第174話 再会へ
少々気まずい愛の告白はあったものの、何とか部屋の除霊を終えた私達。
アリスの要求でもう一度軽く握手を交わしてからエレベーターホールへと戻ってくると、そこにはディーンの姿があった。若干終了時間から遅れた私達を探しに廊下を歩いていたらしく、扉を開けたすぐ先を歩いている。
そのほっとした様な表情から察するに、どうやら多少の心配を掛けてしまったようだ。
「……さて、これで問題は消えた二人だな。帰って来るのか」
「流石に強制離脱ではないと思いますけどね」
無事な人間が全員揃い、このフロアのやる事も終わり。後はエレベーターへと乗り込むだけ……というわけには当然いかない。
消えてしまったコーディリアとレンカを探さなければならないだろう。どこへ行ってしまったのか。まさか悪霊として除霊されてしまった訳でもあるまい。
しかし、探すと言ってもそもそもこのフロアにまともな隠れ場所なんてあまりない。というか、隠れているわけではなく向こうも合流しようとしているわけで……そう考えるとこのフロアにはいない可能性の方が高いだろう。
それでも何もしないわけにもいかない。私達はそれぞれ思い思いの場所を探す。カーテンの裏や天井、各部屋のベッドの中等を順番に見て回るが、それらしい場所には当然隠れていない。
部屋の中も廊下の様子も、私達が本に自分の名前を書き込む前の状況と全く同じ状態だ。まるで最初から誰も来なかったようである。
……と、そう思っていたのだが、実は一点だけ異なる物があった。
各部屋の魔法陣を描くのに使った筆が、なぜが置きっ放しになっているのだ。陣の布も製図用具も消えているのに、なぜかこれだけそのまま残っている。
何かに使うという事なのだろうか。
私は自分が最初に入った部屋から筆を取ると、他の部屋の筆も何となく集める。合計5つ。
筆先に付いているのはすべて赤のインクではあるが、柄の部分の色がそれぞれ異なる。どの部屋の物だったかは覚えられそうだ。まぁ今の所、だからと言って何だと言う話ではあるのだが。
しかし、それ以外の収穫はない。
ここでこれ以上探すのは諦めて、3人で下の階に向かおうか。意外と二人もそこで待っていたりするかもしれない。ここ自体よく分からない場所なので、そういう仕組みになっていても別におかしくはないだろう。
尤も、その場合本にルールとして書き込まれていてもおかしくなさそうではある。後戻りはできないので、かなりの賭けであることは否定できない。
これがもしコーディリアと二人切りで生き残ったのだったら、何も未練はないのだが……。
彼女を置いて行ってしまう可能性を考えると、自分からそう言い出す踏ん切りは中々つかなかった。いや、もしかするとディーンに先に進もうと提案されても渋るかもしれない。
それに、彼女たちがここに居そうだと言う根拠は少しある。
私達の連絡の制限は解除されてはいるのに、相変わらず彼女ら二人には連絡が付かないままなのだ。つまり、二人は連絡が制限されている区域にいるのは確実である。
連絡の禁止区画自体、結構珍しい仕組み。少なくとも今までこの施設では、ここ以外のフロアでは確認できていない。
見た限り居そうにもないが、ここに居そうには思える。
そういった少しの悩みが私をこの階に縛り付けていた。
どうしようかなとふらふら廊下を歩いていると、ふとアリスの姿が目に入る。
特にそれ自体は珍しい事ではない。廊下は大変見通しが良い上に、フロア自体があまり広くないので、同じ場所で探し物をしている以上すれ違う事だってあるだろう。
しかし、場所と行為が問題だった。
彼女は何もない扉をじっと睨んでいるのである。
……そう言えばこの扉、奇妙な線が引かれているのだったな。ここに来てからすぐに、ヒントの類ではないと判断してそれっ切りだった物だが、不思議な模様であることは間違いない。
私も暗い色合いであるその扉を横目で確認しつつ、廊下を端から端まで歩いて眺める。
アリスはこれをパズルか何かだと思っているのだろう。未だに解き方すら分からないが、案外見ていれば私でも何か思い付くかもしれない。
改めて見るとこの扉、すべて模様が異なっているな。
7,8本の直線が一定の間隔で折れ曲がりながら扉の縦横を駆け巡っている。その基本的な形は同じだが、細部が違う。一見すると分かりにくいが線の曲がる角度や本数、順番などがそれぞれの扉で異なっているのだ。
これとか120度くらいに綺麗に曲がっている。私からすると見慣れた角度だ。
曲がった数は、6回。合計7本の直線で構成されている。両端は各辺の半分程度の長さであり……
