第181話 発見
遺跡の最奥から帰って来た私は、一度休憩を取ってから自分の実験室へとやって来ていた。本来は毒性学のための部屋なのだが、私の自室は大型の設備を置くのには適さないので仕方ない。
部屋の奥では試行錯誤用のエル式をコーディリアが弄っており、使った毒液の変換効率をメモしている。そんな隣で私はと言えば、とある人物の実験記録を読んでいる最中だった。
部屋にはもう一人、この実験結果を持って来てくれた生徒が椅子に座っている。私が呼び出した客人だ。
彼女は私が撮影してきた遺跡の最奥の写真を見て、眉をひそめている所だった。
「ふーむ、ぜーんぜん分からん。そもそもこれは本当に魔法言語なのか?」
「一部召喚陣に使われている文字が見えるので、そこは間違いないと思いますよ」
レンカは真剣な表情で数枚の写真を睨んでいたが、ついに解読を諦めて机に放り捨てた。
私がこちらへ戻って来た時、あの部屋で私達と別れてしまったレンカ達は一足先に学院へと戻って来ていた。
あの契約を交わした後は特に戦闘などはなかったようではあるが、最奥に入っていないという判定になっている事に気付いて愕然としていたと言う。
別れてから大した時間は経っていないが、お互いに詳しく連絡を取り合ってはない。
お互いにお互いの情報が気になった私達は、こうして人目を避けて集まっているのだった。
私は机の上を滑っていく写真の一枚を指先で止め、その内容にもう一度目を通す。
そこに写されているのは例の遺跡の壁だ。それも本当の最奥の部屋の壁。もちろん写真に収めて来たという事はただの壁ではない。そこにはびっしりと文字が刻まれている。
床が崩れた事で下の階に入る事が出来た私達だったが、その先の部屋にあったのはこの壁の文字だけであった。
余談だが本当に壁に文字が書かれているだけのただの広い空間であり、地上への帰り道すらないので脱出には少々手間取ってしまった。(ちなみに三人で肩車をして何とか上の階の賢人の間へと戻る事が出来た)
一応撮影はしてきたものの、その場にいた全員が正直肩透かしをくらった気分で居たのだが、何とこの文字の大半が、現世に於いて完全に“未知の文字”である。
当然私が普段慣れ親しんでいる魔法言語ではないし、マイナーな種類の古代言語でもない。最初は私の知らない古代文字なのかとも思っていたのだが、ロザリーに写真を見せた所、彼女も全く読むことが出来なかったのだ。
しかし、コーディリアが文字の一部に召喚陣に使われている文字が含まれている事に気付き、『もしやこれは“未見の魔法言語”なのでは?』と疑惑が浮上しているのである。
実は召喚陣専用の文字というのは結構あるが、どれも未だに解読できていない分野だ。召喚系の学科が魔法陣の知識をあまり重要視していない事もあるが、私が読んでももちろん分からない程度には謎だらけの部分である。
召喚陣の謎の単語について分かっているのは、召喚体の育成中に一定の確率で自動的に魔法陣に紛れ込む、というだけだ。その単語の部分が何を意味しているのかも分からない。
ただし、その文字が魔法言語の一種であることは間違いないのだ。魔法陣として機能するからという、ある種逆説的な話にはなってしまうが。
そんな文字が自然と紛れているこの壁の文字列は、高い確率で魔法言語だろうと私は睨んでいる。
流石に親切な辞書という事ではないとは思うが、おそらくは何かの文章になっているのだろう。魔法言語を魔法以外の目的で使うというのが、あまり理にかなった方法ではない気がするが、魔法的な意味ではないと思う。ただの日記か、恐ろしい予言か、それとも……。
……もしかすると研究会に属するレンカならば、何か知っていないかと思って見せたのだが、当てが外れたな。
何も知らないと事も無げに言ってのけたレンカは、机に広げられた写真を見下して頬杖をつく。
「誰も知らぬ魔法文字、のぅ……それは古代魔法文字という事ではないのか? 古代には使われていたが現代までに失われた知識という事じゃろ? 昔はこれが普通だったのではないか?」
「……違うのではないでしょうか。魔法陣は比較的記録として残りやすいですし、これだけの知識が完全に失われてしまう、というのは考えにくいと思います。極めて局所的な知識だったと考えた方が自然ではありませんか?」
