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第7話 万象の記録庫

 少々一緒に居るのが辛いペイントブラシさんの背中を追っていると、私の歩みが遅い事に気が付いた彼女が後ろを振り返り、歩調を緩める。

 敢えて無関係を装うために距離を取っていたのだが、どうやら単純に歩幅の関係で遅れていると勘違いしたようだ。そういう理由もまったくないとは言えないが、気を遣われているようでどうにも落ち着かない。


「歩きにくそうだな」

「そうですね。小さい体は大変です」

「多分終わった時に酔うぞ、それ。VR酔いって体格差が大きい程なりやすいからな」


 彼女は今更になって周囲を気にしてか、小声でそんな話を私に聞かせる。どうやらVRという単語を周囲に聞かせたくなかったらしい。

 それについてはよく分からないが、彼女の話を聞いて一つ納得したこともあった。


 なるほど。それでこいつ身長変えてないのか。どうやら身長が変わると歩きづらいとか、そういった慣れの話だけではないらしい。

 そういうの事前に教えて欲しいよね。言っていたのを私が聞き逃したのかもしれないけど。


 VR酔いとは、現実に戻った後に感じる車酔いのような症状である。接続と切断の揺れるような感覚の事ではない。

 人によって気持ちが悪くなったり強い倦怠感を覚えたりするが、基本的に寝れば治ると言われている。慢性的なものになってくると話は違うらしいが、これも個人差とマシンの性能差があるらしいから、私がどうなるのかはまだ分からない。


 まだまだ勝手がわかっていない生徒が多い学院の廊下を歩きながら、酔い止めの方法を小声で語っている彼女を横目で確認する。


 それにしても視界の邪魔だ。地味にゆさゆさと揺れている。

 人間の頭程はあろうかという胸は、現実の絵筆にはないものだ。それはもう私よりも圧倒的なまでにないのだから、なまじ身長と声が同じだけに違和感が凄まじい。

 私はその肉塊があまりに気になって、つい口から出てしまう。


「……ところでその胸は、趣味ですか」

「ん? くっくっく……なに、大したものではないさ。キリエよ、まだ悲観するような年齢ではないぞ」

「……」


 絶対趣味だろ、それ。

 ちなみに私の胸は当たり判定の関係で極限まで削ってある。現実ではこいつの二倍は優にあるので何でもないが、こうして見下されると非常に腹立たしい。


 これ以上この話題を続けても良い事がないと判断した私は、代わりとなる話題を探す。このまま私の年齢が下であるかのように会話を続けられたら、不愉快なのは間違いないだろう。

 私は入学試験の後に貰った魔法の書で学院の見取り図を確認しながら、少し今更な事を聞いてみることにした。


「ところで、私達はどこへ向かっているんですか?」

「ふっ、知れたことを。行動の指針を決める前に、我々の実力を試さなければなるまい」


 彼女の話を聞いて私は納得……はもちろんしない。


 いや、当然のように言われても何が何だか知らないし。そっちは色々見て回った後だろうけれど、私はまだ学院のほとんどを知らないままなのだが……。


 ガヤガヤと少し騒がしい廊下で、そんな反論をしようかと口を開く。

 しかし、その直前、何だかさっきよりも周囲の人が増えている事に気がついた。身長が低いせいで気付きにくかったが、人と人との距離が近いのである。先に進むにつれてどうやら生徒が増えてきているらしい。


 この学院は全プレイヤーが活動の拠点にする関係か、廊下がとても広い。天井は人間数人分を優に超え、幅もまるで車道のような広さである。

 尤も、それでも全キャラクターが同時に同じ場所で活動するとなるといくら場所があっても足りないはずなので、妥協の産物として何かゲームっぽい仕様が隠れていそうな部分ではあるが……そこは必要になった時に調べればいいだろう。


 学院の廊下はそんな場所であるため、基本的には生徒同士が通行の邪魔になったりはしない。

 しかし、この周囲だけは少々混雑している印象だ。それに他の場所以上に生徒同士の会話……情報交換が盛んに行われている様に見える。全員ざわざわと何かを話していると思いきや、中には秘匿用の個別チャットで外に聞こえない様に内緒話をしている連中までも見える。


 一体これは何事かと生徒の集まる方向をマップで確認すると、そこには“万象の記録庫”と書かれていた。ただ、それ以上の情報は記載されていない。魔法の書にはヘルプの項目もあるにはあるが、マップとは別のページにあるのだ。

 それに、答えを知っている人物がすぐ隣にいる。態々自分で調べる必要もあるまい。……“こんな奴”解説役として傍にいるのだから、せめて有効活用しなくてはな。


 私が何だこれはとペイントブラシさんに視線で問うと、彼女は何も言わず意味ありげに笑う。

 こう言うと何だか、よく笑う人みたいでいい印象に思えるが、実際には情報を出し渋っているだけである。


「さて、我らも行くぞ」

「……」


 絵筆は結局目的地に到着するまで詳しい話を何も語らなかった。仕方がないので彼女の後について、私もその部屋へと足を踏み入れる。


 ある程度の混雑を想定している造りになっているその部屋は、まず入り口から広い。十数人程度は横に並んで余裕で入れるだろう。実際そのくらいの人数が常に同時に行き来している。

