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第137話 信仰の根元

 私達が踏み入れたのは小さな村だ。

 入り口は半ば朽ちたような木製の柵と、申し分程度の門があるだけ。そこには見張りすらも立っておらず、とてもではないが外敵に対しての対策をしている様には見えない。


 多少その事を不思議に思いながら、私達はそれぞれ門を越える。

 柵や門と同じく建物も現世に比べればちゃちな物で、ひび割れた土の壁に乾いた草の屋根。茅葺屋根という訳ではなく、どうやら幅の広い葉を何枚か重ねて留めてあるようだ。屋根はまるでカビた様に真っ黒になっているので、防腐用のそういう加工なのだとしても、古そうな印象を与えるのに一役買っている。


 畑の間に建てられたようなその建物に人の気配はなく、私達は仕方なく村の奥へと進んで行く。

 村の中では農作業中の村人はチラホラと見かけるのだが、どうも遠くて声をかけるという距離ではない。

 情報は欲しいが、態々畑に踏み込んで話に行くか? と言われると若干億劫だ。何せ人自体は結構見かけるのである。手の空いていそうで、近い場所に丁度良く居ないというだけで。


 そんな中しばらく進んで行くと、他と同じ様な造りの古い建物の前で男が何かを運んでいる所に出くわした。手が空いていそうではないが、ようやく話しかけやすい位置に居る住民だ。


「すみません、少しいいですか?」

「あ……? 何だ? 旅の人か?」

「ええ、少し立ち寄ったのですが……」


 率先して話を切り出したエリクだったが、そこで話を止めて少しこちらを振り返る。どうやら何と言葉を続けていいのか判断に困っているらしい。

 当然だが、私が助けるはずもない。クレハも判断に迷っている様子だ。


 そんな中、少し変なやる気を出しているケリーが一歩前に出た。彼が話をしてくれるならそれでいいかと私は眺めていたのだが、ロザリーは何か不安そうな顔で彼の背中を見詰めている。


「あのぉ、付かぬ事をお尋ねしますが、闇の……」

「あーあー、おほん。この村は良い所だな。建物は質素ではあるが、田畑はしっかりと手入れされ、実りも数多と見える。それにそれは……酒か?」


 直球で質問しようとしたケリーの言葉を遮り、ロザリーは慌てて世間話の様な話を始めた。まるで彼の言う通り、ただの旅人であるかのような振る舞いだ。

 まぁいきなり、ここは闇の神を信仰しているのなんて聞かれれば、警戒するのは間違いないだろう。何せ本当だったとしてもかなりの少数派の自覚はあるだろうし、間違いだった場合敵対されかねないような異端として見られたという事になる。


 もちろんここの魔法世界が現世の過去を再現しているのなら、という前提があっての話なのだが。


 一見美人のロザリーに……というよりも他の人里も見て回っているはずの旅人に村の事を褒められ、作業中だった男はぱっと破顔する。


「ああ、これはシンシ様に捧げる酒だ。毎日たらふく飲むもんで、酒屋の俺は大助かりってもんよ。まぁ今回の分は……っと、あんまり他所の人に言う事でもねぇか」

「シンシ様?」


 男の話に出て来た耳慣れない言葉。シンシ、シンシと何度か頭の中で言葉を転がすが、どうにも意味が掴めない。

 その名が固有名詞でない場合、神使、もしくは神司のどちらかだろうか。


 とにかくそのシンシ様というのが今回の調査対象でいいのか? それともさらに上が居る?

 私達が微妙な顔をしていたからか、酒屋の男は首を傾げて私達を見詰める。


「何でぇ、旅人さんシンシ様の事知らねぇのかい? 有名だと思ってたんだが、案外村の外にゃ知られてねぇって事か……」

「ええ、すみません。寡聞にして存じませんが、そのシンシ様というのは?」


 エリクが問い返した言葉に対して、酒屋の男が返した言葉はこうだった。


 何でもこの村では一昔前に大層な疫病が流行ったらしい。当時はバタバタと死んでいく仲間を前に右往左往するばかりだったが、ある時“救世主”が舞い降りたらしい。

 光と共にその地に降り立ったその者は“光の神の使い”を名乗り、疫病の原因たる蛇の首を一刀の下に断ち切り村を救って見せたのだという。

 それ以来シンシ様は村の守り神として祀られ、彼はこの村に一切の魔物が入ってこれない様にした、というのがシンシ様に(まつ)わる話だ。


 ……つまりシンシというのは神使、言い換えれば天使様という訳か。

 この話が本当だとすれば、ここは剣王の書に書かれていた闇の神を祀る集落ではない事になる。いや、それどころか光の神の使いとやらは……。


 余りの唐突な話に、クレハが思わずと言った調子で問い返す。


「その、あなたはそれ信じてるの?」

「あん? 妙な事聞くなぁ、姉ちゃん。そんなの当たり前さ! シンシ様が来たのは俺のおっとうの爺さんの代だって話だが、今でも魔物が我が物面で歩き回ってる中でこの村だけ魔物が寄ってこないんだからな」

