第196話 秘策の二
ティファニーは腰に下げている矢筒から独特な形の小刀を取り出すと、そこにワイヤーを取り付けて振り回す。そしてそれを上へと放り投げ、大きな茎へと突き刺した。
木と呼ぶにはあまりに鮮やかな色の彼岸花の茎に、ワイヤーは大きく一回転しながら上の方で固定される。……一応刃には返しが付いている形状ではあるのだが、本当にこれで登るのか?
自分で命じた事ではあるが、些かの不安を覚えてティファニーを見れば、彼女は細いワイヤーに固定する特殊な器具で手掛かりを用意しているところだった。そこには少しの不安も見て取れない。何とも気楽そうな表情である。
「じゃ、一応行ってくるね。途中で落ちたら放っておいていいから」
「……ええ、行ってらっしゃい」
……失敗しないだろうというよりは、あの程度の高さなら敵のど真ん中に落ちても何とかなるだろうという考えらしい。
ならいいか。どうでも。もしも彼女が失敗しても地図で行っていない場所に当たりを付けて移動すればいいだけだし、的中率が下がる程度で済む。まぁ流石にもうそろそろ課題を終えて帰りたい気持ちはあるので、成功するのに越したことはないのだが。
「お姉ちゃん、凄い……」
「彼女、ご親戚は猿か何かですの?」
自分で投げたワイヤーを手掛かりに、するすると緑色の茎に登っていくティファニー。節も葉もないのでほぼ垂直な柱と変わらないはずだが、彼女にとっては少し登りづらいだけのただの木であるらしい。
ベルトラルドとウタミヤは彼女の背中を呆然と見上げていた。
魔物の背を越えるだけで一気に視界は開けるだろうし、彼女が何かしらを見付けてくれることを祈ろう。
私達がティファニーを見送った後も、もちろん魔物は変わらず押し寄せる。その戦場を前に、リンは黙々と自分の役割を果たし始める。
その隣で、私も魔物の足止めに専念する。専念とは言っても、麻痺の魔法と毒液を使うとしばらくやる事がない。私はあまり真剣になり過ぎる事でもないだろうな。
しかし、その重量故に戦い方が大雑把なリンのサポートをしていたのは、他でもないティファニーだ。彼女が抜けた穴は私の想像以上に大きく、時折防衛線を抜けて敵が抜けてくるようになっていた。
魔物が近づいて来ると、ベルトラルドとウタミヤも戦闘に参加する。それでも四方から襲い掛かって来る魔物に対処し切るには、手が足りているとは言い難い。
私は目前まで来ていた魚を封印の檻へと閉じ込め、ベルトラルドの人形の手が空くまでの時間稼ぎを行う。
私がまともに使える足止めなんて、基本的にはこれと毒沼くらいしかない。麻痺で一角を完全に落としたので止めた魔物の数では一番働いていると言っても過言ではないが、取れる手段の少なさはこの場で一二を争うだろう。
そんな私と首位争いをしている女に、一つの危機が迫っていた。
「ウタミヤさん、そっちに行きましたよ」
「えっ!? わ、わたくしに魔物の処理をさせますの!?」
彼女から一瞬本気で慌てたような声が出て、流石に少し呆れる。活躍が地味……というか、はっきり言って暇だからこそ丁寧な演奏をしている彼女にも、こんな状況ではしっかりと戦ってもらわなければならない。歌詠みにも一応攻撃魔法くらいあるはずだし。
私の奮戦虚しく、一匹の魚人がリンとベルトラルドを抜けてウタミヤに迫る。今私の取れる手は昏睡の魔法しかないが、彼女に迫る敵一体に使うというのも少々勿体ない気がする。昏睡は使い勝手のいい広範囲魔法しか持ってきていないのだ。
それに、ここの魔物はリンがついさっき言った様に小物ばかりだ。
流石に彼女も一撃で死ぬことはまずないだろう。例え攻撃できずに防戦一方になったとしても、誰かの手が空くまでの時間稼ぎにはなる。
それを信じて一匹通して他を防いだ形なのだが……それでも直接的な戦闘力がほとんどない彼女にすべてを任せるのは忍びないか。
そう考えた私は、一応傘を閉じて魔物をぶん殴る用意をしておく。尤も、結果的にはその必要はあまりなかったのだが。
ウタミヤは迫り来る魔物を前にして、地面に置いて演奏していたチェロを突然足で蹴り上げると、そのまま上段に掲げる。
そして、目前まで迫る魚人の頭目掛けて、勢い良くそれを振り下ろした。
直接的な攻撃力は大したことはないが、重量だけはそこそこの一撃を受けて魚人が地へと倒れ込む。
……もしやその変な形のエンドピン、敵を殴るためにその形状になっているんですか?
