第205話 決着と祈り
本話は本日二話更新の後半になります。
ブックマークから最新話に飛び、前半をまだ読んでいない方は第204話からお読みください。
一度見たのと同じ動きで大鯰が空へと昇る。
落下地点にはやはり誰も居ないが、口の向きから誰が狙われているのかは想像が付いた。
あの大技は何度も受けたい物ではないし、何よりリン以外が受けたら即死……いや、リンですらティファニーの回復を挟まずに受けたら死んでしまう威力を持っている。ウタミヤの援護によって体力だけは万全の状態になっているが、その事実はあまり変わらない。
しかし、ナマズの体力も残り僅か。
もう少しで討伐完了となるはずだ。これを撃たせてしまえば、そこに誰か一人が居ないかもしれないという状況は容易に想像が付く。いや、もしかすると一人では済まないかもしれない。私は一本使ってしまったし、復活薬が足りるかどうかも少し怪しい。
尤も、今回はそんな心配をする必要はまるでないだろうけれど。
悠長に一回転をするナマズに向かって鉄球が伸びたが、それよりも早く私の魔法が組み上がる。
ジャンプの頂点で自分以外の青白い光に貫かれたナマズは、ビクンと大きく逆方向へと身体をくねらせ、そのまま力なく水面へと落下を始めた。
そこへ、力技によって突然進路を変えられた鉄球が襲い掛かる。身動きの取れないナマズは防御も回避も許されず、その一撃を受け止める。
それだけではない。ベルトラルドの人形が本日二度目の弾丸を発射、ティファニーもまた威力重視の光の矢を放つ。二つの弾丸は落下中の物体にも難なく命中。即座にナマズの腹を突き破り、反対方向へと抜けて行く。
落下地点で待つのはウタミヤの魔法の弦。即座に組み上げた辺り詠唱破棄だろうか。滅多に使わないはずなのだが、やはり緊急用に速度のある広範囲高火力攻撃というのは欲しくなってしまう物なのだろう。
そこへ向かって彼女は鈍器……いや、チェロの音色を鋭く響かせる。あの魔法自体は音を媒介にした魔法なら何でも共鳴するので、必ずしも大三味線との組み合わせで使う必要はない。
……こうなってしまえば後は私の役目は終了だな。
何せ攻撃手段は打撃しか持っていない。はっきり言って、私が傘であれを叩いても靴で蹴り抜いてもダメージ計算上は誤差だ。私の気分的には大分違うが、あれだけの大物相手に足止めもなく近付いて攻撃する必要はない。
上空から叩き落されたナマズは反響する爆音を受けながら水面へと落下。その後ぷかりと水面へと浮かび上がると、更なる追撃の矢を4本、人形の爪と鉄球を一撃ずつ受ける。
しかし、最後の攻撃は僅かに届かなかった。
ナマズは間一髪で最後の鉄球を避けると、安全な助走場所、沼の底へと潜っていく。その鰓には未だに青白い光が燻っている様に見えた。発射しない限り何度でも使えるのだろう。
……それはともかく、これで戦闘は終了だな。
私は沼の底の光を目で追って、これ以上の戦闘が碌に続かない事を予見する。
それは何も、私の戦いでよくある毒で死んでしまうからとかそういう意味の話ではない。あの程度なら仕留めるであろう攻撃役が二人も居るのだから、私が何かをこれ以上心配する必要がないのだ。
ナマズは懲りずにもう一度上空へと飛び跳ねる。大きく口を開け、その力を解放せんと意気込んでいる様にも見えた。本日三度目の大技の予備動作。私はこれが発動しない事を知っていた。
もちろん私には止められない。直前に麻痺の魔法は使ったから再使用までは時間がかかるし、そもそも既に累積耐性の関係で魔法一回ではナマズを麻痺にさせる事が出来ない。
しかし、ナマズが誰よりも高く跳び上がったと思っていた空には、一人の先客が居た。
完全に地平線の下へと沈んでしまった太陽の代役とばかりに白く輝くその鉄球は、その巨体を押し戻すには十分な速度と重さ、何より殺傷力を持っていた。
口を開けていたナマズの眉間に、鉄球が重々しく突き刺さる。
直後、凄まじい光を解き放った鉄球は、満身創痍のナマズの力をついに削り切ったのだった。
神の死体が空から落ち、沼を大きく波立たせる。
既にそれは神格の欠片もないただの魚だ。もしかすると生まれ持っていた素質、つまり精霊としての力は残っているのかもしれないが、それを操る精神が肉体から離れた今、私達には確かめようもない事である。
彼は人に請われて神となった魚だった。
私はそれを思い出して、一つ疑問が頭を過る。
地震と関連付けられていたというのに、結局戦闘中は一度も使う事がなかったな。この地で何度か経験した地震は、確かに彼の神格の喪失に起因している様に思えるのだが……。
……きっと、彼の在り方を表しているのだろう。根拠はないが私はそう思う事にした。
地震から人を守るという、神としての本質。神としての自我を失い、半分魔物と堕ちた存在となっても、神格が、人の心がそれだけを許さなかった。
一瞬浮力によって浮かび上がった魚が、沼の底へと沈んでいく。
僅かな光の粒子が体から立ち昇り、紫色の空を映す水面へと消えて行った。名前も知らない一番星の光に混じってしまったその光は、きっと誰かの心だったのだろう。
私はそんな光景を見てから、水面ではなくぼんやりと星が浮かぶ空を見上げたのだった。
***
長いスカートを僅かに揺らし、その少女は廊下を歩く。走る事がままならない自分に多少の嫌悪を抱きながら。
