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第98話 三者三様、揃い踏み

 私は自分の腕よりも太い“蟹の脚”をナイフで切り分け、口へと運ぶ。

 口の中に広がるのは、甲殻類……いや、蟹独特の臭み。それと同時に僅かな塩が舌を刺激するが、私はあまりの味気なさに首を傾げる。もしかすると自分で調味料を付ける事が前提のイギリス式だろうか。


 テーブルに乗っている謎のソースを化け蟹の脚に乗せ、もう一度確かめるようにゆっくりと味わう。

 甘辛いソースの風味は蟹の風味を……すべて消し去り、私から蟹を食べているという感覚すらも奪っていく。このソースを使うと、感動するほどに蟹の味がしない。

 蟹と呼ぶには大き過ぎるそれは、食感すらも記憶にある蟹からは程遠く、味も違うとなれば最早蟹ではないと言っても過言ではないだろう。


 私は一人で食べ切るには大きすぎるそれに、手元にある調味料を片っ端から試していく。

 結局、香辛料の入った辛めのタレが一番という結論に至ったが、それが分かった頃には既に私の腹具合は限界に近かった。……この体、満腹とか感じるんだな。一応マスクデータとして食事量も計測されているという訳か。


「残り食べて下さい」

「えっ、わ、私も結構お腹いっぱいなんですけど……」

「じゃあ残しましょうか」

「……食べます」


 私は目の前に座っているガードナーに残飯を押し付け、拳の4倍程度の蟹が落ちて行ったお腹をさする。

 この体での食事は初めてだが、思いの外味覚も食感も楽しめた。仮想飯なんてあまり美味しいとは言えないイメージだったが、流石にこの辺りも技術の進歩があるという事か。

 まぁ今後食べる気は起きないかなとは思うが、喧嘩の仲裁などという慣れない事への報酬と思えば多少は納得できる体験だ。


 テーブルに頬杖を突き、壁にも窓にも遮られていない外を眺める。

 雨はやや落ち着いては来ているが、相変わらずしとしとと地面を濡らしている。泥だらけになりながら走っている生徒を屋根の下から見ていると、あの中を帰る気にはならない。さっきまでは雨に濡れながら歩いていたはずなのだが。


 雨宿りの続行を決めた私は、授業中に取っていた例のメモを魔法の書から引っ張り出す。これを元にオリジナルの魔法陣を考えるより先に、呪術として応用できそうな物をある程度選別しておこう。


 テーブルの上にノートを二冊広げると、多種多様な魔法陣の中から、可能性が高そうな物や効果の優先度が高い物を清書していく。走り書きな上に魔法言語も混じっている私のメモは、とてもではないが清書しないと使い物にならない。

 書き写し終えたメモの内容に印をつけ、また別の魔法を新しいノートに清書する。雨音が薄い屋根を叩く音を聞きながら、私はその作業を黙々とこなしていった。


 しばらくして、ふと誰かに呼ばれた気がして顔を上げる。

 目の前にいるガードナーは相も変わらず蟹相手に苦戦しているので、おそらくは別の人。私を呼んだ人物も私に反応があった事に気付いたのか、すぐに次の声がかかった。


「サクラさん、ここに居たのですね」


 声の発生源を振り返ると、そこに居たのは傘を差した金髪の女の子……コーディリアだった。


 彼女の立ち姿を見て、私は一つ重大な事に気が付く。

 そう言えば私、傘持ってるんだった。ロザリーから貰ったやつ……私の中であれは武器なので、日用品として使うという選択肢が頭から完全に抜けていた。


 そんな事に今更気付いて、すぐにでも帰ろうかという私の考えなど知る由もない彼女は、ガードナーと丁寧な挨拶を交わして席に座った。

 どうも一緒に帰ろうとか、最近会えていなかったから会いに来たとかという空気ではない。コーディリアから感じるのは、どちらかと言えば、用事を果たすためにここまで来たというような意志だ。


