第141話 信仰の下側
本話は同日二話更新の後編です。
ブックマークから最新話へ飛んだ方は、前話、第140話からご覧ください。
少年の案内で、私達は“下”へと向かう。
下とは言葉通りの意味で、村の地下の事だ。
彼の案内に従っていくと、畑すらもない様な場所に何と地下への通路がぽっかりと口を開けていた。まるで井戸か何かの様な形のそれを、私達はやや足元に気を付けつつ降りて行く。
角度が急で、尚且つすっかりすり減っている階段は、暗いのもあって大変怖い。
私は落ちない様に壁に手を突き、申し分程度に作られた雨除けの屋根しか見えない“上”を見上げる。屋根でほとんどの光が遮られているし、下にはまともな光源もあるようには見えない。
「……こんな場所があったとはな」
「暗くて何も見えませんね。明かりは持ってますか?」
足元の感覚から階段は降り切ったと判断した私は、こんな場所でもぼんやりと光る魔法の書を開き、中から魔石式の明かりを取り出す。手探りでスイッチを入れると、ランタン型のそれはゆっくりと輝きを放ち始めた。
少しずつ光が強くなっていき、徐々に村の“下”が露になっていく。
壁や床、天井は岩石が削られただけの洞窟だ。少なくとも土ではないらしい。細長い通路には、柱は一本も見当たらない。明かりも見当たらないので、整備された坑道というにはやや雑過ぎる場所だ。
この上で農作業をしているはずなのだが、崩落とか雨漏りとかしないんだろうな……?
私の明かりを物珍しそうに眺め、光を直視した少年が両手で目を抑える。
「眩しい……」
「こんな場所で暮らしていればな……少年、ここには他の村人は寄り付かんのだな?」
「うん。下の人はあんまり上に行かないし、上の人は下にもっと来ない」
彼の話を聞く限り、ここはあまりいい扱いを受けている様には見えないな。というか“下の人”という事は、彼の他にもここで暮らしている人間が居るのか。
私は微かに漂う腐臭に顔を顰めつつ、ロザリーと顔を見合わせる。
「……巫女の話にはなかったな。隠し事か?」
「というより、ここに住んでいるのは“村人”ではないのかもしれませんね」
一応死なないためなのか、上の人間と同じ様に加護は与えられているようだが、まぁまともな人間扱いではないのは確かだ。巫女の話し方を思い出すと、隠したと言うよりも最初から意識に入っていなかったのだろう。
一種の身分制度上、彼らは“人間ではない”のだ。まぁ神官の特別扱いの時点で、上の人間も含めてそうだったのかもしれないが……。
上から降りて来たここを中心にして、放射状にいくつかに道が分岐している。私はそんな中の一つの通路の奥を覗き込み……唯一ここの道を知っている少年を振り返る。
通路の奥まで光が届かない。思っていたよりも広そうだ。
「ここの人は普段何をしているんですか?」
「石を壊して上に送るの。そうするとご飯が降って来るから」
「……とりあえず、それを見せてくれませんか?」
私の言葉を聞いた少年は小さく頷く。そして村の中央へ引き返す道を選ぶと、私達を先導するように歩き始める。どうやらこの先が仕事場らしい。
一本道だとは思うが、狭い通路の中で左右に視線を振りつつ会話を続ける。
「少年よ、貴様は名はあるのか? それと、あんな所で何をしていた」
「名前はイー。話し声が聞こえたから見に行ったんだ。下の人はあんまり言葉が話せないから、上の人の声を聞くの楽しい」
「……そう言えば、この村の人って文字は読めるんでしょうか」
「上の人は読めるよ。何か書いてある板見た事ある。あれが文字だよね」
「……あれは絵だ。文字ではない。とすると、上でも案外識字率は高くないのかもしれんな」
イーと名乗る彼の言葉は、語彙こそ少ないがたどたどしさはない。簡単な単語を選べば意思の疎通は容易だ。
しかし、どうも他の“下の人”は違うらしい。言葉も通じないので下の人同士で協力する事もないらしく、そもそも暗闇の中では人相が見えないのであまり“他人を区別しない”という独特な文化になっているようだ。
