第170話 奇妙な宿
長い時間を掛けて、ようやく止まったエレベーター。
ここが最下層なのだろうか。そう思って僅かに空いている隙間から下を覗き込んだが、とても奥が見えそうな構造にはなっていない。ここからどの程度下があるのかを判断するのは不可能に近いだろう。
まぁ、ここで立ち止まっても仕方がない。おそらくだが自動で下に動き出すことはないだろう。
少し明るい扉の外へと足を踏み出した私達。
そこに待ち受けていたのは、温かみを感じる照明に照らされた木造の建物だった。この前の光の魔力の施設とは違い、上に見えるのはシャンデリアが吊られた天井だ。決して青空ではない。
エレベーターから降りた先はすぐに屋内。これが地下の施設としては正しいあり方だ。外なんかには出ないのが普通なのである。
そんな当然のことに若干の安堵をしつつ、私はぐるりと内装を確認する。
まず最初に感じるのは、その内装の上品さだ。
随分と古そうではあるが、調度品は結構な高級感に溢れている。照明も学院に比べても豪奢であり、きらきらと光が壁や床を照らす。光学的な計算がされているのだろう。
一見するとここは、歴史を感じさせる高級ホテルそのものだ。
受付も何もないので玄関にしては少し物足りないが、廊下がこの程度の内装であればむしろ落ち着いた雰囲気として歓迎されるだろう。
部屋の正面に置かれているのは一冊の薄い本。配置からして明らかに何かが書かれていると思うが、今までの経験上古代言語で間違いない。ここはディーンに任せるしかないな。
……その内古代言語学、必修にならないだろうか。私も取ればよかったな。
古代言語が読めない女子は、当然それ以外を見学するしかない。
と言っても、他に見当たる物と言えば扉だけだ。
エレベーターの大扉から入って正面の本がある小さな空間。そこから左右に廊下が伸び、さらにそこには5つの扉が均等な間隔で並んでいる。
他は絨毯や絵画などの調度品ばかりで、特に何か仕掛けがありそうにも見えない。アリスだけは絨毯を捲ったり額縁を外したりと忙しないが、あれは特殊な例だろう。脱出ゲームかな?
ちなみに部屋のある反対側の壁には窓があるが、カーテンと雨戸のような物で遮られている。外を見る事は出来ない。少し、息が詰まる様な閉塞感があるのはこのせいだろう。
私はとりあえず廊下を奥まで進み、一番右にある扉を開く。
ドアノブは大変綺麗な真鍮製の彫り物だ。おそらくは花を模していると思われる。扉自体にも何かが彫られているが、こちらはただの模様だろうか。ある程度幾何学的なので、意味はあるのかもしれない。まぁ魔法陣だとしても簡略化され過ぎていて何の事だか分からないのだが。
細かい所は分からないが、一見すると他の扉も同じ造りになっているようだ。
そんな豪奢な扉を押し開けたその先に見えたのは、何もない客室だ。いや、今まで通り調度品は煌びやかで美しいのだが、如何せん仕掛けらしい仕掛けが見当たらない。
ぱっと見では、ダブルベッドが一つに机が一つ。クローゼットや椅子も何脚か置かれているようだ。テレビやステレオはないが、まさしくホテルの一室にでも見える。
……まぁここで寝たら私達は外に放り出されるわけだが。
「ちょっと来てくれ。重要な話だ」
この部屋は一体何なのだろうか。そんな疑問を抱き部屋へ足を踏み入れようとした瞬間、ディーンに呼び戻される。
どうやらあの本の内容が分かったらしい。私はそっと扉を閉め直すと、エレベーターホールへと踵を返したのだった。
全員がエレベーターホールへと戻って来た事を確認した彼は、その本を元あった台に戻して口を開く。
「どうもここ、宿らしい」
「それは……見たままですね」
「ただ、それだけじゃなくてな……」
ディーンは表情を曇らせると、この本に書き込まれていた内容を読み上げた。
曰く、この宿は呪われているらしい。
この部屋には強力な悪霊が取り憑いており、泊った人間を呪って失踪させる。実際に数人の犠牲者が出ているようだ。
一応、悪霊防御用の結界が敷かれているのだが、それでも結界が破られる。次の晩には宿泊客が消えてしまうため、今は階層を丸ごと特殊な封印で封鎖した状態にあるという。
現在は特殊な手段でのみ侵入する事が出来るらしいが、それがあのエレベーターという事だ。
そしてそれは、恐らく結界の陣が不十分であるために起きている事件なのだろう。
それをなんとかして直してくれと、この本にはそう記載されているようだ。
何とも急な話だ。いや、今までの施設も十分に突飛だったのだが、ここは上にあった光の魔力の施設以上の脈絡のなさに思える。
というか、このエレベーター、そんな大層な物だったのか? もしや他の階層もここと同じく特殊な封印として利用されているのでは……?