私は一本の線を注視し、その特徴を確認して行ってふと気が付く。
……これ正六角形だな。
曲がる方向が左右交互になっているだけで、同じ長さの直線6本で構成された、内角120度の図形だ。道理で馴染みのある角度だと思った。
なるほど? 違うのも混じっているが、正多角形の様な直線がちょいちょい混じっている。一見するとすべて無造作で無秩序な線に見えるが、意味のある形が入っているわけだ。確かにこうして見ると何かのパズルのようにも見えるな。
例えば、部屋にあった結界の魔法陣。あれの陣の形を表しているとか? あれは確か二重の部分があって読む順番が……。
私は自分一人が知っている、最初の部屋の魔法陣を思い返しながら扉の上でそれっぽい線を探す。文章や意味の区切りでぶつ切りになっている部分や、他の図形と重なり合っている部分。
そう言った物を重ね合わせて行くと、確かに魔法陣を構成していた線が2本見つかった。接点と交点の位置や、線の切れ目から考えてまず間違いないだろう。
私は何となく何かに使えるかもなと持ち出していた、各部屋の筆で魔法言語を書き足していく。
実際には他の解き方なのかもしれない。しかし、こういったパズルはとりあえずで手を動かしてしまうタイプなので、試行錯誤の前にじっと考えたりできないのだ。
文章が書き上がり、次は溝を同じ筆でなぞっていく。
しかし、なぞっている途中でインクがかすれ始める。このタイプは根元からインクの湧く魔法的な道具ではあるが、どうやら寿命らしい。よく考えればこの宿と同じ年代の物だろうし、当たり前か。
見付けた線を端から端までなぞり終えると、ついに一滴も赤いインクが出る事はなくなった。振っても温めても絞っても擦っても、パサついた毛先が潤う気配はない。
……考え無しに書くんじゃなかった。一応誰も“消えていない”部屋を選んだのだが、試行回数が限られているのだから慎重になった方がいいのは確かだ。
……これ、部屋を入り直したらもう一本出現していたりしないだろうか。
私は一縷の望みを胸に、その豪奢な扉をそっと押し開ける。
「……は?」
そして、私の口から漏れたのはそんな小さな声だった。
視界一杯に広がったのは何も見えない暗闇だ。廊下からの温かな光でさえも、圧倒的な黒で消し去っている。当然扉を開けた格好のままの私の影さえも、床に落ちている様子はない。
まるで宇宙空間の様なその光景に、私は当然扉の手前で足を止めた。
しかし、その中央に何かが置かれている。床など一切目に見えないと言うのに、古びた蓄音器がじっと部屋の中央らしき場所から動こうとしないのだ。
見えないだけで床があるのか?
ランプを取り出して部屋の中に突っ込むが、古びた蓄音器以外に影が落ちる事はない。すべての光を吸収してしまう程の黒が、ただただ扉の先には広がっているのである。
当然壁も床も視認できないので部屋の大きさすらも不明だ。
しかし、こうして居ても仕方がない。私は恐る恐る部屋の中に足を踏み入れる。
見えないが、廊下と同じ高さに床がある。手を伸ばしてみれば、見えないだけで壁もあるようだ。とりあえず歩けないという事はないだろう。
それから壁沿いをぐるりと一周回ってみて分かったのだが、どうやらここも元の部屋と大体同じくらいの大きさになっているらしい。
クローゼット等の家具がない上に壁が目に見えないので、不安になる程広く感じるが、歩数を数える限りただの錯覚だ。そしてどうやら床に落とし穴なんかも開いていないようだ。
一先ず安心した私は部屋の中で唯一の不審物である、蓄音器に視線を落とす。ランプと廊下の照明で照らされたそれは、埃や正体不明の汚れで黒ずんでいる。元は美しい金色だったのだろうけれど、今では見る影もない。
しかし、その機能には問題はないらしい。横に備え付けられたハンドルを回せば、内部でゼンマイが回るキリキリという音が鳴る。
ゼンマイの力でゆっくりと回り始めたレコードに、私はそっと金属の針を落とす。
こんな妙な場所で見つかった代物だ。確実に何かのためになる物であるのは間違いないだろう。
雑音交じりのその音は、確かな声を私に伝え始めた。
『キツネ』
『ネコ』
『コアラ』
『ライオ……ライチョウ!』
『ウサギ』
『ぎ、ぎ……ギぃ!? ギから始まる動物って何じゃ!』
これは、何かのヒントで間違いない。
……そう思って耳を傾けていたからこそ、レコードから“動物しりとり”の攻防が聞こえて来た事に、私は今日一番の驚きと落胆をしてしまったのだった。




