第145話 未知
本話は同日二話更新の二話目になります。ブックマークから最新話に飛んだ方は、前話からお読みください。
「そうだ。これを渡しておく」
ついに闇の神とご対面……というその時、ロザリーが黒い何かを私に差し出した。
「これは?」
「防毒マスクだ」
「……いえ、それは見て分かりますが」
私が押し付けられるようにして受け取ったのは、黒くて武骨なマスク。呼吸缶が付いている、所謂ガスマスクと呼ばれる物だ。
ちなみにこの形式のマスクとして、この形の物ははかなり古い。最近の防毒マスクは缶なんてついていないフィルター状の物がほとんどだし、それ以外となると空気のボンベを背負うような災害対策装備しかない。
その上眼鏡も付いていないのだから、このマスクの見た目から推測される効果の程は微妙な所だ。
現実的に考えてもそんなファッションにしかならない装備なのだが、この世界では完全にそれ以下の代物になってしまう。
なぜなら、見た目と装備が別で設定されているから。
つまり、ここでいくらガスマスクをしても状態異常耐性が上がったりはしないのである。見た目に反映されない防具でしか、耐性は上がらないのだから。見た目装備でしかないマスクで防げるはずもない。
私がそう指摘すると、彼女は軽く胸を張って答えた。
「それはな、最近アクセサリーと巷で言われている物だ」
「……?」
「簡単に言えば、見た目に反映される防具だ。尤も、防具判定にはならないから、重さと動きやすさが許す限り枠を潰さず装備できる。ただし、直接的に能力値は変動せず、効果が発揮されるのは追加効果だけだがな」
彼女の話を聞いて私は思わず感心していた。
今はそんな物があるのか。私が一人で遊んでいる間に、魔法学以外も進んでいるのだな。いや、当たり前の事か。研究熱心なのは何も私だけではないのだから。
私は一応納得すると、マスクを口に着けて首の裏で固定する。
一見するとやや大きいかと思ったが、意外にも小さな体にピタリとフィットする。ただ、少し呼吸の煩わしさがある。呼吸する度に空気の音が鳴るのだ。
「アクセサリーは、甲冑学の変人が作って以来学院では大流行だ」
「……甲冑学の物なんですか。それは……流行って当然ですね」
魔法甲冑学という副専攻は、需要の割りに人気の低い学科だ。
防具を作るという性質上もちろん大きな需要はあるのだが、見た目装備は被服学に取られている。その上、武器作成の魔法兵器学が見た目も効果も自由に作れるので、物作りがやりたい人は大抵そちらへ行ってしまう。
そんな状況で発見されたこのアクセサリーという発明品は、大きな需要があるからという理由で専攻しているだけだった学生防具職人のやる気に火を付けた。
今まで見つかっていなかった秘密の技術だったと言うのに、世に出た瞬間あっと言う間に制作方法が広まって、今ではそれに釣られて普通の防具まで多く出回っているそうだ。
案外“攻略”に熱心なロザリーは、当然と言うかそれを入手していたらしい。これもそのうちの一つなのだとか。彼女が好きそうなデザインではある。
マスクをしっかりと身に着けてからステータスを確認して見ると、確かに状態異常の耐性が少し上がっている。
私の扱う影響力から見ると微々たる差に思えるが、実は“累積耐性”の最大値の影響で、状態異常耐性の初期値というのは結構戦略に影響する要素である。
「疫病の蛇というからには、お前の様な戦い方をするのだろう。対策は一つでも多い方が良い」
……言い方はともかく、ロザリーの言っている事は正しい。
私は多少そんなことを気にしつつも、私達を待っている穴の底へと飛び降りた。
社の床にあった穴から底まで大体3m程の高さがあるが、着地に特に問題はない。落下判定があるのはもっと高い場所から落ちた場合だ。
ヒールの分爪先から降りて思い切り膝を曲げた私は、低姿勢のまま目の前にあるその箱を眺める。
それは、箱と呼ぶ他ない。大体一辺が2m弱程度で、思っていたよりも随分と小さいが、何もないこの空間と相まって独特な威圧感があった。
全ての面に魔法陣を描き込んであるその箱は、シンシの力なのか何なのか淡く輝いている。
