第156話 パラフィリア
私の魔力の性質が変わっても、魔法の発動には支障がなかった。その理由はいくつか考えられる。
まず真っ先に思い付くのは、双方の魔力が完全に混ざり合っていないという事だ。光の神の魔法と闇の神の魔法は根本的にその力の性質が異なるので、両方の魔力が互いに干渉しない形で存在している。
それならば確かに魔法が普段通りに発動するのは自明だと言える。
しかし、これは少しおかしい。
これが正しいとした場合、邪法を使っても普通の魔力は消費しないという事になる。実際にはどちらも共通の魔力を消費して発動するため、少なくとも綺麗に魔力源が分かれているという事はなさそうだ。
ただ、この仮説が正しかった場合、同じ人間が異なる魔力源を持つという事であるため、同時詠唱へ一歩前進する事にもなる。そういう意味では意義のある考え方だと言えよう。絶対に違うと否定するにはまだ早いし。
次に思い付くのは、魔力が混ざった状態ではあるが、それは魔法の発動に支障が出る程の影響がなかったという事だ。
つまりはそもそも魔法が使えなくなるかもしれないという事自体が私の考え過ぎであり、実際には心配するほどの事でも、何か隠された理屈がある部分でもないという話。
これは、残念ながら現在の情報では否定する事が出来ない。
魔力の性質なんて物は目に見える物でもないし、邪法と呪術に親和性があるというのは、確かに感覚的にも分かる気がしてしまう。一緒に力を授かったロザリーも、専攻は死霊術と禍々しい印象がある魔法だ。呪術と同じ事が言えよう。
サンプルが少なすぎるが故に否定はできない。可能性の一つとしてこういう期待はずれがあるという事は、覚えておかなければならないだろう。
このメモを書いた際に考えた仮説は、まだいくつかある。
その内で分かりやすく、そして否定できなさそうな物は、邪法はどんな魔力であっても発動する、実は魔力の性質で扱える邪法の種類が決まっている……。
この前者は非常に単純な仮説だ。闇の神の加護さえ受け取れば、全員が同じ様に邪法を使う事が出来るようになるという話でしかない。
後者も、簡単に言えば“まだ区分されていない”だけで、邪法もまた普通の魔法と同じく細分化する必要があるという事。
どちらも普通の魔法と共通の魔力で機能するという前提から導き出した仮説だ。要するに、光の神の魔法と邪法はそこまで違いがないのではないかという事。
尤もこの場合、“闇の神の加護”とは一体何だったのかという話になってしまうのだが、否定するにはこちらもサンプルが少なすぎる。少なくとも今の所は、私もロザリーも同じ様に邪法を使えてはいるが、断言するには早過ぎるだろう。
実際にはどの仮説が正しいのかは分からない。もしかすると私が考え付かないような突飛な理屈で動いているのかもしれない。
どれが正しいなんて事を言えるような段階ではなく、ただただ試行錯誤を繰り返して法則性を導き出す事しか今はできないと言っていいかな。ここで何か分かれば、もしかすると研究が飛躍的に進む……というか、方針の一つくらい新しく立つのだが。
私は自分の実験結果とメモに書かれている数々の仮説を見比べ、ベッドに体を預ける。あと禁書庫以外で出来る作業と言えば……
……そう言えば、コーディリアに頼んでいた話があったな。
確か召喚体の性質をロザリーと一緒に調べてくれていたはずだ。私は召喚陣の知識にも手を出していて、邪法で何とか召喚系の魔法を再現できないのかと調べていたのだった。
召喚系は魔法学部には含まれてはいるが、ほぼそれ独自の専門学科と言っていい魔法なので、これが出来たら大発見だ。
次の目的を見付け、ベッドから起き上がった私は、壁に掛けたままになっている時計を見る。
彼女は今の時間ならまだ部屋に居るはずだ。時間も少し空いてしまったし、様子を見に行ってみるのもいいかもしれない。
結局何の手掛かりにもならなかった資料を元の山の上に戻し、私は自室の扉を開く。その先にあるのはすっかり見慣れた学生寮のホールだ。
やや雰囲気のある照明に照らされたその空間では、数名の生徒がソファに座って何かを話している。どうやら知り合いは居なさそうだ。
私の手を離れた扉は、勝手にばたんと音を立てて強く閉まる。しかしそれなりに出入りが激しい場所なので、数人いた生徒がこちらを気にする様子もなかった。
自室からホールへと直結しているこの構造、便利ではあるが慣れるまでは少々落ち着かなかったな。もちろん何十回と通った場所なので流石に今はもう何とも思わない。
私はそのまま後ろを振り返り、さっき出て来たばかりの自室への扉のノブに再び手を掛ける。
この扉は各生徒の自室へと繋がっている魔法の扉だ。ここをくぐった人間はそれぞれの自室へとジャンプするので、廊下に当たる部分は特にない。一応部屋の窓の外を見れば建物のどの辺りなのかは想像がつくが、それだけだ。
色々と知識が増えた今改めて考えると、何やら大層なオーバーテクノロジーにも思える。魔法は自分で作ると色々と不便が多いのだ。まぁその一方で、転移門や魔法世界が実現できるのでそこまでおかしいわけでもないのだが。