「じゃが、あの施設に残されていたという事は“ウィズダム”の知識の可能性が高いのではないか? それはつまり歴史に何度も“教師として”も名を遺すようなあいつが使っていたという事に……」
コーディリアとレンカがそんな事を話し合う。
確かにコーディリアの言う事は尤もだ。
これだけの知識が忽然と消えてしまったと言うのは考えにくい。何せウィズダムが考えたとされている魔法陣など、現世にいくらでも記録が残っているのだ。これらの文字が自然と忘れられていったと言うのは考えにくい。
それほどまでに過去の賢人の魔法陣というのは、しっかりと残っているのだ。もちろん伝聞していく内に変化する事はあるが、それでもこんな量の文字が“取り残される”理由にはならないだろう。
そしてまた、レンカの言う事もその通りである。
あの施設はウィズダムが作った物だという事は本人(と言っていいのか分からないが)から聞かされた。それを信じるのならばあそこの更に下層部分にあったこれも、ウィズダムの知識である可能性は高いだろう。
そのウィズダムを最も賢しき者と呼び、何より自分達以上に厳重に守っていた知識が赤の他人から持ち込まれた物というのは、こじつけるのに結構な理由が必要そうだ。
……まぁこれらが何の意味を持った、どういった由来の言語なのかは私達が考えても仕方のない事だ。精々色々と検証するくらいしか手段がない以上、ここで歴史について言い合っていても意味がないのである。
重要なのは、この文字を使った時にどんな魔法が作れるようになるのかという事だ。
私は机の上の写真を回収し、魔法の書へと仕舞い込む。
「まぁ、これは先生方に証拠としてコピーを提出したから、そっちが色々と調べてくれるでしょう。私もこの文字についても“これ”で検証はしますから、何か分かったら伝えますよ」
「……それ、普通に羨ましい。ちょっと貸してくれんか? 使ってない時だけで良いのじゃが……」
「残念ですが、又貸しは許可されていないので」
写真をまとめ終えた私は、レンカに実験結果のレポートを返し、手元にある大型の板に視線を向ける。
これの設置場所がこの研究室になってしまったのは誤算だったが、まぁコーディリアと私、そして教師以外は招待客しか入れないので心配するようなことはない。むしろ部屋が広くて物が置きやすい……こうやって荷物で部屋を散らかしていくんだよな。
厚さは20㎝、長い辺は1mを優に超えるこの板は、魔法陣のシミュレーターである。
この設備の上で描いた魔法陣の効率や効果が自動で計算されると言う優れ物だ。合宿の授業の約束をした後に一時的に私に貸し出されていた物だが、期間が終了すると自動で返還されてしまっていた。ずっと借りておくつもりだったのは秘密である。
それがもう一度、こうして私の手元に返ってきている。
言うまでもなく、これは賢人の問いの最奥へと入ったご褒美だ。学院長には大変嫌な顔をされたが、貸与という形で何とかもぎ取って来た。ごねてみるものだ。
ちなみにアリスは禁書庫へ入る権利を貰ったらしい。私が消えて行く謎の部屋という認識だったようだが、こちらはすんなりと許可された。私も本来は上級生になってから許可されるはずだったのだろう。
最後の一人のコーディリアは、何かよく分からない難しい交渉をしていた。学院長もその権限の内容を把握するのを大変面倒そうにしていたので、私は先に帰って来た。詳細は今でも聞いていない。必要になった時には教えてくれるだろう。
賢人の問いは事前に想定していた以上に大変で、時間のかかる課題であったが、シミュレーターが手に入ったのならば十分にお釣りが出来る手間だったな。
これが無いと自分が使えない魔法陣の性能を確かめる事が出来ないし、自分が使える魔法も態々試射場に行って記録を取り、自分の能力値から逆算で魔法の性能を出さなければならない。細かな効率化が趣味の私にとって、この作業は面倒な事この上ない。
ついでに言えば、邪法の研究も未知の魔法言語の解析も捗る。
これはシミュレーターの名の通り、描いた魔法陣を仮想的に発動してくれる仕組みなので、動力源の魔力缶さえあれば“どんな魔法”も一発で検証可能だ。未知の言語が含まれていても関係がない。
唯一、規模が大きくなりすぎると動力が足りない場合はあるが、そんな物どうせ人間には扱えないので関係ない。他にも私も知らない欠点はあるだろうけれど、極めて極端な話になるだろう。
