第136話 調査の目的
「と、とりあえず、行きませんか……?」
シオリとアンナが去り、嫌な沈黙が流れる中でそんな事を言い始めたのは、もちろんケリーである。
渋々といった調子でそれにクレハが従い、そして残された私達もまた不承不承ながらそれに続く。ここに居る理由の薄いエリクだけでも追い出せないかと考えていたのだが、仕方ないか。
あれだけの言い争いをしていた私達は、若干他の生徒に避けられつつも万象の記録庫へと足を進める。そして一言も話さないままに魔法世界へと足を踏み入れた。
白く染まった視界が次々に色付いて行く。そうして姿を現したのは、長閑な湖畔。
視界一杯に広く深い湖が広がり、対岸はうっすらと僅かに緑が見えている程度。背後にはそんな大きな湖に沿う様に街道らしき道が続く。周囲には多少の林も見えるがそれほど深くはなさそうで、見る限り丘や草原ばかりとなっていた。
空は嫌になるくらいの青天。こんな状況でなければピクニックでも始まりそうな場所である。
そんな景色とは裏腹に雰囲気の悪い私達は、それぞれ道の先を眺めていた。
キョロキョロとしていたケリーが鳥のさえずりに消されそうな程の小さな声でポツリと呟く。
「ど……どっちに、行きますか……?」
「……調査対象がありそうな方、何となくでも分からないんですか?」
余りに頼りないその姿を見て、私は小さくため息を吐いた。ここまで来た以上、ギスギスしていても仕方ないか。協力とまではいかずとも、足を引っ張るようなことは控えようと思う。
そんな私の諦め交じりの問い掛けを聞いていたロザリーは、やや控えめに道の片方を指し示す。
「向こうだな。町か村が見える。反対側も何かの建造物はあるが、今回はこっちで決まりだ」
「……分かりました。そうしましょう」
武器を担いだロザリーを連れ、私は湖畔から道の方へと歩いて行く。他の面子はその方針に何も言わなかったが、足音を聞く限り私達に続いているらしい。
「それで、今回の調査は具体的に何をどうする方針なんですか?」
私は魔物など出る気配が少しもしない平坦な道を眺め、隣に居るロザリーにそう問いかける。
結局ここに来る前は、調査対象すらも教えてはくれなかった。それをここで改めて聞く必要があるし、何よりそもそも今回の課題が何について書かれた古文書を読んだ結果のものなのかも私は知らない。
彼女は私の質問に深く頷くと、多少後ろを気にしつつも話し始める。ここまで来た以上、同行者に隠しても仕方がないだろう。
「今回の調査だが、闇の神についての話なのだ」
「闇の神……」
私は完全に想定の外側から聞かされた単語を口の中で転がし、内心で首を傾げる。どこかでロザリーと話したような気もするが……
……思い出した。入学の直後くらいかいつだったかは忘れてしまったが、確かにロザリーとはそんな話をしていた。彼女がそれについて調べてみると。
闇の神は現世で広く信仰されている光の神が討ち滅ぼした者。現世から魔物が居なくなった理由が確か、その二柱の神の戦いだったのだとか。
あの頃とは私の知識も段違いになっているはずなのだが、そんな私も闇の神については詳しく知らない。いくつかの資料で光の神についての詳しい記述は見るのだが、闇の神に付いてはその広く知れ渡った神話以外の話は一切記憶にないのだ。
おそらくは相当古い時代に消えたから、人間が後世に伝える術が途絶えてしまったのではないだろうか。
光の神は像を作るし、神話も残る。しかし敗者である闇の神の実態については……。
そこまで考えてふと疑問に思う。
なぜ現世ではなく“魔法世界”の調査記録である禁書庫でも、闇の神について一切の資料が見つからなかったのだろうか。神話の中で倒された現世の記録はともかく、こちらでも闇の神は存在し得ない?
しかし、魔法世界は無限にあるが、大抵どの世界に行っても魔物が跋扈している。これは光の神が闇の神を倒していないという事にならないだろうか。
それなのに闇の神の実態については一切の記録が残っていない。……もしや闇の神と魔物に関連性はない? それとも、学院か昔の誰かが闇の神についての資料を選択的に破棄している……?
