第179話 双子
分類的に召喚系の魔法である蠱術の陣は、元々かなり複雑だ。
呼び出す、もしくは作り出す召喚体の詳細な情報が書き込まれているので、ただ単純にこれから起きる事が書かれている他の魔法に比べて圧倒的に情報量が多い。
また、魔法陣の改造には対応していないが、召喚体の育成によって結果的に魔法陣が書き換わるという不思議な性質も持っている。育てる度に陣が複雑になっていくなど、彼女らにとっては日常茶飯事だ。
今回の魔法陣は、そんな召喚陣の中でも大変複雑な物だった。
何せ二体分もの情報が一つの陣に詰め込まれているのだから、通常の陣とは比べ物にならないのはある意味当然の事だと言えるかもしれない。
古代魔法に分類されるこの魔法は、その分詠唱も当然のように長い。コーディリアには詠唱短縮の装備効果が付いているはずだが、それでも短縮していないアリスに速度で劣っている程。
それがようやく組み上がり、地面に垂直に置かれた召喚陣の前後から二匹の虫が姿を現す。
そのどちらも、長い体をふらふらと揺らしながら宙を舞っている。しかし、コーディリアに双子と呼ばれるその二匹は、とても似ても似つかない存在だった。
その片方はトンボ。
ただし、黒く輝く翅をひらひらと動かし、上下にふらつきながら風に乗る様に飛んでいる。同じくトンボであるはずの颯とはまったく違う飛び方だ。翅が黒いので、むしろ蝶である桜月の方に見間違えるかもしれない。
もう片方は蝶。
こちらは黒い翅には青い模様が入っているが、片割れとは逆に激しく翅を動かして真っ直ぐに飛んでいる。後ろの翅が体の3倍はあるため、一見するとトンボの尾を思わせるシルエットだ。翅の一部が透明なのもあって、速度を付けて飛んでいると、まるで蝶には見えない。
全く似ていないその双子は、お互いにお互いの仲間の真似をするように飛んでいた。
彼らは私が発見した古代蠱術の魔法陣を元にして作られた、コーディリアの愛し子にして新戦力だ。何度か実験や訓練に付き合わされてきた私は、彼らの実力を知っている。
召喚までは長いが一度呼び出してしまえば、かなり強力な存在としてその力を見せつけるだろう。
彼らの名は、冷泉と彩水という。
蝶の様なトンボの方が冷泉で、トンボの様な蝶の方が彩水。
彼らはお互いに戯れる様にしてくるくると飛び回ると、召喚主であるコーディリアの方へと近付いて行く。遊んでいるようだ、というか、命令前なので遊んでいるのだろう。
召喚体にも個性や性格があるため、中にはこうして呑気な連中も含まれる。
「お願いね、二人共」
それを怒らず、微笑みすら浮かべて見ていた彼女が、アリスによって弾き飛ばされた人造体を指してそう告げた。
次の瞬間、部屋の気温が一気に下がり、私は思わず体を強張らせる。
二人はコーディリアの命令を受けても相変わらず遊んでいるだけに見えるが、そんな彼らを中心にして冷気が部屋中へと広まったのだ。
彼らの動きに合わせて水飛沫が舞い、それが次々と凍り付いて行く。まるで宙に氷の花が咲いたようなその光景は、あまりに現実味が無く、そして美しい。
しかし、私はそれがただ単純に美しいだけの物ではない事を知っている。ましてや儚いなどという印象は、まるで浮かばない。
それまで無秩序だった二人の羽ばたきが重なる。
そして、美しかったはずの氷の花は、ついに主の敵に牙を剥いた。
無数の氷が目にも留まらぬ速度で飛んで行く。鎧の戦士は対応しようと僅かに体を動かしたが、その内の一つすら防ぐことはできなかった。
予備動作は緩慢としているが、一度動き出してしまえば透明なその刃を見切れる者はいないだろう。これはそういった類の攻撃だ。
一直線に鎧の戦士に殺到した氷の刃は、金属製と思しきその鎧を易々と切り裂く。中には体と鎧を貫通し、壁に激突した物まである。
それを見て、室温以上に背筋が寒くなる。自分があれの標的になったらと思うとぞっとするな。溜めが長いだけあって威力も相当だ。
しかもこれはただ単純に威力が高いだけの攻撃ではない。もっと恐ろしい、処刑の始まりなのである。
氷の花に斬り裂かれた部分が、パキパキと音を立てて凍り付き始める。鎧の戦士は攻撃を受けた体勢を立て直そうとしていたが、それも叶わず氷像へと姿を変えた。
双子たちはそれを見て嬉しそうに宙を舞うと、ふわふわと飛び回りながら氷像に更に氷の花をぶつけ始める。
二体分の波状攻撃は十全な状態であっても捌くのは難しいだろう。ましてや指の一つも動かせない氷の像では、防ぐ事すらも敵わない。
私がのんびりとその一方的な攻撃を見学している内にも、アリスは追撃を加えていた。実はもう放っておいても勝手に死ぬと言う状況なのだが、真面目な事だな……。