「ここまで来たって事は、何か私に用事?」

「はい。これから予定はありますか? 少し付き合って欲しくて」

「やる事は無限にあるけど、予定は特にありませんね」

「よかった……なら(わたくし)と……」


 コーディリアの話はそこで途切れる。何も彼女がもったいぶっているとか、そういう事ではない。

 他の人の声が彼女の話を遮ったのだ。それも半ば絶叫に近い大声が。


「あ、おい! 聖女様だ!」

「エイプリル様! どうしてこんな場所にまで……」


 ……そんな大きな声が店内から一斉に上がる。私はここ数十分ですっかり耳慣れてしまった単語を聞いて、無意識に目を閉じる。あまり見たくないな。来店客の顔を。

 いや、よく考えると私は彼女の顔を一度も見たことがないので、見ても見なくても一緒かもしれない。どうせ本物かどうかは見分けられないのだ。


 私は覚悟を決めてゆっくりと目を開くと、コーディリアとガードナーも客が気になっていたのか店の一方向をじっと見ている。

 私もそれに釣られて周囲と同じ方向に視線を向ければ、そこには絶世の美女が立っていた。


 私やコーディリアの様なちんちくりんではない。背も高いし、目鼻立ちもはっきりとしている。ロザリーほどではないが胸もあるし、それでいて手足も長い。

 男女問わず、十人に聞けば十人が美人だと答えるだろう。そういった見た目をしている女。


 ……事前に美人だとは聞いていたが、まさかここまでだとは思わなかった。他の生徒とは顔の種類からして違って見える。シファとは別方向で人間味のある美しさを持っている。

 私は彼女の正体を知っていた。


 彼女は三人組で店へとやって来た。

 その内の一人は私でも知っているので、世情に疎い私にしては珍しく、3人の内の2人は正体を知っているという事になる。もう一人は知らないが、おそらくどちらかのお付きの生徒なのだろう。そういう遊び方をしているのかは知らないが、多分実質的には似たような関係。


 彼女は周囲の人間、おそらくは偶々店にいたファンの内の一人に何らかの話を聞き、そしてこちらに視線を向ける。少し気になって会話の相手から視線をずらしたなんて物ではなく、私は彼女とバッチリ目が合っていた。

 そして彼女は、目が合ったままこちらへと歩き始める。残りの二人は黙ってその後ろを付いて来ているが、偶々この店にいただけらしいファンの男達は彼女の目的地を見て足を止めた。


「初めまして。サクラさん」

「いいえ、人違い……」

「サクラさん。初対面の方に嘘をついてはいけませんよ」


 ……この風紀委員長は、まったく。


 盛大にファーストコンタクトを失敗した私は、帽子の広いつば越しにその女を改めて眺める。

 何度見ても美しい。ひねくれた私も、見た目だけなら手放しで称賛してしまう。男の性欲と、女の願望を煮詰めたような容姿だ。

 人間の美しさとは、結局の所そういう形に落ち着くという事実を見て、私は感動すら抱いている。何とも人間の美的感覚とは浅はかな物だ。それでこそ人間という気がして、納得以上の感情は出てこない。


 ガードナーに窘められた私を見て、彼女はふっと微笑んだ。何が面白いのか分からないが、それを見ていたファンの男達はため息を漏らす。笑うだけで周囲の環境を変化させるとは、随分な大物(モンスター)だ。


 私は仕方なくこちらから話を振る。どうやらサクラ・キリエに用事があるというのは間違いないらしい。その上、ガードナーが居ては逃げられない。


「……何か私に用事ですか。エイプリル・ウォルターさん」


 私は初対面である彼女の名前を呼ぶ。


 エイプリル・ウォルター。

 神聖術師としてのトッププレイヤーであり、定義によっては全生徒中トップの実力者。何せ彼女、“総合成績学院首席”である。それはつまり、私よりも実技成績が圧倒的に高いという事。

 その容姿と実力から、この学院内、そして何より学院()でも熱狂的なファンを獲得しているという超有名人だ。その影響力の強さは、学院生、つまりプレイヤーの数%は彼女が切っ掛けで入学してきたと言われる程。

 学院が広告を出さない場所だからこその話だが、もちろんあくまでも噂でしかない。実際にアンケートを取ったわけではないのだから。


 その性質故に、特に“後追い”、リリース後に時間を置いて入学した生徒からの人気は間違いなくトップだろう。

 もちろん人気者として注目されているという事は、それだけ多くの反感を買っているという事でもあるのだが、SNS上での発言を見る限り本人は至って常識人……少なくともそういう“振り”をするのはすこぶる上手い。

 そういう評価が重なって、最近では聖女と呼ばれる事も多い。真面目に本人を前にして聖女なんて口で言っている奴はそうそう居ないが。


 それもそのはず。プレイヤー本人の目に付かない様に話をする、掲示板独自の文化発祥のあだ名なので、若干否定的なニュアンスも含んでいるのは間違いないのだ。

 私? 私は殆ど生徒から人間だとは思われていないので……。


 ……そんな聖女様が、もう一人有名人を伴ってこんな所までやって来たという事は、それはそれは大層な用事があるのだろうな。

 そう考えた私が目を細めて用件を問えば、彼女は少しだけ視線を左右に振る。動揺しているというよりは、何か周囲を確認しているような素振りだ。


「ここで騒ぎがあったと聞いて、駆け付けたのですが……少し遅かったようですね」

「何と! 学院生の風紀のために行動しているとは感心です!」

「……騒ぎって、何かあったのですか?」


 私と一緒にいた二人は、エイプリルの話を聞いてそれぞれの反応を示す。

 ……この人の対応、ガードナーに任せてもいいんじゃないかな。どうやら気が合いそうだし。


 とりあえず、コーディリアに事情を説明するところからだろうか。



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