第132話 実技試験
試験会場になっている特別講義室は、名前の繋がりではないが特別棟にある。ここから教員室へは少し遠かった。
酸欠気味なのか少しぼんやりとする頭を深呼吸で冷ましながら、階段を下りて行く。特別棟から教員棟まで直通の渡り廊下はない。どうしても一階の廊下を通っていく必要がある。
人気のない特別棟を抜けた先、右手に見えるのは広場へ続く大きな扉だ。入学直後か魔法世界帰りかどちらかは分からないが、中はそこそこの生徒で溢れているようだ。
通りすがりにそんな場所を何となく覗き込んだ私は、奇妙な光景を目にして足を止めた。
数名の生徒の中、一人だけ、像の前に跪き熱心に祈りを捧げている生徒が居るのだ。日が傾き、ステンドグラスの光が敬虔な信徒を色鮮やかに照らしている。
遠目では男か女かも分からないが、足首まで隠すようなロングスカートや頭を覆うベール。その格好から女だとは思う。もちろん確証はないが。
祈りを捧げる先は当然大きな光の神の像だが、他の生徒は遠目からその生徒を観察するばかりであり、同じ様に膝を折る者は誰も居ない。私もここで祈りを捧げている生徒など初めて見た。
チラリと見える学科章は神聖術科だが、神聖術師だからといって熱心な信者になるとは限らない。むしろ、そうではない生徒が大半だろう。
誰がどう見ても異様な光景だ。
なぜ、彼女はあんな像に跪くのだろうか。
一瞬そんなことを考えてしまったが、すぐに自分には関係のない話だと思い直し、私は視線を廊下の先へと戻す。変な生徒はどこにでもいるものだ。そう言って無理矢理頭の中から疑問を追い出した。
……理解できない信心を見て心の中で「何と無駄な事を」と思った、多少の罪悪感は彼女が視界から外れるとすぐに消えて行った。
そこから教員室へはいつも通りの道筋だ。
教員棟へと足を踏み入れた私は、教室に比べるとやや豪華な造りになっているその扉に手を伸ばし押し開ける。職員室というと生徒にとってはやや気後れするような場所であるが、シーラ先生の個人授業を受けている私にとってはすっかり慣れた場所だ。
形ばかりの挨拶をして部屋に踏み入った私は、シーラ先生の待つ奥から三番目の席へと向かう。
教材らしき本やその他の参考資料などが雑多に積み上がった机や、逆にこれでもかと整理整頓された机、そして誰が座っているのか机の上に何の資料も載せていない机……図書室や禁書庫とはまた違った雰囲気の場所である。
私が最後の机を越えると、そこの席に座っていた目的の人物が椅子を回して振り返る。
その顔はいつか見た様な、人の悪そうな笑みである。
「筆記はどうだった?」
「すべて合格しました」
「そりゃ大したもんだね」
シーラ先生は私の顔を見ると開口一番に、筆記試験の成果を問う。私が胸も張らずに正直に答えると、彼女は笑みを深めつつそんな言葉を返した。点数など決して褒められたものではない。
……この人、絶対に心にもない事を言っているな。あの程度合格できなくてはどうしようもないなどと考えているのだろう。
私は彼女の笑顔を勝手にそう判断すると、小さく息を吐く。このままここで虐められるのも癪だ。さっさと本題に入ってしまおう。
「実技試験を受けに来ました」
「どれだ?」
実技試験も筆記試験同様に複数の種類に分かれている。
筆記はすべて1点の配点だったが、実技の方は1点か2点。既に筆記で4点稼いでいる私はどれを選んでも合格する事が出来るが、私の答えは既に決まっていた。
「技術試験でお願いします」
技術試験は、その名の通り呪術の腕前を競う試験だ。もっと正確に言えば、“呪術を使う技術”の試験。つまり命中率や状況に合わせた適切な選択が点数になるテストである。
他の学科は改造魔法陣の完成度を競う実技という物もあったのだが、呪術ではなぜか筆記として扱われていた。内容は……もう思い出したくもない。
呪術の実技には他にも火力試験などがあったのだが、私は攻撃魔法を既に捨てた身。火力で合格することは難しい。いや、難しいというか魔法のセットを最初から作り直す必要があるので面倒だ。