……ちなみに私は攻撃手段が限られるので、こういう一方的な展開になる程暇になる。これは呪術師に宿命付けられた性質だ。別にサボっているわけではない。
アリスの魔法で生み出された、玩具の様な兵士が槍で氷像をつついては消えて行く。
今回の兵士は黒色だ。彼女は魔法までモノクロらしい。
それからはかなり一方的な展開が続いた。もう私が手を出すまでもなく、コーディリアの双子や金剛、アリスの魔鏡術が人造体を押し込めている。私は恐怖やら呪いやらを人造体に掛けつつ、補助として差し込まれる賢人の魔法をキャンセルするだけでいい。
そしてついに、人造体のオーラが元の大きさの半分を切った。
「……もはや悠長な事をしている状況ではなさそうだな」
「おや、本気を出すのが少し遅いのではありませんか?」
ずっと黙り込んでいた賢人共がそんな事を言い始めたのを耳にして、私は僅かに視線をそちらに向ける。
人造体には既に毒が深度3で入っているし、その上で幾度となく攻撃を加えた。
まだ半分体力が残っているとはいえ、後はもう放っておけば死ぬ状態になってしまっているのだ。本気を出すにしても、あまりに手遅れなような気がする。
こんな状況で、ここから一体何をするつもりなのだろうか。
私はそう嘲るが、賢人達は気にした様子も読み取れない。表情も何もないので、言葉を話してくれないとよく分からないな。
しかしその代わりに、彼らは一つ魔法で返事をくれた。
部屋の中央に展開されたその魔法陣を見て、私は反射的にキャンセル用の魔法陣を重ねる。
しかし、余程力を入れて描き上げたのか、私程度の魔力では押し負けてしまった。陣に込められた魔力量が桁違いで、こちらだけがキャンセルしてしまったのだ。
自分の魔法陣が何の意味もなく消えて行くのを見て、私はようやくその魔法陣の内容を読む。
「……自爆?」
部屋の中央に置かれた大きな魔法陣は、炎属性の攻撃魔法を意味している。その詳しい効果は単純な爆発だ。
部屋の中央とはつまり、賢人の玉が置かれている場所である。
そこを中心として、強力な爆発魔法が組まれている。まだまだ描き上がっていないので発動までは多少の猶予がありそうだが、何もあんな場所に置かなくとも良い気がする。
ただ、自爆と言っても詠唱魔法に自傷効果はない。
つまり範囲魔法に自分を巻き込んでも、ダメージ計算上は全く問題はないのである。私も昏睡の範囲魔法は自分を巻き込む位置でよく使うし、さっきも魅了を自分の立ち位置を起点にして使った。
ちなみにこれが詠唱魔法ではなく武器や道具になると自傷効果があるので、注意が必要である。
……と、そういう意味では問題はないのだが、それでもあんな場所に置かなくてもいいような気がする。怪我はしないとはいえ爆発ともなれば一応衝撃はあるので、攻撃魔法では余程のピンチでもない限り使われない手法なのだ。
あの器の玉さえ壊れなければ、痛くも痒くもないのだろうか。
私は死に体で未だ動き続ける人造体に昏睡を入れ、徐々に描き上がる魔法陣を読み進めて行く。
規模は……そう大きくはないとは言え、この部屋の中では逃げ場はなさそうか。威力もかなり高そう。まぁ連中の魔法攻撃力が良く分からないのでこちらは正確に判断する事は出来ないが、魔力効率よりも瞬間的な火力に特化した様な内容に見えるな……。
「危ないっ!」
私がじっと魔法陣を眺めていると、そんな声が部屋に響く。
コーディリアが誰かに向かってそんな言葉を叫んだのだ。私は反射的に振り返り、そこで信じられない物を見た。
私が背にしていた壁の一面。そこにあったのは一つの魔法陣。
光の攻撃魔法。外円はないが単語は神聖術に近く、内容はそう変な物ではない。
しかし、今そこにあるという事が問題なのだ。
もちろんこの魔法の使用者は、アリスでもコーディリアでもない。この場に居ないレンカやディーンの魔法でもないだろう。そして、人造体は未だ望まぬ眠りの中だ。
消去法で導かれるこの魔法の使用者は、ただ一人。賢人しか残されていない。
しかし彼らは今まで私が見ていた、爆破用の魔法陣を描いている途中のはず。
つまり、彼らは同じ魔力源でありながら同時に複数の魔法を使っているという事になる。
私が今目にしているのは、長い間追い求めて来た“同時詠唱”それその物ではないだろうか。
まるでスローモーションにでもなったかのような時間の中で、私は驚愕に目を見開く。
“これは本当に発動するのだろうか。”そんな疑問が頭の中を埋め尽くし、体は一歩も動かない。
その魔法陣から眩い光が放たれるまでの時間は、私にとっては永遠の様にも一瞬の様にも感じられた。




