第134話 不機嫌の理由
翌日。仕事を終えた私は、早速学院へとやって来ていた。
目的はもちろん上級試験についてである。
今朝会った絵筆の話を聞く限り、呪術科以外の学科も相応に難易度は高いらしいが、呪術科程の難易度なのかは不明。他の科では昨日の内に突破者が居た所もあったらしいので、呪術科は平均よりは難易度が高いと信じているが、まぁ他の学科も同じ事を考えているのかもしれない。
しかし、私が居るのは体育館でも教員室でもなかった。小さな窓から差し込む光、乱雑に放置されたままの資料、ずっと使っていないままの抽出器……ここは寮の自室である。
毒液の作成を他の部屋で行うようになったため、いつもは魔法陣の改良くらいにしか使っていない部屋なのだが、現在私が行っている作業はそれとは少し異なっていた。
私はいくつか書き連ねた現実味の薄い“作戦案”を放り投げ、椅子の背もたれに体を預ける。
何度考えてもシーラ先生に勝てる手立てが見つからない。
思い付くのは同時詠唱さえできれば一発なのになという、多少の現実逃避くらいである。もちろん捕らぬ狸の皮算用……それどころか机上の空論にすらなっていないかもしれない、作戦とも呼べない物だ。
結局昨日から何も進展していない。
私はその現実を目の前にして、大きく息を吐く。
……今朝仕事場で萌には、他の試験で合格すればいいと正論を言われてしまった。これは筆記に落ちた時点で、私も多少は考えていたことである。
今回の試験は上級に上がってからも実力試験として再度受ける事が出来る。無様を晒したままになっている入学試験と違い、リベンジは可能なのだ。気にせず簡単な試験で合格してしまうのが手っ取り早い。
しかし、一度申請した試験を止めて他を受け直すというのが……どうにも我慢ならない。
その上残っている実技試験はやや私の適性から外れているので、魔法陣の改良や多少の作戦を練る必要が出て来るはずだ。それは少し……いや、これはもちろん技術試験でも同じ条件なのだけれど……。
……言葉にすると何とも情けないのだが、きっと私は“試験に落ちた”という事を認めたくないのだろう。
実際には筆記も含めて数えきれない程に落第判定を貰っているのだが、諦めずに挑戦し続ける限りは“試験中”だと言い張れる。
しかし他の試験で合格してしまえば、不合格判定がそのままで上級へと上がる事になる。上級で再試を受けたとしても、あの時不合格判定だったというその事実は二度と覆らない。
紙と一緒に放り投げたペンが壁に当たり、ころころと手前側へと戻って来る。
ここでこのペンをいくら全力で投げようとも、隣の部屋へ移動させることはできない。
それはそもそもその方法が私に与えられていないから。特殊な判定になっている学生寮の壁は生徒に壊す事が出来ないし、隣の部屋へ行くための廊下は“存在しない”。そもそも隣の部屋という言葉自体、かなり概念的な存在ではあるのだが。
今回の試験も同じだ。
私がシーラ先生を出し抜くには手札が足りない。
私の中で最も当てやすい魔法と言えば、範囲系付与魔法……ではない。
覇気だ。このオリジナル魔法は詠唱も長い上に消費も重く、発動までも時間がかかるが、発動さえしてしまえば敵対判定の存在に確定で当たるという特殊な性質を持つ。
そのため攻撃側で覇気の魔法をどんな手段でもいいから自分に付与できれば、それだけで合格することが出来る。色々と考えたがおそらくこれが最も簡単だろう。
しかし、発動できないなら散々使ってきた範囲系と何も変わらないのだ。
今の私では、最高の手札を用いても倒す事が出来ない。
ならもう、手札を増やすしかないだろう。
私がそう結論を出すのと、自室の扉が音を立てて勢いよく開け放たれるのはほぼ同時だった。
来客と呼ぶにはあまりに無遠慮なその音を聞いて私が振り返る前に、彼女は自分から声を張り上げた。
「盟友よ! なぜ我が呼び声に応じぬのだ!」
「……ロザリー、部屋に入る時はノックくらいしてください」
学生寮の自室に入る事が出来るのは、フレンドの中でも“親友”設定が付けられている生徒同士だけだ。この機能にはそれ以上の大した意味はない。出会ってすぐに親友になる事も当然可能だ。
一緒にプライベートエリアに侵入するのに必要だからと、私とロザリーは入学直後からこの設定を行っていた。
現在私の親友はロザリーとコーディリアのみ。ティファニー? あいつを部屋に入れるはずがないだろう。リサは何となく機会が無くてそのままになっている。
そのためここへ直接来ることが出来るのは、二人のいずれか。この無遠慮さから考えれば見ずとも自ずと正体は分かっていた。
そんな私の数少ない親友だが、私の返事はまともに聞こうとせずに細い腕を引っ張る。体格差からか能力値差からか、私はなす術もなく椅子から立ち上がらされた。
余りに強引なその行為を受けて思い切り顔を顰めるが、彼女は気にすることもない。その様子を見るに、余程慌てているようだ。
「……何かあったんですか?」
「古文書を見付けたのだ! それに対応した特別課題が出ているから急ぐぞ!」
特別課題?