他の試験も似たり寄ったりの雰囲気で、私が一番合格できそうなのがこれくらいしかなかった。
試験は道具の使用を禁止されているが、武器の使用はそのままだ。そのため詠唱短縮や詠唱破棄を使える分、圧倒的に有利だろう。
申請を終えた私がシーラ先生に連れられてやって来たのは、いつかも来た覚えのある体育館。入って見ると中には私たち以外に誰も居なかった。
私はただただ広いだけのその空間を見回し、異常がない事を確認してから彼女へと視線を戻す。先生は何か大きな時計を準備している所だった。
「実技試験のルールは単純だ。制限時間内にあたしに魔法を当てるか、それとも一度も当たらずに逃げ切るかのどちらか。好きな方を選んでいい」
「選ぶ? 攻守どちらかを選べるという事ですか?」
「ああ」
時計の設定を終えたシーラ先生はくるりとこちらを振り返る。
制限時間がどれほどの長さなのかは知らないが、どう考えても当てる方が圧倒的に簡単だ。
何せ私の呪術は“付与魔法”。防御するとかは関係なく、範囲内に入るか逃げるかのどちらかしかない。基本的に範囲に入れさえすれば“当たった”という判定になるものが多い。
まぁ初期魔法や石化の様に弾丸か何かを射出する系統の魔法は、文字通り当てる必要があるが、そんな物使わなければいい話なのである。
これで負ける要素なんて、シーラ先生が実は目で追えない程に足が速いとか、そんな場合しかないだろう。……いや、これはちょっとあるかもな。
私は保険として一つだけ尋ねておく。
「後で攻守交替できますよね?」
「ああ、もちろんだ」
「では、攻撃側。先生に魔法を当てる方でお願いします」
そう答えると、真面目な顔をしていたシーラ先生は口角を吊り上げる。彼女の表情を見て急に防御側がやりたくなったが、それが許されることはなかった。
先生は準備していた時計に手を掛け、その拳ほどもあろうかという竜頭を叩く。
「試験開始だ」
まさか防御側が先手で封印魔法なんて使うんじゃ……と一瞬身構えたが、先生は動かない。
逃げるわけでもなく、先手を取るわけでもない。その堂々とした立ち方は、こちらの出方をじっと窺っている様に見える。
「……逃げないのですか?」
「この老いぼれを走らせようってのか。非道な女だな」
「見た限り、走った程度でどうにかなる様には思えませんが」
私は彼女の様子を不気味に思いつつも、傘を開いて魔法を使う。
詠唱破棄ではなくただの短縮詠唱なので、彼女からしたら絶好の攻撃機会のはずなのだが、先生はまだ動かない。詠唱が終了し、私は少し相手の動きを窺いながらも陣の位置を指定する。
魔法は基本的に、詠唱の後に魔法陣の位置を調整する事になる。
杖を持って弾丸系の魔法を使うと勝手に杖の先端に場所が指定されるが、実はこれも、意識すれば場所を自由に変える事が出来る。範囲系や召喚系等は最初から自動で位置を指定しないので、こちらの魔法で一度慣れてしまえば弾丸系にも応用することが出来るのだ。
もちろん今回使うのは範囲系。
昏睡の風だ。私にとって一番使い慣れた範囲系の呪術であり、敵の足元に陣を敷けば上に跳ぶ以外の方法で避ける事は困難と言っていい。強いて言えば風より早く動けるならば十分に逃げ出せる余地はあるのだが、そんな敵はそもそも魔法で狙いを付ける事すら困難なはずなのでもうどうしようもない。
私が魔法陣の位置を指定し終えると、ようやく先生が動き出す。
しかし、その動きはとても小さなものだった。両手を置いていた杖を僅かに浮かせると、かつんと床を叩いたのだ。
その直後、私が魔力で描いていた魔方陣が一瞬にして消える。
当然魔法は途中で中断され、その効果を発揮することはない。
突然の出来事を前に大きく目を見開く私。対してシーラ先生は今日一番の笑みを見せていた。
「その程度か? まだまだあたしはこんなもんじゃないぞ」
本日二話更新の前半です。次話投稿前にここを読んでいる方は今しばらくお待ちください。




