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8/13

7:前の職場が大変らしいです

 朝、いつもどおりにレイ・コンサルタントに出勤して、預かっている鍵(もふもふ狐マスコット憑き)で一階の玄関を開け……。

 ……とりあえず閉めた。


 なんかすごいのいるんですけど――?!

 

 ばくばくする心臓を押さえて深呼吸する。

 応接の諸々に最近はお稲荷様まで加わって、大概のことには慣れたつもりだったけど甘かった。

 もう一度扉を開けて確認するべきかと思ったけれど、その勇気が湧かない。それに、誰にでも見えるかどうかはわからないけれど、扉の隙間から通行人に見えたりしたらマズそうだし。

 でも、あんなのが階段に転がっていて、レイさんが気付かないとかあるんだろうか。

 とりあえず連絡をしよう、とインターホンを見て、考え直して玄関から少し離れてスマホを取り出した。

「おはようございます。芦田です」

『どうしたの? さっき下の玄関を開けなかった?』

 電話の取り方に癖のあるレイさんだけれど、極一部の人のみ普通に出てくれる。私は部下なのでその一部に入るらしい。

 なお、一階の玄関の開け閉めはレイさんの手元に通知されるし、玄関周りには監視カメラがあって、建物前で立ち止まっていると捕捉される。この建物のハード面は割りとハイテクなのだ。レイさんでも通知を受けるだけだから問題ないし。超常現象相手にどのくらい役立つのはかはわからないけど。

「階段に、なんかすごいモノがいるんですけど……」

『あら。階段にいるの?』

 やはり、アレがいることそのものは察していたらしい。玄関に向かったらしい物音がスマホから聞こえた。

『帰ってきたら声くらいかけたらどうなの。そんな所に転がっていたら邪魔でしょう』

 アレと話しているレイさんは、朝早くに玄関先に転がってる朝帰りの酔いどれ亭主を見つけた昭和の奥さんみたいなテンション。いや、見たことも聞いたこともないから、あくまでもイメージだけど。

 それに対し、ごにょごにょと言い訳している気配がしたけれど、聞き取れない。

『いいから早くお入りなさい。あまり勝手に出歩いていると封じるわよ』

 「帰ってきた」ということは、定住メンバーなんですか? どこに収まるんですかアレ。階段を一階から二階まで埋め尽くしてうねうねしてましたけど。

 ややあって、レイさんの声がした。

『アシちゃん、どかせたからもう大丈夫よ』

 恐る恐る玄関を開けると、いつもの風景。ただ、階段の上には扉を開けたレイさんがいる。

「おはよう、アシちゃん。驚かせてごめんなさいね」

 驚きました。すごく。

「おはようございます。さっきのは一体……」

 と、階段を上ると。

「うわぁっ?!」

 入り口に立ち塞がるように置いてある衝立が変わっていた。

 古風で重厚な板の衝立に波がざっぱんとした絵が描いてあるけれど、そこにどどーんと龍が加わっている。二階玄関を開けたらいきなり正面から睨み付けられるように。

 昨日まではなかった。そしてさっき見たものは。

「さ、さっきのは、これですか……」

 龍も出るんですかこの事務所……。大蛇じゃなくてよかったのかなんかのか。

「ええ。うちの門番兼火除けなのだけれど、出歩いていることが多くて」

 困ったものね、とレイさんは飼い猫が勝手に外に散歩に出てしまうくらいの調子だけど、あんなのどこに出掛けるんだろう。

 しかしすごい迫力で、門番だというのは納得。初めてこの事務所に来たとき、お留守で良かったです。インパクトありすぎて逃げたかも。

「ええと、レイさんのお手伝いをしています。よろしくお願いします」

 冷静に考えると間抜けだけれど、事務所の門番だというし、さっきの姿を見てしまったのもあって、衝立の龍の絵に挨拶する。

 と、絵の中の龍がぎゅるんと動いた。

 ……とりあえず承認されたと思っていいでしょうか。毎朝威嚇されるの嫌ですよ。

 それと、お願いですから、私が事務所にいるときに立体化しないで下さい。


 


