第8話 戦闘の障害
如何にも蛇でも出てきそうな茂みから顔を出したのは、大きな毛玉だった。
直径は80㎝はあるだろうか。茶色の毛に覆われていて、やや歪な球状をしている。その顔面と同じく巨大な目は、澄んだ青色。一見するとデフォルメされたレッサーパンダのような印象の魔物だ。
ただ、可愛くはない。
これが生首のような……一頭身の見た目であれば、私も素直に可愛いと思えただろう。
しかし違うのだ。
饅頭のような顔から、足が4本生えている。牛のような足が頭から直接生えているその姿はあまりにアンバランス。そして何より犬歯をむき出しにしてこちらに向かってくる様を見て、危険を感じない者はいないだろう。
「ふっ、雑魚め、死に急ぐか。いいだろう、相手になってやる」
「……前衛よろしく」
大きな鎌をぐるんと振り回した彼女は、余裕ぶった構えでその獣の突撃を待っている。
格闘戦にいい思い出がない私にはどうにも不安が拭えないのだが、私は後衛担当として自信満々な彼女の後ろへと隠れる。彼女に任せるのがいくら不安でも、接近戦は是が非でも拒否だ。
私は一つしか覚えていない魔法を詠唱し始め、獣と戦い始めたペイントブラシさんを後ろからじっと眺める。
その後ろ姿は、意外にも危なげのない戦い方だった。
レッサーパンダもどきは四つ足な上に首もないため、極端に攻撃のリーチが短い。見ている限り攻撃手段は突撃と噛み付き程度だろう。初心者向けの魔物らしいと言えばらしい動きだ。
対して、あまり使いやすそうにないペイントブラシさんの大鎌は、リーチだけは一丁前である。彼女は後ろに下がりながら、ブンブンと武器を振り回して丁寧に、そして一方的に攻撃を当て続けている。
とても短い詠唱時間が終わり、私は射線が通った隙を見つけて魔法を発動する。
記憶通りの紫の液体が飛翔し、首だけパンダの背中に着弾した。それに対して少しだけ怯んだ様子を見せはしたが、パンダはそのままペイントブラシさんへと突っ込んでいく。……これ、口に入らないと効果ないとかじゃないよね。攻撃しても完全に無視されているのだが。
見ただけでは毒の効果があるのかどうかも分からないので、実は効いていなかったのかもしれない。
私が目を閉じて魔法視で確認すると、パンダの周りには白いオーラ。そのさらに周囲に紫の輪が回っている。これが毒状態を表す表示なのだろうか。そう言えば、魔法視のこともざっくりとしか話を聞いていなかったな。
戦況をチラチラと確認しつつ魔法の書を取り出すと、ヘルプで魔法視について引いてみる。魔物は一向にこちらに敵意を見せないので、読書くらいは余裕そうだ。
魔法の書に書かれた魔法視についての記述と、実際に見える景色をじっくりと見比べて私はこの世界についての理解を深めていく。意外に直感的に判断ができる様に設計されてはいるようだ。
オーラの大きさが敵の体力で、オーラの色が戦力差。白なら適正、黄色は多少危険、赤は強敵、ちなみに青は友好的な存在だ。あの梟を見る限り、友好的と言うのがどこまで信じられるのかは疑問だが、少なくともここにはそう書かれている。
そして肝心の状態異常はやはり、オーラの周囲の円で表されているらしい。円が一周していれば色に対応する状態異常になっている証拠。毒は紫なので、魔法一回で毒にすることができたと言うことだ。
そんなことを確認している間に、私達の初戦闘は終了していた。
ペイントブラシさんの発言通り、このレベル帯ならばかなり余裕そうな結果である。武器や防具を買って強化していると言うのが効いているのだろう。
それとも単純に敵が弱いのか。これはチュートリアルの敵が異常に強かったと言う可能性が出てきてしまいましたね。まぁそもそも今回の戦い自体私が活躍したかは怪しい。一度魔法を使っただけで、後は説明を読んでいただけなのだから。
初陣が圧勝に終わったペイントブラシさんはかなりご満悦。無遠慮に高笑いをしながらポーズを決めている。
クールでミステリアスなキャラから微妙にブレている様な気もするが、正直指摘するのも面倒なので放置の方向で行こう。
「ふははは! 惰弱惰弱!!」
