第176話 利のない契約
奥の部屋へと足を踏み入れると、ふと近くから気配が消える。足音とか呼吸の音とか、とにかくそういう人の気配だ。少し気温が下がったようにも感じる。
それを気にして左右に視界を振れば、さっきまで隣に立っていたはずのコーディリアの姿がない。レンカやアリスも同様だ。
どうやらこの部屋には一人ずつしか入れない設定になっているらしい。
……この現象、この世界では結構起きる。記憶に新しいのは降霊の間だ。疫病の蛇、つまり闇の神と語り合ったあの場所である。
あそこも確かロザリーと同時に踏み入って、私一人で言葉を交わした。あれに近い状況だと言う事だろうか。
つまり、パーティではなく“個人”に用件があるのだ。他の面子がどういった答えを出すのか、すべてが終わるまでそれを知る事は出来ない。
「試練を乗り越えたお前は、我が叡智を授けるに値する」
「そうですか」
私は幾度目かの語り掛けに答えると、正面にある透明な球体を見上げる。
内部には赤い光が漂っているだけであり、綺麗とも不気味ともつかない雰囲気だ。これが赤ではなく青だったなら綺麗だっただろうに、これ以外の光源がないこの部屋では部屋中が赤く染まってしまう。
部屋の雰囲気も相まって、怪しいというのが最も適切な表現だろう。
……それにしても似ている。いや、似ているか似ていないかで言えば似ていないし、こうしてここにポンと置いているのだから完全に用途は別なはず。ただ、何となく思い出してしまっただけだ。
私は理由もなく思い出してしまった、ある兵器の事を頭から追い出すと“彼ら”に根本的な疑問を投げかける。
「それで、あなたは一体誰なんですか?」
「名乗るべき我が名は多い。しかし、我らの中で最も賢しき者の名を借りる。我らはウィズダム」
私は頭に直接響くようなその声に顔を顰め、そして賢人の名を口にする人魂を睨む。
名を借りると言うのは、ディーン曰く関係者以外にしてはならない事だったはずだ。
近代の論理的、そして科学的なアプローチによる魔法の解明が行われて以来、その意味も理由も薄れてしまって来ているが、彼らにとっては違うだろう。この遺跡の何かという事は、まず間違いなくもっと古い時代の物であるからだ。
つまりこれは、ウィズダムに何らかの関係がある事は間違いない。
しかし同時に、言葉通りに理解するのも難しい話だ。
「一人に多くの名前があるんじゃなくて、あなた達が人間の“集合体”という事ですか?」
「その通りだ。我らは賢人。我らの魂を器に注ぎ込み、この世の叡智を集めんとしたモノだ」
そうして私の問い掛けに簡単に答えた後、彼らは語る。まるで自らの正義を捲し立てる様に、堂々と。
神話の終わり、神無き世界で魔法は失われた。
闇を世界から追い出し、人々は争いの矛を収め、勝利と死を喜び、嘆き合った。それ以上争う事は神に禁じられた。あれだけ強大だった魔法は勝利と同時に突如失われてしまった。
強力な力を失い、また、自分の手元には無いそれらが“どこかから”自らに向く事を恐れた人々は、それ以上争う事などできなかったのだ。
しかし、人間はそこで止まらなかった。
それから幾年月が経過し、ある一人の天才が魔法陣を開発した。ウィズダムと名乗ったその賢人は、限られた人々にその知恵を教えた。弟子、というよりは共同の研究者の様な存在で、弱くなってしまった魔法の力が、それでも平均よりもずっと強い者達を選りすぐり、彼らに魔法陣の知識を与えた。
それからウィズダムと彼ら賢人は、数々の発見と幾多の戦争を巻き起こし、ついに老年になった際に悟ったのだ。
人の身では、この世のすべてを知る事など不可能なのだと。
魔法で老いは避けられぬ。死を遠ざける事は出来ても、老いぬことなど彼らには不可能だった。
だから、器を作った。
人の魂と精神と知恵を飲み込み、そして攪拌してしまう器を。
これを作り、彼らが中に入る。それから新たな賢人を器の内部に次々に取り込んで行けば、“彼ら”はいつしかこの世のすべてを知る事が出来る。
……そうして、数千年もの間“賢人の問い”などと称して知恵ある者を招き、厳選し、取り込んできたのが私の目の前にある彼らであり、そしてこの施設というわけだ。
ここよりも上の階にあった“試練”とはつまり、彼らの考えた、もしくは経験した知恵試しでしかない。取り込む人間に頭の弱い者が混じらないようにするための。
自分で希望したとはいえ、そんな下らない事に巻き込まれてしまっていたとは。こんな事ならば学院で大人しく禁書庫に籠っていた方がマシだった。
そして、そんな彼らの言う“叡智を授ける”という言葉の意味は当然……
「つまり私に取り込まれろと、そういう話ですね」
「我らの叡智を、お前にも分け与える。代わりに我らに知恵を……お前に利の大きい話であろう?」