「今日は何かありますか?」

 書斎に入って、パソコンとタブレットを起動させつつ予定を確認するのももう日課だ。

「荷物がいくつか届く予定だから、確認して記録しておいてもらえるかしら。お礼状は書くから」

「荷物がいくつも?」

「もうお中元の時期なのね。暑くもなるわ」

 年度末にリストラされて、レイさんの事務所に来るようになって、季節はもう夏。

 前の職場なら、取引先や役員OBとかへのお中元の送付先リストアップにランク分け、品物選びと発注。一方で受け取ったらお礼の連絡と色々面倒だった。

 なのに、レイさんに何も言われないからって忘れていたなんて、秘書として大失態。

「こちらから贈る先などはありますか? あと、暑中見舞とかどうしましょう」

「私から贈る先はないわね。暑中見舞も出していないし」

「ちなみに年賀状は」

「出していないわね」

 なんという殿様商売。レイさんの場合は神様か。

「年末年始は家関連が忙しくてしばらく事務所を留守にするから、年末に取引先に連絡の葉書を送るけれど。そのうちにリストの確認をお願いするわね」


 


 そうこうしているうちに、荷物が届いた。いくつか、どころではなく大量に。

 季節の恒例なので、近所の業者さんも心得ているらしく連絡してまとめて持ってきてくれるし、そもそも送り主さんたちも日付を合わせて送ってくるらしい。階段を往復してくれた配達員さんお疲れ様です。

 荷物はいったんキッチンに運び、タブレットで送り主がわかる状態の外観と荷物の中身の写真を撮って、添状とかを確認して、冷凍庫や冷蔵庫に入れるものは入れていく。

「すごいですねぇ……」

 定番の素麺や調味料、お酒やジュース、常温で置けるお菓子はもちろんのこと。果物にアイス、魚の干物真空パック冷凍、ハムどころか冷凍塊肉とか、受け入れ体勢が整ってなかったら困るものを送ってくるのも、当然来ると思って待ち受けてるのもすごい。御中元というよりお取り寄せでは?という感じだ。給湯室替わりのここに、この大きさのものは要らないのでは?と思っていた大型の冷蔵庫がもう満杯。

 そして、大きい箱とは別便で小さい箱で届いているものや、箱のなかに白い紙で別な包みが入っているものがある。

「レイさん、こちらの包みはどうしましょう?」

 どこから届いたかわかるようにしつつ本体とは分けて置くように指示されたので、付箋でメモをくっつけて空き箱にまとめておいたけど。見たところ、中身は食べ物が多い。

「紙皿とか紙コップはあったかしら」

「ある程度買い置きがあります」

 棚から予備を出す。

 また狐さんの集団来襲とかその類似のことがあっても困るので、備えはしてあります。皿とコップの大小の他、お椀タイプも完備です。

「色々あるのね。用意が良くて助かるわ」

 使う予定があるなら、言っておいて下さると助かります。

「これは御供物なの」

 おくもつ。あ、供物。御供え。……御供えに紙皿紙コップ? 新品で使い捨てだからいいのか。

 先日、お稲荷様の眷属相手に迷わず使いましたしね。

「応接で預かっているモノたち宛のものよ。箱はキッチンの入り口に置いて。アシちゃんは……害はないと思うけれど、少し様子を見てから、出てくるかどうか決めてちょうだい」


 応接の結界は、応接を他の空間と切り離すもの、というのが正しいらしい。なので、書斎との間の扉だけではなく、玄関は衝立のあたり、キッチンとの間は壁の延長あたりに、私にはわからない境界があるのだそうな。荷物をキッチンに運んだのも、応接のみなさんにイタズラされないように。

 レイさんは、御供えの入った箱からひとつを選ぶと、中身を取り出し、それに合った器を選んで、それぞれに渡していく。

 その姿は御供えというより配給っぽい。

 普段動かないモノも御供えを前に動きだして、応接はいつも以上に賑やかに宴会ムードになっている。

「せめて温めんか。おーい、嬢ちゃん。おらんかー」

 冷たいままのレトルト煮物を出された達磨さん(手足あり)が文句を言い、温めた方がいいのかな、と思ったけれど。

「おお、それならこれも炙ってくれ」

「こちらも燗をつけてくれんか」

「ワシも熱いのがええのう」

「贅沢いうんじゃありません」

 海苔やスルメ、お酒をを受け取ったあたりが便乗して来た。

 冷たい煮物は悪いけど、これはひとり構うと際限なくなるやつだ。

 害はない。彼らに危害を加えてる意識はないだろうし、個別に見れば危害ではない。だけどすっっっごく面倒くさい。全部は対応不可能だし、直接頼まれたら断りにくい。冷凍品は一応解凍してるので許して欲しい。

