第119話 秘策
何度目かの攻防が繰り返された後、私は巨人に向かって一つの魔法を唱えた。
戦場に現れたのは小さな魔法陣。巨人の背後に展開されたその魔法陣から鋭い針が飛び出す。
巨人から見ればあまりに小さなその針は、彼の腰へと深々と刺さると、そのまま消えて行った。
これは石化の魔法。体の一部を固めると同時に、体力の最大値を減少させるというかなり特殊な効果を持った状態異常だ。
その性質故にボス戦ではあまり使い物に……。
「グオォオ!!」
今までどんな攻撃を受けても一切動じなかった巨人が、まるで何かを嫌がる様に叫び声を上げる。突然の事に私達は目を丸くして、彼の顔を仰ぎ見る。
この戦場にはもうやる事はないのだとやや諦め気味だった私は、それを見て薄く笑った。
「何だ。これが通るんですね」
だったら最初に試せば良かったな。
美しい白色だったはずの巨人の体に、大きな異変が起きていた。膝関節が灰色に変色しているのである。
巨人は奇妙な角度で固まってしまった左脚のせいで、歩く事にすら難儀している様子である。苛立たしいとばかりに固まった膝を叩いている。
そして、それを見て笑ったのは私だけではない。
「よし、お前ら! 突撃だ!」
「おっしゃあ! やってやらぁ!」
キン達は消極的な戦い方から一変し、石化した部分へと攻撃を開始する。どうやら他の部位以上に攻撃が通りやすいらしい。
実は、石化にはもう一つ面白い特性がある。石化する部位はほぼランダムで決まるのだが、その部位は“弱点部位”ではなくなる。もう少し正確に言えば、ダメージ量が1倍に固定されるのだ。
通常の魔物は基本的に威力補正は1倍、つまり防御力と属性耐性だけでダメージを軽減する。そして弱点部位のみ1.5倍だとか2倍だとかで弱点部位のダメージ補正が入るのだ。恐怖状態ではここに更にダメージの上乗せが起きる。
そのため基本的には、石化は“硬くなる”状態異常だ。弱点が石化しようものなら、その弱点が綺麗に消えてしまう。その確率は、はっきり言って低くはない。
そんな魔物のダメージ補正値だが、中にはダメージ補正値が1倍に満たない部位を持つ魔物も居る。硬い甲殻を持つ魔物が主だが、受けたダメージを防御力以上に軽減してしまうのだ。そういった魔物には、拳闘士などが持つ防御力無視効果を持つ攻撃が有効だ。防御力と同時に補正値も無視してくれる。
この手の魔物で私の経験上一番記憶に残っているのは、エリクと最初に共闘したあの芋虫。奴は高い防御力を誇っていたが、その上甲殻にダメージ減少補正が入っていた。
だからこそセイカの拳がよく効いたという訳だ。まぁあの時はそれ以上に毒がよく効いたのだが。
そして、そんな防御部位とでも呼ぶべき部位が、もしも運良く石化したら。
1倍未満の補正値が1倍に戻るのだから、石化した結果“柔らかくなる”という、感覚としては何となく不思議な現象が起きる。
更に、全身がマイナス補正値を持っている魔物が居るとすれば……?