……本気で言っているのか? いや、本気でこういう事を口にできるからこそ、こうして実行に移しているわけだ。この中には同意した者と計画した者しか入っていないのだ。ある種、彼らは複数でありながら画一的な意識であり、いくら混ざり合っても反対意見など出て来ない。
私は目の前の球体に侮蔑の視線を向け、傘を広げる。
「嫌ですね」
「なぜだ」
「あなた方が何人分、何年分だか知りませんが、私がこれから先に得る情報の方が明らかに大きいでしょう? 単純な比較の話です」
「……随分な自信家の様だ」
私の素気無い返答を聞いた赤い光は、小さく瞬きその光量を落とす。
意気消沈か、もしくは考え事か。前者の場合は偉大なる賢人としてあまりに情けない。歴史好きのディーンが落ち込まない様に、後者であることを願おう。
それにしても、驚いたな。
似ているとは思っていたが、どうやら本当に技術的に関係がありそうだ。
私は目の前の球体を見上げ、その光景をついこの間の事の様に思い出される後悔と重ねる。
目の前にあるこの“器”は、精霊核に似ている。中に入れる物が魂と精霊とで異なっているが、どちらも霊体であることには変わりない。精霊とはそれ単体で物質世界に影響を与える程に強力な霊体の事を言うのだから。
ちなみに私は精霊と悪霊の違いを知らない。おそらくその性質の善悪で判断しているのだろう。人間が特殊な儀式、もしくは状態から精霊になったという話も、眉唾ではあるが存在しているし。
……これ、真っ二つに割ったら精霊核の再現に一歩近付かないだろうか。流石に物理的な仕組みが分かってもどうしようもないかな?
私にとって、精霊核の再現はとっくの昔に諦めてしまった分野だ。諦めたと言うよりは、それ以外に研究したい事が山ほどあるので、優先度を落としていると言った方が正確だが、今手を付けていないという事には違いない。
実物を見た経験があると言うのに、未だ取っ掛かりすら見当たらない分野だ。
そんな時に、類似点の多い物がぽんと出て来たのだから、調べたいと思うのは当然だ。
まぁ割ってしまったら“中身”が飛び出てしまうだろうけれど、こんな爺の檻なんて壊しても誰も困らないだろう。アクセスも悪いし、知恵袋としても微妙だ。
私はそんな事を考えつつ、球体を観察しながらぐるりと回る。
部屋の中央に置かれているので、裏でも横でも見放題。よじ登って上から見て見ようか。まぁ外から見たからと言って何かが分かるとも思えないが。
「断るか。それもいい。では、もう一つの契約だ」
「……もう一つ?」
私が部屋を一周し切る前に、先程とは明らかに声色が異なる声が部屋に響く。考え事をしていた私は少しばかり反応が遅れた。気付けば赤い光の明滅のパターンが少し変わってきている様に見える。
それに、もう一つの契約なんてあるのか? さっきとはまるで違う言い分を聞いて、私は首を傾げる。
集合意識だと思っていたが、もしかして内部で意見が割れているのだろうか。とりあえず多数決で発言し、こちらの反応を見ながら次の意見を口にする。もしかするとそう言うやり取りが内部で行われているのかもしれない。
「知恵ではなく力の契約だ。お前の魔力を半分抜き、代わりの魔力を注ぐ。入れる魔力はそちらが選んでよい」
「……魔力を交換すると?」
「その通りだ。お前には願ってもない事だろう」
……確かに、普通に考えればこちらに利がある話に思える。まぁあんな契約を交わそうとする連中の話なので、今一つ信頼が出来ないという事は考えてしまうが。
私達生徒、いや、魔法体を使う現代魔法使いの魔力は細分化された魔法の種類の特定の分野に特化している。
そのため専門分野以外の魔法は一切使う事が出来ない。その代わりに自分の分野でのみ、高い効率と威力を発揮する事が出来るのだ。
そこに別種の魔力を注ぎ込むとどうなるか。
普通に考えれば魔力の特性が丸くなり、汎用性が増す。例えば私ならば、呪術師でありながら魔術を使う事が出来るようになるかもしれない。こちらがその種類を選べると言うのだから、ある程度魔法の種類もあるのだろう。
しかし、私には一つ気になる点があった。
「一つ聞きたいのですが、その状態で邪法は使えるのですか? あなた方は神話が終わった後の、光の時代の人間です。闇の魔力とは直接的な縁がないはず」
「……」
「……答えられない。つまり知らないと。では、お断りします」
私はついこの前、同じ契約を闇の神と交わした。
ただの賢人でしかないこいつらが、それ以上の対価を用意してくれるとは、とても思えない。
さてと。
こいつらに、これ以上の用事はなさそうだな。
ご感想、誤字報告、ブックマーク、評価ありがとうございます。
告知もなく二日更新をお休みして申し訳ありません。何をしていたかというと、単純にサボっていました。
懐かしいゲームの情報を見ていて情熱が再燃し、ちょっと動画等を漁っていたり。そんな事をしていて気付いたら深夜という事が二日も続きましたが、大変楽しかったです。一旦満足したので、今日からはこれまで以上に本作に集中したいと思います。




