、まず間違いなく敵を直接殺す事が出来ない。
その点、一応高速型の遠距離攻撃持ちであるティファニーは、そういった戦いで漁夫の利を狙いやすい。防御型ではなく回避型であるのも妨害に強い一因となるだろう。例えばリン何かが参加しても、複数に狙われた時点で囲まれる事がほぼ決定してしまう。敏捷性はあればあるだけ欲しくなるはずだ。
尤も、そういう戦いには専門の格闘学部学科がある。彼女がトップになるのは難しいというのもまた、確かな事実に基づいて立てられた予想だ。
しかし、この場には一人その予想を否定する者が居た。
「そういやそれ、追加でルールが出てたぞ」
「……追加ルール?」
「タッグ戦なんだとよ。一応二人で協力して戦う事になるっぽい」
絵筆は数の子を噛み砕きながら、そう何気なく口にする。
どうやら私の知らない間に、追加でいつの間にか情報が出されていたらしい。私も萌も知らないという事は、情報公開は今日の午前中だろうか。
タッグ戦という事は、つまり二人一組でチームを組んで戦うのか。
それなら確かに戦略の立て方が変わってくるな。相変わらず漁夫の利を狙うのが効率が良さそうだが、それに関しては地形の問題もあるし。
「二人一組……! センパイ!」
「あなたとは組まないわ」
「えー! 何でですかぁ!?」
私は最後の一貫を頬張ると、萌の提案を即座に却下したのだった。




