第11話 勉学
シーラ先生は女性の教師だ。老年で顔は皴だらけ、頭髪は一本もない。体格はやや小柄だが、腰が曲がっているわけではない。意外に歩き方もシャキシャキしているのでまだまだ元気なのだろう。
どうやって女性だと判断したかと言えば、声がそれっぽいから。名前も女性名……だと思う。
「えっと……」
「……」
そんな先生が私をじっと見詰めていた。鋭い眼光は私の手元を射貫いてるかのようだ。教室で教師と二人きりと言う状況は、否応なく私を委縮させる。喉の奥がきゅうと絞まる様な、嫌な感覚。
折角だからと真ん前で授業受けるんじゃなかったな……完全に失敗だ。
魔法で光っているらしい照明は、少々青味が入った白色で少し気味が悪い。人気の学科に追いやられたような、地下のやや圧迫感のある教室ではその照明が重苦しく影を落としている。
とにかく、この状況をどうにかするには、授業を聞いていなかったことを謝るしかない。数瞬の後にその結論に至ると、私は小さく頭を下げた。
「すみません……」
「ふん。別に怒っちゃいないよ。授業を聞かずに何をしているのか見ていただけだ」
それを、大半の人は怒っているっていうんじゃないかな。
そんなことを一瞬考えたが、彼女は本当に叱るつもりがなかったようで、私の魔法陣を取り上げて数秒その内容を確認する。そしてすぐに私にそれを突き返した。
「色々と甘い所はあるが、70点くらいはくれてやろう」
「は、はぁ……70点」
シーラ先生はそれだけ言うと黒板の前に戻り、それを軽く叩く。
するとガコンと大きな音が鳴って、黒板に描かれていた前の授業の魔法陣が一瞬にして消える。そして彼女はそのまま白いチョークを手に取ると、魔法陣に書かれている文字を書き殴り始めた。
今までは魔法陣の内容と書き方についての講座だったのに、突然何をするつもりだろうか?
「最近の若いのは駄目なんだ。答えだけ覚えてその本質を理解しようとしない」
「は?」
「魔法言語には活用が、陣には法則がある。魔法陣ってのは“解く”もんであって“覚える”もんじゃない」
そんなことを一人で語りつつも、彼女の手は止まらない。
突然何を言い出すんだこの老婆は。
私は不思議に思いながらも彼女の手の動きの軌跡を追っていく。つらつらと書かれていく魔法言語は通常言語とは別の文字だ。そのため私にも読めない。読めないが、これは……。
黒板の文字に見覚えがあることに気付くと、先程描いていた自分の回答と見比べる。……なるほど。これが魔法言語の“活用”、つまり地味な文字の変化にも法則性があるのか。
しかし書いている内容は分かったが、急な授業方針の変更には戸惑いを隠せない。
「でも、シーラ先生の授業も丸暗記型の……」
「院長がそういう指導方針にしやがったんだ。あの若造め……」
「……」
「生徒の増加に伴って今までの教育方針じゃ駄目だってのは百歩譲って認めてやるがね。こんなサルに芸仕込むようなやり方じゃ、魔法ってのはどんどん廃れてっちまうよ」
若造って……もしかしてこの人学院長より年上なのか。学院長とはまだ会ったことがないのだが、どんな人なんだろうな。シーラ先生には嫌われてそうだけど……。
そういえば、呪術科がこんな奥まった地下に押しやられている原因ってもしかして、学院長とシーラ先生が仲が悪いからなんじゃ……。
それはともかく、私はまたとない機会だと思って板書を自分なりに噛み砕きつつメモに書き取っていく。
文句は多いがシーラ先生の解説は地味に上手い。教師用に改良された人格再現なので、ある程度は当然なのだろうか。それでも魔法と言う新しい概念を教えると言うのは、少々無茶がある様に思えるが……。
「あんたは魔法陣の法則は一分で覚えな。さっきの考え方で基本はあってる。後は例外を覚えるだけだ。勝手に自習してろ」
「……」
無茶苦茶言うなこの人……何のために授業聞きに来てると思ってんだ。
「ただ、魔法言語に関しちゃそうも言ってられない。あたしとあんた二人の時は、他の生徒が来るまでできる限り教えてやる」
「あの……」
「文句か?」
チョークの手を止めてシーラ先生がぎろりとこちらを睨む。一々凄む必要ないってば。
それに、きっと彼女が心配している様な事ではない。
「授業以外の時は、どこで教えてくれるんですか?」
「……この教室に居ない時は第3教員室に詰めてる。質問があったらそっちに来な。ギレットでも質問くらいには答えられるだろう。あたしの教え子だったからね」
もし間違えたこと言ってたらぶん殴ってやる。
