第197話 聞くに堪えない葬送曲
ウタミヤが魔法の書から取り出したのは一本の楽器だった。
一見するとそれは先程まで使っていたチェロに似ているが、多少小さく、弦は6本。大きなペグ(糸巻き)が頭から左右に3つずつ飛び出しており、首も体も細長い。全体のバランスが少しばかり見慣れぬ感じであるし、何より異様なまでに演奏用のピックが大きいが……
チェロに比べると少しばかり身近なこの楽器の名前を、私は良く知っている。
「あの、そのギター……」
「いいえ、違いますわ」
私の言葉を遮ると、彼女は詠唱を終えた魔法を発動させる。
それはとても美しい光景だった。周囲が僅かに暗くなり、光の線が戦場を縦横無尽に駆け巡る。それは完全に魔力のみで構成された細い糸。それ自体に効果は全くなく、魔物の動きを止める事すらない。
それはさながらステージのレーザービームのような見た目だが、“ギターではないらしい楽器”を構える彼女にはあまり似合っている雰囲気とは言い難い。
彼女は楽器ともう一つ、アンプの様な物を取り出すと、それを足蹴にしてスイッチを切り替える。よく見ればギターの様な楽器とは透明なチューブのような物で繋がれており、そこにケミカルな色合いの液体が流れて行く。
その出所はと言えば、ギターの体に取り付けられているシリンダーのようだ。暗くなった空間で薄っすらと輝くそれはアンプに流れ込むと、そちらに備え付けられていたもう一本のシリンダーを明るく色付けていく。
あれは魔力タンクだ。大体20㎝程の長さで、シリンダー自体はよく見る形式の奴。あれだけ明確に光っているという事は光属性のものだろう。光属性の魔力はどの魔法ともある程度相性がいいので、無属性の代わりとして使われる事が多い物でもある。実は無属性を無属性のまま保存するのが結構面倒なので、短期的にはこっちの方が安上がりになったりする。
魔力の種類やシリンダーは珍しいという程の物ではなく、ただそれ自体には意味はない。ここで重要なのは、楽器もアンプも魔力で動いているらしいという事実である。
自分の持っている楽器をギターではないと否定した彼女は、自信満々にそれを構える。楽器の構え方までギターだが、それでもギターではないのだろうか……。
「これは魔導式大三味線」
「……は? でも弦は6本……」
「ええ、何せ“大三味線”ですから、弦が二倍あっても不思議ではありませんわ。決してギターではないのです。使っているのもピックではなく撥ですので、間違えないようにお願いいたしますわ」
……確かに彼女が手にしている、お好み焼きのヘラみたいな形状のピックは、三味線や琵琶の撥だ。言われてみればネックも細くて全体的なシルエットは三味線に近いかもしれない。
ただそれでも、その六弦の弦楽器は一般的にはギターと呼称すべき存在だと思うのだが、間違っているのは私なのだろうか。
“大三味線という名前らしいギター”の準備と、アンプの起動が完了した事を確認すると、彼女はアンプのペダルを強く踏み締めてから一つ音を鳴らす。
歪みの少ない綺麗な音が静かに戦場へと響いていく。
その美しい音が耳に入ったベルトラルドとリンが、ちらりとこちらを振り返った。
「聞くに堪えない曲でしょうけれど、わたくしの前で耳は塞がせませんわ」
彼女は自信満々で迫り来る魔物を見渡すと、楽器に付いていたスイッチを切り替え、手にした撥で弦を弾く。
直後、戦場に響き渡ったのは、彼女の言葉通りの“聞くに堪えない音”だった。
すっかり戦場へと広がっていた魔力の“弦”が、魔力を含んだ音と共鳴して増幅し、拡散していく。結果、彼女の音は全方向から反響している。
その独特なエコーの中で、淑女は楽器を掻き鳴らす。
歪みのない、クリアで、そして耳を刺す様な鋭い音が鳴っている事だけは認識できるが、あまりの“音量”に頭がそれを音楽として認識しない。
見る人が見れば素晴らしい技巧であると驚くかもしれない。おそらくアンプはレコーダーの役割も持っていたのだろう。弦楽器以外の音が一定のリズムを刻んでいる様にも僅かに聞こえる。
ただ、音楽鑑賞が特別に趣味というわけでもない私には演奏の巧拙を判断のしようがないし、何より音が大き過ぎて彼女の弾いている曲が何の曲なのかも見当が付かないのだ。
私は音の洪水を前にして、思わず両耳を塞いでしゃがみ込む。小さな手を抜けて鼓膜を突き刺すその音を前にして、その行為にどの程度の意味があるのかは微妙な所であるが、一度そうしてしまうと恐怖心から手を外す事が出来ない。
それと、一つ言わせて欲しい。
……やっぱりその三味線、ギターの音しか鳴っていないんじゃないか? 洋楽器に比べて倍音の多い、あの独特な音が鳴っているようには思えないが?