周囲の生徒は隠された彼女の顔をチラチラと窺おうとしていたが、それに対して何の感情も抱かず、少女は足早に目的地へとただただ急ぐ。
あの魚を殺した感触が、まだ右の手の中に残っている。あの奇妙な連中の中で、きっと唯一の感覚だろう。
それは彼女がただ一人だけ、手にした武器で直接的に攻撃する手段を多用していたという事でもあるのだが、それ以上に彼女は沼の主を“自分の手で殺した”という意識を強く持っていた。例え彼女が魔法や弓矢を扱っていたとしても、同じ様に考えていたに違いない。
彼女はそれほどまでに、止めを刺したのが自分であると、誰よりも強く胸に刻んでいた。
少女は足早に廊下を抜け、大きな、おそらくは生徒準備室や万象の記録庫と同等の大きさの扉をくぐる。
しかしその先、部屋の中はその二つの施設とは比べ物にならない程に閑散としている場所だった。尤も、彼女にとってはただ一つ、ここが部屋の主であるとばかりに屹立している像を除いてすべて等しく意味がない。人々で賑わってたとしても、部屋の中を自由に歩けるのなら何でもいい。
ここは大広間。光の神が新入生や、魔法世界で死んだ生徒を優しく見守る場所である。
それを見て神がこちらを見下しているようだと考える魔女にも出会ったが、少女はその点をあまり深刻に考えていない。むしろ、あんな殺しても死ななそうな傲岸不遜な女と語り合い、御神の素晴らしさを説く時間があるのなら、彼女は自分の神に祈る時間を増やした方が有意義だと考えている。
しかし、サクラとの出会いは確かにこの少女、リン・サカキの価値観に変革と言ってもいい動きを与えたのは確かな事実だった。
少女はいつものように神の像の前に跪くと、手を合わせて祈りを捧げる。
「御神よ。これも貴方様の恩寵なのでしょう。卑賎なる我が身は、今宵、新たな知見を得る事が出来ました」
誰に聞かせるわけでもない澄んだ声が、声を響かせるには広すぎる部屋に消えて行く。
周囲には少女を怪訝に見つめる生徒も居るが、その言葉の意味を理解できた者は一人もいなかっただろう。
「人に請われ、人々の拠り所となる存在は確かに居るのです。そしてそれはあなたも同じ事……人がそれを神と呼ぶのなら、神は複数居るというのも確かなのでしょう」
それはサクラに諭され(本人は言いくるめられたと感じているが)、沼の主としっかり会話をして得た知識だ。
しかし彼女はそれを“神の恩寵”なのだと跪いて感謝する。彼女にとっては敬意も感謝も神にのみ捧げるものであり、人にそれを向ける等という考えは持ち合わせていない。
なぜなら彼女はそのように“造られた存在”だから。
「私は、あなたに拝謁を……いえ、あなたにお会いしたく存じます。神が複数いるというのなら……私の“思い描く通りのあなた”が世界のどこかに居るかもしれないと思うと、確かめずにはいられないのです」
……尤も、今や彼女の祈りは目の前の像にさえ捧げられているのかは怪しい。
彼女は光の神という概念を通して、“その先”に何か別の存在を見て来たのではないだろうか。そんな自覚を確かに胸の中に抱きつつ、それでも尚彼女は祈る。ただ信じるという行為を遂行するために。
それはきっと、“人間”には理解できない信仰だ。
「しかし、それを確かめる術を私は持ちません。いつかこの先本当のあなたの姿を見て、愚かなる私はそれを理解する事が出来るとは限らない。だから……」
彼女はすくりと立ち上がると、月明かりに照らされる光の神の顔をじっと見つめる。青白い月明かりは、色ガラスを通して神の像を明るく照らしている。
周囲から見えない少女の視線には、まるで他人に向けるかのような冷たさが潜んでいる。
「……私は“神をすべてこの手で殺したい”のです。そうすれば殺した中にきっとあなたが居るでしょう。そうなれば私にもあなたを理解できる、いえ、そうしなければ私はあなたを見付ける事が出来ない」
腕を組み、祈りの姿勢のまま少女は薄く笑う。
酷薄さを思わせる表情を見た者はいなかったが、人を殺す誰かの顔によく似ている。
敬意を抱いたまま神を殺すと言ってのける事に、今の彼女は一切の疑問を持っていない。
深く深く誰よりも尊敬をしているからこそ殺したいと、少女はそう願って止まないのだ。それが神の存在を確かめる事に繋がるから。自分の疑念が晴れ、本当の意味での信仰を抱けるかもしれないから。
彼女のそんな“報告”は、いつもの祈りよりも随分と早く終了した。いつもならば長時間神像の前に跪き、祈りを捧げているのだが、今日からはそれ以上の目的が出来た。
偶々他人にはない力を身に付けた彼女だが、神を殺すのが並大抵の事ではないとは気付いている。
むしろ、神とて殺せるのだとある意味安易に考えているあの魔女よりも、神という存在について深く、そして真実に近い考えを持っていると言っていい。
だからこそ、神格を削る方法について深く学ぶ必要があるのだ。その点についてあの女に一日の長があるのは否定できない。
神の僕は、神を殺す方法を求めて魔女を探しに学院を歩き出すのだった。
二話更新すると言っておきながら準備が中々進まず、十時を過ぎたので急いで書き上げました。
次回からはまた少し現実の話等をした後に、次の話に移ります。




