第123話 当初の目的
実質的に閑話です。
いつもの時間に目が覚めて、いつもの格好に着替えて、いつも通りに玄関に鍵をかける。
そんな私を出迎えたのは、すっかり秋の空気となった爽やかな朝。そんな青空を見て、そう言えば今日は土曜日だったなとゴミ捨て場を見下ろす。
そこでようやく気がついた。今日はシフトが休みだったのだと。
それからしばらくして、私は喫茶店を訪れていた。久しぶりの休日なので当然だが、勤め先のル・シャ・ノワールではない。
私の家からやや遠いという事を除けば、何の変哲もない喫茶店。店内はいつもよりも少し暗い色使いだ。そのせいか全体の雰囲気もやや暗く感じる。
私はそんな店内で若い男と軽食を取っていた。代金は一応私持ち。当然だがデートなんていう色気のある関係ではない。
クリームソースのもちもちパスタをフォークで絡め取りながら、私は正面でリゾットをもりもり食べている高校生をぼんやりと眺める。普段見ている女性客に比べ、食べ方に上品さや遠慮がない。男の子って感じの食べ方だ。
私の観察する視線に気が付いたのか、彼はやや気恥ずかしそうにスプーンを置いた。私は空になっている彼のカップに水を注ぐ。
「……それで、どうなったの?」
水を受け取った彼が口にしたのは、何とも曖昧な言葉。
しかし私はそれだけで彼が言いたいことを、いや、彼が聞きたい事を理解する。何しろ私から彼を呼び出して作った場。話し合うことなど最初から決まっているのだ。
私は鞄からデバイスを抜き出すと、いつか書いていたメモ機能を起動する。
「とりあえず兄さんには、買ってもいいって話してみるつもり」
「マジ!?」
私の言葉を聞いて彼は喜色を露にする。顔つきが少し義姉に似ている事もあり、年齢に比べてやや幼い印象を受ける。
彼の名は桐野江 幸助。苗字から分かる様に私の親族だ。関係性で言えば甥と叔母。
尤も、私は兄よりも甥との方が年齢が近い。ちょくちょく会っているのもあって、甥っ子というよりは“滅多に会わない兄弟”と言った方が印象が近かった。
……他人からするとその感覚が分からないのかもしれないけれど。
「ただし、条件があるわ」
「……勉強しろって話?」
「あなたの成績なんて心配してないわよ。もっと大事な事。これを兄さんと義姉さんに話しておくから、嫌だったら反論を考えておいて」
私の話を聞いてゆっくりと腰を落とした彼の前に、手にしていたデバイスを差し出す。その画面に書かれているのは、私が考えたいくつかの条件だ。
例えば最初に書かれているのは、“一週間に一度はVRを触らない日を作り、毎日睡眠時間も確保する事”。
前半は私が守っていない約束だが、まぁ毎日遊ぶのは大人の特権という事で。それに私、VR酔いも特に感じないしな。多分今まで一度もVRが原因で体調を崩した事がない。
VRマシンの欠点と言えば“睡眠時間”が削れることだ。何と言うか、一日の接続時間制限こそあるが、実際には寝ずに遊べてしまう。
夢を見せているという表現をされることが多い神経接続型のVRだが、実際に自分の意志をはっきりと持って動き回れることからも分かる様に、睡眠状態とは色々と状態が異なる。しかし、寝ているような気分にはなるので、寝ずにプレイしてしまうプレイヤーも多いのだ。
そんな無茶な事をしていると、当然病院へ救急搬送されることになる。
もちろんVR内で寝ると自動でログアウト状態になるので、睡眠不足でプレイする人はそう多くはない。
しかし、そういった数少ない無茶な人が学生に多いというのも事実だ。私が勧めたゲームで万が一にもそんなことをがあってはならない。そのために付けた条件だ。
他にもつらつらと多くの条件が並んでいるが、その一つ一つを見ていた幸助は少し眉間にしわを寄せる。
「この、VRを友達に勧めないってのは?」
