第153話 壁を越えて
あの日から既に3日もの時が経過した。未だにレポートは提出できていない。書くべき内容が多過ぎるというのも理由の一つだ。
そんな中、最近地下に籠り切りだった私は大急ぎでまとめた秘策を持って、再びシーラ先生に上級試験の申請を行っていた。その際にレポートの提出はまだかと急かされたが、気にしてはいられない。何より万全を期すためには、レポート提出前の今が最大の好機なのだ。
それから私達が移動したのは、殺風景な体育館。ここに来るのも数日振りだが、変わった様子はない。相変わらずここに居るのは私を含めてたった2人で、他の生徒の姿は見えない。
そんな中、私はいつもの傘を持たず、友人から借りて来た黒い短刀を逆手に構える。
装備品はその他にも、敏捷性を上げたり特殊な効果を持つ防具に変えたりと“決戦仕様”だ。とにかく当たったら負けという前提で組んだ装備なので、今後使う予定は一つもない。この試験のためだけに用意した特注品である。
防具の出所? 金ならあるぞ。
左手に持った黒い刃に視線を落とし、強く握り込む。小指の側に刃を構えるこの逆手持ちは、利点の少ない持ち方だ。
基本的に順手に持った方がリーチは長いし扱いやすい。切るための力も入れやすい。
対して逆手の利点と言えば、刺突の威力が上がると言う程度だ。腕を伸ばすだけでなく、刃物を振り下ろす事によって突き刺す事が出来るのでその分威力が高いのだ。それと関節の可動域が制限されるから、その分も刺突に特化していると言えるだろう。
尤も、これは儀式用の短剣なのでそんな事には使わない。今更格闘戦なんてするつもりはないのだ。
「では、試験を開始する。準備は良いな?」
中央で見覚えのある時計の準備を終えたシーラ先生は、私にそう静かに最後の確認をした。私が黙ってそれに頷くと、彼女は時計の竜頭を骨ばった拳で叩く。
それと同時に、彼女の頭上に魔法陣の輝きが見えた。
今回の上級試験、もちろん私は勝算のある防御側だ。
秘策を準備してきたとは言え、未だに攻撃側の攻略法は見付かっていない。試したい事はあるが、どう考えてもすべての切り札を隠した上で防御側で勝った方が確実だろう。
実際には本当の所はわからないが、少なくとも私はそう判断した。
開始直後の先生の魔法陣は、散々見せられた鎖の魔法。一応射出系なので発動が早いし、立体的に配置される関係上、魔法陣のキャンセルも難易度が高い。非常に面倒な魔法だ。
しかし、発動がいくら早くとも迫り来る鎖は線を描く。多少は曲がるが、横に逃げれば私の足でも避けられないという事はない。
そして試験開始と同時に動いたのは、もちろん彼女だけではなかった。私も開始の合図の直後に、自分の10m程右側に詠唱破棄で魔法陣を展開した。
彼女からは角度の関係で見えないだろうけれど、それは今までの魔法陣の常識から外れた形をしている。魔法の種類を示す外円が円形ではないし、使われている言語も私には馴染みのない物だ。
もしかすると彼女はこの“邪法”を知っているかもしれないなと心のどこかで思いつつも、これは隠せば逆転手になるだろうという一種矛盾した確信も持っている。
私は彼女の魔法から逃げ出す様に、そして自分の魔法の発動に追い付く様に右に全力で走ると、その魔法陣からずるりと出て来たそれを掴み取る。
ごっそりと魔力が抜け落ちる感覚に足元がふらつくが、思い切り床を踏み付けてなんとか堪えた。最適化の手法すら判明していない新魔法を、詠唱破棄で使ったのだから当然の反応だ。
鎖の魔法の発動をキャンセルしたシーラ先生は、私の足元に魔法陣を展開する。
これは何度も見せられたパターンだ。出の早い魔法で私を移動させ、その先に範囲魔法を展開する。そうして魔法の打ち消し合いを発生させて、実力で優る彼女の優位を押し付ける。何度もこれで負けている。
いつもと少し違うのは、私が開始と同時に魔法を使った事だ。
それもここまで一度も見せていない“武器魔法”。今までは使ってこなかったその魔法に、彼女の目が愉快そうに歪むのが見えた。……見た限り余裕そうだが、今回は本気で勝ちに行くぞ。
私は魔法の打ち消し合いには応じずに、地面に向かって“引き金”を引く。
それと同時に乾いた発砲音が広い体育館に響き、魔法陣の輝きは何も残さずに消えて行った。
私はその古めかしい銃をそっと手で包む。一連の流れを見ていたはずの彼女は、驚きの余り目を丸くしていた。どうやらこんな物を使うとは思っていなかったらしい。
「その魔法、詳しく聞かせて欲しいんだがね」
「レポートの提出でも待っていてください」
一般的に、武器魔法は魔法攻撃だ。
魔力を含んではいるが、魔法陣に干渉する事は出来ない。魔法陣は魔法陣とだけ干渉し、魔法の効果や道具とは直接的に干渉しないのだ。
しかし、先日私は一つ例外を見付けた。