話を聞く限り、下の人間は上から“落とされる”子供が大半だそうだ。
イーの様に神官の子供も居るのかもしれないが、碌に言葉を知らない子供達ばかりなのでイーにもよく分からないのだとか。そもそも自分の生まれを知っている事も稀なのかもしれない。
何か言葉を返そうと口を開くと、急に腐臭が強くなり、私は思わず手で口を押さえる。明かりを少し高く掲げれば、少々道の先が広くなっているのが見えた。
何度か緩くカーブしていた道の先。既に村のどの辺りなのか見当も付かない。
その広間の手前で、イーは私達を振り返った。
「ここ、ご飯が貰える所」
「……ここが?」
私達は、衛生的とは全く思えないその空間を覗き込む。
正直、見なければ良かった。これを見ないためにこの空間に明かりがないのだと、そう思う程度には酷い様相だ。
広間の中央には木製の板が置かれている。縄で繋がれ、上には辛うじて光が差し込んでいるので上に繋がっているらしい。おそらくあそこに“石”を乗せ、上に運んでもらうのだろう。
その板の周辺には、残飯らしき腐った何かがいくつも転がっている。上から下ろされた“ご飯”が飛び散ったのか、それとも暗さの余り誰かが食べこぼしたのかは分からない。
更に、食事場としてだけではなくトイレとしても活用されているらしいので……。
余りの臭気に涙が出そうだ。幸いなのは、胃の中に何も入っていない事だろうか。
一応トイレなのか小さな穴はあるのだが、既に溢れかえっているのでただの落とし穴にしかなっていないだろう。
私は意を決して広間に足を踏み入れる。嫌な音がぐちゃりと靴底から背筋へと這い上がるが、無視してリフトを覗き込み、見るからに周囲とは様子の違う小石を一つ拾い上げる。
「……あなたが集めている“石”とはこれのことですか?」
「貸して。……うん、これ。美味しいんだ。こんなに綺麗だったんだね」
指先程の小さな石を私から受け取ったイーは、こんな不衛生な場所にあった小石をペロリと嘗める。
その石は深紅の色合いを見せ、一見すると透明度が低い宝石の様だ。しかし、その特徴から推測するとこの石……。
「……岩塩か?」
「確かめてみますか?」
「……」
……お互い、流石にこれを口に運ぶ勇気はない。
しかし、これほど綺麗な岩塩とは思わなかった。一応飲食店の店員として見た事がある一般的な岩塩には色が付いている物だが、それに比べるとあまりに色鮮やか。まるで……そう、生き物の鮮血のようである。
透明度はないのだが、このまま宝石として加工しても美しくなるだろう。まるで赤珊瑚の様な美しさだ。
「あなたは普段、これをどうやって見付けているんですか?」
「壁を削って、美味しかったらこの石だよ。ここから近いとあんまり出ないけど」
「ちなみにどうやって壁を削るのだ? この様子では道具も碌にあるまい」
「ここ、硬い石があるんだ。美味しい石はすぐに壊れるから、難しくないよ」
ふむ……あまり効率的ではなさそうだな。
どの程度掘れば食料が貰えるのか分からないが、まぁ道具もなしに、しかもこの暗い道を往復して得られる岩石の量なんて高が知れている。“下”に何人いるのか知らないが、この生活空間では子供はそう長く生きられないだろう。大した人数ではないのは間違いない。
塩という生活必需品を採掘するのに、どうしてこんな形式になっているのだろうか。
もしも彼らが仕事を止めるか、もしくは全員死んでしまったら、上の人間も全滅するのではないか?
……。
いや、そうか。病死はあまりしないのか。そういう加護だった。それなら何とかやっていけてもおかしくない、か……?
「……そう言えばここはどの辺りなのだろうな。上に塩屋なんてあったか?」
「さぁ? この縄を登って見ますか? ……何人か先駆者が居たようですよ」
「バカ。そんなことするか。位置関係はマップを見れば一発なのだ」
……完全に忘れていた。そうか、魔法の書のマップ機能。歩いた周辺は自動で記録されていくのだ。
私はロザリーの本を横から覗き込む。
そうして、見えてきたのは下と上の意外な位置関係であった。
「……お? ここは……」




