第157話 意外な再会
すっかり冬の空気になった、ある日の朝の事。いつも通りの喫茶店にはいつもの音楽ではなく、軽快なエンジン音が響いている。
その発生源は私達がいつも使っている奥の机の上。絵筆が持って来た小型プロジェクターと持ち運び用の音響機器は、機嫌が良さそうに二分割の映像を流し続けていた。
その状況を遠くから眺めていた私は、思わず言葉を漏らす。
「サボり方が本格的になって来たわね……」
「え? 何か言いましたか?」
「何でもないわ」
萌は絵筆の持って来たレーシングゲームのコントローラーをしっかりと握り、店の制服を着たままそのゲームを真剣に遊んでいる。
仕事がないのは確かだが、これほどまでに待機時間を楽しむ店員が今時いるだろうか。仕事時間が短くなった分、自分の役割には熱心と言われるのが現代の若者なのだが……まぁ一応は客の提案である以上、一種の“接客”に含まれるかもしれない、か?
萌を巻き込んで店でゲームをやっている絵筆は、派手で趣味の悪いプリントのしてある車で圧倒的な走りを見せていた。対して萌は、NPCの操作する車と熾烈な順位争いに巻き込まれている。
絵筆が持ち込んだゲームという事で、実力と知識の差は圧倒的の様だ。
「絵筆ちゃん、それズルくないですか? そもそも車の速度差が違うと思うんですけど……ってか、カーブ後の加速とか意味分からないし」
「ふはは! チートじゃないぞ! このゲームな、ブレーキを踏むと加速するんだ」
「は?」
その作品には部品に油を差して加速性能を変化させる機能があるが、その機能をバグを使ってブレーキに使用すると、なぜかブレーキの減速性能が変化してしまうらしい。そのため能力の低いブレーキに高性能の油を使うと、減速が逆転して加速に変わる。結果として、ブレーキボタン連打で加速する車に変化するのだ。
そんな事を堂々と言い切る絵筆だが、もちろん初心者である萌に使うような手段ではない。褒められた事ではないだろう。
そんな茶番に付き合わされた萌は、当然不機嫌そうな顔でガチャガチャとボタンを押している。
「このゲーム、普通に良作なのにこのバグがゲームバランスを完全に崩壊させてるんだよなー」
「そんな手使ってまで初心者に勝ちたいんですか……?」
大人げない絵筆の行いに呆れていた私達だったが、その話はすぐに打ち切られる事になる。
平和だった店内に突然、澄んだような金属音が店内に響く。
この音は、正面の入り口に備え付けられたドアベルのものだ。もちろん来客を店員に知らせるための物である。開店後に来る店員は基本的に裏口を使うので、誰か店の人が用事でやって来たという事もない。
私は慌てて立ち上がり、首にエプロンをひっかける。とりあえず首にだけ掛けて、腰の紐はベルトに突っ込んで正面の体裁は整えた。ゲームをしている事が誤魔化し様のない萌は、慌てて入口から見えない場所へと隠れたようだ。幸い奥の方の席なので何とかなっている。
……流石にこんな場所で店員が遊んでいる様子を見られるのは悪印象だろう。どうして選りに選って今日、こんな早い時間に客が来てしまうのだろうか。
心の奥で恨み言を唱えつつ、私は軽く頭を下げる。この隙にエプロンを結びたいが、出来るだろうか……。
「いらっしゃいませ」
「あ、あの、すみません。店長さん、居ますか……?」
……?