当然そんな私の疑問など知る由もないウタミヤは、上機嫌で演奏を続ける。アンプにあるレバーを今度は蹴り上げると、更に音量が一段階跳ね上がる。
……恐らく演奏時間に比例して一定時間当たりの効果が増大する歌詠みの魔法特性が、十全に発揮されたという事なのだろう。それを確認してから増幅器の出力を上げたという事は、ここからは魔法の“効果”が極限まで強くなるという事だ。楽器やアンプの内蔵魔力の消費の関係で、最初から全開にするわけにはいかなかったのだろう。
しかし、それ以上に単純に音量が高められたことによる味方への被害が甚大だ。
僅かに目を開けて周囲を見れば、ベルトラルドばかりではなく、リンさえも盾を支える事を放棄して両手で耳を塞いでいるのが見える。
ロックにしては歪みのないクリーンな音は、音量を上げてもその美しさが音色から消える事はない。それが逆に耳を鋭く突き刺しているように感じる。これが歪みの大きいエレキギターだったのならば、どれほど良かった事だろうか。
他の誰の活躍も許さない、彼女のための独り舞台は、観客が一人残らず塵と消えるまで続いたのだった。
***
じゃーんと弦を鳴らし、演奏が終了する。
その頃には既に私の聴覚は半分麻痺しており、周囲の様子を確認するには視界に頼る他ない。
私はようやくウタミヤの演奏が終わった事を左右に視線を振って確認すると、大きく安堵のため息を吐いた。その呼吸音はどういう訳か私の耳には入らないのだが、もう耳を塞がなくとも大丈夫そうだ。
「凄い音、いえ、演奏でしたね……」
リンがぼそぼそと何かを話しているが、生憎と私には聞き取れない。きっと何かどうでもいい事を話しているのだろう。
確認しようにもこちらの声も向こうには届かないだろうし、面倒なので無視を決め込む。彼女も自分の声が耳に入っていない事で聴覚がイカレている事には気付いただろうし、気付かなかった振りをしても文句はないだろう。
あんな大音量の中でも律儀に防壁の役割を果たし続けていた人形と盾を抜けて、私は戦場の全体を確認する。
何と、目に入る範囲での魔物は一匹残らず殲滅させられていた。
まさか歌詠みであるウタミヤ一人の魔法によって、これだけの範囲にあれだけの威力が出せるとは思わなかったな。色々な意味で恐れ入る。
今回の戦いの功労者、というか唯一活躍者であるウタミヤはすっかり魔力タンクが空になった大三味線を肩から下ろし、いい笑顔で魔物のいない世界を見渡していた。
あの音を聞いていたのは本人も同じはずだが、どういう訳か私達の中で飛び抜けて元気そうである。
私がそんな事をぼんやりと見ている内に、徐々に耳の中に残る音が逃げて行く。段々自分の呼吸音や風の音が、ぼんやりと聴覚情報として認識できるようになってきた。
私はそろそろ声が聞こえるだろうと、非難を含んだ視線で“功労者”を睨む。
「今の、もう少し何とかならないんですか? 特に音量とか」
「意外に距離による減衰が激しいので、音源ではどうしてもああなってしまいますわね」
この場に居る全員の代弁をしたつもりだったのだが、それを聞いた彼女には反省の色は一切見られなかった。
ウタミヤの使った今回の魔法、仕組みはこう言う事らしい。
まず、歌詠みの古代魔法である魔法の弦を戦場へと張り巡らせる。これが最初に使った詠唱魔法の正体だ。
次に楽器“魔導式大三味線”の演奏は、楽器内部に仕込まれた魔力を使って威力を増幅。楽器から接続されたアンプは、内部の魔力を使って効果範囲(と同時に音量も)拡大。その二つによって大幅に強化された魔法は、近くにある魔力の弦を順番に揺らしていく。
古代魔法の弦は術者であるウタミヤの魔力と音に共鳴。共鳴によって弦から出された音が、再び他の魔力の弦に触れて共鳴を引き起こす。それが連続する事によって遥か遠くまで音が届くようになっているのだ。
魔法の弦で一回目に共鳴した音(楽器から弦へ伝わった音)の効果は大幅に減少するのだが、魔法の弦から魔法の弦への共鳴は効果も音量も徐々に上がっていく。
