9:初めての現場同行です
そんなわけで、初めての現場同行は元職場ということになりました。
事前に準備したものは、例のラベルシール製の封印札。貼りやすいように、裏を少し剥がして、プラスチック製のファイルに仮止めしてあります。
もうひとつ、適当な紙の箱。この「適当」は、本当にテキトーな方です。「片手で扱えるくらいの大きさの箱で、できれば蓋が本体と分かれなくて、パタンと閉まる形のもの」というレイさんのオーダーにしたがって、私が百円均一で買ってきたもの。ちなみに「商品化した担当者のセンスを疑うような色柄の物だとなお良い」とのことなので、ためらいながらも極彩色のかなりうるさい柄の物にしたら、好評だった。本当にそれでいいんですか?
訪問は事情が事情なので、先方がお休みの日にということで、休日出勤。
早瀬の事務所に報告したら、早瀬さんに
「休日手当てが付くから申請して、あとで代休を取って。でもお願いだから辞めないで」
と真顔で言われたので、とりあえず覚悟は決めておこうと思いました。
現状、レイさんの事務所から古田商事の社屋に移動しただけで、既にちょっと心が折れかけてますが。
「アシちゃん、どうかした?」
「……大丈夫です」
車に酔ったの久しぶりです。都心部の整備された道で、しかも助手席なのに。
そういえば、さっしーさんが言ってましたよね。レイさんの運転する車に乗りたくないって。
よくわかりました。帰りは電車を使わせていただきます。絶対に!
古田商事のピルの裏口、地下の立体駐車場に入る前のスペースに車を停め、ぐるっと回り込んで正面玄関へ。
エントランス受付前には、元会長が羽織袴姿で待ち構えていた。
夏のこの暑いさなかにそのお姿ですか……。一応夏物のようだけれど。でも、スーツよりお似合いです。
「この度は、お手を煩わせることになり、申し訳ございません」
「御隠居も、引退されましたのにご苦労様です」
対するレイさんもいつも通りにタイトなスーツでハイヒール。サイドだけまとめて背中に流す黒髪と、体感温度を疑うくらいに常に涼しげな態度を崩さない。
一応シャツは着たけれど、カジュアル過ぎない程度のパンツにウォーキングシューズの私が場違いのようです。でも、用事があるのは屋上の非常階段の上、室外機の隙間なので、こちらの方が正しいはずですよね。
「芦田君もよく来てくれた。こちらの都合で退社させたというのに、巻き込んでしまって本当に申し訳ない」
元会長こと御隠居に頭を下げられた。
「事情を聞いた時には驚きましたし、正直、今だに実感がないのですが」
「芦田君が世話をしてくれている間は静かだったのだがなぁ」
「お世話と言っても、榊を取り替えて、御神酒やお供えをするのは普通では?」
「それを普通と思ってやってくれる人材は、今時貴重なのだよ」
元会長はため息を吐いた。
私だって、実家ならともかくなんで職場でこんなことやってるんだろうなぁとは思いましたし、会長秘書という立場でなければやらなかったと思いますけど。
「芦田君が退職してから放置されておるようだが、一度、滝淵の術者を呼んだ時にどう手を入れられたかがよくわからんのだよ。まったく、なんでよりによって滝淵に頼んでしまったか……」
「私が関わっていた案件を受けるのはあの男くらいでしょうから、仕方がありませんわね」
レイさんにとって清香さんのお兄さんは『あの男』扱いなんですね。本当に仲悪そう。
「立ち会いは御隠居お一人ですか? 現職の方は?」
「見ることも感じることもできず、しかも毛嫌いされている今の役員たちを立ち会わせると、むしろ厄介事しか起こさないと思いますので、人払いしました。皆には、あの狐たちと縁を切るのだと伝えてあります。形として、祠は残りましょうが」
「左様ですか。会長のご意志として、縁切りでよろしいのですか?」
「古田の一族とは縁を切って、レイさんにお預けいたします。可能ならば延命は願います。高嶺のお稲荷様の元で、使えるならば使ってやってください」
「そうですね。あの活きのいい狐ならお稲荷様のいい玩具になりそうですし」
オモチャって言いましたよね今。レイさんの返事がなんだか不穏な感じなんですが!
「では、まずは小物たちを片付けましょうか」
「かしこまりました。では、地下の狸から参りましょう」
ということで、地下倉庫で異彩を放っていた人間より一回り小さい、でも十分に大きい信楽焼の狸の元へ。
「では、一度解放し、こちらに封じます」
レイさんの手元には、掌に収まるサイズのタヌキのマスコット。それも、絶妙に可愛げがなく、なんとも言えない代物。こういうの、どこで見つけてくるんでしょう。
印を結び、呪文らしきものを唱えると、人間大の狸にヒビが入り、そして、そこから飛び出したなにかが、レイさんの手元の狸マスコットに吸収された。
「アシちゃん、封印を持ってきて」
「あ、はい!」
ラベルシール製封印札を仮留めしてあるA4三つ折ファイルを差し出すと、レイさんは封印を狸マスコットにぺたりと貼った。
そして、信楽焼狸は、ヒビの入ったところから割れて、崩れた。結構粉々に。
壊れるなら、そういうことは早く言ってください!!
