第16話 計略
新たな発見から一夜明けた今日。昨日の内に考察、検証、そして準備は整えた。
今回の新しい実験も今のところは順調に進んでいると言っていいだろう。
私は適当にその辺で買った懐中時計の秒針を追い、空いた片手で小さなビンを弄ぶ。
場所はついこの前私が倒れた草原。私の前には、大きな黄色の巨体が地に伏していた。この光景をこの前と同じと思うか、それともこの前とは逆だと思うかは……人それぞれなのかもしれないな。
もちろん倒れている巨体の正体は、ライバである。
計算通りならばあと少し……10秒前。
時計を視界に入れつつも、私はライバのすぐ隣まで歩き出す。体が麻痺し、一歩も動けない彼の瞳は憤怒に燃えている。私を射殺さんとばかりに睨み付けている。
残り5秒。今にも動き出して私の頭蓋を踏み砕こうかという彼の怒りが、肌をそっと撫でる。
カウントダウンが進む。残り3秒。
しかしその視線の主は、手も足も出ない状況で自らの運命を呪うしかできないのだ。
私に恨みをぶつけることなどできはしない。どれほど強く憎しみ、恨もうとも全く“足りない”。
残り1秒。
その瞬間、カチカチと正確に時を刻む秒針の音がピタリと止まったような錯覚を覚える。まるで数十秒以上の長い時が過ぎ去ってしまったかのような、そんな感覚。
しかし時は無常に過ぎ去り、ついに私に“その時”を知らせた。
0。
そのカウントが過ぎると、途端に魔物の目から力が抜ける。そしてサラサラと黒い煙になって地面へと解けていった。
「……計算通り、ですね」
それを見送りながら、手にしていたビンを腰のホルダーへと戻す。
多少の達成感と深い興奮が胸を騒がせ、思わず顔が緩む。ああ、戦うって悪くない感覚なんだなと、私はこの時初めて理解できたのかもしれない。
計算通りに魔物を討伐した私は、次の標的を求めて草原を進み始めた。
昨日の実験の後に戦闘ログを漁った私は、とある発見をした。
それは状態異常、特に弱すぎて話にならないとされていた毒に関するとても重要な仕様だ。それこそ、こうして時間さえかければ格上だろうと一方的に毒殺できるほどに強力な。
草原をしばらく歩いていると、次の実験体が姿を見せる。
想定通りライバが一体。あれから多少レベルが上がったとはいえまだまだ強敵判定のオーラだが、私にはもはやケージで飼われていたネズミが運ばれてきたとしか思えない。
私は接敵前に、事前に決めた手順をなぞる様に魔法を発動する。さっきは若干余裕を持った計算をして十分に機能したので、最速のスキル回しの手順でも余裕かもしれない。
チラリと今の秒針の位置だけ確認すると、時計を懐に仕舞い込む。
詠唱だけ済ませて発動待機状態にしていた魔法は、迫り来る馬を瞬く間に眠りへと誘った。
急にトボトボと歩き始めた馬は、直立したまま夢の世界へと落ちて行く。
次に使うのは毒の魔法だ。
それも極限まで影響力を高めた改造魔法。その影響力は150とかなり高いが、無耐性であるライバには100だろうと150だろうと一度使う分には意味はない。
ライバの頭上に魔法陣が展開されると、その中央から拳大の、標的から見れば小さな雫がぽたりと落ちる。効果範囲も詠唱時間も初期スキルの劣化版だと言えるだろう。
もちろん、毒耐性無しの魔物に対しては無意味な影響力特化にしたのにはそれなりに意味がある。
私は続けて腰のホルダーに付けた無数のビンから一本取り出すと、次の魔法を詠唱しつつそれを致命的な程の寝坊助に投げつける。
そしてその薄いガラスは、甲高い音を草原に響かせた。それなりの速度で飛んで行ったビンは馬に当たって割れてしまうが、それでも馬が起きる事はない。
つまり、これは攻撃判定ではないのだ。
このビンの中身は毒液。学院の購買で売っていて、簡単に手に入る代物だ。おそらくだが、毒の仕様の検証にはこれを使っていたのだろう。
効果は、当たった対象に影響力50で毒状態を付与するという単純な物。毒耐性無しでも最低2本必要になるそれは、基本的にはゴミアイテムでしかない。私だってこんな使い方をしようと思わなければ、ゴミ同然だと判断しただろう。
しかし、実際にはこうして真面目に使っているのだが。
これでライバに蓄積した毒の影響力は200。100で毒状態。そこから累積耐性で半減するので影響力が50残っていることになる。
ここからは時間との戦いだ。私は急いで別の魔法を発動する。強く魔法陣が輝くと、見覚えのある赤い結晶がライバの右正面に設置された。
これは麻痺の時限式魔法。
最初の試運転では混乱効果を乗せていたが、それの改良版だ。麻痺の状態異常を発生させる単純な効果だが、発動までの時間を調整している。具体的には昏睡の効果時間より少し短く。
私は2本目の毒液を投げつけながら、もう一度毒の魔法を使う。
これで毒の影響力は合計400。私は毒の影響力が100をとっくに超えているのも構わず毒瓶を投げ、そして昏睡の効果時間が許す限り時限式魔法と毒の魔法を連続で使っていく。
