第163話 花の園
エレベーターが止まったのは、一つの扉がある場所だった。
床の動きと連動していたのか既にそこは開け放たれており、私達は差し込む光に目を細めつつもゆっくりと進んでいく。
「……ここは」
目が慣れるのに合わせて徐々に広がっていく視界。
それを前にして私は思わず言葉を漏らした。
上を見上げれば、視界一杯に広がる青い空。太陽も機嫌が良さそうに燦々と地面を照らしている。
その光景に茫然としていると、柔らかな風が足元を抜けて行く。膝下程度の長さの雑草は、さわさわと私の肌を擽った。
風も陽光も温かく、まるで春先の様だ。草原はどこまでも広がっており、所々に花なんかも咲いている。
……地下なのに。
あまりに突然の光景を前に困惑するしかない。
そんな私が隣を見やると、コーディリアは私以上に興味深そうに地面を眺めている所だった。文字通り草の根を分けて何かを探している様子。
「どうなっとるんじゃここ……まるっきり外ではないか」
「星の裏側に出た……訳じゃないだろうな。作り物か、もしくはここも転移門なのか」
ディーンはレンカの疑問に小さく答える。平静を装ってはいるが、その表情は驚きが隠し切れていない。
しかし、それを責める者はここにはいない。ここに居る誰もが考えもしなかった光景なのだ。まるで魔法世界への移動の様だが、おそらくはここも現世なのだろう。どういう仕組みなのだろうか。
……いや、ここで気にしても仕方がないか。普通に考えれば転移門のはずだが、どこへ来たのかを知る術はないように思える。それに、それを知った所で何になるのか。
私は視線を正面に固定すると、そこにある一つの建物を眺めた。
それはほぼ全面を蔦状の植物に覆われているが、見た限りではかなり近代的な建築に思える。現世でよく見る石造りの建物ではなく、鉄筋の様な柱で骨組みを作り、そこにコンクリートか何かで壁を作っているようだ。
所々の壁や天井が抜け落ちてしまっているが、建物の形もかなり複雑そうだ。完全に崩落してしまっているため、ドーム状の屋根の形が逆に良く見える。
この建物、何かに似ている気がする。私が小さな頃、どこかで見たような……。
……ああ、天文台だ。いつか、本当に昔の話だが、学校の行事か何かで古い天文台を見に行った記憶がある。あの特徴的なドームの中に、大きな天体望遠鏡が格納されているのを見た。
私はそこから左右に視線を振るが、その天文台もどき以外には草原が広がっているばかりだ。見えるのは綺麗な地平線のみで、他に気になる建造物はない。
……というか、無限に草原が広がっている様に見えるのだが、この場所はどうなっているんだ。本当に現世のどこかなのだろうか。あまりの“現実味”の無さに、ディーンの言った作り物という突飛な話も信じてしまいそうになる。
しばらく圧倒されていた私達だったが、そんな中でレンカが、とにかく正面の建物を調べる以外になさそうだと一歩踏み出す。ディーンやアリスもそれに続いて行った。
私も未だに何かを調べているコーディリアを立たせると、彼らの背中を追う。
それからしばらく、私達は何もない草原を歩いていく。草原には道らしき場所はなく、人どころか獣すらも通っている様には見えない。
歪な夢のようなその現実を見ていると、少しばかり不安になる。視界に入るのは目の前の建物と、青い空と草原だけだ。動いているのは私たち以外に草しか見えない。草を揺らす風だけがこの場の音を支配し、鳥の声一つ聞こえる事はないのだ。
それでも私達は歩みを止めない。というか、ここにいるよりは建物に入った方が精神的にマシな気がしてしまう。
徐々に近付いて来た建物は、私の想像を遥かに超える程に巨大な建造物だった。他に比較対象がない草原のど真ん中なので、遠目ではもっと普通の建物に見えていたが、まるで巨人でも住んでいそうな大きさだ。
壁は相変わらず蔦ばかりだが、近付くにつれて崩れた壁や窓から内部もちらりと見え始める。思っていたよりも部屋数も多そうだ。
しかもそのそれぞれがかなり大きい。正面に見える扉だけでも幅が3mはあるだろう。これがこの建物の正門だと思うのだが、何かの搬入口にでもなっていたのだろうか。
「これ、何の建物なんでしょうね」
「あれは植物園ではないでしょうか」
「植物園?」
私がポツリと呟いた言葉に、前を進む二人ではなくコーディリアが返答をする。どうやら足元の草から興味をようやく逸らしてくれたらしい。
それにしても植物園? なぜそう思ったのだろうか。
確かに崩れた壁から見える建物の内部は、植物で覆われているが、この崩壊具合から察するに既に放置されてかなりの年月が経過しているだろう。建物に植物が入り込むなんて事は、別に難しくはないはずだ。
それでも彼女はある種の確信らしき物を持って、そう述べた。