倒れた魔物に向かってそのまま鋭い音を聞かせ、消滅させるウタミヤ。
直接攻撃は少々予想外だったが、今の魔法は私も知っている。
あれは歌詠みの改造魔法で、本来広域に広がるはずのダメージ判定を特定の範囲に限定し、威力を高めた物だ。射程無限を手放してまで瞬間火力に振っているこの魔法、実は結構人気が高い。
というのも、彼女達の未改造の攻撃魔法はその広い効果範囲故に、ダメージと消費魔力の効率があまりよろしくないのだ。それこそこういった、多くの魔物が出現する特殊な戦闘でなければその効力を発揮しないだろう。
……そういえば現在はその数少ない活躍の場のはずなのだが、彼女にそれを使う様子はない。こんな特殊な場で一向に使う気配がないという事は、大多数の歌詠みと同様に彼女もスキルスロットに広域攻撃魔法を入れていないのだろう。
ちなみに、なぜ身近に歌詠みなんて一人もいないのに私がこんな事を知っているのかと言えば、歌詠みの間にこの魔法を流行らせたのが他でもない、サクラ・キリエという生徒だからである。
事の発端はやはりあの合宿の私の授業。あの授業で初めて歌詠みの魔法陣という物をまともに見た私は、とりあえずの改造の方針として軽く試作品を作ったのだが、それから何度かの改良を経てこの魔法へと至っている。ちなみに私の試作魔法陣の改造と仕上げは魔法研究会が主導で行ったらしい。
そのため私は直接的ではないにしろ、この魔法の一種の生みの親のようなものなのだ。いや、生みの……祖母?
魔物を楽器と魔法で殴り倒したウタミヤは、再びその大型の楽器を担ぐ様にして構えると魔物に向かって憤慨して見せる。
「まったく、淑女に対して無礼極まりないですわ。わたくしと踊りたいというのなら、最低限のマナーを守っていただきたいですわね」
「楽器で頭を殴るのはマナー違反ではないんですか?」
「無礼者に見せる作法なんてありませんわよ」
私は彼女と軽く言葉を交わすと、檻を破って人形に投げ飛ばされた魚の行く末を見守りつつ、戦場全体の状況を確認していく。
……少し、魔物との距離が詰まり始めているな。最初はもっと余裕があったはずだ。
それに、リンがまとめて弾き飛ばすのとベルトラルドが人形に注目を集めるのを繰り返してはいるが、多くの魔物を防いで少数の魔物を抜かせる判断をせざるを得なくなっている。
元々はティファニーがその状況を避けさせ、そしてそうなってしまった場合に埋めていた穴なのだが、私ではどうも務まりそうにない。
その最たる状況がウタミヤの演奏の中断だ。どうも私以上には戦闘力があるらしいので、むしろこっちの方が戦況的にはいいのではないかと思ってしまうが、本来彼女は支援役である。
彼女は魔物によって一時的に中断してしまった演奏を慌てて再開するという事はなく、私と同様に戦闘の趨勢を見極める。そして、大人気のホラー人形からついに興味を逸らした魔物を、二体揃ってチェロで殴り倒して諦念のため息を一つ。
「……ふぅ、仕方ありませんわね。奥の手を使うといたしましょう」
「奥の手? そんなのあるなら最初から使って下さいよ」
「それはあなたと同じです。……今回の報酬とは縁がなかったという事ですわね」
ウタミヤはそんな事をため息混じりに口にすると、ベルトラルドとリンを呼び戻して何やら特殊な陣形を指示する。普通に考えればそんな事をして得をするのは相手だけのはずだが……何か目的があるのだろう。
何をするのか知らないが、まぁ失敗してももう一つ爆薬はあるしなと軽く考えて、詳細を聞かずにその案に従う。そもそも彼女が二人をこちらに呼び戻してしまった時点で、戦況に余裕がなくなってしまった。従わないというのなら、ここから魔物を押し返さなければならなくなる。それは少々難しい。
私達は彼女の指示通りに素早く態勢を整え終えた。
この森の唯一の障害物である彼岸花の茎を背に、ベルトラルドの人形とリンが密集した全員を守る様に立ち塞がる。小さな安全地帯を作り上げてそこに籠城する構え……というわけではもちろんない。ここまで狭いとリンはまともに攻撃できないので、盾で大軍に押し込まれないように耐えるしかできないだろう。ベルトラルドの人形も完全に防御姿勢であり、突破されるのは時間の問題だ。
その上そもそもある程度の空間を確保するために、二人の防御に隙間がある。そこを私の封印の檻で塞いでいる状態だ。これの効果時間と共に、私達の命運は決定される事だろう。
そんな中で発案者であるウタミヤは、慌てず急がず一つの魔法を詠唱し始めた。
歌詠みの詠唱魔法というのは珍しい。そもそも詠唱も魔法陣の操作も必要ないというのが彼女達の魔法の性質であり、それを真っ向から否定するこの魔法は当然、一般的には普通だが、彼女達にとっては特殊な物に分類されていた。
私はその陣を見て小さく驚く。
知っている単語で構成されている陣ではあるが、私はこんな物を作ろうとは一度も考えたことがない。当然授業で教える魔法陣の知識としても頭に入っていない。
……つまりこの魔法、古代魔法かオリジナルだ。それもそう単純な効果ではない。これから起きる現象には想像が付くが、それが何のために行われるのかはよく分からないのだ。
これがオリジナルの魔法だった場合、制作者は何を思ってこんな“無意味”な魔法を頭に思い描いたのだろう。私は他にやる事もないので、そんな事に思いを馳せる。
「……少々はしたないですが、これを彼らの手向けの歌としましょう」




