第175話 最奥へ
古びた蓄音器から聞こえて来たのは、聞き慣れた二人の声だ。もちろん音質の関係でそれその物という感じではないのだが、それでもおそらくはそうだろうなという一定の確信を私は持っていた。
それは部屋から忽然と消えてしまった二人。現在私達が3人で捜索している相手である。
そんな二人がどう聞いても暇潰しにしかならない遊びをしているのを聞いて、私は落胆のあまり思わず言葉を漏らした。
「何してるのよ……」
『んんっ!? だ、誰かの声聞こえたけど!? だ、誰誰、何何!?』
『あ、サクラさんですか? こちらコーディリアです。聞こえていますか?』
意図していない私の声が届いたのか、返って来たのは大変狼狽した少女の声と、それとは逆に安堵の言葉。レンカはどうやら私の声だという事に気が付かなかったようだ。いつもの口調も剥がれていて、こちらから誰だと聞きたいくらいに驚いている。
そしてこの蓄音機、ホーン部分に声を入れると話し合っている向こう側へとリアルタイムで言葉が通じる仕組みになっているらしい。要するに、こんな形だが役割的には電話に近い。
だから私は思わず、電話が日本で使われる様になってから現代までずっと使われ続けている、日常的な“挨拶”を口にする。
「もしもし? サクラです。コーデリア、今どこに居ますか? こっちは除霊が完了した所です」
『あ、そうなんですね。こちらは……現在地は不明です。四方を黒い壁に囲まれていて脱出ができません。レンカさんも似たような場所に閉じ込められているようです』
コーディリアから現状についての詳しい話を聞いてみれば、二人は別々に私の今いるような小部屋に押し込められてしまったとのことだった。
その事の発端はもちろん除霊。彼女らはこちらの予想通り、一部屋目の除霊に失敗したらしい。
歯抜けの陣を正しい形に描き上げた所までは良かったが、怖がりな二人はその後ベッドの上で布団を頭から被り、制限時間が過ぎるのをじっと待っていたそうだ。そのため折角描いたはずの陣が消えて失敗となった……というのが話を聞いた私の予想である。
動けなくなる程怖くはなかったと思うのだが……そこは感じ方の違いだろうか。
まぁ役目が終わって安堵してしまうと言うのは、多少気持ちも分かる気もする。消える速度はそう早くもないし、逆に油断するかもな。
そうして二人が必死になって蹲っていると、制限時間の終了時に何か声の様な音が聞こえ、こんな場所に飛ばされていたとの事。
しばらく真っ暗な部屋の中を探索したが、部屋の中央にある蓄音機以外に何もない。それぞれ脱出を諦めた二人は、こうして救助が来るまで蓄音機で通話をしていた。
それで二人が動物しりとりを始めた所で、私がこの部屋を突き止めて蓄音機を起動させたらしい。
……これ、私達が置いて行ったら二人は解放されたのだろうか。されなかったらログアウト以外に脱出手段はないように思えるが……。
私は通話中の蓄音機の底を持ち上げ、廊下へと出る。扉の開け方は多分分かっているし、二人が同じ場所に居ないという事は開ける扉も決まっている様な物だ。
落ち着きといつもの口調を取り戻したレンカにも一応詳しい話を聞いてみたが、コーディリアとそう変わった話は聞く事が出来なかった。
私達は、二人のいる扉を開放していく。真ん中と一番端の部屋の二部屋だ。ここに筆で描き込みを加え、別の部屋への道を開く。
幸いここに居る3人は二つずつ結界の魔法陣を見たので、パズル自体はそう難しくない。そうでなくとも、暗い部屋に閉じ込められている二人に話を聞けば問題なく開く事が出来ただろう。
アリスにレンカの分の筆を渡し、私はディーンからコーディリアの居た部屋の陣の詳細を聞く。
それから二人の身柄が解放されるまではそう時間がかからなかった。
***
それからも私達の苦難の道は続いた。
ある階では滝の裏側にある宝を探し、別の階では同じ言葉しか喋らない人達の密室殺人を解明し、ここの一つ上の階では将棋やチェスに似た対戦型のテーブルゲームで対戦した。