この扉の使い方は簡単で、魔法を使うのと同じく会いたい生徒を思い浮かべながらドアノブを回すだけでいい。何も考えてないと自室へと進んでしまう。
自室がプライベートエリアとして設定されている関係上、フレンドリスト上で親友になっていない相手の部屋には行けないという制限はあるが、コーディリアとロザリーは(設定上は)私の親友なので彼女らの部屋に行く分には何も問題はない。招かれたり許可を得たりという事も特に必要なく、家主が部屋に居るなら親友はいつでも遊びに行く事が出来る。
自室以外に行くのが初めてな私は、特にノックもせずにその扉を開け放つ。
あ、そう言えば部屋を訪ねる前に魔法の書でメッセージでも送った方が良かっただろうか。何も相手の事情を考えずに開けてしまったので、完全に今更だが。
扉の先にあるコーディリアの部屋は、いつか見た彼女の作業部屋の様な有様だった。ただし、こちらの方が圧倒的に部屋が暗い。
壁には土や水が入った飼育ケースが並んでおり、部屋中のそこかしこからカサカサ、バタバタと何か小さな者が蠢く音が響く。
ただし、布や厚紙でそれぞれのケースを目隠しされている。直射日光対策か、もしくは隣のケースと喧嘩をしたりするのだろうか。
そのためケースはあまりはっきりと中の様子を見る事は出来ない。またそれが窓や照明からの光を遮って、この部屋全体を暗くしているようだ。
話には聞いて知ってはいたが、中々壮絶な光景だな。これがすべて彼女が捕獲し、飼育している虫達という事か。
……どれだけ虫が好きなんだ。召喚体のモデリングなんて彼女の趣味の一つでしかないわけだ。
もしかすると現実の部屋もこんな風になっているのかもしれないな。甲虫の飼育って現代だと結構屋内でも出来るらしいし。まぁコーディリアからの聞きかじりでしかないが。
私? 無理だな。そもそもペットの飼育自体出来そうもない。動物に大した愛着も持ったことがないのだから、そんな人間に飼われる動物も哀れだろう。
その上、別に自分に懐くわけでもなく可愛いわけでもない虫に愛情が注げるなんて言うのは、大層奇特な人間だけだろうし。
そう言えばいつだったか。彼女が中庭で地面に這いつくばり、何かを探しているのを見た記憶がある。もしかするとあれは虫を探していたのだろうか。
私はその異様な部屋にそっと足を踏み入れ、ガサゴソと絶え間なく音の聞こえる部屋をぐるりと見回す。
飼育ケースが壁になっており、とてもではないが奥まで見通すことはできない。ここからでは家主であるコーディリアの姿さえも確認できなかった。
仕方なく扉の奥へと歩みを進め、ケースから何匹か脱走……散歩中ではありませんようにと心から願いつつ一つ目の壁を越える。
こんな場所で虫に驚いて腰を抜かしたら、周囲のケースをひっくり返して大変な事になる。ケースには水槽も含まれているので尚更だ。
虫の壁を越えると、僅かだが人の息遣いが耳に入った。
どうやら偶々壁の上の方が抜き取られており、そこから音が入っているようだ。ただし、虫の音に紛れていて大変聞き取りづらい。
その上、何だか様子が少し……。
私は多少の不安を抱きつつも、穴の開いた壁からそっと身を乗り出して部屋の奥を覗き込む。
「はぁっ……はぁ……気持ち、ぃ……」
そこに居たのは、椅子に座って何かをしているコーディリアの後ろ姿だった。いつもの制服やドレスではなく、嫌に身軽そうなワンピースを着ている。普段被っている帽子も脱いでいるようだ。
しかし、確かに彼女から聞こえる甘い吐息と艶やかな嬌声に、声をかけるのも躊躇する。コーディリアに用事があったのは確かだが、どうも声がかけづらい。
……まぁ、大丈夫だろう。おそらくはマッサージか何かだ。もしかすると指圧かな?
そう考えて更に奥まで身を乗り出すと、彼女の白い素足が視界に入った。彼女はどうやら何かに足を入れているようだ。もしかすると足湯で喘いでいたのだろうか。
しかしそんな私の甘い考えは、彼女の足の間から姿を見せたそいつと目が合った時点で打ち砕かれた。
大きなムカデが、彼女の細い脚を這いずっている。
彼は細い何本もの足を器用に動かし、彼女の白い肌に突き立て、その体を動かしているのだ。
それも、一匹ではない。彼女は数匹のムカデがいる飼育ケースに、その両足をそっと差し込んでいる。
常人ならばまず悲鳴を上げて振り払うだろう。私だってそうする。何らかの理由でそうせざるを得ない状況になったら、もしかすると私は泣き出すかもしれない。
しかし、彼女は違う。つまり、常人ではなかった。
恍惚とした表情で、甘く喘ぎ声を上げながらスカートを僅かにたくし上げている。彼女の言葉通り、それが気持ちがいいのだとでも言う様に。
……これは、虫好きというかあれですね。その、大変言いにくいのですが、端的に言って変態。
なぜこうも自分の周辺には変態が集まるのだろうかと悩んだ私は、気付かれない様にそっと彼女の部屋を後にしたのだった。