私が考え事をしている間にもロザリーの話は、要らぬ乱入を許しながらも進んでいく。
「ああ、聞いたことがあるね。昔光の神に敗れた、闇の神が居たって」
「ふん、その程度常識だ……。バラバラになっていた古文書、剣王の書によると、海岸近くの集落に“闇の神を祀る”風習があったそうだ」
「はぁ? ……どうしてよ」
「知らん。書いてなかったからな。そもそも剣王は侵略者だ。しかも圧倒的な武力でねじ伏せるという単純さを好み、相手が弱ければ弱い程に下調べは雑になる。何より結局は伝聞であって、自分で調べたわけではないのだ」
……頭の痛い話だな。実際にその集落について調べた手下は、文字が書けなかったか、もしくは立場が弱くて“異教”についての資料を残せなかったか、単純に資料が失われてしまったか。
いずれにしても闇の神についての記述は侵略者の日記の様なメモ、しかもバラバラになった物しか残っていなかったという。
ロザリーの話を聞き、魔物が出ず暇だったのか、エリクも珍しく考え事をするような仕草を見せていた。
「なぜ、そんな物を信仰していたんだろうね。悪神なんだろう? 祟りとかばかりで良い事なんてなさそうな物だけど」
「愚か者め。祟る神など珍しくも何ともない。神罰と祟りの違いが貴様に分かるか? 古今東西、畏れ敬うが信心の根本だ」
「……そうかな。僕は脅しばかりじゃないと思うよ。念仏を唱えれば極楽浄土へって考えもあるみたいだ」
「ふっ……それこそ“そうしなければ地獄に落ちる”という脅しではないか」
私はやや近付いて来た目的地を眺めつつ、じっと考え込む。
やはり少し不自然に思えてしまうのだ。本当に今回の件、闇の神が関係しているのだろうか。
ロザリーの言うように、この時代でも祟る神など珍しくもない。エリクが混じって来てから適当に聞き流していた話だったが、そこで一つの可能性を思い付く。
「……それって本当に闇の神だったんですか?」
「ん? ……面白い事を言うではないか。聞かせろ、盟友」
「その集落の話を聞いて“闇の神”だって思ったって事は、剣王という人も光の神の信徒、もしくは神話を信じていた普通の人なんですよね?」
「普通というのが、神話を信じているという事ならそうなるな」
「だったら、似ているから闇の神だって思い込んだ、もしくは対応する言葉を知らなかったから闇の神として書くしかなかったって事は、可能性として相当高いと思いませんか?」
「……ふむ」
ロザリーの話を聞く限り、それはかなり雑な書き方だったのだろう。
そもそも、なぜ剣王の書にだけ闇の神の情報が(多少荒いとは言え)残されていたのか。
他にも無数の古文書があるのにも関わらず、これまでにロザリーから聞かされた闇の神についての情報はそれだけだ。調べるとあれだけはっきりと言っていたにもかかわらず。
それはつまり、今までこんな情報でさえもほとんどなかったという事だ。
それが突然見つかった。
何ともその唐突さは怪しいし、何より私は闇の神と“似たような物”を知っていた。
この世界にも、鎮守神という存在がいる。
偶々流れ着いた、もしくはその場で生まれた精霊などの力ある存在が、小さな集落の人間に崇められ神格を得たという希少な存在である。希少とは言え一切見ないという程ではなく、魔法世界では度々目撃されているようで禁書庫の資料にも記述が散見される。
意外に探せば現世でも見られるのではないだろうか。そう思わせるくらいには自然な物のようで、単語自体には注釈すら書かれていない。
偶々その集落の鎮守神が荒魂としての側面が強く出ていて、短慮な剣王とやらが闇の神と間違えた……というのは、多少考えられそうな話ではある。
最後はかなり私の常識に偏った考えをしてしまったが、まぁ鎮守神が猛々しい性質だっただけというのは考えられる可能性の一つではあった。
考え込むロザリーとは対照的に、元気よく私の仮説に食いついたのはここまで黙って歩いていたケリーである。彼はいつになく……いや、会ってから初めて見せる笑顔で私の隣に駆け寄ってきた。
「きょ、興味深い仮説ですね。確かに、剣王の手記はあまり具体性に欠ける記述で、今に思えば不自然な程に詳細が省かれていました。最初は闇の神の持つ役割上の特異性から来るものかとも思いましたが、“よく分からない物だったから明言を避けた”とも考えられます!」
「……だとしたら、期待外れになりそうだな」
「まぁ、読んでない私よりはあなた達の方が詳しいでしょう。思い付きを話しただけですので、判断は任せます」
何より、こうして自分で話しておいて何だが、“実在する鎮守神”というのは軍事力。剣王が気にしないというのは少しばかりおかしいような気もする。
まぁ、ここでこれ以上話し合っていても仕方ないか。こうして話していたのは、魔物が一向に出てこない道の暇潰しでしかないのだから。
そんな話をしている内に、私達は目的地である村へと辿り着いたのだった。