「お疲れ様です。余裕そうでしたね」
「そうだな。我は消費した所持金を取り返すため、このままできる限り戦闘を続けたいのだが……」
意外に控えめな彼女の提案に、私は特に反論もなく頷く。
まぁいいんじゃない? こっちとしては別に文句もない。かなり楽だし。
私が頷いたのを確認すると、彼女は意気揚々と森の中を進み始めた。
ちなみに鎌は藪を斬り開くのにも使われたりもしている。本来の用途にはこちらの方が近いだろうが、鈍色の輝きはさっきよりも少々物寂しい色合いに見えるのは気のせいだろうか。
そうして道なき道を進むこと数十秒。私達は再び魔物を発見していた。視界の悪い秋の森を見渡す限りに魔物ばかりという状況ではないが、魔物のポップ数自体はそこそこあるようだ。
先程とは違い今度はこちらが一方的に発見した形だが、その数は3体。圧勝だったさっきの様にはいかないだろう。こっちは前衛が一人なので苦戦は必至だ。個人の戦闘力など数で囲んでしまえば簡単に覆ってしまうだろう。
逃げるか? と視線で問いかければ、彼女は不敵に笑って見せる。
「死霊術の神髄を今こそ見せてやる」
彼女はそう言うと鎌をぐるりと回転させ、空中に円を描く。それと同時に前方に魔法陣が浮かび上がった。禍々しい色合いのそれは、毒の魔法陣に比べて複雑な図形をしている。
そして……
「嘆く者、恨む者よ、我が呼び声に答え、その意思を刃としろ! エインヘリアルエコー! 起動!!」
「……は?」
……キメ顔でそんな意味の分からない単語を口にした。
それと同時に、剣を手にした黒い骸骨が魔法陣から這い出る。
分からない。
いや、これが死霊術の死霊の召喚だと言うことは分かる。それは分かっているのだが、さっきも確認した様に詠唱魔法は別に呪文の詠唱を必要としない。
おそらくだが、呪文の詠唱は魔法陣のカスタムシステムと相性が悪かったため、オミットしたのだと思われる。
単純に呪文の詠唱というシステム自体が煩雑だと言うのもあるかもしれないが、今重要なのはそこではない。呪文というシステムが存在しないと言う点である。
つまり、こいつが口にした言葉はまるっきり無意味な言葉であるのだ。
それをさも当然とばかりに口にしているこいつの頭が分からない。
3体もの魔物相手に果敢に立ち向かう骸骨と絵筆。
ちなみにエインヘリアルとは、北欧神話に登場する戦死した勇者の魂のこと。ワルキューレに連行され、ヴァルハラで何度死んでも生き返り、血みどろの戦いと宴とを延々と繰り返す狂人連中のことである。
……素直にエインヘリアルとしなかったのは、おそらくだが死霊術師というダークなクラスとワルキューレを直接つなげたくなかったのだろう。
私は何となく釈然としない思いを飲み込むと、背後から援護射撃を開始するのだった。
それから程なくして、二人の連携によって数々の魔物が倒されていく。
私はそれを、何をするでもなく背後からじっと見ていた。援護もせずにただ見ているだけ。
何せやることがないのだ。
呪術師の初期魔法は“毒魔法”。カスタム前のこの魔法には攻撃力と言う物が存在しない。これは単純に敵を毒状態にするだけの魔法である。毒の効果時間が約一分近くと長いのもあって、数体の魔物相手に最初に魔法をかければそれで役割は終了なのである。
他に攻撃手段はない。通常攻撃で殴るのは無理。なぜならやりたくないから。もっと言えば杖装備の後衛支援職と言うこともあって威力も期待できないから。……そういう職業を態々選んだのだ。
そんなこともあって戦闘は超暇だ。
ペイントブラシさんの戦闘がどんどん上手くなっているのと、本人が楽しそうなのが見ていて悪い気分がしないのが救いだろうか。暇なのには変わりないのだが。
おかげで魔法の書のヘルプを読む手はかなり進む。フレンド周りの説明を読んでいる間に、本日何度目かの戦闘も消化されたようだ。
ちなみにこの作品、経験値は敵毎に決まった数字を持っている。そこに更に、“補正数値”がかかった物が獲得経験値だ。
補正は戦闘での貢献度、パーティの人数、敵との戦力差、特殊なアイテムなどで変動する。ヘルプに書かれているのでこれが誤植でない限り間違いない。
