第18話 茶会の相談
「お待ち遠さま」
かたりと小さな音を立ててティーカップがテーブルに置かれる。絵筆はそれを見て、うむと偉そうに頷いた。
店にはいつも通り他に客もいない。仕事も私の分は片付いたと言って構わない状況。……いつもいつもそういう状況なわけだが、別にこいつが来るから暇にしているわけではなく、単純にこいつが暇な時間を狙ってやって来るのだ。
私はエプロンを解くと、見た目以上に重い椅子を引いて腰を下ろす。彼女はそんな私の行動を片目でじっと見つめていた。
思えば“いつも”はこんな場所で相談をする習慣などなかったのだが、こうして彼女の前に座ることが次第に“いつも”になってきているな。そんなことに、彼女の視線で気が付く。
「いつも通りの休憩か?」
「いつも通り朝は暇なのよね……その分、昼時からは忙しくなるんだけど」
絵筆がくすりと軽く笑いながら紅茶の香りを嗅ぐ。そして口をへと運び、熱かったのかすぐに顔を顰めてカップを置いた。
格好いいを必要以上に求めているロザリーとは、そんな仕草も少し違うように見える。顔立ちや体躯の違いだろうか。向こうでもこの調子なら少しは普通に見えていいのだが。
「それで? ついにマーカー解除したわけだな。あれからきっちり五日か」
「最後の方は逆に楽しかったけれど、これで普通の戦闘にも参加できるわけね。MMOだってこともう忘れそうよ」
絵筆の賞賛とも感心とも受け取れる言葉を耳に入れ、私は意味もなく窓の外を見ながら軽く笑う。
視線の先ではちょうど一羽の雀が向かいの屋根に降り立ったところだった。独りぼっちではなく、屋根には数羽の仲間たちが待っている。
始めてからずっと一人で遊んでいたからな。思えばここまで長かった。
合計48時間のペナルティは、ゲーム内ではその4倍、200時間弱という膨大な時間だ。実は運営に異議申し立てを行えばその時点で解除されるという情報も流れていたが、私は特に行っていない。
必要だと思えなかったというより、まだ一人でやることあるしいいかと思っている内に期限が来てしまったのだ。
運営の手で途中解除もされなかったので、私のキャラクター情報にはパープルマーカーの“跡”が残っている。制限解除後も要注意プレイヤーには変わりないという事だろう。これは今後、消えることはない。
しかしこれも今となっては、地雷クラスを最初期から使っていた一種の勲章の様な物。200時間かけて手に入れたというだけで、本来不名誉な物にちょっと愛着さえ湧いてくるのだから不思議である。
しかし流石にソロプレイはもう十分。
丁度よく戦闘も楽しく感じてきた頃だし、通常プレイでも楽しく過ごせるだろう。
しかし、そんな明るい未来を期待していた私を前にして、絵筆が見せたのはなんとも微妙な顔だった
「いやぁ、それはどうだろな……」
「は? 昨日ペナルティは解除されたし、パーティは普通に組めるようになったじゃない」
「それはシステムの話だろ?」
システムの話、つまりゲームシステム以外の問題がある。
その言葉を聞いて彼女が考えている、不安視していることはすぐに分かった。
要するに私が呪術科専攻でパープルマーカー保持記録者だから、パーティを組んでくれるプレイヤーが少ないのではないかという話だろう?
もちろん呪術師が野良でパーティを募集しようものなら誰からも求められず、自動マッチングで当たっただけで掲示板で晒されるという扱いを受けていたのは知っている。
初日の攻略掲示板も見ていたのでそれなりに分かっているつもりだ。
そして呪術師をやると決めた時から、酷い時はその位される覚悟は決まっている。
しかし、それはそれ。私はそのことに関して一つだけ解決策を考えていたのだ。
私はミルクと砂糖を絵筆の前に差し出しながら、自分の考えを語る。
「呪術師を避けているのってプレイヤーでしょう? NPCなら捕まると思っているのよね」
そう。
何も仲間が人間である必要は一切ない。普通に遊べれば仲間がNPCだろうと私は一向に構わないのだ。
例えばシーラ先生。彼女は戦闘には連れていけないが、呪術科の教師という事で呪術師を忌避していない。プレイヤーとは明らかに異なる価値観を持っていると言えるだろう。
そして賢者の花冠のNPCには生徒として万象の記録庫に連れていけるタイプ、つまり戦闘NPCという種類のキャラクターが存在している。見た事は無いのだが、どうも普通のプレイヤー、つまり生徒に紛れてあの世界で普通に暮らしているらしい。
そいつらの中には当然、シーラ先生同様呪術科で前科持ちの私でも受け入れてくれる者が存在するはず……。
そう思っていたのだが、絵筆の反応はかなり鈍かった。特に間違ったことは言っていないと思うのだが、何か反論があるらしい。