面倒な手間をすべて机上で終わらせてくれるこの機材は、魔法の開発をしたいと考える生徒にとっては垂涎の的である。
もちろん今目の前にいる彼女にとっても。
「あー、私もそっちにすれば良かった……」
「でも、契約をしたからこそこれが欲しいのですよね? 誘いを断って最奥に入っていたら本末転倒なのではありませんか?」
「……どっちも欲しい。でも確かに」
レンカはコーディリアの指摘によってシミュレーターへの未練を断ち切ると、私が返したレポートを手に取る。
その二枚の紙に記されているのは“二次専攻学科”を取った現在のレンカとディーンの魔法効率の測定結果だ。
二次専攻学科とは、例の契約で増えた二種類目の魔法の事。副専攻は既に学院の公式的な規定にあるので、便宜上二つ目の主専攻という意味でこう呼ぶことに(私達の間では)決まった。単にサブクラスと呼ぶことの方が多そうだが。
ちなみに、やっぱり基本的な魔法は授業を受けないと使用できないらしい。特例的に学院から二つ目の授業を受ける許可を得た二人だが、ディーンも今は授業中だ。
その測定結果には賢人の玉の契約により、複数の魔法を扱えるようになったレンカ達の能力の変化について分かりやすく書かれている。
それ以前の数値との比較がされており、普段から記録を取っている魔法研究会だからこそのデータだろう。私はともかく、ロザリーやティファニーではこうはいかない。
それによると、元々専攻していた火炎術や風雷術の効率はさほど変わっていない。僅かに詠唱時間が長くなった程度であり、他の魔法を使えるという事から考えればあまりに些末な欠点である。
これが属性使い特有の変化なのかはデータが足りず、判断のしようがない。
対して、新たに手に入った魔力で使う魔法は、本家の魔法に比べて大幅に劣っていた。
例えばレンカは、賢人から神聖術の魔力を選択して受け取ったらしいが、消費魔力も威力も本物の神聖術師に比べて6、7割程度の性能に留まっている。普通より消費が重い上に威力も低い。魔力効率を見れば半減以下であり、正面から神聖術を使い合った場合確実に負けると言ってもいい程度の性能差だ。
元々神聖術自体中級以降は器用貧乏な面が目立つこともあり、正直、これが実戦的かと聞かれると首を傾げざるを得ない数値になっている。
では二つ目の専攻に何の意味もないのかというと、そうではない。少なくとも本人達はそう信じている。
レンカの例で言えば、火炎術に加えて神聖術を使えるようになったという事は、神聖術の魔法陣を扱えるという事だ。
何を当たり前な事をと思うかもしれないが、火炎術を使えるまま神聖術の魔法陣も使えるということはつまり、“火炎術に神聖術の要素を組み込めるようになった”……ということではないかと、二人は考えているのだ。
私もこれはあり得る話だと思う。
私が使う邪法も、光の魔法の知識を多く流用しているわけだし、混ぜて使ってもあまり問題はないと考える方が自然だ。
神聖術でも火炎術でもない、まったく新しい“複合魔法”とでも言うべき魔法。本来火炎術師にも神聖術師にも実現不可能なはずのそれが、今の彼女達にならば作り出せるのではないだろうか。
今、魔法研究会は総力を挙げてその複合魔法の開発に取り組んでいる所だという。
しかし、使用者が二人しかいない、しかも完全に新たな分野の魔法を作るという事は生半可な手間ではない。自分では使えない魔法も動かしてくれる、このシミュレーターは喉から手が出る程欲しいだろう。今断わった通り、私は契約上これを貸すわけにはいかないのだが。
レポートを睨んでは複合魔法以外の使い道がないかと頭を悩ませるレンカを見て、私はふっとほほ笑む。
「複合魔法、完成したら見せて下さいね。応援してます」
「おーえん? 何と言うか、断られてすぐに言われると白々しいんじゃが……」
「本気ですよ。新たな知識が増えるのは望ましい事ですから」
「どうだか……っと、そう言えばもう一つ伝えておく事があるんじゃった」
彼女は一拍置いてから背もたれに体を預けると、こんな事を告げる。
「私達以外にも、賢人の部屋までたどり着いた生徒がいるようじゃ。まだ期間中ということもあって情報の詳細は出ておらんが、契約やら文字やらの情報は秘匿できないと思っておいた方がいいと思うぞ」