そんな仕様のため私にもそれなりに経験値が入っており、レベルと一緒に魔力の数字がどんどん上がっている。攻撃魔法は覚えてないのに。
今は役に立たないが、これからに期待、と言う所か。
今の戦闘ではどれくらいステータスが上昇したかなと、ステータスの画面を開くと、不思議な事に気が付いた。
私は首を傾げ、上機嫌なペイントブラシさんの後ろから声をかける。ちなみに骸骨は戦闘毎に消えてしまっているので、今は地面の中だ。効果時間は意外に短いらしい。
「ふははは! やはり我が力の前では有象無象など……」
「あの、ペイントブラシさん」
「……うん?」
「パーティ解除しましたか?」
「……何だと?」
私が気付いた不思議な事。それは何と、私達のパーティが解除されているという事だ。つまり今現在、私達は仲間ではない判定になっているのである。
こうなるにはパーティの離脱か解散が必要になると思うのだが、彼女も心当たりがないらしい。もちろん私にも。自動でパーティを解散する機能は考えづらいから、不具合なのだろうか。
リリース直後だから、もしかするとこういうこともあるか。今時変な不具合だとは思うが。
そんな風に納得しようとしていた私だったが、もう一度フレンドリストから彼女にパーティ申請を送っても「制限された機能です」とメッセージが表示されて弾かれてしまう。
「ふむ……」
「ん-……?」
何が原因なのかとパラパラとページを捲って自分のステータス画面を開いたその時、もう一つの異常が見つかった。
「おっと、これは……」
キャラクターネームが紫色になっているのだ。元々は黒で書かれているはずの文字である。
私は首を傾げるばかりだが、一緒になって魔法の書を見ている彼女は顔を顰めた。しまったとでも言いたげな顔だ。
その反応は何か知っているのかと彼女に問えば、彼女は渋い顔のままヘルプのとあるページを開いて見せる。
その見出しに書かれていたのは、確かに現在の状況に何か関係のありそうな話題だった。
「パープルマーカー表示?」
「そう。内容は……まぁ読めばわかる」
何となく嫌な予感がするが、私は言われた通りにヘルプに書かれている内容を読んでいく。
「パープルマーカーとは、レッドマーカーやイエローマーカーと同じく迷惑行為を行ったと判断されたプレイヤーの表示です。戦闘での貢献度が著しく低く、パーティの負担になっていると判断されたプレイヤーに付与され、パーティの編成権限を一時的に停止されます……」
……つまり、
「寄生プレイヤーってこと?」
「そういう、ことになるな」
まぁ確かにそれはそうかもしれないが……。
しかし、少し納得がいかない。私は何もしていないわけではないし、これ以上にやる事が無いからこそ何もしていない。つまり、できる事は全てやっている状態なのである。
「判定厳しくない?」
「……そう言えばそうだな。初動は動いてるわけだし、流石に厳しい気もする」
パープルマーカーは貢献度と言うシステムで判断されているらしいので、戦闘ログをメニューから呼び出すと早速パーティの貢献度の欄を開く。
貢献度の計算の方法は発表されていないが、ログにはしっかりと計算結果は記録されていた。
それを見れば確かに、直前の戦闘ではロザリア・P・ソウルズベリーの貢献度は3902、対してサクラ・キリエの貢献度は4となっていた。数値上では大体1000分の1だ。
更に戦闘の詳細は、私は与えたダメージも受けたダメージも回復したダメージも0。直接戦闘はしていないし、回復手段もないのでここは当然ともいえる。
そして一番重要な毒のダメージは別計算がされており……そこで私は異様とも思える数字を目にした。
「……え、毒ダメージ89?」
それはあまりにも低い数字だ。
二体の魔物に対して絵筆の与えたダメージ量は、召喚体を含めて2317となっている。
最後の一撃では多少のオーバーキルをしているとはいえ、それぞれの魔物のHPは1000程度のはずだ。
それなのに双方に毒状態を付与しても、二桁ダメージしか与えていないということは……?
……毒、弱過ぎない?