彼女はそう言葉をポツリと続ける。……ギレット先生のためにも、なるだけシーラ先生を頼るとしよう。
まだ見ぬもう一人の呪術科担当教師の事を思い、私はそう心に決めた。
***
授業を受け始め、ゲーム内時間で3時間。
講師役の先生が交替によって、呪術科の授業は終了となった。ちなみにこの世界では1時間が大体4時間くらいになっているため、向こうではまだまだ寝るには早い時間である。
余談だが、実は同時に体感時間も引き延ばされているらしい。実際ゲーム内の一時間は大体一時間くらいに感じるとのこと。このVRは現実に比べて事実上4倍の時間を与えているという訳だ。
この辺は個人差があるらしいし詳しくはないのだが、一つだけ確かな事がある。流石にあの老婆の相手を数時間は、結構疲れる。
そして、私は晴れてパープルマーカーから解放……されていなかった。
パープルマーカーから解放されるには、48時間が必要だ。ゲーム内ではなく現実での。しかもログインしていない時間はカウントされない。
忠告もなしに飛んで来る割りにかなり厳しい処罰なのである。
VRマシン側で設定されている、一日にログインできるログイン制限は10時間。そのため、どれだけのゲーム廃人でも5日はパーティを組めないという訳だ。
尤も、それでも私みたいな後方支援クラスで、格闘封印プレイでもない限りは一人でもそこそこ楽しめたりするのだが、サービス直後にパープルを食らったクラスは主に呪術師と魔法医師。
そのどちらも後方支援クラスであり、転科届が大量に消費される現在の事態を後押ししてしまっていると言っても過言ではないだろう。
まぁ、いくつか魔法を覚えた今ならばそうそうパープルマーカーなんて食らわないだろうとは思う。魔法の使用回数なども貢献度の計算に入っているらしく、回避方法として掲示板に書かれていた。
……組む相手がいないので今更知っていてもどうしようもないが。
そんなパープルマーカーがまだ頭にぶっ刺さったままの私が何をしているのかと言えば、また勉強である。
さっき自分でまとめた魔法言語と陣のメモを見返しながら、図書室の本を色々と見ているのだ。
図書室は万象の記録庫とはまた別の図書室で、城壁の様に本棚が積み重なっている中々のファンタジー空間である。あちらが混沌ならこちらは秩序。かなり整然と、そして高々と並んでいる。
ちなみに私に閲覧権限があるのはその中でも極僅かだが、おそらくこれらの解読と魔法言語の勉強をしているだけで48時間なんてあっと言う間に過ぎてしまうだろう。そう思うくらいには量があった。
呪術っぽい背表紙の本を本棚から引っ張り出してきた私は、呪術科の教室の物よりよっぽど綺麗な机でそれを広げる。この部屋の備品は年季が入っているようには見えないが、もしかすると使用頻度の関係なのかもしれない。
ちなみに呪術っぽい本と言うのは、「呪いのなんとか」とか「呪われたなんとか」とか、あとついでに「悪魔のなんとか」とかその辺り。悪魔関係はあまり数がないが、一応ここにも悪魔という概念はあるようだ。普通の敵は“魔物”なのだが、何か違うのかな?
それらの本に書かれているのは伝記だったりおとぎ話だったりと、直接魔法に関係ない物がほとんどだ。
しかしこれが結構侮れない。噂ではあるが、挿絵に描かれている魔法陣を丸々描き写し、起動に成功したと言う記載が掲示板にあったのだ。それも物語に書かれている内容とほぼ同じ効果のカスタム済み詠唱魔法。
魔法のカスタムに必要なのは基本となる魔法と、改造に必要な情報だ。
例えば炎の魔法を改造して炎の雨を降らせる魔法にしたい時、基本となる炎の魔法を習得していることは絶対条件であり、そこに雨という情報を書き加えたり、一部書き換えたりする必要がある。シーラ先生に私が習っているのはこの書き換えるための技術。
では私に足りない物はと言えば、当然追加する情報だ。先程の例えで言えば、雨を表す文言が何なのかということ。
今回私はこれを物語の挿絵の中から探し出して、うまく抜き出せないかと考えているのである。物語ならその魔法で何が起きたのかも分かりやすいし何とかなると言う楽観半分と、少なくともすぐには成果にならないだろうなという悲観も半分。
しかし、呪術に転用できそうな素晴らしい追加効果があれば、もしかすると呪術師が一気に有能学科になる可能性だってある。万に一つくらいはそんな可能性を夢想してもいいだろう。
私はそんな甘い、そして淡い期待を抱きつつ、挿絵を求めてパラパラとページを捲っていくのだった。
次回更新は火曜日を予定しております。
 