それは闇の神の魔法、邪法だった。彼女の魔法など今はまだまだ分からない事ばかりだが、私は魔法に干渉するという効果の魔法を一つ見た。
それは封印の箱だ。
あれは内部の魔法の発動を制限すると言う、なんとも不思議な効果を持っていた……と思われる。今となっては確証はない。実物は吹き飛んでしまったし、何より魔法陣を模倣しただけでは再現ができなかった。
これは私の知る限り、光の神の魔法では不可能な効果だ。封印状態を付与しても、効果時間と耐性の問題があるし、魔法陣は魔法陣の打ち消しでしか消えない。魔法を消すという“効果”を持った魔法は見付かっていないのだ。
私はレポートの作成をロザリーにすべてぶん投げ、闇の神の魔法について数日ぶっ通しで研究を重ねた。
参考になったのは禁書庫だ。私のためにせっせと分類してくれていた司書には悪いが、資料を片っ端から調べ直し、“意味の分からない模様”の記録を引っ張り出していたのだ。
当然今までそんな物を重要視していなかったので、分類が完全に無駄になっているのが悲しい。
箱の魔法陣を一部改良し、禁書庫に残っていた闇の神の魔法陣の断片的な情報から、こうして武器魔法を一つだけ何とか完成させることが出来た。
……まぁ暗証番号を手当たり次第に入力するような総当たりの結果なので、胸を張れる様な事ではないし、できれば範囲魔法にしたかったのだが……。
私に軽く質問しつつも攻撃の手を緩めないシーラ先生相手に、私はそれからしばらく逃げ回る。
範囲攻撃は魔法陣の打ち消しか銃弾で、射出系は装備品で強めた敏捷性で何とか躱す。
この銃の効果は単純だ。
魔法の打ち消し。ただそれだけ。魔物を撃ってもダメージはない。
ただし、発動済みの魔法でも効果がある。これに関しては性質がよく分かっておらず、消せる時もあれば消せない時もある。何とも頼りない効果だ。
もちろん、発動前の魔法陣に関しては今の所確実に打ち消すことが可能だ。
この銃は既に発動した武器魔法なので、追加の詠唱を必要としない。魔法陣の打ち消し合いでは、速度と手数の関係で圧倒的に優位に立てている。
欠点と言えば、試験時間の半分程度しか効果時間がない事だろうか。
これが一番痛い。正直大した効果ではないはずだし、消費魔力はえげつないし、再使用も時間がかかるので効果時間は長めにして欲しかった。今の知識では改造なんてもちろんできない。
私は、弾を撃ち尽くしたわけでもないのに軽くなった銃を、迫り来る鎖に投げつける。古風な銃をぐしゃりと潰した鎖は、光になって消えて行った。
しかし、私は勝てる算段を持って来たのだ。これだけに頼るなんて事は最初から考えてはいない。
それに、今だ。この瞬間なら私の方が絶対に早い。
私は魔法を発動した直後である彼女に向かって、一つの魔法を発動する。
それは高速化を施した暗闇の魔法だ。打ち消しを許さぬ速度で放たれた眩い光が、視界を物理的に潰す。その光線には暗闇の効果が付いている。前回までの試験で、それなりに機能していた数少ない呪術である。
数秒だけ彼女の視界から消えた私は、私のいる位置にほぼ正確に放たれた範囲魔法を走って避ける。目を閉じていても、魔法視で大体の位置は把握できるのだろう。ただし、目を閉じてしまうと体の動きや魔法陣が見えないので圧倒的に不利だ。
これも打ち消しをしたいが、私にはそうできない理由があった。この機を逃せばもう一度最初から。それもおそらく彼女は“二度目”ならば対応してきてしまうだろう。
必死で足を動かし、何とか範囲から逃れた私は、逆手に持っていたコーディリアの短剣を思い切りお腹に突き刺す。あっさりと貫通したドレス、傷口から感じる鈍い痛み……。
自傷という行為を前にして、全身から嫌な汗が噴き出す。痛みはそれほどでもないはずなのに一瞬息が止まる。しかし、こんな所で立ち止まるわけにはいかないのだ。
今の暗闇の魔法を詠唱破棄したせいで魔力が切れた。使った魔法の回数は今までの試験と比べ物にならない程に少ないが、最初の武器魔法の消費がそれだけ重かったのだ。今回は範囲魔法の打ち消し用の軽い魔法を持って来たのに、それでも消耗が激しい。
やはり魔法陣は細かな効率化は不可欠だな。今回の魔法、詠唱破棄や血の代償で無理矢理使ったが、本来ならば実戦投入できるような出来栄えではないのだろう。
黒い短剣の効果で体力が削れ、魔力に変換されていく。そして、私の最後の魔法が発動する。
見えない風の弾丸は、先生の背後に展開された魔法陣から音もなく放たれた。流石に暗闇状態のまま、それも範囲魔法を使った直後だ。これは防げまい。
ふわりとそれが先生に当たると、彼女は軽い音を立てて地に伏したのだった。
昨日は予告もなく休載し、申し訳ありません。その内二話更新を行いたいと思います。
ちょっとここと関係のない書き物をしていたら深夜だったんですよね。