「うーん……」
「何? 問題あるの?」
「いや、しっかり調べた訳じゃないんだけどさ……お前、NPCとプレイヤーの見分けってつくか?」
「は? いきなり何?」
そんなのキャラクターIDだの何だのを調べれば一発だと思うが。
万が一それで見分けがつかなかったとしても、そもそもいくら人格再現プログラムがスムーズなコミュニケーションを可能にしているとはいえ、世界観設定を忠実に守っているとか掲示板見ていないとか、そういう“情報量”の差はどうしても出て来てしまう。
やろう思えば、ちょっとしたコツですぐに見分けがつくはずだ。
絵筆がなぜそんなことを聞くのかと私は首を傾げる。
「いや、それがな、この作品ロールプレイ特化型って言っただろう?」
「ああ、そんなこと言ってたわね。それで?」
「だからかなりガッチガチのRPしてるやつ多いし、それに……」
「ああ、あんたみたいなのね……」
彼女の言っていることはつまり、NPCに見えるが実際にはプレイヤー、という可能性はどこまで行っても否定できないと。そういう話をしているのだろう。
……それのどこか問題なの? 結局NPCは存在するのだから、私の予想の否定にはならないと思うが。
私の反応を見て、絵筆は難しい顔で首を横に振る。
「それに、NPCもプレイヤーの思考をある程度トレースしているしている可能性はかなり高いと思う。つまり、ゲーム外の攻略サイトとかは見れないけど実際のゲーム内の“流行”は理解できる……みたいな」
その話を聞いて私は少し目を見開く。
何だそれは。
NPCもプレイヤー間の流行に勘付くってこと? 武器とか経験値稼ぎのフィールドとか、そういった物が多数のプレイヤーと似通ってくるという事?
何とも不思議な話だ。なぜそんな仕様が存在している、いや、存在していると彼女は考えているのだろうか。
「どうしてそんな仕様に……というか、絵筆はどうやってその仕様を見つけたのよ」
「いや、正確にはまだ予想なんだけど……ちなみに、呪術科で授業受けてるNPC生徒どのくらいいた?」
「は? そんなの……」
見たことがない。彼女の言葉にそう答えようとして、その不自然な事実に今更気付き、口を噤む。
……そういえば、居なかったな。いや、実際には数名の生徒を見たわけだが、それがNPCかどうかというのは考えてもなかった。
思えば生徒にもNPCが居るならもっと教室に生徒が居てもおかしくない……ような気もする。NPCもプレイヤーに紛れているという事は、授業は普通に受けているはずなので、全く人がいないというのも改めて言われて見れば確かに変かもしれない。
「死霊術科の授業はガラガラだったけど、チラッと見てきた神聖術の授業はほぼ満員。その内の何人がNPCかは分からんが、あたしの予想ではNPCも“流行”に合わせて転科をしている可能性は高いと思う」
「……つまり、NPCの間でも呪術科専攻の不人気さは伝わってるってこと?」
「そう言う事だ。で、そんな状況で呪術師と死霊術師が二人でパーティ募集かけてどのくらい人が集まると思う?」
「……」
絵筆の問い掛けに対して、深く考え込む。……まぁ彼女の言っていることは、心配していることは理解した。
それでも実際に試してみないと分からないとしか私には言いようがない。
意外に心配するほどの事でもない可能性は十分にある。
プレイヤーの中にも、すっかり希少種になってしまった呪術を見るために顔を出してくれる奇特な人もいるだろう。中には自動マッチングで当たったパーティに特に何も考えず参加する人もいる。キック機能等を使うのを躊躇うタイプの人間だ。
そしてさらに言うなら、私は他の呪術師と比べて一つ特徴があった。
「でも、レベル上げたから今はそこそこ戦えるのよ?」
「は? なんで」
そのなんでというのは、どうやっての意味だろうか。
私はポケットに忍ばせていたデバイスを操作して一つの動画を取り出す。それは魔法タイミングの最適化のために昨日撮影した、実験の記録映像だ。
最初から最後まで全12戦分撮影したが、その内被弾は一度も無し。一発食らった時点で死ぬのである意味当たり前だが。
私の出した動画を見て、絵筆は目を丸くする。
そういえば、最近私が何をしているのかは聞かせていなかったな。逆に絵筆の調べ物の進捗などは少しずつ聞いていたが。
ついでなので状態異常、特に毒の仕様についても解説しておく。それだけである程度の疑問の解消にはなったらしいが、それでも彼女は目を丸くして驚きの表情のままだった。
「え、呪術師強くね? こんなの1対1じゃ絶対負けないじゃん」
