第127話 虫の声
リサ用の装備の一通りの実験を終えて、私はまた別の部屋へとやって来ていた。もちろん行き先はコーディリアの居る部屋である。
廊下の先は木製の古びた扉。ドアノブには緑青が吹いている。工房などに比べるとかなり古そうな見た目の扉だ。
少しざらつくそのノブを回すと、がちゃりと音を立てて扉は開かれた。
その先にあったのは、何とも奇妙な光景だった。
壁や床、基本的な造りは学院にある至って普通の部屋だ。しかし、アクリルケースの様な透明な箱に詰め込まれた大きな虫が、所狭しと積み重ねられている。それは標本というにはあまりに生々しく、今にも動き出しそうな独特な迫力があった。
圧倒されるようなその光景から目を逸らし、ケースの壁に囲まれた細い通路を進んで行く。
「ティファニーさん、122番お願いします」
「はーい」
何度か曲がり角を曲がると、虫達の隙間から部屋の奥がチラリと垣間見える。そこには標本を手に行ったり来たりしている人影。おそらくはティファニーだろう。彼女に指示を出しているのはコーディリアの声だ。
私は透明な壁に苦戦しつつも、部屋の奥へと歩みを進める。
標本の壁は意外にも別れ道も多く、何度か突き当りに遭遇しては引き返す。何度かそれを繰り返すうちに、どうにか部屋らしき空間へと辿り着いた。
「ティファニーはしっかり働いているみたいですね。安心しました」
「あ、サクラちゃん! まぁ荷物運びしかやる事なくて、役に立ってるかよく分かんないんだけどね」
虫のケースを運んでいるティファニーは、いくつもの壁を越えて来た私を見て表情を明るくする。やや心配だったが、どうやらしっかりコーディリアの作業を手伝っていたらしい。セクハラしている様にも見えない。
少し明るいティファニーの声を聞いたコーディリアも、机からこちらを振り返る。
「サクラさん。すみません、散らかっていて……」
「いえ、散らかっているというよりこれは……」
……もっと別の表現が適切だと思うな、私は。
ここはコーディリアの作業部屋だ。学生寮の部屋では場所が足りないという事で学院から借りているらしい。
その目的は見ての通り虫の標本の保管場所……ではない。ここは召喚体の体を作り上げる場所なのである。一つ一つがかなり大きいとは言え、部屋いっぱいに積み上げられた体は、私でも見た事のない召喚体ばかりだ。
当然だが、この内のほとんどは実戦で使っていないもの。彼女の愛しの虫たちはこうして召喚陣が増える機会を待っているわけだ。
コーディリアはここで、今回の古代魔法の召喚陣で召喚できるようになる“双子”を選んでいたのだ。
視界の外でどこかガサゴソと聞こえてきそうな部屋を見回し、私はコーディリアの机を覗き込む。そこにはいくつもの虫たちが並んでいる。
「双子の体は決まりましたか?」
「あ、はい。候補は一応……」
彼女はそう言って机の上に視線を向けるが、机の上にもいくつもの標本が重ねられており、私にはどれが候補なのかも見当がつかなかった。まぁ実戦で見ればいいだろう。どうせ私には種類も分からない事の方が多いし。
一緒になってその標本を見ていたティファニーは、改めて感心した様に頷く。
「凄いよねー、これ全部手作りなんだって」
「いえ、そんな。元々あるものの再現ですし、そこまで難しい作業という訳でもないので……」
「へぇ……って、再現? これ全部にモデルが居るって事?」
コーディリアの返事を聞いたティファニーは、そう聞き返す。
私も彼女の疑問を聞いて改めて部屋を見回し、その数と種類を確認する。床から天井まで積み上げられ、アクリルケースの壁になっているその部屋は、すこし目を回しそうな光景だ。
確かに、ここに居る虫達すべてに“元となった種類”がいるなんて聞いたこともなかったな。どの程度再現されている物なのかは分からないが、かなりリアル調に作られているのでそのままそっくり実在すると言われても違和感はない。
これがすべてコーディリアが自分で作ったというのだから驚きだ。
彼女はティファニーの疑問を受けて、小さく頷く。そこに自慢するような気配は感じられず、さも当然の様に答えていた。
「そうですね。もちろん、完全に再現しているとは言い切れはしませんが」
「そうなると、よく見る紗雪とかにもモデルが居るんですね。あまり気にしたこともありませんでしたが」
「あ、普段の子達はこの辺に……」
コーディリアはそう言うと壁になっている部分を少しずらして、奥に押し込められていたいくつかの標本を取り出す。見れば確かにそこには見慣れた面子が並んでいた。現在使っている召喚体の体もここに保管されているようだ。
その中でも彼女は、白い蛾の箱を取り出して見せる。私達は釣られるように隣からそれを覗き込む。
戦闘ではよく見る紗雪ではあるが、こうしてしっかりと見る機会は殆ど無い。鱗粉で覆われた純白の翅は尾の方向へ山形に畳まれており、シルエットは一見蝉の様にも見える。私が蛾と聞いて思い出す、ヤママユとは体の形からしてまるで違う。ヤママユはあの天蚕糸を出すキモいあいつだ。
もちろん、毛が生えている様な首回りや顔つきはどう見ても蛾なので、蝉と見間違えはしないと思うが。
ケースの蓋を取り外したコーディリアは、まるで羽の生えた小動物の様なそれを丁寧に取り出す。一見純白のもふもふなので、脚が太くて顔が動物なら可愛かっただろうに……。
