第135話 遊び人人生論
思わぬ遭遇を前にしてしばらく睨み合っていた私達だったが、ロザリーは視線を少し逸らして一人の男を視界に捉える。やや長めの髪の優男は、急激に険悪になった私達を見て困惑気味だ。
「おい、ケリー。こいつらは一体なんだ」
「えっと……二人は知り合い? なの……?」
彼はロザリーから鋭い視線を向けられ、オドオドと視線を左右に振っている。
ロザリーからケリーと呼ばれた彼。どうやら彼が話に聞くロザリーの共同研究者という事らしい。話を聞いた時は勝手に女だとばかり思っていたが、見る限り男だ。すこし髪型が女っぽいが、体格も格好も見るからに男である。
男はしばらくこちらの様子を窺っていたが、ついに観念したのか事情を話し出す。
「えっと、人数が足りないから、こっちで二人分知り合いに声を掛けたんだけど……」
「……」
彼の激しく泳いだ視線の先を無意識に追うと、奴と目が合った。偶然とは言え私から逸らすなんて事はしたくないので、座ったままのエリクをじっと睨む。
当然と言うか、先に折れたのはエリクだった。奴はため息と共に立ち上がると、少し気落ちした様な声で呟いた。
「僕達が出て行くよ。今回は本当に偶々受けただけなんだ。ここにこだわる理由も特に……」
「ちょっと、先に来たのはこっちでしょ! 出てくのはあっち!」
殊勝なエリクの言葉を遮り、そう主張したのはエリクの傍にいる大型犬……名は確か、クレハだかクレアだかエクレアだか何とか。正直、リサにぼっこぼこにされていた狂戦士という印象しかない。
彼女は立ち上がったエリクの裾を強く引っ張ると、椅子にふんぞり返って私を睨む。
直接的な関係はほとんどないはずだが、妙に敵視されている様子である。そして、彼女の主張を聞いて黙っていられないのがここに一人……。
「おい。先にというなら我が先だ。古文書を見付け解読した本人が報酬を受けられぬとは、一体どういう了見があるのだ? 言ってみろ、小娘」
「はぁ? そのくらい自分で考えたら?」
……なるほど。どうやらこの犬、頭が少しおかしいらしい。いや、吠える、噛み付く、従うしかできないというのは犬としてむしろ正しいのだろうか。
ただし、人間らしい言い争いは出来そうもない。
理屈が通用しない相手に言葉で何を言っても無駄だ。表面上言葉が通じている様に見えても彼女の頭の中に結論が既にあって、論点をすり替え、話を聞かず、結局は自分が正しく相手は間違っているのだという結果ばかりを信頼する。
言葉で対立は解消されない。そういった最たる例と言えるだろう。
しかし、私もここで引くつもりはなかった。
そもそも、私がエリクに道を譲る? こちらに非も無いというのに? それこそあり得ない話だ。
この場に居る話が通じそうな人間で、私が話しかけたいと思う方……ケリーに視線を投げる。
急激に険悪になったこの状況をどうにかして変えたいと思っているのは彼も同じだろう。奴らは彼の誘いでやって来たという話だったから、流石に梯子を外されれば無理に付いて来ることはない……と思いたい。
「どうして彼らを選んだのですか? 他にももっとマシな候補はいたでしょう」
「えっと、最初の頃に助けられた事があって……その縁で……」
やや不安げにそう話す、彼の学科章は魔法医術科。最初期では呪術師と並んでパープルマーカーの二大学科だった所だ。
その頃にエリクに良くしてもらったからこそ、今の自分があるのだと。ケリーはオドオドとしながらもそんなどうでもいい話を私に聞かせる。
隣でクレハはうんうんと頷いていたが、こいつの話は一つも出てこなかった。こいつは何なんだ? というか、いつからエリクと一緒に行動しているのだろうか。
しかし、私が聞きたかったのは何もそういう話ではない。