魔法視で改めて近くで見ると、眩いばかりの高密度な魔力が確認できる。ここまでの魔力は普通使わない。もしかするとシンシの力の大半はここに注がれていたのかもしれないな。これが疫病の蛇の亡骸で間違いないだろう。
彼が首を落とした後の戦闘能力については調べられていないが、この封印を解除すれば闇の神とご対面という訳だ。当然その時に私達に余裕があるとは思えない。調査は慎重に行うべきだろう。
私と同意見なのか、ロザリーは封印を解く前に熱心に箱の写真を撮影していた。
「上は降りる前に撮ったからいいとして、下はどうするかな……」
「……これは物理的に隔離するための魔法陣ですね。封印と言ってもそこまで特殊な……」
私は写真撮影をするロザリーの隣から、箱に描かれた魔法陣を観察する。
少し見慣れない配置にはなっているが、この程度なら十分に読めるな。文字からある程度魔法の効果も予測できる。
上に描かれていたものとは少し違うようだが、どちらもそこまで特殊なものには見えない。
その事実に若干の落胆を覚えながら、箱の右側へと回り込む。
そして、私はそこで絶句した。
「これ……」
「ん? 何かあったのか?」
私が茫然とそれを見上げて呟いた言葉を聞き、ロザリーもまたその魔法陣を眺める。尤も、彼女には何がおかしいのか分からなかっただろうけれど。
その魔法陣は、私にとって見た事もない形式の物だった。
「……知らない陣。単語も意味が拾えない」
「ほほう。面白いではないか」
ロザリーが何かを言っていたが、正直私の耳には入ってはいなかった。この出会いはそれほどの衝撃だったのだ。
まずこの魔法陣は、図形の形がおかしい。
一般的な魔法陣の図形は、円を基本にしてそれに接する正多角形で構成されている。例えば呪術師の初期魔法は、円に接する正三角形に魔法言語で呪文が刻まれているだけの単純な物だ。その外側に呪術の基本情報か“外円”として付け加えられているが、それは魔法の種類によって一定。そのためそれさえ覚えてしまえばかなり簡単に魔法陣が読み取れるだろう。
しかし、目の前にある魔法陣は円の中に接していない多角形がある。
円に接する正七角形の内側に、歪な形をした五角形と三角形が内接しているのだ。基本的に正多角形ばかりで構成される魔法陣が多い中で、図形が左右対称でも正多角形でもない。
その形式に馴染みのない私からすると、とても成立している様には見えない陣だ。
更に、書かれている文言もかなり珍しい。いや、珍しいという表現は少し的外れだろうか。
文字自体に見た事がない物が含まれているのだ。それも特定のいくつかの単語に集中して使われているらしい。当然何も知らない私には、どういう意味なのかを想像する事すら難しい。
「……どういう意味があるんだろう」
それが知りたい。
しかし、魔法は既に発動してしまっている。効果が発動する前と発動後を見比べる事すら叶わないのだ。
思わずその陣を茫然と見上げ、何とか知っている概念から予測ができないかと考えを巡らせるが、まるで思い付きはしない。
それからどれほどの時間が経っただろうか。ただただ突っ立っていた私の肩に、突然ロザリーの手が置かれる。
「おい、写真は撮ったから封印を解くぞ。というか、術者が消えたからか陣が薄くなってきてる。このままだとその内消えかねん」
「……そうですね。この陣の考察は、帰ってから先生に相談……」
……いや、自分でやるか。もしもこれが私の役に立つ魔法だった場合、彼女を倒す切り札になるかもしれない。それを態々話す必要はないだろう。
いつの間にか止まっていた息を大きく吐き、私は改めて箱を見上げる。古びてはいるが結構立派だ。造りも外の建物に比べればかなり頑丈そうに見える。
しかし、封印を解くのは簡単だ。
中に入っているものがものなので、魔法陣としての機能を失わせてしまえば勝手に出てきてくれるだろう。どうやら塗料に魔力を乗せる方式の陣になっているようだし、大きさ自体はそこまでの物ではない。
ロザリーは自慢の鎌を取り出すと、陣に傷を付ける。塗料さえ剥がしてしまえば、道が断絶して行き場をなくした魔力が勝手に陣を書き換えてしまうはずだ。
陣の傷跡から肉眼でも眩い程の光が溢れ出す。
その直後、想像を絶するほどの爆音が私達を吹き飛ばした。




