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4:業務効率化を計りたいと思います

 こういうのは、「月に一、二度くらい」って話じゃありませんでしたか……。

 レイさんの事務所にちゃんと勤めて半月ほど。本日も軽快に動き回る掃除機の上には尻尾が二本の三毛猫がご機嫌に乗っている。

 他にも数体よく動くモノがあって、ほぼ毎日何かが起こっているので、段々驚くこともなくなってきた。

 慣れってすごい。

『お嬢さん、飯はまだかいの』

 棚のホコリを化学モップで拭いていると、話しかけられた。声のした足元を見ると、海亀が這っている。

「おじいちゃん、ご飯は要らないはずでしょ」

 もはや普通に会話できてしまう自分が怖い。

『たった数日でノリが悪くなったのう』

 この亀さん、どこでどう覚えたのか、一昔前によくあった老人ネタをするのが好きらしい。

「ボケた振りばっかりしてると、本当になってしまった時に困るんですからね」

『確かにな。そうはっきり言ってやる者がおれば、先代も違ったじゃろうに』

 う。以前いたお宅の人のマネでしたか。

 亀さんは気が済んだのか、もとの海亀の剥製に戻った。亀さんはちゃんと自分で定位置に戻ってくれるので助かる。

 ここにいるモノは、どうやらちょっと構って欲しいだけのようで、少し会話すると封印し直さなくても勝手に元に戻る。応接のお掃除時間はもはや、話し相手ボランティアやカウンセラーや介護職の気分だ。

 ちゃんと封印してないからしょっちゅう動くともいえるけど。そうなると封印とはいったい。

『にゃっ!』

 猫の悲鳴と続く鈍い物音に振り向くと、書斎の入り口に招き猫が転がっていた。


 この扉のところに結界があるそうで、応接の諸々は書斎に入ると強制的に置物に戻るらしい。

 なので、うっかり掃除機に乗ったまま結界を越えてしまった招き猫が床に転がる、ということが繰り返されている。そこそこ重量感のある焼き物なので、それなりの音もするし床も傷つくし、そのうち本体も割れそう。

「またですかー。いい加減割れ物の自覚を持ってくださいよ」

 拾いにいくと、奥の机でレイさんが呆れていた。

「別にいちいち構わなくてもいいのよ? アシちゃんが相手をしてくれるからと、調子に乗って余計と動いているのだから」

 この状況、まさかの自業自得だったんですか。

「無視しにくくて……」

 招き猫のあちこちを確認する。ヒビとかはなさそうだ。一応預かり物なので、本猫のうっかりとはいえ、壊れたら大変だろう。

「ところで、これが割れたら猫さんはどうなるんでしょう」

 聞いてみると、レイさんは首を傾げた。

「招き猫が本体ではないから、どうかしら」

「本体ではない?」

「昔は生きている猫だったんでしょうけれど、今は実体があるともないとも言えないわね。どれもそうだけど、うちで預かる時には、もといた家の馴染みのよさそうな物を依り代にして連れてくるの。それが招き猫の置物だっただけ。古いモノにも色々いるけれど、その猫は店に憑いていたものだから、今までも移動の必要があるときは、依り代か人に憑いていたのではないかしら。でも、この先については保証はないわね」

 レイさんの答えはなるほどわからない。いや、さりげなく「人に憑く」とか不穏な言葉があったけど。とはいえ、依り代という言葉から察するに、ここで壊れたら大変なことになるのでは。

「自重した方がよさそうですよ」

 そう声をかけながら招き猫を棚に戻す。

 と、ここしばらくずっと気になっているモノが目に入った。


 招き猫の額にぺったりと貼られた「封」のラベルシール。

 しかも、他の封印より幅が広くてフォントも大きい。


「おでこの封印だけは、剥がれないんですよねぇ」

 なにしろ、猫になってもなぜか額に貼られたままになっているものだ。

「それはただ貼ってあるだけで、封印ではないから」

 なんですかそれ。なんの意味があるんですか。

「封印じゃないんですか?」

「物は同じだけれど、私が貼ったものではないから効果はないわね。もっとも、恨みは込められていたから、普通に貼るよりは丈夫かもしれないわ」

 意味のない封印を恨みで貼る? 恨みで丈夫になる??