私は思い出話ばかりのケリーに問い直す。
「それで? 彼らを誘う事に何かメリットがあるんですか?」
「え?」
「あなたがどう感じているのかは分かりませんが、昔の恩はあくまでも昔の話。これからこの課題に取り組む上で、この愚物をお荷物にしてまで連れて行く必要があると?」
ロザリーが私を連れて来たのは、何も仲が良いからという話ではない。仲が良い、つまり連携の練度が高いというのは利点の一つではあるが、いつもと面子が違うこの課題でどこまで通用するのかは疑問だ。
それ以上に、私に魔法言語の解読役としての価値があるからこそ、ロザリーはコーディリアでもティファニーでもなく私を呼び出したのだ。
その点、エリクは昔恩を売ったというただそれだけ。それも話を聞く限りはいつもの“優しさ”であり、今後何かいい課題があれば連絡をくれと取引をしたわけではない。
研究対象を嬉々として破壊するような男を調査課題なんて物に連れていって、何かいいことがあるとでも思っているのだろうか。
私の疑問を耳にして、クレハは勢いよく机を叩く。
「はぁ!? どういう意味よそれ!」
「どういうも何も、あなた達が何の役に立つのかと聞いていますが、聞こえませんでしたか?」
「少なくともあんたなんかよりは戦力になるわよ!」
戦力ねぇ。調査に行くというのに野蛮な話だ。それに、本当に私以上の戦力になれるかというのも微妙な部分だと思うが。
しかし、私が何かを言い返す前に言葉を遮った者がいた。
「君の言い分は分かった。僕が出て行って丸く収まるなら、僕自身はそれでいいと思っている。……でも、僕達はあくまでも呼び出された側だ。最終的に決めるのは彼なんじゃないかな」
エリクがそう言って示したのは、当然だがオロオロしている男、ケリーである。
図らずもこの状況を作り出した本人だというのに、彼はエリクに指名されてあからさまに怯えたような表情を見せた。どうやら私達の対立に関わりたくなかったらしい。
エリクの案というのが気に入らない……が、それならいいか。
私は一応納得して彼の回答を待つ。
彼はロザリーとの共同研究者。どういう経緯なのかは知らないが、流石に一緒に古文書の解読をしていた生徒を追い出すことはないだろう。そうなれば私も自動でこのままここに残る。
エリクも多少はその事を考えていたのだろう。つまりこれは、駄々を捏ねるクレハを言い聞かせるための方便であり、自分は身を引くつもりなのだ。お優しい……というよりは、単純に私達の方が優先されるべき立場だから。
しかし、事は思わぬ方向へと流れていく事になる。
「えっと、で、では今回の話、は……や、やっぱりこのまま行きましょう!」
「……は?」
その声は誰が発した物だったのか。もしかしたらこの場に居た全員の声だったのかもしれない。
私はケリーが口にした言葉を反芻するようにしてようやく飲み下すと、首を傾げる。何を言っているのだ、こいつは。
やや笑顔が硬いエリクもまた、返事が理解し切れないとばかりに当たり前の事を問い返す。
「……えっと、このままっていうのは、この面子でって事かな?」
「は、はい……!」
……正気か? もしや今までの言い争いを見て、実は仲が良いんだなぁなんてお花畑な事でも考えていたのだろうか。初対面とは言え流石にそれはないと思いたいのだが。
私はまだ理解できそうな一つの可能性を導き出すと、思わずそれをケリーに問いかける。
「もしかして、恨まれるから選びたくない……なんて考えていたわけじゃないですよね?」
「い、いいえ! そんなことは……!」
はっきりしない態度に思わず舌打ちが漏れる。聞こえてしまったのか、彼はまるで怯える様に背筋を伸ばして俯いた。
……困ったな。もしかして私が引かない限りこのままの面子で課題に取り組むことになるのか?
