第204話 死力
リンの鉄球によって吹き飛ばされたナマズは、派手な飛沫を上げて沼の中へと落ちて行く。
それと同時にこの空間全体に漂っていた奇妙な緊張感が抜け、そして件の良性状態異常も外れた。こちらはおそらく神格の喪失が原因なのだろう。
やはり私のバフ解除の薬、一定の神格を失わせるのに使えるようだ。シンシの話だけでは彼の“加護”を消したという風に考えてしまいそうだが、シンシ本人に効果があり、沼の主にも効果があった以上こちらの方が仮説として正しいように思える。
もちろん流石にこれが闇の神と同等の神格まで効果があるとは思わないが、今後神と戦う機会があれば思い出す事になるであろう。ロザリーがこういうのを好む以上、今後こういった戦いがあり得ないという程の話ではないわけだし。
ティファニーは私の渡した薬ビンに続けて、一本のスプレー缶を矢筒の脇から取り出すとそれを上へと放る。そしてそのまま爆弾矢を手にした弓に番えた。
ナマズは彼女の読み通りの動きで水上へと顔を出すと、何かを訴えるように激しく叫ぶ。沼の主の話では自我も碌に持たない存在らしいのだが、もしかすると私達の行為によって神格を失ったことは理解できているのだろうか。もしかすると、なんて事をしてくれたんだ、という意味なのかもしれない。
しかし、それは長く続くことはなかった。
ティファニーが番えていた矢を放つと、すぐに推進用の火薬に火が付きシュッと鋭い音を立てて矢が加速する。その先にあるのはナマズの鼻先だが、矢の軌道上へとティファニーが予め投げていた缶が落ちて行く。
爆弾矢はそのスプレー缶を弾くと、僅かに軌道を変える。そしてそのままナマズの大口の中へと、導かれる様に吸い込まれていった。
その直後にズシンと空気が揺れる。爆弾矢が炸裂し、スプレー缶の中に仕込まれていた火薬もそれに耐えきれずに誘爆したのだ。
今使って見せたスプレー缶は、もちろん私謹製の代物。ティファニーの範囲攻撃用にと私が持たせていた爆弾なのだが、彼女が素直にその目的で使う事は稀と言ってもいい。むしろその役目の爆弾は、私が使用してしまう事が多いのも理由の一つだ。
しかし、私の判断の方が早いとか私の方が暇とかそういう話以上に、彼女の場合こういった曲芸染みた用途で使う事が多いという理由の方がきっと大きいだろう。
しかも何だ今の。曲芸どころの話ではない。
ナマズの進行方向を見切るのはまだいい。私だってそれくらいはできる。意外に動きが早いので魔法陣を置く先は予測が必要だからな。
しかしその後の咆哮を予期して爆弾を放り、それに当てるように矢を放ち、そしてその両方をナマズの開けた口の中へと入れた?
そんなバカな。それはもう射撃の腕がいいとかそういうレベルではない。特殊能力に近い何かだ。
……まぁ、こんな事をやってのけるのは彼女にとって、何も完全な偶然というわけではない。
彼女はこういった射撃を“練習しているから”こそ、難なく成功させているのである。何という無駄な努力だろうか。いや、今は少し役には立ったのだが、労力と成果がまるで見合っている様に思えない。
私が呆れた目で彼女を見てることなど知る由もないティファニーは、爆炎で隠れるナマズを得意げに眺めては次の矢を番える。
ティファニーに向かって突進を開始したナマズをジャンプで上方向へと避けると、そのまま下に番えていた矢を一射。着地と同時に後ろ手にもう一本矢を放ち、最後に遠ざかった背中に向けて体を反転し狙い射る。
それらの射撃をすべて当てているのだから驚く。何をどうやったらあそこまでの動きが出来るのか。私では数年単位の努力をしても再現不可能だろう。
体に無数の矢を受けつつも徐々に鰓に光を蓄えるナマズを見て、私はこの日何度目かの麻痺の魔法を使う。突進の後は停止位置が把握できればかなりの狙い目だ。
累積耐性によって麻痺の影響力が大幅に低減されたことを確認し、これから自分はどうしようかと頭を悩ませる。
長期戦になればなる程魔物の累積耐性は倍々で強くなり、私の役割は薄くなっていく。少々ペース配分を間違えたか。まぁ私が暇な理由として、まだ呪いが効果中というのが最も大きいのだが。
ベルトラルドは人形をナマズの正面に組み付かせると、手にしていた武器や盾を突き刺して動きを牽制する。リンほどではないが、それでもかなりの馬力と重さがある人形は、ズルズルと透明な床の上を滑りつつもナマズの行動をしっかりと抑制していた。
それに合わせてリンの鉄球がナマズの首をへし折らんとばかりに叩き付けられる。ついに人形の拘束を離れて沼の底へと無理矢理に沈められるナマズ。
直後、湖底で何かが眩く輝く。それを合図に沼の水が柱の様に勢いよく吹き上がった。
まるで大雨の様に降り注ぐその水を見ても、私は特に何かをするわけではない。何せ最初から傘を差しているのだから雨に濡れる事などないのだ。
すっかり赤くなった夕日に照らされた水を見て、ウタミヤが演奏する曲を変更する。
やや情緒的なその曲は、体力の回復用の魔法だった。歌詠みにとってこれが唯一の回復魔法なわけだが、彼女がそれを選択したのには理由があった。