 私が困惑しているのを見て、レイさんは続けた。

「猫を見て、アシちゃんが一時期来なくなってしまったでしょう?」

「あー、はい」

 今ではこんなに慣れてしまいましたが。

「その時に、さっしーが『招き猫ならしばらくは空気を読んで大人しくしていろ、馬鹿猫!』とか言って油性ペンで落書きしようとしたから、代わりにその札にさせたのだけれど」

 ……ええと。

 この事務所のオカルトさを知った私が辞めかけたので、そのきっかけになった招き猫に嫌がらせというかお仕置きをした、ということですか。

 ところで『さっしー』って誰ですか。

「そういえば、アシちゃんがまた来てくれるようになってから、さっしーが忙しいらしくてまだ顔合わせをしていないのだったわね」

 ここで顔合わせする予定の人。事務やらされ担当さんはさっしーさんと言うらしい。

 交換日記状態の連絡ファイルには、《戻ってきてくれてありがとう!!》と巨大フォントに号泣の絵文字つきで書かれていた。

 それにしても、私の呼び名といい、レイさんのネーミングセンスが微妙。

「そういえば、今日の午後から来るそうだけれど」

 そういうことは早く言ってください。質問をまとめておかないと。




 午後。お茶の時間の少し前に、二階の入り口のインターホンが鳴った。

「来たわね」

 玄関を開けに行くレイさんについていく。

 さっしーさんは一階の鍵は持っている人らしい。

「いらっしゃい。表から来るのは珍しいわね」

「俺だってこっちは使いたくないけど、一応仕事だからな」

 見ると、ダークスーツの男性が立っていた。三十歳前後、髪は明るめで、軽い感じときちんとした感じが絶妙なバランスの人だ。

「お、君がアシちゃん?」

 レイさんの後ろに立っている私に気がついて声をかけてきたので、挨拶を返す。

「芦田です。はじめまして」

「直接ははじめまして。あ、俺はこういう者ね」

 さっしーさんは名刺をくれた。

「頂戴いたします」


 早瀬法律事務所、弁護士、高嶺聡(たかみねさとし)


 弁護士さん。弁護士さんに事務させてたんですか、レイさん。そして、聡だからさっしーなんですか。

「高嶺先生とお呼びしたらよろしいですか?」

「そうだねぇ。ここは怜子の領域だから『さっしー』でいいよ。俺も『アシちゃん』って呼ぶし」

「では、さっしーさんということで」

 レイさんの『領域だから』という表現が気になるけれど、要するに事務所の中ではレイさんの付けた呼び名がデフォルトになるということらしい。

 ところでこの名前。さっしーという妙に砕けた呼び方。更にレイさんを呼び捨てするということは。

「お身内の方ですか?」

 聞いてみると。

「姉」

「弟」

 と、同時に返事があった。

 レイさんの弟さん。言われてみればどことなく似ている。ただ、ベースが同じでも、男女の違いの上に、ミステリアスとカジュアルとそれぞれ別方向な感じだ。

 お姉さんのこと呼び捨てなんだ? という疑問はあるけど、そこも何か謎ルールがあるのかもしれない。

「ところで、俺のスリッパ片方知らない?」

 さっしーさんが手にしているスリッパは、よく部屋の中に転がってるものの片割れ。

 部屋の中を振り返ると、やっぱり犬張り子の置物の所にある。

「取ってきます」

「ああ、また犬だねー」

 さっしーさんは、犬の置物……のはずの黒シバっぽい感じの子犬の所に直行した。

『わん!』

「お前ね、毎回毎回いい加減にしなさい」

 犬は頭をぺしんと叩かれても、尻尾をぶんぶん振ってさっしーさんにまとわりついている。

 どうして私の前でそっちになってくれないの! 和むのに!

 ちなみに私は基本的に犬派です!!