それはもう“石化弱点”と言っていい程に都合がいい。石化がどこに入ったとしても、“体力最大値減少、割合ダメージ、機動力低下、防御力低下”といいこと尽くめだ。
防御部位を持つ魔物は弱点も持っていることが多いので、それを消してしまわないというのは、大きな利点と言えるだろう。
この場で石化が扱えそうな生徒は私以外にもう一人……いや、二人か。
私の隣にいるコーディリアが何も言わずとも行動を開始するのを横目で見ながら、私は制服姿の彼女を呼び寄せる。
「アンナさん! 作戦があるのでこっちに!」
「え!? わ、私でしょうか?!」
「いいから早く!」
変身が解けて一気に弱体化していた彼女は、チラチラとキン達の戦闘を振り返りつつも全力疾走でこちらに向かう。そして柵に足を掛けると、数mはあるその柵を身軽に越えた。
その動きはまるで猿……いや、ティファニーの様だ。もしかすると前衛で戦っている様な生徒って、全員こういったアクロバットが可能なのだろうか。
全力で走りつつも息切れもしていない彼女を迎えると、私は一つの指示を出す。
「三人であのボスに石化を通しますよ」
「石化……? えっと、もう通ってませんか?」
「その説明は面倒なので、とにかく私の指示に従ってください」
石化はやや特殊な状態異常だ。
効果はもちろんだが、授業でこの状態異常を習うのは呪術科のみ。他の学科では授業予定に含まれておらず、あってもオリジナルか古代魔法になるだろう。
状態異常の古代魔法なんて誰も使いたがらない以上、この場にいる直接的な使い手は私しかいないと考えて間違いない。それくらいにはレアな魔法だ。むしろ他の生徒にとっては敵が使うイメージかもしれない。
石化のマイナーさは召喚体の再育成を終えたコーディリアでも直接的には扱えない程。
しかし、アンナは演技士である。
文字通りの演じる者。他の生徒を演じるなどお手の物だ。一つの魔法を抜いてさえ居なければという前提はあるが、私はそれを疑ってはいなかった。
「物真似を使えますね? 演技士で入れてないなんて事ないでしょう」
「は、はい。使えます」
「私の次の魔法を真似て下さい。ちなみに、絶対に外さない様に」
「うっ……善処します……」
アンナに魔法の軌道を教えている隣でコーディリアの召喚が終わり、彼女の魔法陣から黄色の甲虫が飛び出す。その余りに鮮やかな黄褐色は、少し目に眩しい。
大きな、というにはやや可愛らしい丸い“顎”を持ったその姿は、私の知るクワガタムシからは若干外れている。頭に大きな出っ張りがあり、何だか少し面白い顔だ。
彼の名は錦。種類は……なんとかクワガタ。いや、ホモデルスなんとかかんとかだったかな。一度聞いたがイマイチ覚えていない。コーディリア曰く世界一可愛らしいクワガタ……らしい。もちろん個人の感想だが。
彼は黒く縁取りされたその体を見せびらかすと、体の2割程度しかない顎と左右に飛び出た触覚を広げて威嚇をする。その後バタバタと派手な音を立てつつ巨人に向かって飛んで行った。
しかし、先に戦場へと出ていた金剛の様な派手な動きはしない。そのまま空中でホバリングして何かを詠唱を始める。
錦君は甲虫のくせに魔法型だ。それもサポートタイプ。
新しく増えた召喚体の中でも彼の事は妙に溺愛しており、あんな可愛い子に肉弾戦なんてさせられないというコーディリアの愛が感じられる……かもしれない。似たようなタイプである紗雪に比べ、覚えている技も特殊な物が多い。
……結果的に若干弱いような気もしなくもないのだが、初めて私に彼を見せた際は大変な自慢というか、惚気話を聞かされた。
そんなコーディリア最愛の彼の詠唱が完了する前に、私の石化の再使用時間が完了した。
アンナが準備万端に整ったことを確認しつつ、私は再び石化の魔法を発動待機状態で保持する。それと同時に、一番取り出しづらい部分にセットしてあった毒液を抜く。
「もう行ける?」
「大丈夫です! 当てます!」
アンナの返事を聞いた私は、手にしたスプレー缶を思い切り投げつけ、石化の魔法を発動する。それに追随してアンナも一つの魔法を解き放った。
直後、二本の針と、石化毒の霧が巨人を襲う。
更に数秒後、錦の補助魔法も解き放たれた。彼の魔法の影響で巨人の体にノイズが走る。巨人はその魔法に対して憤る様にこちらを睨み、右腕を振り上げたがもう遅い。
彼は見る見る内にその体を固められ、ついには顔半分と左手以外をすべて石へと変えられてしまった。
その生きた石像を見上げ、アンナはぽかんと口を開けていた。
「すご……」
「何とか、まぁ間に合ったと思っていいでしょうね」
「最適だったと思いますわ。石化による損傷はほぼ最大値でしょう」
私とコーディリアはそんな意見を交わし合う。思えば、言葉も交わさずによくもまぁ私の思い付きに応えてくれたものだ。もちろん参加してくれたアンナにも感謝しなければな。
