第193話 リン・サカキの価値観
「それで、そこには何か有用な話は書かれていたのでしょうか」
「課題の達成には、有用な話でしたね」
刃を懐に仕舞い込んだリンに、私はいくつか順番を入れ替えた紙束を差し出す。紙は長い年月を経てすっかり丸まる様に癖が付いてしまっているので、差し出すとくるくると巻き戻った。
彼女は私が差し出したそれを受け取ると、優しく真っ直ぐに引き伸ばして内容を目で追う。隣でベルトラルドが爪先立ちをして覗き込むと、リンは彼女にも見えるような位置に調整をしていた。
結論から言えばあの紙は私達の最初の感覚通り、名簿で間違いない。では何の名簿だったのかというと、それも最後の一枚にしっかりと書かれていた。
どうもこれは石の中から紙を取り出す事無く、一枚一枚丸まった紙の内側に新しい物を刺し込んで追加していった物らしく、内側が一番新しくて外側が一番古い内容であるらしい。まぁ石像だか地蔵だかには穴の中が外に繋がっている部分がないので、どうやって内部に空洞を作ってその中に紙を入れたのかは謎だが、魔法で何とかしたのだろうという推測しかできない。
それ以上に一番重要なのは紙面の内容だ。最後の最も古い一枚にはこう書かれてあった。
供物とされた者の慰めとして、以上の名を光の神像の中に祀る、と。
他の文面と併せて読めばこれが人柱、つまりは生贄としてどこかに捧げられた者達の名前なのだろうという事は容易に想像がついた。同時に、その割りに慰めがどうたらと言っているので、私からするとかなり奇妙な話に思える。
神に生贄として捧げられた者は、その魂を含めて神の所有物になるか、もしくは完全に神と一体となる(消える)と考えるのが一般的だ。この時肉体はあまり関係なく、そこで神のために死んだという事実とその者の魂の在り処が重要視される。むしろ生贄とはそれを求めてやっている事であり、そうでなければ神への供物としては特殊な例とさえ言えるだろう。
つまり、生贄の魂とは慰めるまでもなく既に神の物、もしくは神その物となっているのだ。そのためこうして別に祀る必要など最初からない。
後から入ってきた文化の人々が過去の人柱達に同情してこれを作ったというのは、供物の名前がしっかりと記載されている事から、可能性としてほとんどないと言っていいだろう。間違いなく私なら名簿なんて作らない。慰霊碑に“抜け”があったなんて逆に怖いからな。
……まぁ生贄の慰霊の文化に文句を言った所で何ともならないので、ここはそうであると受け入れる必要がある。これが私の知っている例から外れた文化だと言えばそれまでだし、深く考える必要もあまりない。
見ればリンがパラパラと名簿を捲っている。一枚目以外は大した内容は……まぁいいか。指摘するほどの事でもない。
複数枚の紙に書かれたその名前の数は、男女問わず結構な人数になっている。年に2、3人子供が生まれるような、ちょっとした村なんかではこの人数の生贄を出すことは難しいだろう。そのため結構な規模の共同体であったと推測される。現在の所、その痕跡などは一切確認できていないが。
名簿には生贄にされた日付も名前と合わせて書かれていたが、こちらも少し不思議な記述になっていた。ちなみにこの記述を信じるのならば、“最新の生贄”を出したのは現世からおよそ700年は前である。
年に数名が一人ずつ捧げられたり、一度に複数人が捧げられたり、逆に数年間何事も無かったり。生贄の人数も間の期間も区々だ。これは当然、生贄を出すのは“一定の時期に開催される祭り”ではなかった事を意味する。
現代に残されている数多くの文献の中で、生贄まで捧げなければならない状況となると真っ先に思い浮かぶのは自然災害だ。川の氾濫や山火事、落雷などが神の行いだと信じて、それを止めてもらうための生贄。もしくは、神にならばこの災害も止め得るだろうと懇願するための捧げ物。
こういう物は毎年特定の時期に発生する事が多いので、毎年同じ時期に(その多くは事前に)“とりあえずやる”という感覚で一定の周期で行う祭りに発展しやすい。
しかしこの人柱はそうでない。そうなると考えられるのが、時期を問わず“必要に駆られて”生贄を出しているという事なのだが……それにしては期間が空き過ぎている気がしてならない。
ここの鎮守神が“人に直接的な害をなす”祟り神だった場合、文字通り人を食うために生贄を要求するというのは考えられる。もちろんその神にとっては食事なので、年に一人二人なんて量では足りない事が多いし、数年期間が空いたなんて言えば人里まで降りて来て無差別に人を食らうのが基本となる。その力があるからこそ年に何人という取り決めを人と交わし、神として祀られているのだから。
……これ以上ここで考えても仕方ないか。
私は記憶の中にある資料とは大きく食い違い始めた状況については、後で考える事にする。とりあえず次の方針としては生贄の捧げられていそうな場所を探す事か。方向が分からないのでまたとにかく歩くしかないのか?
