10:元職場の騒動の顛末
役員室に戻り、狐を捕獲した報告をしている間、御隠居はラベルシールの貼られた微妙な箱を、複雑な顔で眺めていた。
いろいろと思うところがあるのでしょう。それはもういろいろと。
「レイさん、私が箱に触れても問題ありませんでしょうか?」
「封印を外さないのであれば構いません」
「ありがとうございます」
御隠居は狐入りの箱を手に取ると、あやすようにぽんぽんと軽く叩いた。
「古田の者が長く使役しておきながら、より高みのものにしてやれず、すまなかった。年月を経て力はつけておるだろう。高嶺のお稲荷様のもとで修行すれば、真に稲荷と呼ばれるものになれるやもしれぬ」
「修行」といわれたところで、箱がぶるりと震えた。
やっぱり封印しても動くんですね……。
「達者でな」
御隠居は名残惜しそうに箱を撫でると、レイさんに恭しく差し出した。
「長らく古田が使役しておりましたこの『ふるき』、高嶺の巫女へお渡しいたします。この先は如何様にも」
「託されました」
レイさんは受け取った箱に呼び掛ける。
「『降木』」
箱がびくっと震えた。
「これより、お前の主は私です。高嶺に従属なさい」
箱がなんだか怯えている。なぜわかるのがよくわからないけれど、中身のせいか箱なのに感情表現が豊かだ。
でも、それを見ている私の感情の方が無になりそうです。
「これからどうするんですか?」
事前に聞いていた予定では、狐を封じたら事務所に戻って、事後処理をするとのことだった。
ただ、その詳細までは聞いていないので、私が同席するような案件なのかは不詳。
「これは移動させるための仮の封印だから、一度事務所に戻って、後始末をする必要があるわね」
「それは、私も同席した方がよろしいですか?」
「ええ、できれば。無理はしなくていいけれど」
それならば。
「……申し訳ありませんが、事務所には電車で戻ります」
レイさんの運転もですが、あの活きのいい箱との同乗もできればご遠慮したいです。
「そう」
なぜかと聞かれるかと思ったけれど、レイさんの返事はあっさりしたものだった。
「ここからだと、電車の方が時間がかかるかしら。どのみち、用意をする間待っていてもらわないといけないから、ちょうどいいくらいね。ついでだし、おつかいをお願い」
と頼まれたのは、途中の駅で一度下車してのお買い物だった。有名チョコレート店のチョコレートドリンクとアイスクリーム。ドリンクの存在は知っているけれど、お値段におののき、一杯飲み切るのも大変そうなので手を出したことはない。あれ、テイクアウトするとしても、それなりの時間を持ち歩く仕様にはなっていない気がするのですが。
「少し持ち歩くと言えば大丈夫よ。ホイップ抜きになってしまうけれど……」
寂しげな呟きとともに保冷バッグを渡された。
この準備のよさ。これは最初から帰りはおつかいの予定でしたね。
お買い物をして事務所に戻る。
「ただいまもどりました」
靴を履き替えるのに一度荷物を棚に置き、なんとなく嫌な予感がしたので、そのまま衝立の奥に回ると。
『おねえちゃんだー!』『おかえりー!』『あそんでー!』『だっこー!』『なでなでしてー!』『もふもふしてー!』
「うわあぁ?!」
甲高く元気のいい声とともに、なにかの集団に飛び付かれた。
ところで最後の??