 そして肝心の中身であるが、記録庫の名の通りに書庫のような見た目をしていた。いくつもの本棚が乱立し、中にはぎっしりと本が詰まっている。


 そんな中で生徒たちは読書……ではなく、自分の魔法の書を取り出して何かを操作している様子だ。どうやらただの図書室と言う訳ではないらしい。


「ここは万象の記録庫。世界中……いや、あらゆる次元の情報が人間には認識しえない形で保管されている空間だ」

「人間には認識しえない?」

「いや、もしかすると神にすら解読不能なのかもしれん。本だけではなく“空間”自体に情報が積み重なっているようだ」


 それは何とも大仰な場所だ。私は彼女の解説にそんな気のない反応をする。それで、結局ここは何をする場所なのだろう。

 私の疑問の一番大事な部分に答える前に、ペイントブラシさんは私にフレンド申請とパーティ加入の申請を送ってきた。


 フレンド登録があれば遠隔チャット機能などが無制限になり、パーティに加入すれば一緒に戦闘して経験値を分け合える。つまりはどちらも仲間を意味する機能だ。

 一瞬断わることも考えたが、おそらくは私のために色々と調べてきてくれたのは間違いないので、流石に許可を出しておく。


「では、行こうか。我が盟友キリエよ」

「どこに……」


 そんな当然の疑問を言い切る前に、私の視界は白に染まる。

 突然の変化に驚き、一瞬VR特有の不具合か何かを疑ったが、そうではないと言うことはすぐに判明した。


 足元から白い景色が消えて行き、まるでベールから姿を現すかのように色鮮やかな光景が広がって行く。それはあの霧の中の光景よりも圧倒的に劇的な変化。


 一瞬にして書庫から様変わりした周囲は、森の中だった。

 赤や黄色の葉を持った広葉樹が見渡す限りに立っている。耳を済ませれば美しい鳥のさえずりや、優しい葉音が聞こえてくる。ついさっきまで図書室に居たと思ったら、次の瞬間には秋の森林。


 突然の大自然を前に私が唖然としていると、背後から聞き慣れた笑い声。それを振り返って視線で問いかければ、今度こそ彼女は濁すことなく正直に回答した。


「ここは魔法世界と呼ばれる場所だ」

「魔法世界?」

「ああ。万象の記録庫に氾濫した情報を再構成して、一つの世界としてまとめ上げる……分かりやすく言えばランダム生成のフィールドだ。基本的には学院の外ではなく、この世界の探索を行うのが我々学院生の使命、と言うことになるな」


 彼女の話を聞いて私はようやくここが何なのかの概要を理解する。

 なるほど。実力を試すとか何とか言っていたけれど、それは単純に魔物と戦闘してみましょうという話だったのか。最初からそう言ってくれれば良かったのだが、どうやらそれでは恰好が付かないと思ったらしい。面倒な解説役だ。


 私は彼女の意図をようやく理解して、入学試験で借りっぱなしになっていた杖を魔法の書から取り出した。この仕様は知っていた、と言うよりも単純に装備のページを開いたら出て来てビックリしたのを多少取り繕っただけだ。

 そのついでに手持ちのアイテム欄を開いて、中身が特に入っていない事を確認する。なぜか所持金だけはそこそこあるが、道具のインベントリは空だ。


「私、回復薬とか持っていませんよ。ここの魔物、倒せるレベルなんでしょうね」

「ああもちろん。事前にある程度魔物や植物、環境の傾向を設定できるようになっている。今回は全部初期設定で、完全初心者向けだ」


 ……なら大丈夫……だろうか。

 私の心配を他所に、彼女は身の丈よりも大きな鎌を取り出すと早速移動を開始する。鎌はギラリと鈍く輝いているが、その見た目だけで選んだような装備に、私の不安は大きくなるばかりである。


「ところで、ペイントブラシさんの学科(クラス)は?」

「死霊術師だ。我が闇の魔力と好相性だが、未だ真の力は封印されていて使えない……そっちは呪術師か。悪くない選択だ」


 ペイントブラシさんは私の胸のエンブレムを確認し、そんな言葉を告げる。

 どうやらやはりこれは専攻学科を示すものであるらしい。それにしても一瞥しただけで所属学科を言い当てるとは、地味に凄い。もしかしてこいつ、二十数種類全てのエンブレムを覚えているのだろうか。


 ちなみにこの悪くないという言葉は、多分単純に格好いいか否かの話であって、別に性能的に相性が良いと言う話ではないと思う。そういう奴なのだ。


 それにしても、死霊術師か。私はぼんやりと例の学科の説明を思い出す。

 呪術師は状態異常にして戦況を有利に進めるクラスで攻撃手段は乏しいが、死霊術師はもっと攻撃的な魔法系クラスだ。召喚系に分類される魔法を多く習得し、更には自身も剣などを持って格闘戦をするという、手数で攻める攻撃特化と言ってもいいようなクラス。

 個人的な感覚としては死霊術師(ネクロマンサー)呪術師(シャーマン)の一種のように感じるが、結構この作品内では違う立ち位置らしい。


 死霊術専攻の欠点は、多分防御力の低さ。プラス面ばかり書かれている解説を読んだだけだから、実際にはどうなのか詳しくは分からないが、成長率は前衛としてはかなり低めだったはずだ。

 ちなみにこれは召喚系の詠唱時間の長さと、近接戦闘必須と言う理由で私が最初に除外したクラスの内の一つでもある。彼女と同じというのは良い面も悪い面もあるので、別になったこと自体は何とも言い難い。相性は良いのか悪いのか判断が付かないし。


 私は拭えない不安を胸に、それでも秋の森林へと一歩踏み出す。


「大丈夫かな……」

「ふっ、安心するがいい。我が魔刃に断てぬ物はない……武器も防具も買い替えたし、流石に序盤の敵には勝てるだろう」

「ああ、それは多少頼りになりそうですね」


 物価は分からないが、確かに初期の所持金がこれだけあれば武器と防具くらいは買い替えられるかもしれないな。


 そして、そんな話をしながら気楽に歩いている私達の前に、ガサガサと揺れる茂み。それに反応して二人で武器を構える。


 ついに、私達の初戦闘が始まった。

 入学試験の狼? 記憶にないな。まともな戦闘になったという記憶が。



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