 タブレットは持ってきたし、応接が落ち着くまでキッチンで仕事しよう。


 だけど。

 頂き物のリスト作成と、取引先ごとのファイルへの記録が終わっても、応接の宴会は落ち着く気配がない。

 うっかり出ていったら間違いなく巻き込まれるので身動きがとれないし、どうしよう。

 食べていい、むしろ「食べていって」、と言われたので、自分では絶対に買うことがないだろうランクのサクランボをいただきつつ、ここにいながらできる仕事はあとなんだ、と考えていると、レイさんがキッチンにやってきた。

「むこうは収拾がつきそうにないわね」

 とはいえ、無理に終わらせようという気もないらしい。

 レイさんの本日のおやつは水菓子らしく、洗っておいた果物に手を伸ばす。

 早く食べないと傷んじゃいますからね。

「アシちゃんもここに籠っていても仕方がないでしょうから、おつかいに行ってきてくれるかしら。応接が落ち着かないようならそのままあがってくれていいし、ゆっくりしてきて」




 というわけで、応接のみなさんをダッシュで振り切って出掛けたおつかいは、数ヶ所へのお買い物だった。

 レイさん愛用の万年筆のインクと、ロゴを入れてもらっているレターセット。それぞれ別の文具屋さんへの特注品なので、二軒回るとそこそこに時間がかかる。


 こんなゆるい働き方でいいんだろうか。


 たまにそう思う。

 応接のみなさんを思い出すと、特別対応料金とかもらってもいいよね、とは思うけど、それなら今日も対応してあげるべきで、それはちょっと。


 大型書店の文具売り場で万年筆のインクを買ったあと、ついでなので他の階も回っていると。

「芦田さん?」

 不意に声を掛けられた。

 振り向くと、書店の紙袋を持った女性。

「新田さん」

 前の職場の秘書課の先輩で、主に社長を担当していた人だ。

 古田商事の新田さん、ということで、一部の人にはネタにされやすく、更に芦田が加わると「耕作放棄地!」と、オチがつく。

 前の勤め先、苗字で秘書を選んでいた疑惑が少し。

「久しぶり。ねぇ、今時間ある? 少しお茶しない?」

「おつかい中じゃないんですか?」

 この大型書店は前の勤め先から程近い。新聞の広告や書評を見て「これ買ってきて!」と、おつかいに出されたら、お昼休みを足して大きい本屋まで出掛けてついでにちょっとゆっくりすることはあったけど。