神像がここにある以上、この近くにありそうだと思うのだが……。
「……神のために生贄を捧げていた?」
ふと、風に乗ってそんな言葉が耳に入った。振り返ってそちらを見れば、いつもと変わらぬ様子のリンが立っている。
彼女は何度も紙面を読み直しては、何度か紙を捲って名前を読む。一枚目以外はただの名簿だ。読み返しても特に何かが書かれているわけではないだろう。既にベルトラルドへの配慮はなくなっており、自分だけがそれを見ている状態だ。
「生贄がそれほど不思議ですか?」
「……はい。神とは人の行いとは別の領域に存在しますから、人がどこで何のために死のうと関係がないと考えます」
私が小さく問い掛けると、彼女は逡巡の後にそれに頷く。
……達観しているというか何と言うか。現世の信仰という感じの考え方だな。ここまで尖って居るのも珍しい……と感じてしまったが、これに関しては私が特殊なのかもしれない。私の知識のほとんどは禁書庫に由来する物なのだから、私と同じ様に考えるにはその前提の知識を仕込まなければならない。
改めて考えてみると、私はこういった鎮守神なんてある意味で胡乱な存在については特に詳しい生徒なのではないだろうか。
……まぁそれはいいか。実の所、彼女に感じていた違和感について、私もそろそろ確認しておきたいと考えていた所なのだ。
これから先一緒に行動する以上、彼女の不気味さの根元を正しておいた方がいい。
私は彼女に向き直ると、人々が神に生贄を捧げる理由について簡単に説明する。
「……神には神格があります。その神格を最も手っ取り早く上げるのに必要なのは信仰です。人間に限らず、魂を持つ者からの信仰心。それは精神に由来する物ですが、“神のためにここまでした”という共同体全体の感覚や記憶がそれを後押しする事が多いです。“神のために同族まで殺した”という罪悪感が強い信仰に繋がるというは、十分に考えられる事でしょう」
「いいえ、神は神であるために他の存在を必要としません。神格とは最初から神にのみ備わっているものであり、神や信仰の形に関係せずただ神に付随している概念でしかありません」
「そうじゃないでしょう? その辺の精霊が“神になる”事があるんですから、神格が“後付けの力”なのは確かです」
私がそう口にすると、リンが一瞬言葉を失った。そこにあるのは驚きか、怒りか。顔が見えないので判断のしようがないが、私にはどうも後者の様に感じられる。
一種の迫力を伴った嫌な緊張感がこの空間を支配したが、私は気にする必要もないかと踏ん反り返って押し黙った彼女の言葉を待つ。
「それは、神ではありません」
「言葉の定義の問題ですね。鎮守神が神か否かは文化の違いで……」
「いいえ、例え信仰の形が変わっても神は唯一の存在として我らと共にあるのです」
「……例え、名前が違っても?」
「はい」
今度は私が押し黙る番だった。
……何と言う、暴力的な思想だろうか。
しかし同時に、異常なまでに理性的だ。理性的に、自分の考えを世の中に合わせている。
つまり彼女はこう言いたいのだ。
世界に神はたった一人であり、その名前がアマテラスだろうとキリストだろうとヤハウェであろうと完全に同一のモノだと。文化によって神の名前と信仰の形が異なるだけであり、人間は同じ神を拝しているのだと。
彼女の中で【神は一人】なのだ。それが確固たる知識として、いや価値観として根付いている。
しかし現に世界にはいくつもの信仰があり神が居る。神話を覗けば神格を持つ者が大勢出て来る。
だから彼女は、世の中ではなく“神”を捻じ曲げた。
人や文化によって“見え方”が変わっているだけであり、人の信じる神は完全に同一なのだと、そう信じた。現代ではどんな宗教だってそんな暴力的な主張をしない。それぞれの信仰のアイデンティティを完全にぶち壊す話だからだ。
私の価値観からすればはっきり言って、こんな事を胸を張って口にできる奴は狂人でしかない。他の文化の信仰に対する配慮という物がまるでない。いや、彼女は“自分の神”でさえ捻じ曲げたのだから、ある意味で彼女は宗教家ですらないだろう。
しかし、彼女にとってその考えは極めて理性的で当然の判断だった。
……尤も、その考えはこの世界では通用しないのだが。
なぜならこの場所は、“神様が実際に居る”場所なのだから。神が複数同時に存在する以上、その理論はどうしようもなく破綻する。
「もしも、二人目の神が居たらあなたの中でどう結論を出すんですか?」
「それは神を僭称し、人々を騙す悪しき者でしょう。神によって罰せられないというのであれば、我が身を捨ててでもこれを討ち滅ぼさねばなりません。あなた方も頼もしき神の僕として、奮戦を期待しますよ」




