第169話 首席
「ほら、これだ」
ディーンが差し出したのは一枚の紙切れ。かなり古びてはいるが、それでもまだ文字が読める。ここでは貴重な資料だ。
今までまったく見つからなかったわけではないが、少なくとも私が発見した紙の資料はすべてダメになっていた。
しかしこれはかなりはっきりと読み取る事が出来る。ディーンが通話で言っていた様に、この施設の見取り図らしい。
古代文字で部屋の用途か何かが書き込まれているが、ディーンは自前でその翻訳版も作ってくれていた。大変手際が良い。
古代言語など一つも分からない私達は、その二枚の用紙、特に翻訳版をじっと眺める。
これによると、この建物に入る前、私やコーディリアが予想した様に植物実験室や天体室が置かれているらしい。この土地に生えている植物は、その実験室から脱走した物なのだろう。
それにしてもこの世界の天体か。
そもそもここがどこだかも良く分からないが、少なくとも天体観測が必要な場所だったという事は確からしい。流石に見えない物や分かり切っている物のためにこんな設備は作らないだろう。
……天体と言えば、ここに来てから太陽の位置が変わっている気がしない。この場に来てから大した時間も経っていないので勘違いかもしれないが、ここから星が見える事などあるのだろうか。
光属性は夜ではなく昼の属性ではあるが……。
まぁ私達にとって今重要なのは、各部屋がどういった用途で使われていたかではない。見取り図で少し特殊だと分かる様な場所には、レンカが捜索を行っているらしい。
私達はもっと別のヒントを必要としていて、尚且つそれはこの見取り図に分かりやすく記載されている。
それぞれの部屋には名前とは別に数字が割り振られており、どうやらそれが配管の数字と連動しているらしい。
この見取り図があったという部屋の番号は8番。
私が全開にした床下の制御装置を見ると、8番のシリンダーは確かに明るく輝いていた。レンカが興奮していた仕掛けは、やはりこちらで操作した結果作動した物だったようだ。
そして、見取り図にはもう一つ見逃せない数字が書き込まれている。
ディーンは見取り図の一カ所を指で示す。
「ここに、下方エレベーター用の動力源と書かれている。どういう物かは分からないが、この28番の装置を作動させればここから更に下へ降りられるんじゃないか?」
「……でしょうね」
ディーンが指し示したのは、建物内部ではなく外部の書き込み。
地面に魔力を散布するための装置がいくつもある中、エレベーターの動力源と書かれている部分がある。どうやら私達が乗って来た大きなエレベーターも、各部屋の魔力と一緒にこの階で管理されているようだ。
その番号は28番。
つまり、この制御装置で28番を作動させればエレベーターが再び動き出すということだろう。まぁ、出来ればなんだけど。
私は開かれたままの床下をちらりと横目で覗き込み、28番の魔力管を確認する。
当然と言うべきか、シリンダーは光を失ったままだった。
しかも、位置的にどうやら魔力の来ていない管から魔力の供給を受けていたらしい。
つまり地下で見たあの空の水槽こそが、私達がこの階で下ろされた理由であるようだった。ここが目的地だったわけではなく、偶然ここで動力が切れて止まってしまったわけだ。
私は見ていた紙から視線を外すと、ハンドルの前で膝を曲げる。
とにかくやってみなければ始まらない。適当でも良いからそれっぽくハンドルを回してみるとしよう。
私が作業を開始すると、ディーンが興味深そうに私の手元を覗き込んだ。
「それが、話していた制御装置か。……随分、変わった方式だな」
「これ、絶対に不便ですよね」
私は愚痴交じりの相槌を打ちつつ、クルクルとハンドルを回してシリンダーの光を確かめる。
とにかく、28番の手前の分岐に魔力が流れない事には始まらない。そのくらいならば試行錯誤で何とかなるだろう。
……と、そう思って始めたのだが、成果は芳しくなかった。
もうかれこれ10分くらいはハンドルと睨めっこしている。手前のシリンダーまでは点灯するのだが、なぜか28番は淡い光にしかならない。これでも動いているのか? 明らかに他と光り方が違うのだが……。
もしやこの装置、そもそも魔力が数本切れるという事を想定していないのではないだろうか?