特別課題は受注可能な生徒が決まっている。課題を受けるには何か特殊な条件が必要らしいので、それを満たした生徒とそのパーティメンバーしか参加できないのだ。例えばこの前の場合は課題を受けたのはコーディリアだけで、私達は相乗りしているだけだった。
そして、ここまでの言い争いでロザリーが“パーティを一度解散して受け直す”と言い出さないという事は、受注する権利が実際にあるのはケリーなのだろう。
つまり、実質的にパーティの編成権限を持っているのは彼一人という事だ。
その彼が“このままでいい”と言ったならば、誰かが“抜ける”と言い出さない限り面子は変わる事がない。
……当然だが、私は抜けられない。エリクが居るからというよりは、ロザリーに誘われたから。
彼女があれだけ慌てるような内容で、しかも古文書の解読というそれなりに面倒な作業の先に待っていた課題。少なくともロザリー本人が抜けると言わない限りは私も抜けられない。
ロザリー、そしてクレハとエリクも思っていた展開と異なっていたためか、やや不満気な表情を見せている。
どうしようか。
誰も、ケリーまでもが何も言わず、円卓に沈黙が流れる。誰も、面子が決まったならば早く行こうと言い出す事すらない。
「っ……?」
そんな中、突然とんっと背中に柔らかな衝撃が伝わる。それと同時にふわりと独特な酒気が鼻孔を擽った。
私は振り返らずともそれが誰なのか一瞬で理解する。出来れば会いたくなかった方の知り合いである事は間違いない。この場で子ども扱いでもされようものなら、笑われるというのは目に見えている。
「やぁやぁ、サクラちゃーん、久し振り。怖い顔してどうしたのー?」
「……シオリさん。酒臭い上に鬱陶しいのでどいてくれませんか。見ての通り機嫌が悪いのですが」
高いヒールと身長、扇情的な衣装と赤い顔。
後ろから私に抱き付き、酒瓶をふらふらと左右に振っているのは、シオリ・ネクタール。この前の実技訓練で知り合った酔っ払いである。
私が軽く振り払うと、彼女はよたよたと私から離れ円卓の席へと座り込んだ。ティファニーとはまた違う厄介さだ。
彼女は椅子に体をだらりと預けると、透明な酒瓶の中身を大きなウィスキーグラスへと注いで勢いよく中身を呷る。
ちらりとラベルを盗み見た限り火が点きそうな度数なのだが、彼女はまるで気にした様子もない。どれだけ飲んでも酔わないのだから当たり前……いや、あの飲み方、とてもではないが美味しそうには見えないな。本人は至って楽しそうなのだが。
……向こうで私がこの飲み方したら、一瞬で病院送りになるのではないだろうか。それなりの下戸である自覚はあるので、あまり考えたくはない。
彼女は酒臭い息を吐くと、エリクやクレハ、ケリーをぐるりと見回す。
「ん-……喧嘩かぁ。良くないぞっ、仲良くない相手とは適切な距離感れ付き合うのが肝臓と心臓くらい大事、つまり肝心! 気に食わねぇ職場の先輩に言い寄られたからって、はっきり断ったら気まずいじゃない! それを脈ありと勘違いしやがってあの野郎……」
話している間に話していた内容を忘れたのか、ころりと話題が転換する。……妹。妹はどこだ。
私はあまりの惨状から目を背ける様に後ろを振り返ると、丁度良くキョロキョロと何かを探しているアンナの姿が目に入った。どうやらこの酔っ払い、パーティの集まりを抜け出してきたらしい。
アンナも私の顔を見て一瞬笑顔になったのだが、自分の姉がここで騒いでいるという事に気が付くと慌てて前に居た生徒を掻き分けてこちらへと走り出す。
「ごごご、ごめんなさい! お姉ちゃん! いい加減にして!」
「えぇ……? 折角シオリお姉さんが子供たちに人生論をらねぇ……」
「すみませんすみません! 話し合いのお邪魔でしたよね! すぐに連れて帰りますから!!」
アンナは慌てて自分よりも身長の高い姉を羽交い絞めにすると、後ずさりするように移動しながら頭を下げ続ける。対してシオリはそんな妹の様子を全く気にしておらず、自分より小さな妹に引きずられながらも私に一本の酒瓶を差し出していた。
「気に入らない奴は度数の高い酒で潰すのが早いよ! これ飲み会の鉄則だから、覚えておきな!」
「いや……要らないんですが」
コルク栓がしてある青色のビンを押し付けられた私が、返そうと視線を上げた時には既にシオリはアンナに連れ去られた後だった。
……どうしろって言うんだ、これ。