「どうも植物の種類が妙ですし……それにほら」
コーディリアは地面に生えている草を僅かに見下ろした後に、建物の入り口の方を指し示す。
そこにあったのは謎の棚と、何かの穴だ。四角い穴は10㎝程の深さがあり、入り口の手前側を塞ぐように置かれている。あれでは荷台などの通行の邪魔になってしまうだろう。
それを見た彼女は、これは植物園ではないかと自分の考えを口にする。
「あれ、靴を洗う場所に見えませんか? おそらくあそこは外部から種や菌を持ち込まないために設置された場所だと思います。……もちろん、違うかもしれませんけれど」
「ふーん……植物園ですか」
確かにそう言われると、何となくドームが天体観測用に見えるという私の考えよりは、正しそうに聞こえる。
植物園ならば太陽光を取り入れるために、変な設計の屋根になっていると言うのも考えられそうだし。
しかし結局、実際の所は見に行ってみないと分からない。私達はついにボロボロになっているその建物の手前までやってくると、その大きな扉に手を伸ばす。
辛うじて役割を果たしている蝶番は、いつ以来かの来訪者を歓迎して、悲鳴のような音を立てた。よく見れば扉はそれほど劣化している様には見えない。壁以上に頑丈に作られているのだろうか。
その大きな扉の先にあったのは、広いホールだった。天井も高く、面積も広い。全体的に扉の大きさに合わせた様なサイズ感になっている。
しかし、足の踏み場は見当たらない。
木なのか石なのかもよく分からない床には、特徴的な植物がびっしりと生えている。花も咲いているせいなのか、独特な香りが部屋中に漂っていた。
ディーンが先陣を切って足を踏み入れると、踏み荒らされた植物は簡単に床から剥がれて道が出来上がる。コーディリアは剥がされた草を手に取ると、まじまじと観察を始めた。気になるらしい。
……ながら歩きは危ないので、とりあえず手を握っておくことにしよう。彼女も転びたくはないだろう。
「……完全に土がない環境なのに、根を張っていますね。岩生植物? 室内だから外に比べて日当たりも悪い……特殊な環境下だから、この種類しか残ってないんだ。それにしても、こういう形の花が咲くって事は虫か何かを誘引している……?」
彼女は視線を忙しなく動かしぶつぶつと何かを呟いているが、私達は気にせずに建物の奥へと入っていく。
広い屋内には、外から見た以上にいくつもの部屋がある。
植物に完全に浸食されて扉すら開かない部屋、ふわふわとした不思議な……おそらくはカビに覆われてしまっている図書室、何かの研究用と思しき机が置かれた比較的綺麗な部屋……。
階段が崩落してしまっているため二階には行けていないが、一階部分でもかなりの広さだ。
見た限り単純な植物園というわけでもなさそうに思える。ただし、唯一手掛かりがありそうな書庫があの有様だし、この施設の使用用途を知る事は難しいかもしれないな。
入れない部屋以外をざっと調べ、ロビーへと戻って来た私達。
相変わらず屋内の日の当たらない場所は、コーディリアが調べている怪しい草が花を咲かせている。
しかし、不思議と他に生き物がいる様子もない。花の受粉に必要そうな虫すらおらず、まさに植物の楽園となっているのだ。この量の植物が生えていればまず間違いなく虫がいて、それを食べる鳥がいて、それを狙う蛇くらいは居てもおかしくはない。
これは、この場所が他の地域から完全に“隔離”されているという事なのだろうか……。
気になる点は多い。しかし、今の私達にとって最も重要なのはそんな事ではなかった。
私は魔法の書のマップを調べながら、この建物の最大の問題を口にする。
「一応聞きますけど、ここが最奥という事はありませんよね? ここで何かをしてエレベーターに戻るんですか?」
「ふむ……まぁもう少し手分けして探してみるか。パーティ登録してメッセージ通じる様にしておけば、手分けして探索も出来るじゃろ」
この建物の最大の問題点。それは、何をしていいのか分からない事だ。
この遺跡(かどうかも怪しい建造物)の入り口部分には、これ見よがしに大きな扉が設置されていた。そこに4種類の鍵穴があったし、それを見れば手前の部屋で鍵を探すのだなという事に、何となく見当がついた。
それに対してこの建物は、何かの用途で使われていたと思しき情報はあるが、何かをすればいいと言うような仕掛けが見当たらない。
文字通りの遺跡。調査の対象としては面白いが、私達の今回の目的はここの最奥に赴くことなのである。
つまり、次の行き先の見当が付かないと大変困るのである。
私以外の生徒も、何かの手掛かりを見付けた様子ではない。
結局レンカの言う通り、パーティを組んでこの場所の詳しい調査をすることになったのだった。