ただし、ある意味当然だが、魔力の弦は一度に一回までしか音を増幅できないらしく、弦を二本使ってその間で無限に威力を上げたりは出来ない。
音源である楽器から遠くに行けば行くほど、魔法の弦が共鳴するのが後回しになるので、結果的に共鳴時の威力が上がるが、“本体”の魔法の効果、つまりアンプから出ている音の効果が減衰していく。
その性質を利用して、大体効果範囲全体に同じ量の効果が発揮される様、弦を幾何学的に配置しているのだとか。
本来であれば音を媒介にした魔法なら何でもいいはずだが、今回使ったウタミヤの魔法は単純な攻撃魔法だった。演奏を聴いている単体の体力を削る、さっきも使っていたあれだ。
範囲限定型の一種類しか持っていないと思っていたのだが、どうやらこのように魔法の弦とアンプを使う事によって広域化を可能とするらしい。
ただし、これだと魔力タンクの関係で一回までの使い切り。どちらがいいかは時と場合に依るだろう。
ウタミヤからそんな話を聞いていて、私は一つ気が付く。
それだと、効果対象に私達は含まれていないという事ではないだろうか。
ダメージを受けていないのだからある意味では当たり前だが、それが少し気になってしまった。
私にとってコーディリアの時雨が最も身近な例なのだが、こういう音を媒体とした魔法は基本的に“効果対象以外”には小さくなった音が耳に入る様になっている。
バフの曲は敵にはあまり聞こえないし、その逆でデバフの曲はこちらにあまり聞こえない。聞かせる相手だけにしっかり届くのが歌詠みの魔法である。
それはおそらく攻撃魔法でも同じ事。
つまり、私達はあれだけの爆音を聞いていたというのに、それでもまだ減衰していた音を聞かされていたという事だ。あれで。
彼らが一体演奏のどこで消えたのかは分からないのだが、リンの壁すらも隔てる事無く、私達の目前で彼女の葬送曲を聞いていた魔物には、どういう音が耳に入っていたのだろうか。
その音量を考えるとぞっとする。そりゃあ死ぬわと。あれだけの高音だったというのに、物理的に体が震える程だったのだから。
そんな聞くに堪えない曲の暴力的な演奏で、すっかりウタミヤが平らげてしまった戦場に、小さな影が舞い降りる。
それは見慣れた姿であったが、この場では唯一、笑顔で功労者を称え始めた。
「いやー、ビックリしちゃった。あんなにギター上手いんだねー。お嬢様やめてロッカーになったら?」
「称賛の言葉は受け取りますが、令嬢とは辞める辞めないという立場ではありませんことよ。それと、ギターではなく大三味線ですし、あれはロックではありません」
私達はあまり反省の色を見せないウタミヤから、今度は木の上から降りて来たティファニーに視線を向ける。あっけらかんとしている彼女を見て、もう一つ疑問が湧いたのだ。
「……もしかして、上では“普通に”音が聞こえていたんですか?」
「え? 皆は違うの? こんなに近くに居るのに?」
……思えばあの音響の古代魔法、効果範囲を横に広げる事に重点を置いていたな。恐らく魔法の改造をした人間に、上空に攻撃を飛ばすという意識がなかったのだ。もちろんそんな事をしても大抵の場合は無駄になるから。
そのため、戦場を上方向へと離れていたティファニーは、逆に唯一ウタミヤの演奏を聞く事が出来たと。どうやらそう言う事らしい。
私が彼女の素晴らしい演奏が聞けなかった……なんて言うのは興味がないのでいいのだが、あの地獄を体験していなかったというのが恨めしい。まぁこの場に居る3人はどうせこの茎には登れなかったので、彼女と同様の方法で回避する事は出来なかったのだが。
状況が掴めないながらも、何となく自分が羨まれている事を感じたらしい彼女は、どことなく焦ったように話題を変えた。
「あ、えっと、怪しそうな場所見付けたよ。ここから西に魔物が集まってる場所があったんだ」