相変わらず状態異常系は回転が早くて助かる。最初からこういう使用用途が想定されていたとしか思えないな。
昏睡が解けかければ、予め配置しておいた麻痺の時限魔法が発動してライバを足止めする。
ようやく目が覚めそうだったと言うのに膝から崩れていく姿は何とも……滑稽だ。
私が実行しているのは所謂“ハメ”と言われる戦法。
昏睡と麻痺で足止めをし、一方的に攻撃してしまうという単純極まりない物だ。
しかしハメとは言え、私には敵の体力を全損させるための火力がない。パーティは未だに制限がかかっているし、そもそも直接的な攻撃魔法では昏睡状態を解除してしまう。
このままではいずれ累積耐性で麻痺と昏睡が入らなくなり、結局は負けてしまうだろう。
火力が無ければ。
時間をカウントしながら3本目の毒瓶と一緒に魔法を使う。
今度は恐怖や混乱といった、今回の作戦ではあまり必要ない状態異常。その攻撃魔法だ。今回は火力重視に調整しているので、状態異常を引き起こす本来の能力はほぼ失われている。影響力10倍の弱点でもあれば別だろうか。
逆にこの用途で使えないのは昏睡と麻痺、そして毒の3種類。
そろそろ麻痺の影響から抜け出す頃合いか。私は自分のカウントを信じて、最後の毒の魔法の詠唱を始める。
それは今まで使っていた雫の魔法ではない。魔法の発動と同時に突如として毒沼が出現し、麻痺の抜け切らないライバは泥濘に足を取られて沈んでいく。
これは前回から更に改良した毒の攻撃魔法。
毒沼で動きの鈍った獲物を捕らえて始末するというとても素晴らしい魔法だ。尤も威力自体はそう高くはないし、毒の影響力もそれほど高いとは言えない。今までの魔法からするとどっちつかずの効果と言える。
そして当然攻撃魔法なので昏睡状態で当てると、こんな見た目だが覚醒してしまう。そのため麻痺の、それも効果が抜けた直後の体が少しずつ動く時間に使って動きを止めつつ攻撃するのを最初から想定しているのだ。
魔法の改造は、やはり使用目的を決めてから行った方が楽だし使えるな。実験は必要だし、それ以前に実戦も必要だったわけだ。
そしてこれで一番大事な部分は整ったと言ってもいい。
それは毒の影響力。丁度今の攻撃で700を超える計算なのだ。一度目の毒は100、二度目の毒は200、三度目の毒は400の影響力が必要なので、これで効果時間内に3回毒状態になったことになる。
ここから先はとにかくこいつを動かさずに攻撃を続ければいい。
実験台が毒沼と麻痺からようやく解放される、その3秒前。尤も向こうは効果時間なんて知りもしないだろうからこの時間自体に大した意味はない。
黒い霧が同時に2カ所から噴き出す。私の設置した時限魔法の一つだ。計算通りに発動してくれている。
発生個所は、ライバを挟んだ対角線にある黒い結晶。どちらも似たような見た目だが、実際には効果が違う。
これらは恐怖と暗闇を付与する霧なのだ。
ライバは恐怖と暗闇は同時に付与するとかなり大人しくなる魔物だ。一気に視界が塞がって暴れ出すといった事は無く、見えない何かを警戒するように角を構えている。
恐怖状態といってもそこまで激しい物ではなくて、警戒心を抱かせる程度の軽い物なのだろう。元々勇敢な性格をしているのも原因の一つだろうか。
本当に怖がった馬なんて走るわ暴れるわで手が付けられないだろうから、この辺はありがたい仕様か。
暗闇状態で距離を取っているのでこちらはあまり見えていないはずだが、一応用心のために位置のバレそうな魔法の発動は控えておく。その代わりに、詠唱だけは済ませて発動待機状態で待っているわけだが。
霧が晴れた後も何かを探すように周囲を見回すライバ。
私は頭の中のカウントが正しいか確かめるために、懐中時計へと視線を落とす。そして、その直後の秒針の音に合わせて魔法を発動した。
突如として響く爆音。暗闇の中で怯えていたライバはその爆発の中に消えて行く。
これは昏睡の魔法だ。時限式と私の直接詠唱した魔法、両方が昏睡効果を伴っている。もちろん影響力の合計は高く、200ピッタリとなっている。もちろん累積耐性2倍を通すために。
爆発で巻き上がった煙の中。地面に伏すそれを見て、私は口元を歪めた。
累積耐性は単純な計算だ。
一度昏睡になった後は、昏睡の影響力を半減して計算する。一度の戦闘中に何度も昏睡を狙うと、その個体は昏睡しづらくなっていくという訳だ。
しかし、逆に言えば、2倍の影響力を与えれば再び寝るのだ。もちろん麻痺もそうだし毒も同じ。
更に、別に効果時間が短くなったりはしない。この仕様は致命的と言えよう。
昏睡の時間と麻痺の時間、それぞれを2回ずつかければかなりの時間になる。今回はそれでも足りずに恐怖と昏睡を使う羽目になったが、この時間を有意義に活用しない手はない。
私は可愛らしい馬の寝顔を眺めながら、最後の麻痺の時限式魔法を展開した。