不幸中の幸いというのか、正面から飛び付いて来たのは受け止めたので、顔は無事。改めて状況を確認すると白いもふもふたちがまとわりついている。これは、前にも大量に押し掛けてきたお稲荷様の小狐さんだ。
それが両足と二の腕、背中というか後頭部。それと正面に飛び込んできたのが腕のなか。「抱っこ」っていったのこの子ですね。
でも前回はしゃべらなかったはず。今回はしゃべる子たちなのか、私が聞こえるようになってしまったのか。それは嫌だな……。
「お前たち、落ち着かんか」
もはや聞き慣れた声がする方をみると、お稲荷様がお重を抱えていなり寿司を食べていた。
それだけならいつものことだけれど、今回は少し様子が違う。
普段なら着流しでソファにいるのに、平安時代風というか神社風というか、確か狩衣とかいう衣装に烏帽子で、畳を重ねた場所に胡座をかいている。
そして、しろさんが小型犬サイズでお稲荷様の前にちょこんと座っていた。こっちはこっちで、いつの間にバッグから出たんですか。
というより、ほとんどそっくりの白狐なのに、迷いなくしろさんが見分けられてしまった。
ああ、この環境に完全に馴染んでしまっている自分が怖い。
「ふむ。護衛の役目はきちんと果たしておるようだの。ご苦労」
しろさんは業務報告をしていたらしい。でも今のこの状況からは助けてくれないんですね。しゃべるこの子達の方が格上なんでしょうか。
ところで応接セットはどこにいったのかと見回せば、キッチンの方に追いやられているらしい。それはそれとしてこの畳はどこから出てきたのか、そしてこの力仕事をしたのは誰なのかといえば。
「アシちゃんお帰り。休日出勤に現場同行と、ついでに狐のお守りもご苦労様」
キッチンからさっしーさんが顔を出した。
そんな気はしてました。他にいないでしょうし。
「さっしーさんもお疲れ様です」
「一応、早瀬の方からも見届けと報告が必要だからねぇ。こっちの事務所での仕事となると、俺しかやれないし。絶対代休とってやる」
ご家族との時間が奪われるので大嫌いな休日出勤ですもんね。
とにかく狐さんたちが邪魔なので下ろしていくけれど。
『ひとりだけだっこずるーい』『ぼくもー』『ぼくもー』
下ろすそばからよじ登ってくる。
可愛いけれど、何しろ今は真夏。冷房が効いているとはいえ暑苦しい。
仕方がないので全員をわしわしと撫でてあげるけれど、なかなか満足してくれない。そういえば、なでるのとモフるのって何が違うんだろうか……と意識が遠くなりかけてきたころ。
奥の書斎から硬い声が響いた。
「あなたたち、いい加減になさい」
『『『はーいっ』』』
鶴の一声というのか。狐さんたちは大人しく離れ、お稲荷様の周りに並んだ。今日はちゃんとレイさんの言うことを聞くんですね。
「ありがとうございます」
振り返ると、神々しい女性が立っていた。もちろんレイさんなのだけれど。
巫女装束、なのだろう。巫女さんが神楽を舞う時の衣装に似ているけど、もっと豪華なもの。
髪をまとめ、冠も付けた姿は、そこでいなり寿司を食べている神様よりも厳かで近寄りがたく、いっそ神様らしい。神社や山のなかなんかで遭遇したら、思わず拝んでしまいそう。
「アシちゃん、おつかいを頼んだものはどうしたかしら」
……中身は通常運転でちょっと安心しました。確かに荷物を持っているときに飛び付かれたら大惨事でしたよね。
「棚の上に置いていたので無事です。早めに冷蔵庫に入れた方がいいですよ」
「ありがとう」
荷物をレイさんに渡すと、とても自然にさっしーさんに渡され、さっしーさんはため息を付きつつキッチンに消えた。うん、わかりやすい力関係。
「では、さっさと片付けてしまいましょう。お稲荷様、そろそろ食べ終えてください」
「む」
「他のお重は持ち帰り用です」
「む……」
不満らしい。とはいえ、ちょうど抱えたお重が空になるタイミングでもあり。
「仕方がない。茶を所望する」
「はい」
お茶をいれにキッチンに行こうと思ったら、目の前に湯呑みの乗ったお盆が出てきた。
「はい、お茶」
さっしーさんがいれてきてくれたらしい。なんてマメな……というか対応が手慣れていらっしゃる。
「おなごのいれた茶が良い」
「そういうの、現代ではセクハラなので」
「人間の決め事になど従ういわれはないわ」
「そういうことすると嫌われるよ、って明文化して教えてくれる親切な習慣だよ」
「むうぅ」
お稲荷様は渋い顔でお茶を受け取った。
「其方ら、我に対する扱いが近頃とみに雑ではないか?」
「特に変わりませんけれど」
「自業自得な気が」
一応の神様に対して、相変わらずざっくりした姉弟だった。
「そも、古狐ごときを片付けるのに我を呼び出すほどのことはなかろう」
「消すならばそうですが、お稲荷様を恃んで預けたいということですから」
「なぜ我が身寄りのない古狐の世話など見なければならん」
「今でも沢山いますし、一匹や十匹増えたところで、どうということもありませんでしょう。たまにはまともに働いてください」
「神使いが荒いのう」
お稲荷様は湯呑みと空いたお重をさっしーさんに押し付けると伸びをして立ち上がった。
「では、そろそろ尻尾を出すか。アシよ、我の神々しさにひれ伏すがいい!」
使い方がおかしくはないでしょうか?と思う言葉と共に、部屋の中に光が満ちた。
眩しさに目をつぶって、更に手で覆う。
「どうじゃ!」
どやぁ!という声に、目蓋の裏の残像にくらくらしながらも恐る恐る目を開くと。
とてもとても派手なモノがいた。
御稲荷様は普段から明るめの茶髪を背の中ほどまで伸ばし、しかも和装という、いかにも堅気ではなさそうというか、芸事系の人の雰囲気がある。
そして今は、髪の色は更に明るく、まばゆい金色に。目も金色に光っている。頭の上にはやはり黄金色のふさふさ三角形耳。そしてなによりインパクトが強いのは、その背後、後光のように広がる輝く黄金のもふもふ――たくさんの尻尾。
確かに尻尾を出していた。正体を現すという意味でも間違ってはない。
でもこれはなんというかあれだ。
「宝塚……」
素直な感想が思わず口をついて出てしまい、隣にいたさっしーさんが盛大に吹き出した。
御稲荷様は、切れ長の目に薄い顔立ちの中性的美人なのでなおさらそんな感じなんですよね。機会があれば、スーツ姿で尻尾を背負って見せていただきたい思ったけれど、悪ノリし過ぎてレイさんに怒られるところまで秒で想像できてしまったのでやめておこう。
それはさてきおき。
長い毛足でボリュームたっぷりの尻尾は何本あるのか数えにくいけれど、こういうものは定型文で決まっている。
「金毛九尾の狐……って有名な妖狐では? 玉藻の前とか」
「そんな女狐もおったな。面白い奴ではあったが、男を見る目がなかったのう」
まさかの知り合い?!