『若造! この邪魔にゃ札をさっさと剥がさんか!』

 そこに三毛猫又が飛びかかってきた。

「お前はまだしばらく反省してなさい」

 さっしーさんは猫又を受け止めると、流れるような動きで棚に戻す。なんだかとても慣れていらっしゃる。

『久しいな、高嶺の若いの。将棋の相手でもせぬか』

 ドスの効いたガラガラ声に振り返ると、ソファには天狗がどっかりとあぐらをかいていた。

 これは天狗のお面ですね。

「俺は仕事に来たの! 忙しいの!」

 さっしーさんは天狗とその他動き出したモノたちを振りきって早足、というかほぼ駆け込む勢いで書斎に入った。

「相変わらず好かれているわね」

「これだからここには来たくないんだよ! ……て、アシちゃん、あれとかそれとか見えてる、よね?」

「はい」

「よく、平気だね……」

「自分でも驚いていますが、なんだか慣れてしまいまして」

 本当に、自分でも不思議です。

 現状は、いつにないカオスな状況にポカーンとして反応できなかっただけですが。

「これをわかった上でここに勤めてくれるの、ホント救いの女神だよ……」

 さっしーさんは素で大袈裟な人らしい。

「俺はそっちの部屋にあんまりいたくないんで、悪いけどこっちに来てくれる?」

「はい。今行きます」

 パソコンもそっちですしね。




「さっそくで悪いんだけど、前の職場でどういうことやってたか聞かせてもらえるかな」

 事務作業用の机の横に予備の椅子を持ってきて座ると、さっしーさんはそう切り出した。

 今さらに面接のような感じだ。

「職務経歴書と履歴書はありますけど」

「おお、さすが。見せてもらえる?」

 机の引き出しから書類を出して渡す。

 雇われるからにはと書類の準備はしていたのだけど、レイさんがそのあたりを気にしない人らしく出す機会がなかったんですよね。

芦田優乃(あしだゆうの)さん。前の職場は古田商事。総務部秘書課、会長付き秘書。まだ若いのにすごいね。ん、古田商事?」

 何かひっかかったらしい。ついでに言えば、私も名刺をもらってから気になっていることが。

「早瀬法律事務所、前の職場とお付きあいがありましたよね?」

 高嶺先生に覚えはないけど。ついでに言えば、一度もらった紹介できる職場リストの一番上にあった名前だ。

「さすが会長秘書、よく覚えてるね。そうか、最近辞めちゃった秘書ってアシちゃんのことなのか」

 辞めたのではなくて、クビになったんですけどねー。

「これなら他にも勤め先がありそうだけど、なんでまた怜子のところに。いや、すごく助かってるし、続けて欲しいけど」

「解雇されて呆然としてるときに、たまたま行き合ったので。なんというか、成り行きですね」

 仕事を紹介してもらえれば、というつもりだったのに、妙に落ち着いてしまっている現状がある。我ながら、なんでこの職場環境で落ち着けるのかは謎だけど。

 それに、思い返せばどうしてあの時、レイさんに対してあんなに食い下がれたのかも不思議だ。

「成り行き、ねぇ」

 さっしーさんは何か意味ありげに呟いた。

「それはいいとして、今の作業状況を見せてもらっていい?」

「どうぞ」

 パソコンの前の椅子を譲ると、最近作成・更新したファイルをチェックされた。

 こうやって仕事をチェックされることはあまりなかったので、ちょっとハラハラする。さっしーさんの顔が妙に険しいからなおさらだ。

 パソコンのファイルを一通り見ると、立ち上がってキャビネットのファイルを確認された。けっこう場所を移動させてしまったから、何か言われるかな……。

 そして、考えこんで唸っている。な、何かまずいことありましたか。

「あのぅ、何か」

「最初の領収書整理でわかってたけど、予想以上。本当にいるんだねぇ、有能な人」

 そういえば、最初に天空のお城とか森のナニカみたいな扱いされてましたね。

 でも、有能ならどうしてリストラされてしまったんでしょう、私。

「ここまでしっかりやってくれたら、なんにも言うことないよ。むしろうちの事務所にも来て欲しい。切実に」

 縁故採用の集団はつらいんだよー、とぼやきながら、さっしーさんは椅子に座り直した。

「あとは、アシちゃんのやりやすいように変えていって構わないよ。今までやってて、何か欲しいものとかある? 物は怜子でいいけど、パソコン周りに関しては俺に言ってね。管理者俺だから」

「それでいいんですか?」

 身内とはいえ事務所としては一応部外者では、と思ったけど、ここの所長はあのレイさんでした。

「怜子に管理者権限持たせていいと思う?」

「思いません」

「アシちゃん、なにもそんなにきっぱり……」

 離れた所から何か聞こえたけどこれは譲れない。何もしてないのにパソコンがおかしくなった、とか言い出す人にそんなものを持たせてはいけない。本当に取り返しのつかないことが起こる。

「アシちゃんがその辺得意なら任せるけど」

「自宅ならともかく、職場のものは責任が重すぎるので遠慮します」

「そうか、残念。楽できると思ったのに」

 全部声に出てますよさっしーさん。

「私も使いこなせるソフトがそんなにあるわけではないので、私自身の作業環境は現状では十分です」

 そもそも、さっしーさんが作業していた環境を引き継いでいるので、基本的に必要なものは揃っている。あとは個人の癖の違いだ。

「今後の効率化を考えると、セキュリティの問題を踏まえて、ウェブサービスやアプリをどのあたりまでなら使っていいかを教えて頂きたいです」

 何しろ、法人情報や一般的な個人情報どころでなく、家系図から派閥関係、家に憑いてるモノやそれに好かれてる度合いまで、御本人も把握してなさそうな超プライベート情報が満載なんですから。