彼女は取り出した体の関節を動かすと、翅を大きく立たせて見せた。露になった腹には赤や黒の模様が付いている。純白の体に鮮やかな赤が眩しい。よく見れば脚も赤く染まっている。
モデル、つまりこの見た目をした蛾が居るという話なのだが……何だろう。全く見た事がない蛾だ。いや、そもそも蛾をまじまじと見た経験自体数えるくらいしかないと思うが。
私は全くのお手上げ状態だが、ティファニーは少ない知識を振り絞る様に少し唸ると、当てずっぽうで虫の名前を答える。
「うーん……蚕?」
「いいえ、この子はシロヒトリ。蚕よりは細身で、綺麗な赤色が入っていますね。ヒトリガの仲間です」
……解説を聞いても一切ピンと来ない。ヒトリガの仲間と言われてもヒトリガが分からない。
ティファニーも同じ感想だったのか、彼女が取り出したシロヒトリとやらから視線を外して後ろに目を向ける。
「じゃあこっちの桜月は? カラスアゲハ?」
「いえ、ベニモンアゲハですね。毒があるので綺麗な警告色が特徴的です」
紗雪と一緒に保管されていたのは黒い蝶。実戦ではあまり見ないが、今回紗雪と共に双子の候補に挙がっていた子、桜月だ。
蝶と蛾と聞くとあまりに感じる印象が異なるが、体が異様に大きいのと、紗雪が綺麗な純白で(動かない限り)あまり気持ち悪くないのもあって、目の前にいる不快感は紗雪と大差がない。
確かに改めて見れば黒の体色に赤い斑点や体の色合いが、綺麗……かな。
白い蛾と黒い蝶というイメージしかなかったが、改めて見ると両方結構赤い。双子にしたかったと言われても、何となくだが理解できるような気もしてきた気もする。
本来は大きさも結構違う二種だと思うのだが、こうして召喚体にされた時にサイズ感は統一されている。シロヒトリの胴体が蛾にしてはやや細身なのもあって、確かに似ていると言われれば似ているかなぁくらいには見える……かも。
二問連続でクイズに不正解だったティファニーは、これなら分かると一際大きなケースを指さした。
「これは分かる! ヘラクレスオオカブト!」
「はい。ヘラクレスヘラクレスですね。前翅が青い個体ですが、実は湿度で……」
ヘラクレスヘラクレス? ゴリラの正式名称はゴリラゴリラみたいな話だろうか。
そんな一瞬頭を過った疑問をとりあえず無視して、私も床に置かれた大きなケースを覗き込む。
金剛は全長2m近い巨体の持ち主だ。召喚体としては珍しくもないサイズだが、小型ばかりのコーディリアの召喚体の中ではずば抜けて大きい。
特徴的な二本の角は黒く光っているが、前翅と呼ばれる背中部分は対照的な白色だ。
……それにしても、改めて見ても白だな。青っぽいと言われれば青っぽく見えるかもしれないが……。
正解に気を良くしたティファニーは、壁に掛けてあるこれまた大きなケースを指し示す。
「颯も分かるよ。オニヤンマでしょ?」
「いえ、この子はムカシヤンマ。オニヤンマと違って複眼が黒いのが分かりやすい違いですかね」
……え、颯ってオニヤンマじゃなかったの?
私は黒と黄色の体が特徴的なトンボを見上げ、堂々と間違えたティファニーと同じ感想を抱く。
これまた言われてみれば、顔周りのカラーリングが微妙にオニヤンマの印象と違う。確かにオニヤンマは目が緑だが、これは黒い。言われてみないと全く気付かなかった。
「他にも普段の子なら、時雨が周期蝉、錦はメンガタメリーとかですね」
「全っ然分かんない……こっちは? これはオオクワガタだよね? 見た事ある気がする」
「あ、はい。国産オオクワガタ、絶滅種です。その子は作るだけ作っておいて使ってないのですが」
「……絶滅種?」
私は半分くらい分からないコーディリアの話の中で、何とか聞き取れた部分に少し首を傾げる。
前にニュースでオオクワガタを養殖して一匹いくらの価値が付いたとか、そういう話を聞いた記憶がある。それなのに絶滅危惧とかではなく絶滅種なのか?
余程妙な顔でもしていたのか、私の反応を見てコーディリアは少し慌てて解説をつけ足してくれた。
「あ、えっと、人工飼育下では居ますけど、近縁種との交雑、所謂遺伝子汚染で野生では絶滅したというのが一般的な説ですね。人工飼育も人工的に分離した結果なので、本来の種類と完全に同一かと言われると微妙といいますか……」
「あー、遺伝子汚染。何か昔生物の授業でやった気がする。野良犬の種類は雑種としか言いようがないって奴だ」
「そうです。海外産の虫の放虫だけではなく、気象変動でも生態系はかなり変わりましたから。この部屋に居る子の中にはそういう子も結構いますね」
コーディリアはケースにシロヒトリの標本を戻しながら、私達にそんな話を聞かせてくれた。人間の手によって絶滅した種、気候変動に適応して昔とは別の特徴を得た種、生態がよく分からないままいつの間にか数を減らした種……。
そんな虫もここには多く置かれているらしい。
……“虫好き”というコーディリアに対する漠然とした印象が、私の中で少しだけ変わったような気がする。いや、変わったというよりも深まったと言った方が正しいだろうか。
蛾に私が知らない種類がある様に、虫好きにもいくつか種類があるのだろう。
私は彼女のその一端に、ここへきてようやく触れる事が出来たような気がしていた。
昨日は休載して申し訳ありません。少し体調が良くなかったので大事を取って休みました。休載分は近い内に2話更新を行う予定です。