「我らのことは、人間が勝手に呼び分けておるに過ぎん。そう呼んでくるから応えるだで、我自らは稲荷とも妖狐とも、そも、狐とも称したことはない」
言われてみれば、それもそうかもしれない。協力的なら神様、害があれば悪霊や妖怪。古田商事のお稲荷も、いまでは妖怪の類い扱いか。
「どうじゃ、我の輝かしい尻尾は。アシには特別にもふらせてやっても良いぞ」
わさわさと毛皮の後光が動く。確かに大変に魅力的で、手が伸びそうになる。
けれど。
人間ではないとはいえ、成人(?)男性――それも上司のヒモさんの身体の一部、しかも尻尾。
「……セクハラになりそうなのでご遠慮いたします」
「我が許すというのに。触りたかろう?」
尻尾だけ分離してたらもふりたいですが、生えてる状態ではちょっと。それに後で何か代償請求されそうで怖いので。
「無理に触れと要求するのもセクハラだからね」
さっしーさんが助け船をだしてくれる。頼れる上司、素晴らしい。
「おなごとじゃらついてはいかんとは堅苦しいのぅ。その『せくはら』はどんな原なのだ」
「下心満載のその黒い腹だよ」
なんかハラスメントの変換がおかしくなってるような、意味は大体合ってるような。
「貴方たち、漫才はその辺にしておきなさい。アシちゃん、食器を片付けてきて。さっしー、手伝いなさい。御稲荷様は後でお話ししましょう」
最後、一気に部屋の冷気が増した。
「……お、おう」
やはり、レイさんは最強でした。
食器を片づけた後、避難しておくよう指示されたので、さっしーさんとともに書斎に行く。でも、応接との扉は開けてあり、安全圏からの見届け役であるらしい。
畳の上で脇息にもたれてくつろぐというよりだらけている御稲荷様。その正面、少し間を空けてあの微妙な箱を載せた台を据えてレイさんが正座する。
狐さんたちは部屋の四方と、御稲荷様の両脇に控え、応接と書斎の間にはしろさんが護衛として立ちふさがっていた。みなさんぬいぐるみのような可愛さなので、あまり緊張感はない。
「では、封印を解きます」
レイさんがラベルシール製の封印を剥がしはしめた。
一枚、二枚と剥がす度に箱が大きく跳ねる。
「ほう?」
その活きの良さに御稲荷様が少し興味を示した。耳がぴこぴこ、尻尾がわさわさ動いている。
レイさんは表情を変えることなく箱を押さえつけ、三枚目、そして最後の一枚を外し。
「放ちます」
蓋を押さえていた手を放す。
と、箱の蓋が勢い良く開いて、何かが飛び出してきた。
『ぐあああああ!!』
雄叫びをあげて後脚で立ち上がり、裂けた口から牙を見せつけ、鉤爪のある前肢を大きく振り上げた古田の狐は。
『……ぐ、あぁ、ぁ……』
なぜか、その姿勢のまま固まり、唸り声も尻すぼみになっていく。尻尾も脚の間に巻き込んでしまった。
もしかして、威勢よく飛び出したはいいものの、完全に気圧されている?