彼女の返事を気にしつつもちらりと後ろを振り返れば、置きっ放しになっている魔法の書は健気に誰かからの着信を通知している。どうやらロザリーから連絡が来ていたが、考え事をしていて全く気付かなかったらしい。
足早に学生寮を出るロザリーに手を引かれつつ、私は片手間に彼女からいつの間にか飛んで来ていたパーティ申請を受理する。
パーティメンバーのページを見れば、そこに書かれていたのはいつもの面子でも私達二人でもなく、もう一人私の知らない生徒の名前。どうやらパーティに参加しているのは私達だけではないらしい。
生徒準備室への道すがらざっくりと事の経緯を聞いて見ると、どうもこの生徒はロザリーの古代言語学の級友らしく、一緒に同じ古文書を分担して読み解いていたのだとか。その結果特別課題が現れたので、一緒に行動をしている……というのが話の流れらしい。
当然古代言語はどちらも読めるはずなので、便利な魔法言語翻訳機としての役割を私に求めているのだろう。使われるだけなら癪だが、特別課題に相乗りさせてもらえるなら悪くない話ではある。
しかし私は一向にメッセージに返事をしなかった。そしてついにしびれを切らして自室までやって来たのだそうだ。
私は今更ロザリーから来ていたメッセージを読みつつ、彼女の顔を見上げる。
「ところで、どういう古文書だったんですか? 大方、課題はそれについての調査なんでしょう?」
「聞いて驚け、実は……っと、もう着いたか。人に聞かれると不味いのでな、後で話す」
準備室に近付き、廊下には生徒も増えて来た。それを気にして彼女は自身の言葉を遮る。どうやら余程の事の様である。
もしやこの前話したように、本当に古代呪術でも見付けたか? ……いや、そうだったら魔法陣を見せに来るだけでいいはずだ。特別課題に派生するとは考え難い。他の事となると……考えても仕方ないだろうな。完全に専門外だ。
ロザリーはここに来てようやく繋いでいた手を離すと、人込みを掻き分ける様に準備室の奥へとずんずん進んで行く。私は黙って、彼女の目立つ背中を追った。
彼女が向かった先はパーティ募集用の円卓方向。そこに待ち人が居るらしい。
ここは待っている側の生徒は椅子に座っており、他の生徒も目的地へ向かって移動し続けている。おかげで扉の付近よりは歩きやすい。立ち止まっている人が少ない上にテーブルには番号が振られているので、待ち合わせには持って来いだろう。
しばらく進んで行くと、そこまで迷わず進んでいたロザリーの背中が止まる。私も彼女の数歩手前で歩みを止めた。
しかし、どうにも立ち止まる位置が中途半端だ。そもそも目的の人物がここに居るのならば空席に座ればいいのに、彼女は道の途中で止まっている。
私はどういうことかと首を傾げ、その先を覗き込んだ。
そして、すぐにその行為を後悔する事になる。
「……なぜ貴様がここに居るのだ」
「あっ、あんた達……! どうしてはこっちの台詞よ!」
やや甲高い、聞き覚えのある声。
その正体に気が付く前に、私は彼女の顔を見る。その顔は確かに見覚えのある物だった。
一瞬だけ誰だと首を傾げたが、すぐに嫌な記憶と共に彼女の正体を思い出す。彼女の隣に居た人物が視界に入ったのだ。
そして私がその胸中を口にする前に、“奴”は口を開いた。……その場に居たのは3人。見覚えのない一人だけがどういうことかとオロオロしている所を見るに、おそらく彼がロザリーの級友なのだろう。
そして、彼らが同じ円卓を囲んでいるという事は……。
「どうも、同じパーティになったらしいね……」
エリクは自身の魔法の書でパーティメンバーを確認し、そう呟いた。
会いたくないのはお互い様だというのに、どうも運命か何かで結び付けられているようだな。それを神が決めているというのなら、これ以上のないはた迷惑な話である。
ブックマーク、評価、ご感想ありがとうございます。
二度目の特別課題編突入です。