私のその“思い付き”は、石化を即座に、そして可能な限り無駄なく付与するための策だった。
その要となった演技士の物真似は、文字通り他の人を真似る魔法だ。例え魔法戦士の属性剣だろうと他の学科の詠唱魔法だろうと、魔法ならば何でも真似できる。もちろん改造魔法どころか、古代魔法でもオリジナル魔法でも例外はない。
つまり、この魔法を使えば、再使用時間を気にせずに同じ魔法を二連続で発動できるのだ。状態異常の深度を上げるには持って来いの特性と言える。
尤も、変身時は“変身セット”に合わせた効果に変化してしまうので、他の生徒の物真似が出来るのは未変身時のみ。
その状態では能力値が足りないので、攻撃魔法や回復魔法を真似るのは微妙だ。一般的には補助魔法を連続使用したい時くらいにしか使われていないだろう。
それでも変身の方向性に応じた内容に自動で変化する魔法はスキルスロットの節約に繋がるので、演技士ならば絶対に編成に入れていると言っても過言ではない。
私の真似として放たれた彼女の石化魔法だが、もちろん私の魔法には及ばない。魔法陣が全く同じでも、影響力強化の自動魔法や装備効果を持っていない事から生じる差だ。
そのため私の石化2回と毒液、そして彼女の石化魔法1回では深度3には少しばかり届かない。
そこでコーディリアの錦の魔法だ。
今回使った彼の魔法の効果は“蓄積した影響力の倍増”。効果量は文字通り2倍で、この増加分は状態異常耐性の効果を受けない。つまり、蓄積した影響力が50以上の時、耐性を無視して確定で状態異常にする効果という事だ。
その性質上深度がある状態異常の場合、深度2の状態で50の影響力が蓄積していれば深度を問答無用で3へと引き上げられる。
状態異常耐性を持たない魔物が累積耐性を獲得していない場合、深度2までに必要な影響力は300となる。最初の100で深度1、そこから累積耐性が進行して影響力が半減。深度を1から2にするのに必要な影響力は200。ここで合計300だ。
そこから深度3にする場合、累積耐性が4倍、つまり影響力が25%で計算されるため、本来であれば400もの影響力を必要とする。
しかし錦の魔法を使う場合、必要となる影響力は50。耐性込みで必要な値は200だ。
結果、深度3にするために必要な影響力が合計500で済むことになる。
私の魔法2回、石化毒霧1本、アンナの物真似。それらすべてを合計すれば余裕で達成できる値だ。逆に言うとここまでしないとギリギリ深度3に到達しない。どこか一つ欠けても成功しなかっただろう。
尤も、700だってもう一度私が魔法を使うだけで到達できる数字ではある。これでも状態異常の専門家だ。影響力の蓄積だけならば間違いなく全キャラクター中トップになる。
しかし、そうしたくない理由があるのだ。
毒、石化、呪いや恐怖。私が扱うどの状態異常も、基本的には“先に使う”のが大前提だ。特に発動後即座に体力に割合ダメージを与える石化は、攻撃前に深度3にしなければ勿体ない。
ところが、あいつらに全員待てと言っても聞いてくれるか怪しいだろう。何せ敵の強さは半端ないが、その分得点はボーナスステージ並みだ。事前に決めていなかった作戦などその場で提案しても、吟味している時間すら惜しいと思うのは当然と言える。
予想通り、石化してほとんど動かなくなった巨人を前にして、キンは何かの薬を飲み干す。そして人間が扱うにはあまりに大きな剣を大上段に構えた。次に見るのは間違いなく何かの魔法だろう。
巨人はその一撃を一番の脅威と感じたのか、彼を止めんと自由な左腕を懸命に伸ばす。しかし反対側に陣取った彼には届かない。
彼の死角を突く様に、オウカも例の長い詠唱を終えていた。装備していた武器を投げ捨てられた彼女だが、武器魔法はそんな状態でも存分に使う事が出来るだろう。
魔物の集団相手に張り切った関係でちょっと残りの魔力が心許ないレンカも、小さな魔法の詠唱を終えた所。
その他の生徒達も、目の前に転がった好機を見てじっとしている者はいない。アンナもやや遅れながらも変身して飛び出していく。
この場にいるほぼ全員が、動かぬ巨人に向かって刃を向けていた。
私はそれを見て確信する。やはり石化を急いで良かったな。最初の石化が通った時点で“好機”と認識されていただろうから、彼らが最大火力を出す準備が終わる前に深度を進めておきたかったのだ。
もう私に出来る事はあまりない。何せ直接的な攻撃力は一切持っていないのだ。私の仕事は終わったと思ってもいいだろう。
後は彼が生きたまま破壊されてく様を、じっくりと見物させてもらうとしようか。
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