どこかで聞いたような声だな。どこだったか。少なくとも最近の話ではない。
いや、今はそんな事より店長か。店長を出せ、と言ってもクレーマーなどではない。
店長が目当ての女性客だ。しかしそれ目当ての人ならば、午後に来た方が会える確率が高いと知っていそうだが……最近のファンだろうか。
「申し訳ありません。現在店主は出勤しておりません」
私は軽く下げていた頭を再び深く落とし、後ろ手にエプロンを結び直す。とりあえず身だしなみは何とかなったか。
実はこの店、あの店長にそこそこのファンが付いている。もしかすると店自体のファンよりも圧倒的に多いかもしれない。
それは彼女のバレエダンサー時代からの見物客……という訳ではなく、この店を開いてから、店長が自分で“口説いた”客だ。
私は午前中担当なので詳しくないのだが、仕事の負担にならない程度に店長は個人的に客相手に悩み相談室の様な事もやっているらしい。
最初はかなり個人的な、そして小規模で身内だけの話だったのだが、いつの間にか噂で広まってしまったらしく、今では店長と話がしたいと言って来店する客もいる程だ。
今来た彼女も、そういう客の一人なのだろう。
相談客は、店長の仕事が一段落するまで黙って長時間待っていてくれる人が大半なので、特に困った事もない。まぁ、午前中担当の私にとっては、今は居ないと言って追い返すのが基本対応なのだが……。
今日もいつも通りに頭を下げ、店長が居ないことを伝える。いないならば仕方ないと言って帰るだろう。今から待つにはあまりに時間が長すぎる。
しかし、彼女から返って来たのは思いがけない言葉であった。
「そうですか……あの、もしかして桜子ちゃん……?」
「……?」
急に名前を呼ばれ、私はそっと顔を上げる。私の名前を呼ぶなんて、一体誰だろうか。知り合いであることは確かだと思うが、客に自分の名前を名乗る事などそうはない。
そもそも、桜子ちゃんというのも随分と懐かしい呼び方だ。絵筆は呼び捨てだし、店の人からは基本的に苗字で呼ばれる。まぁ最近一番多い呼ばれ方は、サクラちゃんだけれども、あれはまた別の話だし。
私が不思議に思いつつもそっと顔を上げると、そこに居たのは確かに見覚えのある顔をした女性だった。
「……もしかして、笑顔……?」
「あ、やっぱりそうだった。ひ、久し振りだね……」
私の恐る恐るの問い掛けに、彼女はやや疲れたような笑みで言葉を返した。
確かに久し振り、だな。昔は毎日顔を合わせていたが、かれこれ3年は会っていないだろう。卒業してからそれっきりだった。
それにしても、一見しただけでは全く気付かなかったな。
長く、そして少し野暮ったかった長髪はバッサリと切られ、服装も落ち着いた大人っぽい装いに変わっている。よく考えてみると制服姿以外を見たのは数えるくらいなので、実は昔からそうだったのかもしれないが。
何と言うか、垢抜けたな。昔はクラスでも目立たない方だったのに、もうすっかりおしゃれな女子大生だ。
彼女の名は本岡 笑顔。
私の高校時代の同級生であり、もう3年間も顔を見ていない友人の一人だった。私の高校の友人という事もあり、一応同級生である絵筆の知り合いでもあるはずだが……。
チラリと横目で彼女の様子を確認すると、絵筆はこそこそとゲーム機を仕舞い込み、その身を小さくしている様子だった。
今更学生時代の知り合いなんて会いたくはないのだろう。自分から大学進学を諦めた者同士、少しその気持ちが分かってしまう。
出来れば、もう二度と会いたくはなかったな。自分が人生の王道から外れたという劣等感を、どうしても意識してしまうから。
そんな隠れ潜む絵筆に対し、萌の方は興味津々と言った調子だ。目を輝かせて私達の様子を観察している。
お前はさっさと服を正してこっちに来い。私は一瞬目でそう訴えたのだが、彼女には一切通じなかったようだ。
「……卒業して働くって話は聞いてたけど、このお店だったんだ……」
「ああ、えっと、そうね。そっちはどう? 勉強は順調?」
笑顔に急にそんな話を振られ、私はすぐに話を逸らす。
一応高校ではそれなりに仲が良かったと思うが、私の勤め先については知らなかったのか。
……いや、進路について詳しく話さなかったのは私だったような気もする。
今更何を変に気にしているのか。昔の知人の進路なんて、知らなくて当然なんだから。
「大学は、えっと……」
「……とりあえず、座る? どこでもいいわ」
私としては話をそらすために適当に出しただけの話題だったのだが、彼女は気まずそうに視線を左右に振った。
……そう言えば、店長に用事があって来たのだったか。それはつまり相談があってこの喫茶店に来たという事になる。どこの誰にこの店の事を聞いたのかは分からないが、身近な人には話しにくい事なのだろう。
私は彼女の家族構成を思い出し、その辺にある席を示した。
奥に居た絵筆は萌相手に今日の分の支払いをして帰る準備をしているし、すぐに店は空くだろう。萌が絵筆に根掘り葉掘り事情を聴かなければ今すぐにでも。
彼女の目的だった店長は残念な事にここには居ないが、それを理由に門前で追い返すには私達はお互いの事を知り過ぎている。
笑顔は落ち着かない様子だったが、そっとその腰をアンティーク調の椅子に下ろしたのだった。
評価、ブックマーク、そしてご感想ありがとうございます。
ちょっと筆が重いので、しばらく更新が不安定になると思います。申し訳ありません。シナリオの進みが重い拙作ですが、気長にお待ちいただければ幸いです。なるだけ毎日更新はしたいとは考えています。もしかすると明日辺りに何か名案が思い付いて、急にガーッと書けるかもしれませんし……。




