第192話 首を落とす
この日何度目かの戦闘は恙なく終了し、彼岸花の森に再び平穏が訪れる。
罪人の様に鉄球を引きずりながら歩き始めたリン。当てもない私達の進む方向は、先頭を歩く彼女の一存で決まっていた。
尤も、そこに文句を言う生徒はいない。なぜなら誰も正しい方向が分かっていないのだから、指摘のしようがないのだ。
しかしそれはそれとして、自分たちの行動が徒労に終わるのではないかと危惧する事はある。
「……何にもない。どこまで歩くの?」
「最初は綺麗だと思ったんだけど、流石にこうも代り映えしないと見慣れて来たねぇ」
「結構歩きましたわよね? 手掛かりも何もないと流石に不安になりますわ」
後ろの三名が、各々好き勝手に口を利く。
もうこの森に入って数回の戦闘を終えているので、実際の移動距離や経過時間以上に疲れてきている。魔物はそこまで強くないのだが、数が多くて戦闘が長い。私も出来れば早めに手掛かりを見付けたいというのは同感だ。
誰に宛てたわけでもない三人の愚痴を耳に入れつつ、私達の森の探索は進んでいく。
魔法の書のマップ機能を開いても、特に変わった点は見当たらない。単純にこの森が異様に広いというだけで、道が一定の間隔でループしているわけでも転移を繰り返しているわけでもない。
三人の愚痴が誰からともなく止むと、森に唐突に静けさが広がる。
森は時折水玉の中の魚が跳ねるような音が聞こえるばかりで、虫も鳥も鳴くことはない。魔物以外の生き物は魚しかいないのだろうか。
……一度この静寂が気になり始めると、急にこの場所が不気味に思えてきてしまう。どこかに音を出す動物はいないのかと私が視界を左右に振った、その時だった。
「あれ、何でしょう」
「あれ?」
私が見つけたのは小さな石。縦に50㎝程はある縦長の石だ。
ぼんやりと楕円形をしている様にも見えるのだが、途中に微かなくびれが見える。見ようによっては石の人形、石像の様にも見える形をしていた。
こんなのただの石ころだと無視しても良かったのだが、直立するように地面に半分ほど埋められているらしく、どうにも人工物に見えて仕方がない。
他の面子もリンを含めて同感だったのか、前に前に進んでいた足を止めて茎の下に埋まっているその石像を見詰める。
「……お地蔵さま」
「確かに、そういう風に見えますわよねぇ……」
ベルトラルドの呟きに、ウタミヤが頷く。地蔵という文化がここにあるのかは分からないが、確かにそれに馴染みのある私達にはそう見える物だ。
……何かの手掛かりになるかもしれないし、とりあえず調べてみるか。
そう考えて石像に向かって私と同時に足を踏み出したリンと一緒に、石の前まで歩み寄る。
その石像は表面のほとんどが何かによって削り取られてしまっていて、ぼんやりとシルエットが地蔵に見えるだけの石だ。偶然ここに立っていたと誰かに言われたならば、確かにそうかもしれないなと納得してしまう。
しかし、何の手掛かりもなく長時間歩き続けている私達にとっては、希望の光。……藁にも縋る思いである。
私は一応カメラで表と裏を撮影しておく。特に変わった部分は見当たらないが、今後の調査で何かの役に立つかもしれないし。
リンは石の下が気になったのか、石像を引っこ抜こうと手を掛けた。
「あ……」
彼女が地蔵の頭をがしりと掴んだ瞬間、首らしき部分が砕けて折れた。
脆くなっていたのか壊れやすかったのかは知らないが、彼女の握力に石が耐え切れなかったようだ。まぁあれだけ重い物を振り回して平然としている女に、握り潰せない石なんてそうそうないだろう。そこは納得できる。
ようやく得た手掛かりが砕けた事で、私達の間に言い様のない緊張が走る。
しかし、結果としてはそれで良かったのだろう。
砕けた石の断面から筒状の何かが見えている。こちらもリンに握りつぶされては困ってしまうと即座に手を伸ばし、それを取り出した。
すっと石の中から抜き出すと、丸められていたそれは僅かに開かれる。どうやら数枚の紙のようだ。地蔵の中に仕込むという事は、何か宗教的な意味でもあるのだろうか。
私は古くなっている紙を破かない様に慎重に開き、その内容を目で追った。
「……えっと、フランク、エリン、ふぁ、は……ハーティ? これは、名簿ですかね?」
「名前が書いてあるだけ……どうしてこんな物を石の中に?」
それを私に聞かれても困る。
リンが拳で粉砕した石の中から出て来たのは、どこの誰だかも分からない名前がズラリと書かれている紙だ。少なくとも一枚目には名前以外の情報が書かれていない。
これでも一応ようやく見つけた手掛かりだ。私は破かない様にだけ注意しながら、しゃがんだまま順番に紙を捲って内容を確認していく。
「っ……と」
3枚目の紙を見終えた時に、急にふらつくような感覚がして地面に手を突いた。一瞬貧血かと思ったのだが、どうやら違うらしい。
地面に下ろした腕も、足元がふらつくのと同じ間隔で小さく揺れている。上を見上げれば、満開に咲き誇る大きな彼岸花もぐわんぐわんと左右に揺れ動いていた。