あの古田の狐が初対面でこうなるほど、御稲荷様はすごいのだろうか。人も神様も見かけによらないらしい。
「これはもはや異形になりかけておるな。こんなものを稲荷扱いするでないわ」
御稲荷様は面倒臭そうに身体を起こすと、ふわりと宙に浮いた。少し見下ろす位置からしげしげと古田の狐を眺める。
「薄汚い古狐じゃな」
そして、懐にいれていた笏を取り出し、狐を小突いた。
ぺち。
「毛並みも毛艶も悪い」
ぺち。
「尻尾は分かれてこそおるが、細くてみすぼらしい」
ぺち。
「顔も性根の悪さが透けておる」
ぺち。
「目も濁っていてろくなものではない」
ぺち。
「かなりの年月を経てはおるようだが、相応の知恵はついておらぬようじゃな」
ぺちぺち。
御稲荷様が笏で小突くたび、古田の古狐は小さくなっていく。
後脚で立って大人の背丈を越える辺りから、肩の高さ、腰の高さへ。大型犬サイズから、室内飼い向きの小型犬、更に小さく、狐さんたちよりも一回り小さいくらいに。
「ふむ。このくらいでよいか」
あの笏は打出の小槌の逆バージョンみたいな物なのでしょうか。
『キ、キサマァッ!! なんだこのあつかいはっ!!』
不意に、聞いたことのない、テンション高めの小物悪役っぽい耳障りな声がした。
「おや、話せたんだね」
そう呟くさっしーさんの視線の先には、小さくされ笏で床に押し付けられた古田の狐がじたばたもがいている。
え、あの狐しゃべるんですか?
確かに御隠居とは意志疎通ができているようでしたけど。それなら、いきなり唸って襲いかかってくる前に何か説明してもいいでしょうに。いや、話しかけられても状況は変わらないか。
「言葉は扱えるか。となると厄介な上にやかましいな」
ぺちん。
「山の適当な沢で、流れに当てておくかの。しばらく晒しておけば少しは身綺麗にもなるであろう」
そして、御稲荷様は側に控えてる小狐さんたちに向けて、古狐を笏でぺいっと押しやる。というより、すくって投げた。
「帰るぞ。それを運べ」
『えー』『やだー』『うるさーい』『きたなーい』『くさそー』『まずそー』
小狐さんたちは古狐を逃がさないように囲みつつも、さすがはこの御稲荷様の御使いなひどい対応だった。咥えて運ぶことになるんだろうから、わからなくもないけれど。
「お前たちもこのごろ聞き分けが悪いな。早うせい」
『『『はーい』』』
しぶしぶ答えた小狐さんたちは顔を見交わし。
『せえの』
『『『とらとーらとーらとら!』』』
は?
六匹が思い思いにポーズを取る。君たちも二本脚で立てたんですね。というかいったい何を?
『まけたー』
何か勝負してたんでしょうか。じゃんけん的な?
負けた一匹が雑に古狐を咥えた。咥えられた古狐はじたばたしていたけれど、
「暴れると絞めさせるぞ」
という御稲荷様の一言でぐったりした。これは完全に獲物を運ぶの図。心のなかで思わず合掌する。
「こちらのお重をお持ちください。その古狐はしばしお任せいたします。私も明日にはそちらへ参りますので」
レイさんがいなり寿司の入っているらしい風呂敷包みをお稲荷様に渡す。狐たちのやりとりはもちろん完全スルー。
そういえばレイさんは明日から出張。実家、というかお稲荷様がいる山奥の家に行って、古狐への教育的指導にあたるらしい。
うん、古狐がんばれ。ねじ曲がってるけど根性はありそうだからきっと大丈夫。
「よかろう。では先に戻っておる」
「玄関から出てくださいね」
「最近本当に細かくなったな?!」
ぶつくさ言いながら、御稲荷様はちゃんと玄関から出ていった。
賑やかだった部屋が、一気に静かになる。
気がつけば、しろさんも姿を消していた。多分、鞄の中に戻ったのだろう。
……私はどんなとんでもないモノを連れ歩いていたのだろうか。
などと、呆けた頭であちらの事務所の早瀬さんに「今頃気づくなんて遅すぎます!!」と怒られそうなことをぼんやりと考えていると。
ずずずず。
静まり返った部屋に、妙に生活感に満ちた音が響く。
音のする方を見ると。
さっきまで御稲荷様がいた畳を重ねた場所に腰掛け、脇息にもたれながら、女神もかくやという人物がやさぐれた感じでチョコレートドリンクをすすっていた。
いつの間にか、アイスクリームを積み上げたお盆も置いてある。
仰々しい巫女装束。畳に脇息に朱塗りの盆という時代がかった調度品。普通の洋室。プラスチックカップのドリンク。アルファベットと西洋風の絵柄のブランドロゴの入ったカップアイス。
応接室は、いまだにカオスだった。別な方向に。
「片付いたからこちらに来ても大丈夫よ。アシちゃんも食べる?」
いや、普段とはまた別な意味で近寄り難いような。
「え、ええと……。暖かいコーヒーとか、いれましょうか?」
「そうね。お願いするわ」
「アシちゃん、俺も頼める?」
「わかりました」
コーヒーメーカーじゃなくて、手でドリップしよう。こういう時は、頭の処理能力を作業に集中させるに限ります。
それにしても、今日一日、なんだか酷いものをたくさん見たような気がします……。