「あとはモバイルというか、タブレットとキーボードがあるといいなと」

「どこに持ち歩く予定?」

「レイさんの電話を聞き取りながらメモするのに、レイさんの机のパソコンを使うわけにいかないですし、ここだと少し遠いんですよね」

「アシちゃん、議事録取れる人なんだ?」

「一応。クオリティはあまり保障できませんけど」

 前の職場の会議なら半分ぐらいぐだぐだな会話だったのでできたけど、レイさんとクライアントさんの会話はかなり難しい。何しろ出てくる単語が色々普通じゃないし。

「事務所から持ち出さない前提ならいいかな。ここ、いろんなのがいるからちょっと無線が不安だけど、試してみるよ」

「影響、あるんですか?」

 そういえば、ポルターガイストで電化製品のスイッチが勝手に入ったり切れたりとか、ラジオやテレビから謎の放送とか、その手のモノが電波に干渉するというのは超定番ですね。

「あると嫌だから試してなかったんだよね……」

 遠い目をするさっしーさんには同意しかない。

 気持ちはわかります。とっても。

「スマホは使えてるし、無線がダメだったら番号付きにすればいいか。どのくらい使いそう?」

「事務所のメインとのファイルのやり取りと、タブレットとレイさんのスマホでアプリの同期ができれば十分です」

「怜子にスマホを使いこなさせる計画! アシちゃん勇者だね」

「ちょっと、さっしー」

 抗議の声が聞こえたので。

「せめてスケジュールとメッセージは使えていただきたいなぁと」

 思うんですけど、とレイさんを見ると、目を逸らされた。

 欲をいえば、切符も電子化して欲しいのです。直前での時間変更が多いので!!

「まずは、私が入力しますので、内容を確認できるようになってください。そして、追記ができるように」

「え、ええ」

「フリック入力と写真はなんとかなってますよね。必要そうな単語は登録しますし、単語と絵文字かスタンプである程度伝わります。なんでしたら手書きメモを写真に撮って送るのでも。連絡事項も記録が残る方が助かります」

「……ええ」

 レイさんの返事はとても頼りなかった。

 そして、さっしーさん。「アシちゃんつよーい」と拍手をしてないでください。




 業務チェックは早く終わったし、時間もほどよいので応接でお茶を飲みながら、主にパソコン周りのことを相談することになった。

 個人事務所は話が早い。稟議書要らないし、口頭で大体話が済む。さっしーさんはデジタル機器関係がかなり詳しいようでスムーズ。何よりも、レイさんが予算を渋らないのが素晴らしい。内容は全くわかっていなさそうな感じだけど。

 ただ、さっしーさんが大変な状況になっていくのが、とてもとても気になって話に集中できない。

「……重くありませんか」

「重くはないけど、とにかく邪魔。だからこっちの部屋は嫌だって」

「書斎は飲食禁止よ」

 ソファに座るさっしーさんの足元にはさっきの黒シバがまとわりつき、膝には初めて見るウサギが、肩には子猿が、頭には尾羽の長い派手な鳥が乗っている。その上、他にも色々話しかけてくるし、ちょっかいをかけにくる。

 好かれてるというか……遊ばれているというか。ここまではなりたくない。

 一方、私の膝ではおでこに『封』を貼られたままの三毛猫又がふてくされている。

 なお、レイさんにじゃれつくモノはいないらしい。熊に咥えられた錦鯉は今日もびたんびたんして訴えていたけれど、ひと睨みで沈黙させられていた。

 力関係がよく見える。

「さっしーさんもレイさんみたいに封印とかが出来るんですか?」

 できるんだったらこの有り様にはならないだろうな、とは思うけど。

「俺はその手の能力はないよ。普段なら、まあそこそこ見えるかな、ってくらい」

「そうなんですか」

 でも見えるんですね。

「この部屋は見えやすくなってるから、俺やアシちゃんでもこの状態だけど、怜子だとどこでもこんな感じに見えるらしいよ」

 え。

 淡々とカステラを消費しているレイさんを見ると、手を止めてひと口お茶を飲んでから「そうね」と頷いて答えてくれた。

「今は見分けがつくけれど、子供の頃は、自分に見えていて会話もできる相手が、他人には存在を感じられもしないモノだとは思わなかったわ」

 レイさんの子供の頃。間違いなく美少女。そして、実家は神社。

 神社で見えないモノとお話する美少女。


 ……はまり過ぎてて怖い。


「地元はうちがそういう家系だと知っている人も多かったけれど、それでも色々不都合があって、子供の頃は山奥の親戚の家でほとんど過ごしたのよ。だから、学校もほとんど行っていないわね」