「遅いお昼込みだから大丈夫。ちょっと話したいことがあって」

 新田さんの「話したいことが」っていうのは九割は愚痴なんですが……。

 まあ、私の方でも気になることがあるから、付き合いましょう。




「今、どうしてるの?」

 手近なお店に入って、新田さんは食事を、私はお茶を頼む。

「法律事務所の事務をやっています」

「直ぐに仕事見つかった?」

「アルバイト先で運良く紹介してもらえまして」

 嘘ではない。

「法律事務所の事務ってどんな仕事してるの?」

「書類作成とか庶務ですね。あと、受付の補助とか色々、人手が足りないところに駆り出されてます」

「芦田さん、大体の仕事はこなせるもんねぇ」

 そのあたりは、面倒な仕事をあらかた私に振ってくれた新田さんのおかげですかね……。

「今の仕事どう?」

「充実してますよ。事務所の人もいい人ですし、色々ありましたけど、結果オーライかなと」

「そうか。戻ってきてくれたらうれしいなぁ、なんて思ったんだけど無理だよね」

「もしも今無職だったとしても、それは無理ですね」

 正規の職員にしてくれてありがとうございます、高嶺先生、所長。

「芦田さんを辞めさせるとか、何の冗談かと思ったんだけど。仕事が回らなくなるって社長にも言ったのに」

 新田さんは盛大にため息をついた。

「派閥争いはいい加減にしろっていうのよ、あの古狸どもは!」

「新田さん落ち着いて」

 だんっとテーブルを叩く勢いでコップが倒れそうになった。

 古狸は、役員室のおじさんたちのこと。狸呼ばわりされるのは、ぽんぽこいい音がしそうなお腹だけが原因ではないけれど。

「それに、最近会社の中が色々おかしいのよねぇ」

 落ち着きを取り戻した新田さんは、盛大にため息をついた。

「おかしい?」

「色々壊れたり、調子がわるかったり。パソコンもおかしいけど、エレベーターは前にも増して挙動不審だし、地下の駐車場も故障したし」

 それは単に設備が古くなっているか、メンテナンスをケチって整備不良なだけでは。

「階段で怪我をする人もいたり。お祓いでもしようかなんて言いだす人が出るくらい」

「お祓い、ですか」

「そう。笑っちゃうでしょ」

 笑えない。

 前の職場はレイさんの取引先。つまり、そういうのが確実にいるんですよ……。

「まずは屋上のお稲荷様をお参りしたらいいんじゃないでしょうか」

「屋上? ああ、そういえばあったわね、そんなの」

「引継ぎしたはずですよ。週一の榊と御神酒の交換と、月一のお供え」

 そもそも、新人時代の私に神様のお世話を割り振ったのは貴女なんですが。

「そんなの真面目にやるのは芦田さんくらいだったし……。会長が引退して、口うるさくいう人もいなくなったから」

「お祓いとか言い出すくらいなら、まずそこやりましょうよ」

「そうかぁ。でもそれ言うと私に押し付けられそう。あの非常階段いやなんだよねー」

 元職場、いったいどんなのがいるんでしょう。


 


「それはちょっと話せないわね」

「ですよねぇ」

 応接のみなさんもある程度落ち着いたらしいので事務所に戻り、レイさんに古田商事のことを聞いてみた。けれど当然ながら教えてはもらえなかった。

 モノがモノなので、アシスタントといえども、現在進行中の案件以外は基本的に教えてもらえない。応接でよく話すような相手も、今日のお供えで初めて実家(?)がわかったモノが多いくらい。

 そして古田商事は「お祓いでも呼ぼうか」というくらいだから、レイさんがこういう仕事で通っていたという引継ぎをしてないんだろう。知っていれば、真っ先にレイさんに相談するはず。

「レイさんとの契約は、もう解除されてるんですか?」

「ええ。なんの功績もないコンサルタントなど、不要だそうよ。担当者の入れ替わりの時には起こりがちなことだけれど」

 いつも通りに、穏やかで綺麗なレイさんの微笑が黒く怖く感じるのは気のせいでしょうか。

「お祓い、してもらった方がよさそうなんでしょうか」

 もう縁は切れているとはいえ、知っている人はいるので、その手のモノのせいで怪我人まで出ているようならさすがに気になる。

「現場を見ていないし、その辺りの事は言えないわ。でも、私が以前関わっていた案件だと知った上で仕事を受ける同業者はほとんどいないわよ」

 早瀬法律事務所のみなさんによると、レイさんは確実に現役トップクラスの実力者なので、手に余って助力を求めてくる同業者さんも少なくないそうな。ただし、レイさんの方針が独特なので、レイさんの仕事に他の同業者さんが介入してくると、顧客とのトラブルが起こりやすいらしい。

 つまり、レイさん関連の案件はレベルが高いか、顧客とのトラブル発生率が高いかの、どちらかまたは両方。

 確かにそれはちょっと手を出したくないだろう。

「再契約、ということはあるんですか?」

 となると、元会長経由でレイさんにお願いするのがよさそうだけど。

「もちろんあるわよ。契約の書面を見る?」

 ファイルを差し出されたので、書類を見る。

 解約金とか、違約金とかがないなんて珍し……あ、でも、再契約の条件がえげつないような?

「契約金が倍??」

「当然、状況によって変動するけれど、目安として」

 レイさんの顧問料、取引先によって随分幅があるなとは思ってたけど、そんな事情もあったんですか。

「解約して、再契約するしかなくなった取引先って、割りとあります、か?」

「よくあるわね。担当者が変わるごとに解約して、問題が起きて再契約というのを何度も繰り返しているところもあるわ」

 どう考えても、引き継ぎの説明しにくい事案ですしね……。

「前の会長さんまで話が届けば、どうにかなさるでしょう」

 確かに、現状だとこちらからできることはない。

 ただのメンテナンス不足による設備不良とかだといいんですけど。


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