第189話 変人と強者
サカキの同行がベルトラルドの一存で決定し、私達はついに記録庫へ……とはいかなかった。
「あ、あー、こほん。んんっ」
何ともわざとらしい咳が聞こえ、ティファニーとベルトラルドが後ろを振り向く。もしくは向いてしまったと言った方が、私の心境をより正確に表現できるだろうか。
彼女たちの振り向いた視線の先というのは、元々私の視界に入っている場所だ。私はそこに不審な人物がいる事に、前々から気付いていたのであえて今確認する必要もない。
その女は、パーティ募集の待ち合わせのテーブルに一人で座ってはこちらをちらちらと横目で見ていた。知っている顔ではない。
しかし、見るからに関わるべきではないという事が理解できる容姿だ。
彼女は学院の中だというのに、私やコーディリアのドレス以上に豪奢な格好をしているのだ。
学生には不釣り合いな程に煌びやかなその衣装や装飾品は、どこかのご令嬢……いや、玉の輿に乗った派手好きの若奥様と言った風体に見える。
もちろん、当然彼女もまた生徒なのであろう。
生徒だからといって学院では制服を着るという義務は特にはないのだが、あそこまで分かりやすいとすぐに察せる。あれを普段着にしている人間というのが、どういう存在なのか。
彼女はまず間違いなくロザリーと同系統の人間である。
あの手の生徒が悪いというわけではないが、正直今はこれ以上面倒事を背負いたくない。彼女には申し訳ないが、人の来ないパーティ募集を永遠に待っていてもらうとしよう。
しかし、そんな私の思いとは裏腹な考えを持っている生徒が、この場に一人いた。
「あなた暇? 一緒に行こう」
隣に居るベルトラルドがなぜか、ここに来て異様と思える程の積極性を見せている。
彼女は奥様の座っている席に手を振ると、そのままこちらへと呼び寄せる。奥様はその言葉に顔をぱっと明るくし、咳払いと共にこちらへと足早に寄って来た。
どうもこの閑散とした準備室でそこそこの人数のパーティを組んでしまった私達を見てハラハラしていたらしい。確かにこの人気のなさは不気味な物があるし、それ以上にパーティの募集に致命的なまでの障害となっているのは間違いないからな。
……とても今から私が横で、「やっぱりなしで」と言っていい雰囲気には思えない。
つまり手遅れである。まぁ私に積極的に彼女らを排除する“根拠”がないのが一番の理由だが。
5人揃った面子を満足気に眺めるベルトラルドに近寄ると、私は彼女の耳元で小さく問い掛ける。どうも彼女の考えが分からない。相手の実力も分からないまま人数を増やして、一体どうするつもりなんだ?
「どうして人を集めているんですか? そこまで難しい課題ではありませんよ?」
「……嫌?」
「嫌というより……いえ、この奇妙な面子に不満はありますが」
私は彼女と一緒に、集まったメンバーを確認する。
まず、あまり一緒に居たくないと思ってしまう筆頭がティファニーだ。
さっき下着を見せたのでしばらくは大人しいとは思うが、それでもいつ爆発するか分からない。ベルトラルドが一緒に居る事を考えると、辛抱が長く続くとも思えなかった。
そしてリン・サカキと名乗った奇妙な女。
相も変わらずベールの下の彼女の視線が読み取れない。ここに居ながらどこか遠い場所を見ている様に思えてしまう。どうもどこかで会ったような既視感と相まって、あまり一緒に居たいと思わせる雰囲気ではない。
で、最後にもう一人よく分からないのが加わってしまった。正直な所、あまり居心地の良いものではない。素直にそう告げておく。
私の意見を一応耳に入れたベルトラルドだったが、彼女は私の前で平然と答えた。
「この学院、変な人の方が強いから」
「……は?」
私はその言葉を耳にして、思わず彼女の顔をまじまじと見詰める。
……本気か? 本気で言っているのか? まずその“変な人”の基準が良く分からないし、何よりそういう傾向があるというのも初めて知ったが、たったそれだけの理由でこの二人を入れたのか?
私の視線を受けても彼女の態度は揺るがない。まるでそこに大きな確信を持っているかのような振る舞いだ。
いや、彼女の場合はいつも通りだというだけなのだが、これだけ不信の目を向けられて動じないというのはそれはそれである意味特殊な事だと思う。
彼女は自信満々に胸を張ると、いくつかの名前を口にする。
「お姉ちゃんもサクラもレンカもオウカもコーディリアも、変だし強い」
「そんな事は……」
そんな事はないと反例を示そうとして、私はそれ以上の言葉が見つからずに押し黙る。
……微妙に反論しにくい面子だな。私と彼女の共通の知り合いをほとんどすべて挙げたような名前だ。
例外をいくらか思い付いても、どれも彼女との共通の知り合いとは言い難い。キンとは私も彼女も関りが薄いし、エイプリルとベルトラルドは面識がない。ついさっき声だけ聴いたガードナーに至っては、十分に変という範疇に含まれてしまう。
……これ、私に変な知り合いが多いからというわけではないよな?