「あんなのポンポン子供に買い与えられるのなんて、あんたみたいな裕福な家庭だけなんだから、その辺りの自覚の話。もう持ってる子と話するとか、聞かれたから答えるとかは気にしなくていいし、別に仲いい子を誘っても良いけど、“普通は”買ってもらえないって事だけは意識として持ってて」
自動機械化が進んだ現代。学生バイトという文化は消えて久しい。そのため子供がお金を稼ぐという事は、勝手に自分一人で稼ぐという例外を除いてほぼないと言っていいだろう。私の様に高校卒業と同時に就職なんてのも極めて珍しい例である。
そのため高校生でVRマシンが欲しいとなると、ちょっとしたローンを組んで買うような金額を、親に払わせるという事は間違いはない。
ただ生活するだけならば金銭的に余裕がある人も多い裕福な時代だが、その分趣味に信じられない金額を使う人も多い。子供のお小遣いの範囲を超えたプレゼントにいくらなら出せるかというのは、家庭の事情や教育方針に依るところが大きいだろう。
そのため、親にお金を出して貰っている高校生のくせにVRなんて金のかかる趣味を流行らせようとするな、という条件だ。対人トラブルは何もネット上の問題だけではないのだから。
その後もいくつか条件を読んでは私に質問を飛ばしていた幸助だが、最後に書かれた条件を見てデバイスを突き返す。
どうやら一番の不満はそこだったらしい。予想通りだ。
「セーフティは邪魔だから要らないって書いてあったぞ」
VRマシンのセーフティ機能とは、連続接続制限とは別に付けられている健康機能だ。
血圧や心拍数などを監視して、健康に問題があると判断された場合に警告が入ったり、強制的にログアウト処理が実行されたりする。その性質上、突然死の可能性がある病気を患っていたり、高齢だったりする人のための機能としての印象が強い。
その上、仮想空間内での興奮に関しても誤作動して警告することもあるという、人によってはちょっと厄介な機能でもある。例えば、萌なんかがこれを付けたら、もう私やコーディリアと一緒に遊ぶことはできないだろう。
私が彼のマシンにこれを付けさせたいのは、何も健康のためではない。
“監視されている”のだという感覚を持ってもらうためである。間違ってもロリ相手に刃物を突き付け、服を脱げなんて要求するような子にはなって欲しくない。
そんな、やや私怨を含んでいる条件ではあるのだが、まぁそもそもここに書かれた条件をすべて飲めという話ではない。
これらの条件は私からの“提案”であり、実際には家族で話し合って決めてもらう事になる。私の話を受けて彼の両親、私の兄と義姉が何を重視して約束を決めるかはまた別の話だし、私の話を聞いて「やっぱりやめた」と思うかもしれない。
……ただ、親の決め事に反論もできないというのは、少し思う所があるのも事実。
だからこそその話し合いに少々の手助けをする。具体的には、事前に両親に伝える事を子供の方に教えておこうと思って、こうして休日を潰して呼び出したのだ。私からの一種の誕生日プレゼントだと思ってくれればいい。
私は不満そうな顔の幸助を見て、小さく笑う。
「……本当に要らない?」
「要らないって。勝手に止まる機能なんだろ?」
「ちなみにセーフティが付いてるマシンって、性能の下限がこのくらいなんだけど……」
私は受け取ったデバイスで、予めざっと調べておいたショッピングサイトを見せる。そこに映し出されていたのはセーフティ付きのマシンで、値段は私の物の一段上。つまり高級品だ。
高齢者向けだからという訳ではないだろうが、生体センサのセーフティを実装しているVRマシンは総じて高級機。その分性能も高めになっているし、倦怠感も覚えにくいとのこと。
つまり“セーフティ付きのマシン”を出資者側から条件として出すという事は、“一定以上の性能のマシン”がもらえるという事を同時に意味している。
私はそれを示してからもう一度問う。
「本当に要らない?」
絵筆と話し合ったあの相談から約一ヶ月。こうして私がVRゲームをする最大の目的は達成されたのだった。