「……地震」
「わたし、ここで地震なんて初めて感じたかも」
そんな悠長な事を話している二人を振り返る様に、私達も立ち上がる。幸い動くのに支障がある程の揺れではないし、異常がないか確認してから調査を続行しようか。
そう考えて何かが崩れる危険はないかと視線を左右に振った直後、“ごごご”とどこからか激しい音が響き、私は突然バランスを崩して後ろに転ぶ。何事かと慌てて周囲を見回せば、先程以上に激しく揺れる彼岸花の茎。
ティファニーもウタミヤも地面に膝を突いて揺れに耐えている。ベルトラルドは人形の下に逃げ込んで、リンは自分の盾が倒れないように支えていた。
立っていられない程の大きな地震は、私の視界を大きく揺さぶる。
家具が動いたりや柱が軋む音がしたりしないだけマシだが、地響きだけで凄い音だ。地質の関係なのだろうか。目で見える程に地面が大きく上下に揺れ動き、どこからかばしゃんと水の弾ける様な音が鳴る。
しばらく身を守る事に専念していた私達だったが、ついに揺れは収まった。
建物の中で起きたら大変だっただろうけれど、彼岸花以外に物が無いこの場所ではあまり心配は必要なかったな。揺れが完全に収まったことを確認してから、私達はそっと立ち上がる。
「……どうして突然地震が起きたのでしょうか」
リンの疑問は確かにその通りだ。
魔法世界で地震にあったのなんて、今までで初めての事である。可能性がまったくないと言い切ることもできないが、そのくらいにはここでの地震は珍しい。
もしもそれが私達に原因があるというのならば、おそらくはこれなのだろう。
私達は壊れてしまった石像を眺める。直接壊してしまったのはリンだが、そもそも長い事放置されていたのは間違いないと思う。これがどういった役割の物なのかは分からないので想像するしかないのだが、これが壊れた事で地震が起きたのだろうか。
……これについても、ここに書かれていると良いのだが。
私が再び紙面に視線を戻したその時、ぴしゃっと弱々しい水音が耳に入る。
そういえば、地震が起きていた時も何か水の音が聞こえていたはずだ。あれは一体何だったのだろうか。
私は紙面の確認を一旦やめて、音の鳴った方へと顔を向ける。
そこに居たのは赤い魚だ。尾鰭が長く綺麗なその魚は、浅い水溜まりの上でぴちぴちと力なく跳ねている。どうやら先程の地震で上の水玉が落ちたか、もしくは魚だけが落下してしまったのだろう。
もちろん助けようとは思わないし、そもそも私達は助ける方法を持ち合わせていない。近くに小川が流れているなんて都合のいい事はないのだ。森の中だというのに、不思議と水場はここまで一度も目にしていない。
私は音の正体に対する興味を失って即座に視線を逸らし、ティファニーはそもそも魚に既に気付いていたようで視線も向けない。ベルトラルドとウタミヤは憐れみを含んだ目で、その魚を眺めるばかりだ。
そうするしかないだろう。だってもうあの魚の死は確定しているのだから。私達にはどうすることもできないし、それ以前にする必要もない。
しかし、私達の中で一人だけ行動を起こした者がいた。
リンは地に落ちて来た魚にそっと歩み寄ると、懐から刃を抜く。
そして、魚の首を落とした。
そこに一切の躊躇いは見えない。当然のことをしているのだと自信を持っている様にも見える。
魚を眺めていた二人は呆気に取られて、呆然とリンの姿を目で追った。
「えっと、何をして……」
「我らが神は慈愛をもって、かの小さき者を受け入れる事でしょう。卑賎の身ではありますが、その手助けをしたまでです。死の間際に長く苦しむ必要はありません」
「……」
相変わらずベールの下の表情は見て取れないが、私には彼女が笑っているように見えた。
……死んだ者の魂は神によって受け入れられ、多くの幸福の中で神に仕えるようになる。
これは現世の市民に広く伝わっている光の神への信仰の根幹だ。光の神が死後の魂を導いてくれるから、死ぬこと自体は怖くないぞと言っているのであり、ある意味であそこの住民の生き死にの感覚を作り上げている思想と言える。
賢人の様にそれを拒否、もしくはそもそも信じていない連中も一定数居るが、文献を読む限りそれは魔法なんて物の研究をしている人間に多いように思う。
私もそんな内の一人であり、光の神はそんな大層な存在ではないと思っている口なのだが、それを信じているらしい彼女の言葉の後半は一理あるようにも思う。
死ぬ直前にどれだけ苦しむのか。そこに意味はない。死ぬまで苦しんだからと言って何か報酬があるわけではないのだ。
私の場合はむしろ死の際でできるだけ無意味に長く苦しんでいて欲しいと考えるが、その理由は彼女と全く同じだろう。同じ感覚を持っていて、正反対の行動に出ているだけで、考え方自体は非常に近い物を感じる。
私は数枚の紙をようやく読み終えると、頭の落とされた魚を見て僅かに目を細めたのだった。