盾を僅かに傾けて雨よけを作ったリンと私を除き、他の三人のオーラが雨に当たる度に小さくなっていく。どうやらこれ、ただの水ではなく広範囲の魔法攻撃という事らしい。
ベルトラルドは即座に人形の下に逃れて事なきを得たが、ウタミヤとティファニーはやや危ない。その内、ティファニーの方は持ち前の身軽さでベルトラルドの人形の下へと雨宿りに駆けて行った。
そうなると問題なのがウタミヤだ。立ち位置の関係で比較的彼女に近い私は、自分用に用意していた回復薬を彼女へと投げつける。
魔石由来の体力回復用の薬は、魔法体である私達の体の一部にさえ当たれば一応効果を発揮する優れ物だ。口から服薬するのが最も回復効率を高める使い方なのだが、こういった緊急時はそんなことも言ってられない。薬の投てきは私やコーディリアの様な特殊な例以外にも、一般的と言っていい戦闘技術になっている。
ちなみに魔力回復薬や復活薬は振り掛けただけでは効果が無く、体の内部に入れる必要がある。前者は口から服薬するのが基本だが、一応復活薬のように注射器型でも効果はある。効率が多少落ちるが、見た目や他人に使う関係でこちらを愛用する生徒も居ないわけではない。
演奏に対するブーイングか何かの様に薬を頭から浴びたウタミヤは、それでも手を止める事はなかった。
……歌詠みというのも意外に大変なのかもしれないな。自分の身を犠牲にして仲間を支える彼女を見て、そんな今更な印象を胸に抱く。ずぶ濡れになっても気にしない彼女の姿を、傘の下から見るという若干の罪悪感から生まれた感想かもしれないが。
私はウタミヤが大丈夫そうだと判断すると、沼の底を泳ぐナマズに意識を戻す。
……さて、今までこんな攻撃をしてこなかったのはどうしてだろうな。神格を失って行動が増えたと考えるのは簡単だが、私にはそれ以外に一つ心当たりがあった。
大雨を降らせたナマズが次に襲い掛かったのは、直前に脳天へと痛烈な一撃を与えたリンだった。
ナマズは僅かに飛び上がると、彼女を丸呑みにしようとその大きな口を開く。
もちろんリンはそれを素直に受け入れるような女ではない。30度程回転させた盾の角を自分とナマズの間に割り込ませると、それに噛み付いたナマズの体重を両足で踏ん張って受け止める。
しかし、ナマズの攻撃はそれだけでは終らなかった。ナマズから派手に滴る沼の水は、盾や彼女に触れた瞬間に白色の氷へと変じていく。
このままでは体中が凍り付いてしまう。いや、腕だけでもそうなってしまえば碌に防御も出来なくなってしまうだろう。それは避けたかった。状態異常ではなく拘束技判定の氷結は薬によって解除されない厄介な性質を持つ。
それを見て彼女は小さく舌打ち。それは何も自分の無力さを呪ったわけではない。ただ、多少面倒だなと思っただけの小さな苛立ちだった。
リンは両手に力を込めると盾を持ち上げ、背負い投げの要領でナマズを頭から沼へと叩き落す。
盾に噛み付いたまま背中から落ちていくナマズを好機と見て、私は一つの魔法を発動した。
魔法が組み上がると同時にガシャンと激しい金属音が鳴り響き、竜の顎がナマズの体に食らい付く。
私がずいぶん昔から愛用する封印の檻は、不安定な状態で水面に浮かぶナマズの首元をしっかりと挟み込んでいた。
このナマズ、完全に魚としての関節を持っている事もあって頭の横、つまり鰓の辺りに攻撃する術を持っていない。しかも今は上下が反転して尾も満足に動かせない様子だ。
この状態ではそこまでの馬力は出ず、普段なら何でもないはずのこの拘束を抜け出すのは一苦労のはず。
リンとの動きが合致したのは偶然だが、この魔法が予想外に役に立ってよかったな。
ナマズの使ったあの雨の様な大規模な魔法攻撃は、状態異常耐性を調べている最中に与えられた封印の効果によって封じられていたのだと思う。ついさっきそれの効果時間が切れ、それとほぼ同時に使って来たので可能性は高い。
こういった特殊攻撃が封印で抑えられるというのは、いつかの巨人を思い出させる効果だ。
それを狙って封印の檻を使おうと詠唱したは良いが、こんな場面で使えてしまうとは運がいい。日頃の行いだろうか。
ナマズは本来水面を自由に通り抜けるので体を投げて叩き付けた程度では拘束できないのだが、今は檻によって下から抑えられている状況だ。
上下逆さまで頭と首を拘束されたナマズは派手に体をばたつかせるが、尾は水面に大半が出てしまっておりまともな推進力を生み出さない。その動きに合わせて僅かに檻が軋んだが、それでも完全に壊れてしまうという事はなかった。
まともに動けない敵を見て、攻撃の手を止めるような生徒はここにはいない。
ティファニーは好機と見るや白い腹に向けて爆弾矢を放ち、ベルトラルドも人形に攻撃を命じる。最後にリンが盾越しに鉄球を振り下ろす。
それらの攻撃によって檻や盾はついに外れてしまったが、決して無視できない量のダメージを与える事は出来ただろう。ここまで来ればもう少し。
私が勝利への道筋を確信していると、沼の底へと半強制的に潜っていったナマズは、光る鰓をこちらに見せて水面へと今一度顔を出した。
本日二話更新の前半です。
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