自然的な場所ではコーディリアが一切のヒントを使わずその物ズバリの答えを導き出し、意外にロジックを使った推理が得意なレンカが二度目の挑戦で真犯人を割り出し、ボードゲームは……適任者がいなかったので私にお鉢が回って来た。まぁ負けなかったので問題ないが。
そうして決して短くはない時間を謎解きに取られる事しばらく。
私達はついにエレベーターが完全に止まる階までやって来ていた。
今までは止まっていても起動中らしく床がぼんやりと光っていたのだが、この階ではエレベーターの停止と共に床の光も消えてしまう。動力が切れたわけではないだろう。どうやら完全に停止したらしい。
という事は、ここがこのエレベーターで来られる最下層という事だ。そしておそらくは、この階の一番奥こそ、この施設の最奥という事になる。
私達はそんな予感を胸に抱きつつ、無言のまま扉の向こうへと足を踏み入れた。
その階は他の階に比べて明らかに異質だった。
しかしそれは異様という事ではない。この階はエレベーターの大扉と同じ材質と思しき石材で廊下が作られているし、明らかに普通の家には大き過ぎる扉にも難なく対応する天井の高さもある。しかも空や地平線が見えていない。
有り体に言ってしまえば、普通なのだ。
“あの入り口”から昇降機で降りて来て、ここへ直通しているのが当然という造りをしている。思い返してみれば、あそこに入る前からこういう建築の様式だった。途中で途絶えていたはずの連続性が、ここに来て復活している。
これは“このエレベーターの行き先”としては、大変異質と言っていいだろう。
ここは、廊下と扉の高さがあっていなかったり、扉を出た先がすぐに外だったりすることの方が圧倒的に多い。いや、エレベーターに乗ってからそういう場所にしか辿り着いていない。
ひょっとすると、ここは物理的な位置関係として本当にあの入り口の下に存在している場所なのかもな。同じ建物と言われても不自然に見えないのだ。
そういう観点から見ても、この階は特別な場所だ。
しかし、特別なのは何も建物の造りだけではなかった。
「よくぞここまで来た。知恵ある者よ」
殺風景な神殿の様な場所で、どこからともなくそんな声が聞こえる。
この場にいる誰かの声ではない。元の声が分からない様に思い切り加工して、酷い反響も付けたような声。これを素で出せる人間がいたら大変驚く。まるで息がぴったりの複数人が同時に同じ文章を読み上げている様な音なのである。
私は声の主を探して視線を左右に振ったが、石壁や柱が置かれているばかりであり、特に声の発生源らしき物は見当たらない。呪われた宿の足音のように、どちらを向いても左右の耳で同じ様に音が聞こえるのだ。
「お前たちを試練を乗り越えた者として歓迎しよう」
続く言葉を聞いて、私は少しばかり目を細める。
つまりあれか。この声の主こそが上の階の管理人、もしくは製作者という事か。こんな大掛かりで良く分からない物を作って何がしたかったんだ?
それに、試練はともかく歓迎というのは事前に聞いていなかった。ティーパーティでも開催してくれるのだろうか。別に必要ないので帰りたいのだが。
そんな事を冗談半分で考えていると、ざりざりと砂を噛む様な音を立てて正面の扉が開く。
奥に見えるのは、この部屋と大差ない造りの部屋だ。ただし一点だけ奇妙な物が置かれていた。
最初私は、それを照明だと勘違いしていた。
赤い光が帯を引いてふわふわと浮いている。それがいくつも重なり合って、そこから放射される光で部屋中が赤く染められていた。
それらの光は透明な球に閉じ込められている。その大きさは直径およそ2m程。
かなり大きいので、台座から落ちて転がり始めたらちょっとした一大事だろう。
赤い光の内のいくつかが明滅し、この部屋に足を踏み入れてから度々聞こえていた声をもう一度響かせる。
「契約の時だ。さぁ、前へ」
……まさかとは思うのだが、“あれ”が大賢者と名高いウィズダムだったりするのだろうか。
私は僅かな不安を胸の奥へと押し込めると、言われた通りに歩みを進める。