「なるほど。その事は私達も驚いていたのですが、まさかシンシ様のお力だったとは。……ちなみに、そのシンシ様にお会いすることはできますか?」


 彼の言い分は尤もだ。

 村の周囲、それも湖畔のあたりまで魔物の気配すら感じなかった。村の中も奇妙な雰囲気という訳ではなく、建物はともかくロザリーのいうように畑は大したものである。

 この村で生まれ育ち、その神話を常識だと思っている者にとっては、信じる信じない以前の話なのだろう。


 これ以上彼から話を聞くより、実際に会って話してみた方が情報が得られそうだと判断した私は、酒屋の男に“シンシ様に会えるのか”と尋ねる。

 本来ならば会うことなど許されないだろう。

 しかし彼は酒を捧げる役割という話だったし、何より様付けで呼んでいる割に口調がやや気安い。何となくだが、結構な頻度で会っている様な口振りに聞こえるのだ。


 私のそんな無茶な要求を聞いても彼は動じず、そればかりか大きく頷いて見せる。


「ああ! 今の話が気になるってんならそれがいいさ。シンシ様はちょっと変わってはいるけど、決して悪いお方じゃねぇ。俺も子供の頃はよく悪戯して怒られたもんさ。このまま真っ直ぐ進めばお社が見える。そこで巫女様に話すと良い」

「そうでしたか。興味深いお話ありがとうございました。では、行ってみますね」


 私は広げた傘をくるくると弄びながら、そう言って頭を下げる。エリクとクレハが私が頭を下げる様を見て息を飲む様な表情でこちらを見ていたが、無視して酒屋の男に指し示された方向へと歩き出す。


 最後、こちらを見送る様に手を振っていた男を振り返り、意識して一瞬だけ目を閉じる。

 青いオーラの周りをクルクルと回るいくつかの光を確認すると、こちらも返事として小さく手を振った。そんな事をしながらも、向こうに聞こえない程の声で私達は小さく囁き合う。


「……盟友よ。今の話、どう思う」

「どうもこうも、怪しいってもんじゃないでしょう。あなたは光の神の使いとやらが人間と接触した話、聞いたことがありますか?」

「我の知る限りではないな。しかも闇の神については一切情報がなかった」

「強いて言えば、それっぽいのは疫病の蛇ですかねぇ……」


 ケリーとロザリーはそんな話をしつつも、やや密度を増してきた建物の間を抜けて行く。行先はシンシ様のお社だ。話を聞く限り、もしかすると百年以上前の建物なのかもしれない。父親の爺さんの代という事は、3代前だからな。


 ……それにしても、光の神の使いか。

 私が知る限り、光の神に使いは居ない。強いて言えば神話では人間が神の(しもべ)として扱われていた。だからこそ人間は光の神の加護を授かっている。

 そんな使いを名乗るシンシ様とやらは随分な詐欺師なのか、もしくは……。


「全部本当なのだとしたら、この魔法世界の歴史が、大幅に改変されているんでしょうね」


 私はため息混じりにそう呟く。


 魔法世界は、万象の記録庫に積み上がった無数の情報がある一定の法則に従って集められ、一つの仮想世界を形成するに至った物だ。本来なら一瞬で崩れ去る物だが、魔法の書で繋ぎ留める事で私達はこうして足を踏み入れる事が出来る。

 そんな魔法世界だが、万象の記録庫には人間が読み解けないあらゆる情報があるため、現世の歴史とはまた違った“現世や過去と近い何か”を形作る事は多い。


 例えば、大きな戦争の結果が逆転した“もしもの歴史”。

 例えば、大陸の中央に巨大な隕石が落ちた“もしもの未来”。


 ある程度過去の歴史が再現されやすい(ただし漏れなく魔物付きなので細部はかなり異なる)という話ではあるのだが、まるっきり出鱈目になっていることもあるし、中にはいくつかの歴史的事実を()()()ような世界も禁書庫の記録にはあった。


 だからこの世界は、もしも光の神の使いとやらがここに居た疫病の蛇を倒したら……という可能性の再現である。そう言われれば確かに否定できない物だ。


 しかし、私の話を聞いた二人は渋い顔のまま頷かない。


「……見た限りでは、剣王の書に書かれていた集落と酷似している様に思えるのだがな」

「それは間違いありませんね。確かに、建築技術は低く、建物はカビが生えていたが、田畑は実り多い土地だったと記録されていました」

「カビなんですかね、あの黒いの」


 ……何にせよ、大変“調査のしがいがある場所”だこと。

 私はもう一つため息を吐くと、酒屋の男の話にあった大社を見上げた。ここで何かが分かればいいのだが。



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