第143話 隠された真実
湖を右手に眺めながら進んだ先、まともな道すら通っていないその場所に、ぽつんと建っている石の建物。この世界に降り立った時から見えていたが、近くで見るとまるで忘れ去られてしまったかのようだ。実際、碌に外にも出ない生活をしている村人のほとんどは、こんな場所来た事もないのだろう。
かなり老朽化して内部に草すら生い茂っているその場所に、私達は臆せずに足を踏み入れる。
辛うじて形を保っている建物の奥へと進んで行くと、日の光の差し込み方の関係か草も苔もまばらになっていく。
そして完全な暗闇の中、私達の前に姿を見せたのは何とも不思議な壁画だった。
湖の中に大きな龍、もしくは蛇がおり、それを前にした人間が跪いている。まるで神を崇めるかのように。
ロザリーはその絵を見上げながら、腕を組み、私にあの地下室でみた資料について語り始めた。
「昔、あの村には守り神が居た。白い大きな蛇の姿のその神は、太古の昔に敗れた闇の神の末裔……いや、死体の一部だった」
「死体の?」
「闇の神は光の神と対極にあり、この世の負の側面、死や絶望を司る。その力で一種の死者、つまりは魔物を現世に解き放ち、生きとし生ける者すべてを呪ったが、善の力を持つとされる光の神に敗れた……それが神話だが、死の神は死して尚も滅びる事はなく、巨大な体の一部はこうして世界に残ってしまった」
そういうと彼女は壁画に描かれた蛇の絵を指し示す。
彼女の話は何とも突拍子もない話だ。私はそんな話、今まで一度も聞いたことがない。少なくとも光の神の使いよりは信憑性があるが、突然人から聞かされて信じる事が出来るかと言われれば否と言う他ない。
私が怪訝に思っているのが分かったのか、ロザリーは小さく笑う。
「まぁお前がこの話を信じるか否かはどちらでも良いのだ。あの資料で重要なのは、あの村でデカい顔をしているシンシが何者なのか、だ。あの地下室はどうも巫女の一族の書庫だったらしい。疫病の蛇についての話が事細かに書かれていた」
それからロザリーが嘲笑気味に語ったのは、あの村の捨てられた歴史だ。
曰く、古い村の守り神である蛇は、実際には村を守護などしていなかったのだそうだ。
放置すれば好き放題に湖や土地を荒らすばかりなので、機嫌を取る事で何とか静まってもらう。この神殿はその儀式の跡地であり、かなり一方的な支配関係だったのが、この神殿の壁画からも見て取れる。
ただ、村人に一つも利点がなかったわけではない。
蛇は深い傷を負っており、その傷から流れ出る鮮血は特別な“塩”として魔物を退け、村人に強い活力を与えたと言う。それ故に村は小さいながらも外敵に滅ぼされる事もなかったのだ。
しかし、あくまでも蛇は闇の神の“死体”の一部。
切り落とされた指が生きている時間など高が知れている。例えそれが神の物だったとしても、程度の問題でしかなかったのだ。
月日を重ねる度に得られる血は濁り、その効果は小さくなっていった。
半面、蛇が暴れて湖が大荒れになる事も、土地が枯れてしまう事もなくなっていった。
当然だが、徐々に信仰が意味をなくしていく。蔑ろにするなという脅しは弱くなり、褒美である力は小さくなる。
しかし、一度手に入れた力をそう簡単に手放すなどできるはずもない。利点がある以上、今までの“信仰”はすぐさまに捨てられるものではなかった。それほどに深く根付いた文化であり、蛇との共存は当然の事だったのだ。
もっと言えば、単純に力の差が明白だったと言うのもある。弱っているとはいえ、神というのは未だ人間の手に負える存在ではなかったのだ。
そんな惰性の様な信心が続き、次第に心からの信仰が失われていったある時。
とある一体の精霊が村の近くへとやって来た。その精霊は類稀なる癒しの力で、この地に染み込んだ邪なる血を浄化しながら歩いていたと言う。
彼の行いに“神の御業”を見た一人の女は、その大精霊に話を持ち掛けた。