「実家も田舎だけど、その親戚はこんなところに人が住んでいるのか、ってくらいの場所でね。しかもまた厳しい婆さんで。電気は通ってたけど、テレビはなかったよな」

「ラジオまでだったわね」

「電話も、怜子を預けるときに頼み込んでやっと黒電話を付けてもらったってほど。さすがに今ではあそこでもスマホの電波が入るようになったのか?」

「さあ。あちらの家に帰る時は、電源を切っているから」

「切るなよ」

「世間から離れたいからあちらに帰るのですもの。放っておけば充電は切れるし」

「充電器と予備バッテリーは持ち歩け。仕事用だろ」

 漫才じみてきた姉弟の会話を聞きながら、レイさんの不思議さの原因を察した。

 特殊な個性を特殊な環境で磨きあげ過ぎですね。

「高校くらいから、一応実家で暮らすようになったけど、それでもここまで現代社会に適応させるの大変だったんだよ……」

 さっしーさんがしみじみと溜め息を吐く。

「協調性ないし、世間知らずだし、知識はあっても常識がごっそり抜け落ちてるし、機械の操作は全然覚えないし」

「でも、運転はされますよね?」

 一階のガレージには車がある。レイさんの物で、出張するのにも使っているはず。

「俺は絶対乗らない」

「失礼ね。事故を起こしたことも、起こされたこともないわよ」

 あ、さりげなく無事故無違反という表現は避けましたね。

「あの運転でそれなのが謎すぎる」

 ……多分機会はないと思うけど、レイさんが運転する車に乗るのは避けた方がよさそう。

「電話が嫌いなくせにメールはもっとできないし、なんとか携帯覚えさせたと思ったらスマホを覚えさせなきゃいけなくなって今やっとこの状態。文書送れって言ったら、手書きFAX寄越すし。外面ではったり効かせてる都合上、シルバー向けスマホを持たせるわけにもいかないしねえ」

 なるほどFAXが現役なわけです。レイさんのあの電話の取り方は、電話が嫌いなせいでもあるんですね。要するに「あんまり取りたくない」、そして多分「すぐには取れない」というシンプルな理由……。

 事務所の仕事の話は、いつのまにかレイさんをどう現代の都市生活に対応させるかの相談になっていた。

 三分の二くらいはさっしーさんの愚痴ですが。

 そして、渦中のお方はといえば、涼しい顔で三切れめのカステラを平らげている。

 それだけ甘いものを消費していてそのスタイルなのもレイさんの謎だ。この事務所はおやつが充実しすぎていて、他の食事で調整しないと絶対太る。というかすでに危険水域。

「でも、不思議なことに、現金よりクレジットカード派なんですよねぇ」

 これだけ諸々が苦手なレイさんだけれど、現金主義ではなくクレジットカードをメインに使っている。経理する側としては、古い日付の未処理の請求書にご対面して青ざめることは避けられるのでとても助かっているけれど、他の点と比べると、キャッシュレス対応だけが進んでいるのがかなり謎なのです。

「あぁ、それね。俺も意外だったんだけど」

 さっしーさんはちょっと遠くを見る目をした。

祖父(じい)さんが『どこでもツケが利いて、支払いもまとめて勝手にやっといてくれるやつ』って説明したら理解してあっさり持ったから」

 まさかのニコニコ現金払いを経由してないタイプでしたー!?

 自分で現金を持たない、前時代のお嬢様の感覚でしたか。

「多分、ずっと前時代的なド田舎で引きこもりお嬢様暮らしをしてきた九〇代くらいの婆さんを相手にする気持ちで対応すると、ちょうどいいんじゃないかな」

「あのね、さっしー」

「ああ。何となく、方向性が掴めました」

「アシちゃん……」

 レイさんの抗議はちょっと横においておく。

 しばらく前に亡くなった本家の大奥様みたいな感じかな。頭が良くて教養も高いのに、生活密着型の一般常識がすっぽり抜けているというか、昭和中期からアップデートされない人だった。

 これは手強い……。

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