まぁ、こうなってしまった以上仕方ないか。
ベルトラルドを説得するのを諦めた私は、初対面の挨拶を交わす二人を眺める。彼女の言う通りならば、この二人は相当な“実力者”という事になるだろうし、ほんのりと期待しておくとしよう。
偶然にも5人揃ってしまった私達は、軽く自己紹介を交わしながら記録庫へと赴く。尤も、私を含めて半分程度しか進まなかったのだが。
今回は調査課題なので、記録庫で開く魔法世界の調整もする事もない。さくさくと準備が進んでいく。廊下に人も居ないので準備室から記録庫までも、今まで経験したことがない程にスムーズだ。
一分と経たずに私の準備が終わる。道中で始めてしまった自己紹介を改めてやるというのもどこかおかしい。さっさと目的地に飛んでしまう事にしよう。そこでも多少は時間があるだろうしな。
私が魔法の書を操作すると、人気のない大変珍しい状態の記録庫は白く塗り潰され、瞬く間に私達は青空の下へと降り立った。
そこはいつもの様な深い森……ではなかった。だからといって迷宮というわけでもなく、屋外である事には間違いないのだが、私は今までこんな光景を目にしたことはない。
ランダム生成である魔法世界では、時折奇妙な光景が形作られる事がある。例えば結晶の樹海だとか、硝子の洞穴だとか。そういう綺麗な場所はどういう訳か魔物が強い傾向があり、実入りの多い探索となる事が多い。写真を撮るにも冒険するにも悪くない場所になっている。
しかし、今回の魔法世界はそんな中でも飛び抜けて奇妙だ。
目の前に堂々と一直線に天へと向かって伸びているのは、緑色の茎。それは植物なのは間違いないが、高さに比べてあまりに細い上に青々としている。
木というよりは草と呼んだ方が適切に見えるし、何より私はこの植物の名前を知っていた。
「彼岸花の、森……?」
その植物の上で咲いている赤い花には、どうにも見覚えがある。
あれは彼岸花だ。私達の体に比べて圧倒的に大きな彼岸花が、頭上でいくつも咲いている。葉も枝も節もない茎から、赤い花が溢れ出す様に咲いているあの花を見間違えるはずもない。
そんな巨大植物が所狭しと、まるで深い森の様に生い茂っている。青空は緑と赤に遮られ、奇妙な影を地面に落とす。
はっきり言って幻想的過ぎて目を疑うような光景だ。
それに、奇妙なのは花ばかりではない。
青空と奇妙で美しいコントラストを見せる赤い花から、蜘蛛の糸のように透明な細い糸が降り、その先に球形の水がぶら下がっている。
そこになんと魚が泳いでいるのである。金魚の様に色取り取りの魚は、何を食べているのかも分からないが、元気そうに小さな水玉の中を泳いでいる。
木漏れ日と呼ぶには太い光が、水球を通り抜けては私達の影を歪ませる。地面に落ちた光の水面に、何匹もの影の魚が泳いでいた。
上を見ても下を見ても意味が分からない。何なんだここは。
隣に居るベルトラルドも、その光景に目を奪われて動きを止めていた。
「……金魚玉」
「金魚玉?」
「ガラスの玉を軒先に吊るして、そこに金魚を入れるやつ」
私が耳慣れぬ単語を聞き返せば、彼女はこちらを振り返って親切に教えてくれた。
どうも世の中には風鈴の様に吊るして使う金魚鉢があるらしい。それがこの目の前の水球に似ているのだとか。
金魚からしたら迷惑な話に思えるだろうけれど、この光景を見れば確かにそれは美しいのだろうなと感じてしまう。いや、金魚も空を飛べて嬉しいのではないだろうか。この奇妙で美しい光景は、そんなバカげた感想さえ私に抱かせる。
尤も、目の前にそれ以上の物があるので、実物を求めたりはしないのだが。
「それでは、先に進みましょう」
ここに来た理由も忘れてその光景を見入っていた(ティファニーでさえ息を飲んでいた)私達は、そんな言葉を聞いて一斉に我に返る。リン・サカキはこんな状況でも大した感動もせずに、奥へと進む準備をしていたらしい。
……そう言えば私達、ここには調査に来たのだったな。しかもこの自然が調査対象なのではなく、ここに住む、もしくは痕跡を残す神様が調べるべきものだ。
それにこの光景を名残惜しむ必要はない。むしろこの先嫌という程見る事になるだろう。道らしい道もないここでは、しばらくこの彼岸花の森を彷徨わなければならないのだから。