その場合、私がここでいくら頑張っても不可能という事になるが……。
流石にハンドルを回すのにも飽きた私は、立ち上がって思い切り伸びをする。
見ればコーディリアもディーンもいつの間にか消えている。交代しようとすら言い出さずに探索へ行ったという事は、彼女らもこの手のパズルには自信がないのだろう。正直私も苦手だ。
おかげで私と一緒に居るのはアリスだけ。
彼女はディーンの残していった見取り図と地下の配管、そして制御装置の迷路をメモした物をじっと見比べている。表情は真剣……というよりも険しいと言った方が近いか。
解けそうですか。
私は沈黙を気にしてそう問い掛けようと口を開きかけたが、すぐに考えを改める。彼女にとってはむしろ声を掛けた方が迷惑だろう。話をするのは用事がある時だけでいいか。
せめて迷路が立体に交差していなければもっと単純なのだが……。もう地下の配管を組み替えた方が早いのではなかろうか。
実際コーディリアはその線で探索しに戻ったようだし。私もそっちに行った方が良かったかもしれない。
尤も、役割分担として3人が施設の捜索、私達2人が謎の解明に割り振られたと思えば、判断としてそこまで外れているとは思わない。もちろんパーティ全体で考えた場合の話であり、私個人の感想ではないが。
……さて、休憩もそろそろ終わりにしてもう一度くらい挑戦してみようか。
そう思って制御装置を覗き込んだ瞬間、背後でズシンと地響きのような音が響く。
今の揺れは……?
背後からの揺れなど、原因は一つしか思い浮かばない。
私は目を白黒させつつハンドルを握ったままのアリスを見ると、彼女もまた丸くした目でこちらを見ている所だった。
28番のシリンダーは……点灯している。私がやっていた時の様な弱々しい光ではなく、他のシリンダーと同等の光を放っていた。
私はもう一度彼女と視線を合わせると、ゆっくりと問い掛けた。
「もしかして、解けましたか?」
「えと、その……はい……」
しどろもどろに返答するアリスを見て、私は頬が吊り上がる。
……私の今までの苦労は何だったのだろうか。最初から彼女にお願いすればよかった。
***
私達は、再び下に動き始めたエレベーターの上で、ただひたすらにそれが停止するのを待っている。
あの後、音に気付いた全員が玄関ホールに集まり、5人全員でエレベーターを確認する事になった。その結果はこの通り。
エレベーターはこうして再び稼働を始めており、私達が全員乗ると自動で下へ向かって動き始めた。どうやらこの昇降機、あの見取り図に描いてあった通り、神獣の魔力を動力源の一部として使っているらしい。
急にできてしまった空き時間で考える事は、直前まで見ていたハンドルとシリンダーの事だ。考えるのを止めようと思っても、後悔ばかりが思い出されてしまう。
私が解けなかった配管のパズル、最初からアリスに任せればずっと早く解けたのではないだろうか。
彼女にそう聞いてももちろん謙遜するだけなのだろうけれど、あれだけ早く解いて見せたのが偶然とは思わない。
そもそも、純然たるパズルとして“入り口”の鍵の謎を解いたのはこの場では彼女だけだし、そういうのが得意なのは間違いないだろう。
今後、出て来るパズルはすべて彼女に任せようと思う。
流石は学院筆記首席。私より優秀な所を見せてくれる。まぁこの手の謎解きは成績とはあまり関係ないけれど。
私は止まらないエレベーターの壁をじっと眺め、ポケットに仕舞い込んである時計を取り出す。
……そろそろこの遺跡に入って1時間か。流石に疲れて来たので次が最奥だと良いのだが。
「このエレベーター、どこまで続くんじゃろうな」
少しこの場所に疲れて来た私が時間を確認している隣で、レンカがぽつりと呟いた。
それは単に愚痴として話題にしたとばかりの口調ではあったが、それでいてその場にいる全員の動きを止めるには十分な内容だった。
「それは、最下層までだろう?」
「ふーむ……では、途中にある扉はなぜ開かんのじゃろう」
「それは……必要ない、から……?」
コーディリアは思い込んでいた考えを口にして黙り込む。どうやら言っていて自分の考えがおかしい事に気付いたらしい。
……そう言えばそうだな。
このエレベーター、明らかにおかしい。
普通、エレベーターと言えば各階に停止するようになっているはずだ。一定の高さ毎に扉を設置し、ボタンか何かで行き先を指定する事が出来るのが一般的であろう。
しかし、このエレベーターは止まらない。
止まるための操作など出来そうもない、文字通りのただの動く床なのだ。さっき妙な施設前で止まったのも、動力源に異常があったためであり、私達の意図した所ではない。もちろん設計側は意図した挙動ではあっただろうけれど、それでもそれその物が本意ではなかっただろう。
では、最下層行き専用なのか? 途中にある扉は“乗り場”専用の扉であり、そもそも降りる様になっていないとか。
それなら途中にある扉の先はどこなのだろうか。乗り場というのならばあの先に行くための別の道があるはずだが、さっきの奇妙な空間を思い出してみてもそんな物があるようには思えない。
……もしかして、これも謎解きの一部なのか?
例えば、入り口の大扉と同じ様にこのエレベーターも、問題に対する解決の方法の差で行き先が変わるとか。間違った解答や、不正確な答えを出すと最下層がそれだけ遠のいていく。
その施設全体がそういったふるいの様な仕掛けであり、それこそが“賢人の問い”……とか。考え過ぎだろうか。