『我らが神を、殺してはくれまいか』
精霊には、村人からの信仰と献身を捧げるという対価を約束して。
それから程なくして、二人は協力して村の守り神である蛇の首を落とした。死を司る者として遠ざけていたはずの死が目前に迫っている蛇にとって、大精霊は圧倒出来る程の力量差がある存在ではなくなっていたのだ。
しかし、つかの間に勝利を喜んだ彼らにも、一つ誤算があった。
元より“死んでいた”蛇が、首を落とした程度で死ぬはずもないのである。
小さき者の突然の裏切りに激しい憎悪を抱いた蛇は、自分の血に呪いをかけ、村に“疫病”をばら撒いた。
それはこの周辺の魔物をすべて即座に殺してしまう程の物であったのだが、幸運なのか何なのか、日頃から血を口にしていた村人たちには耐性があり、“死に至る病に苦しむ程度”で済んだのだ。
精霊は自身に降りかかった病魔を癒しの力で何とか抑え込み、死を目前にした村人たちは藁にもすがる思いで精霊を“信仰”する。
文字通り、そして約束通り心からの信仰を集めた精霊は神格を得て、村人に降りかかった血の呪いを顕在化しない程度に抑え込むことが出来た。
そして一時的に死を逃れた彼らは、村の中央に首のない蛇を押し込め、そこに上から蓋をした。
その蓋こそが、あの社である。
そして、やや歪ながらも信仰の力で神格を得るに至ったその精霊は、現在あの村の中央で寝そべっているシンシ。彼と一緒に守り神の首を落とした村人の一人が初代の巫女。この時初めて、現代にも残るあの村の信仰の形が作られたのだ。
つまり、私達が彼らから真剣に聞いていた“シンシが光の神云々”というのは、元々は守り神を裏切り呪いを受けたという古の村人の“罪悪感を消す”ための方便。まったくの出鱈目だ。
その後代を重ねて方便は神話となり、巫女の一族と当事者以外に真実を知る者はいなくなった。魔物が出ない事すらシンシの力ではないと言うのだから恐れ入る。
そんな神を裏切った村が、現代でも呪われた疫病の塩を口にして生活しているのは、皮肉というか何と言うか……。下の村人達が碌な扱いを受けていないのも、実際には“村の下”で取れる岩塩を“山”で取れると巫女が言ったのも、そういった背景があるのだろう。
村人の呪いは何とか抑え込めてはいるものの、そもそも根本から浄化しない限りは治癒しないし、何より顕在化しないだけで着実に体を蝕んでいる。その原因たる血を今でも口にしているのだから当たり前だ。
老人が全くいない事からもそれが察せられる。農作業をしている村人も一見元気ではあるが、はっきり言ってかなり不健康そうな体形だった。
シンシに比較的近い神官が肥えている事や、実は社の飯を食っている地下の人間があんな環境で元気に生きているのも、その辺りに原因があると考えて間違いなさそうだ。
既に遺跡となった神殿の中で、壁画や祭壇などを写真に収めて行く私達。
その最中もお互いに気になる事を話し合い、あの村についての考察を深めていく。
「思うに、現世との違いは“死体が長生き”だった事だな。疫病の蛇の全盛期ならば、剣王を退ける事など容易かった事だろう」
「でしょうね。魔物も残っていない現世とは、神話の戦いもかなり違っていたのでしょうし、そう考えるのが自然です」
「……それにしても、神の乗り換えとはな。人間とは強かで薄情な生き物よ」
神殿はそう広くなく、話をしている間に写真も一通り撮り終えた。
特に私から見て不思議に思う物は見当たらない。魔法言語の知識はここまで一つも役に立っていないな。
私は自分の担当分が終わったのをもう一度確認すると、ロザリーを振り返る。
「それで、これからどうしますか?」
「ふん。決まっているだろう。この資料を読む限り、この世界にはまだいるのだぞ? 一目見なければな」
「……では、“門番”を殺す算段を立てましょうか。開けていいかと聞いて開けてくれるはずもないでしょうし」