ちなみにこの本を誰が書いたのかと言えば、ここにもウィズダムの名が載っているらしい。
流石にこれは何かおかしい気がするが……。まぁそう言われたならば、私達がやる事は決まっている。仕掛けを解いて先に進むだけだ。
「……では、陣を発見してそれを直せばいいんですね?」
「そうだ。ただ、色々と条件があってな」
今回は簡単そうで助かったな。何せこのパーティ、魔法陣についての知識は相当だ。
一番詳しくないコーディリアでさえ、読み解くくらいなら簡単にやって見せるだろう。はっきりと聞いた事はないが、どうもネットで私の授業聞いていたらしいし。さっさとその陣を探して直してしまおう。
そう考えた私が早速部屋の中の探索に戻ろうとすると、ディーンはそれを制止した。
「どうも、宿泊客しか陣が見えない仕組みになっているらしい」
「はぁ? 何故そのような面倒な事に……」
「そうでもしないと悪霊が直接的に陣を破壊するそうだ。だから、ここに記帳して“宿泊客になれ”という事らしい」
「……」
ディーンの話を聞いた4人は、じっと黙り込む。
それって、私達に呪われろって事なのでは……?
***
数分後。
私は宿の一室で目的の陣を探していた。
ちなみに当然の様に一人である。
一応すべての部屋がダブルベッドなのでコーディリアと相部屋にすることも考えたのだが、どうやら全室の封印を完全にするか、犠牲者が出るかしないといけないらしく、現在はそれぞれの部屋に一人ずつ生徒が“宿泊”している状態だ。
そのルールを破った場合の問題、つまり空き部屋を作ったらどうなるのかという事については記載がなかった。
案外何もないのかもしれないが、一応ルールとしてあるのならば守っておこう。意図的に記述に反した行為をして、強制排除でもされたら情けない。
呪われていると言う部屋に足を踏み入れた私は、空き巣宜しく早速乱雑に部屋を漁っていく。物が物なので、探し物は結構なサイズ感だと思うのだが……。
部屋にはそれぞれ悪霊の力にばらつきがあるらしく、その力の強弱によって陣の内容が変わっているらしい。そのため部屋毎に“難易度”が設定されている。
上級が3部屋あったので、私とアリス、レンカがそれぞれ割り振られていた。ちなみに一番下の下級は自信が無さげなコーディリア。その次の中級がディーンだ。
筆記次席が中級なのは……とも思わなくもないが、レンカが上級をやりたがったので仕方がない。
……それにしても、気になる。
私は開け放たれたクローゼットの中身が何もない事を確認し、部屋を振り返る。
呪われていると聞いた時から感じているのだが、何かの音が聞こえるのだ。
それは何かの気配なんて漠然としたものではない。明確に何かの音だ。
ただ、何がどう鳴っている音なのか、それがどこから鳴っているのかが判然としない。
強いて言えば、誰かが歩くような断続的な物音が、部屋中から響いている。
これのせいで、すぐ近くに誰かがいるような気がして落ち着かない。悪霊の妨害としては多少みみっちい気がするが、確かに集中力を欠くので効果的ではあるのかもしれないな……。
私は机の引き出しを開けながら、ここにはいない友人の顔を思い出す。この部屋とか好きそうな私の盟友だ。
「……ロザリーが居たら、楽しんでたかも知れないわね」
彼女、あれで結構なホラー好きだ。まぁ死霊術師なんて物をやっているわけだし、当然と言えば当然か。
ただ、悪役に憧れる性質はホラー作品でも健在なので、本当の意味ではホラーを楽しめていないのかもしれないが。
私は偶に映画を配信で見るくらいだが、それでも結構耐性がある方だと思う。急にバラバラ死体が上から降って来るくらいなら問題ない。驚きはするだろうけれど。
逆にホラーが全然ダメと聞いた覚えがあるのは、ティファニーだな。いつだったか、そんな話をした記憶がある。
コーディリアは……大丈夫だろうか。特にホラーが苦手とも聞いた事がないが、呪いの宿に宿泊と聞いて明らかに顔色が変わっていた。
……というか、ディーン含めてあの場にいる全員があまり楽しそうではなかったな。
私も別に楽しくはないが、特に身構える程の物でもないと言う印象だ。多少の霊障はあるのかもしれないが、ここの悪霊ってどう考えても殴って倒せるしな……。
……他の部屋、大丈夫だろうな?