「馬鹿言わないでよ。なんで私が態々こんな格上と戦う羽目になったのか考えないの?」
「……経験値が美味いから?」
「違う……」
実際倒せる敵の中で最も経験値効率が高いとは思う。高いとは思うが、同時にこれが最低でもあるのだ。いや、レベルが上がった今なら流石に違うが、正直初期レベルでは私は初心者向けの魔物すら倒せるか怪しい。
そのためこの時私が倒せた魔物はこのライバ一種類だったと言っても過言ではないのだ。それも複数出た時点で負け確定。
実際最後の戦いでは低確率を引いて2体と遭遇。広範囲昏睡で足止めだけして即座に帰還を選択した。
「そんなこんなで、今レベル32なの。最前線には届かないけど、そこそこの物でしょ?」
「ま、最前線はレベルキャップ到達してるからアレだとしても、あたしより全然高いぜ。もしかしてサーバーで呪術師トップなんじゃないか?」
そうかもね。……まぁサーバーで何位、なんて話には興味はない。
ただ、この時期にパープルマーカーの記録が付いていて、尚且つレベルが高いという事はソロ狩りで経験値を稼いだ証拠だ。一人でも戦える、というと少し詐称のような気もするが、そう思ってくれる人は多いだろう。
そこまで考え付かない連中はそもそもお呼びではないからいい。馬鹿と遊ぶつもりはないのだ。
絵筆に対して私がそんな展望をのんびりと語っていると、店の扉が開く音。
正面の入り口ではない。これは店員用の、バックヤードに繋がっている扉の音だ。
つまり客ではない。客ではないのだが、この状況を見られるのは少々間が悪かった。
「あー! センパイ、何サボってるんですか!」
ふわっとゆるく丸めた茶髪と、リスの様に丸い黒目勝ちな瞳。低い身長、細い腕。小動物の様な彼女は私のよく見知った顔だった。
彼女はこの喫茶店の店員の一人、緑 萌。
諸事情(主に私の)で私達と比べるといくつか年上だが、今年店員として雇われた新人店員だ。現状、唯一である私の職場の後輩でもある。
ちなみにこの店では先輩後輩、年下年上関係なく店員同士の敬語は推奨されていない。なぜなら店長がそう決めたから。
何でもその昔、敬語を使え使わないでいざこざがあって決めたことらしい。
彼女ももちろん例に漏れず敬語は使わなくていいと教えられているはずだが、雇われて早数ヵ月。未だに外れる気配がなかった。もしかするもそういう気質なのかもしれない。
「仕事もないから休憩中……」
「後輩の仕事を手伝うくらいしてくださいよー……って、お客さん……ですか?」
ここはバックヤードからも入り口からも丁度死角になる席。そんな場所に絵筆が居て、尚且つ私と何か話をしていたのだから、新人の萌はかなり困惑気味だ。
彼女は基本的に午前中にシフトが入るメンバーではないので、ここにいつも絵筆が居ることを知らなかったのだろう。
他の店員? 常連の絵筆が私の知り合いと知ってからは、接客を完全に任せて休憩室に籠っているのがほとんどかな。酷い人は悪びれもせずに毎日遅刻する。
これでも私と彼女は比較的真面目な方なのだ。
萌は一応とばかりに、そして困惑しつつ頭を下げた。
「えっと、すみません……」
「こいつの事は気にしなくていいわ。滅多に高い物なんて頼まない、時間だけ潰す客だから」
「常連に酷い言い様だな……」
私は呼びに来た彼女の前でエプロンを着け直し、二画面で動画を再生していたデバイスを回収する。
萌が来たからと言う訳ではないが、そろそろ他の客も来る時間だ。絵筆もすっかり冷めてしまっている紅茶を飲んだら帰るだろう。本日の休憩は終了としよう。
「また後で」
絵筆にはそれだけ言い残し、私はカウンターの奥へと歩みを進める。金銭が最早電子上の数字だけの取引となっている現代、帰り際にお会計という作業は死滅して久しい。客が支払いをするのに店員は必要ないのである。
私が裏にいないから見に来ただけで、特に何か用事があったわけでもないのだろう。私の後をついて来た萌は控えめに問い掛ける。
「……あの子、センパイのお知り合いですか?」
「幼馴染。……腐れ縁ってやつね」
絵筆を言い表す適切な単語はそれだろう。この年になって元同級生を友達と呼ぶのも気恥ずかしい。
そう思って答えたのだが、萌の反応は予想と違った。
「あ、いえ、そっちじゃなくて、さっきの動画の女の子……」
「は? VRのアバターだけど……」
「へー、ゲームのキャラクターなんですね。可愛いです」
……なぜそんなことを?
私がその疑問の答えを知るのは、もう少し先の話となる。
ブックマーク、評価、感想、誤字報告、そして何よりご愛読ありがとうございます。
評価点が三桁を突破しました。読者の皆様のおかげです。
今後とも拙作を楽しんでいただければ幸いです。