幸い(?)ここは雑多なものが積まれた地下倉庫。どのくらい雑多かといえば、信楽焼の大きな狸があったくらいですから。
たしかホウキとチリトリが隅の方に。不燃ゴミの袋のストックはこの辺に。ワレモノだから一回紙に包んで……紙袋でいいかな。社名入りの手提げのストックはあっちの棚に。軍手はどこだったかな。
と、倉庫をバタバタ探し回っていると、レイさんに首を傾げられた。
「アシちゃん?」
「破片を片付けませんと!」
と答えたら、なんだか微妙な空気が?
「御隠居。惜しい人材を手放しましたね」
「結果、レイさんのもとへ渡ったならば、天の采配かと存じますな」
「確かに、とても助かっています」
……あれ? 何か変でした? だってこのまま放置できないじゃありませんか。
まず大きな破片を軍手で拾い、残りはざざっとチリトリに集めて、紙袋に入れる。元が大きいので、破片もかなりの量になった。あまり飛び散らなかったのは不幸中の幸いかも。
「役員室のネズミも同じ感じですか?」
「そうなるわね」
あれもそれなりの大きさの瀬戸物。ならばこのお掃除用具一式も持って行かないと。
「アシちゃんのそういうところ、頼もしいわ」
だって、休日に事務所に入った業者が物を壊してそのまま放置して帰ったら、休み明けに出勤した従業員は怒りますし、片付けを押し付けられた人は泣きますよ! 在職中なら私は絶対に片付け押し付けられ側でしたし!
役員室に置いてあったネズミの置物に憑いていたモノは、有名なネズミキャラクター……に似た、でも色々と間違っている、いわゆるパチ物のマスコットに封じられた。だからそういう微妙なものは一体どこから仕入れているんでしょうか。
ワレモノは片付けて、ゴミ袋と掃除道具は一旦給湯室のゴミ置場へ。
屋上の祠は残すと聞いてはいるけれど、片付ける必要があるかもしれないし。とはいえ、掃除道具を担いで非常階段を上るのはなかなか辛いものがある。
そんなことを考えながら、レイさんとご隠居が、ボス敵(?)である狐対策の話し合いをしている役員室に戻ろうと思ったら。
不意に足が浮いた。
「え?」
そのまま、ゴミ箱の方に体が傾き、しかもそこはワレモノゴミ入り!と目を閉じて顔をかばおうとしたら。
ぽふ。
倒れる、まではいかず。体勢を崩したくらいで、なにかに受け止められた。
なんだか、ふかふかしてる。
おそるおそる目を開くと、目の前は真っ白な毛皮。すごくつやつやふさふさだけど、これはいったい?
倒れかかかったままだったので、体勢を立て直してよくみると、ばっさばっさと動くもふもふの毛の長い塊。
……しっぽ?
これは、なに?
服を引っ張られて振り向くと、切れ長だけれどきゅるるんとした黒い目。
……ええと。
なんか、すごく大きなもふもふの生き物(?)がいるんですけども。
体は大型犬でも大きなくらい、その体と同じくらいの長さのふっさふさの尻尾。鼻先の尖った逆三角の顔。切れ長の目。三角形の耳。
明らかに犬ではない。でもって、どこから出てきたのかと考えれば、普通の生き物であるはずもなく。というか、生き物に分類していいのかどうかも謎。
サイズ違いなら、見覚えはある。ある、けど。
「しろさん、ですか?」
しっぽがばっさばっさと振られる。
当たりらしい。
ええぇ……。
「芦田君!」
「アシちゃん、怪我はない?」
元会長とレイさんが役員室から出てきた。
「あ、はい。しろさん(?)が受け止めてくれたので」
「それは、高嶺のお稲荷様の眷属ですか。芦田君はよほど気に入られておるのだな」
「ええ。しろ、良い働きでした」
レイさんが頭を撫でると、巨大もふもふはしゅるんと縮んだ。見慣れた、掌サイズに。
そして、私の肩に乗って頬にすりすりしてくる。今日は念の為に封印を外して持っているよう言われていましたが、こういうことを予想してのことだったんですね。
「しろ」という名前は、先日またやってきたレイさんのヒモさん、もとい御稲荷様に「守護に付けてやった小狐に名前をつけてやるとよい」と言われて付けたもの。レイさんのことをとやかく言えないネーミングセンスについてはあまりつっこまないでください。昔実家にいた犬も、黒と白と柴と麻呂でした。一応、犬と同じでは悪いかなと思って「さん」付けにしています。
「……しろさんって、あんなに大きかったんですか?」
「大きさはそれなりに自在ね。もっと大きくもなれると思うわ」
「そうなんですか」
物理法則さん、帰ってきてください。
「不意に足元が浮いて転びそうになったんですけど、これはやっぱり」
「ええ、悪狐よ」
「今まで世話をしてくれていた芦田君を襲うとは。あやつはなんと恩知らずな」
「世話をしてくれていたからこそ、急に放置されて逆恨みしているのでしょう。きっちりお仕置きが必要ですね」
レイさんは、天井――その上にある屋上の祠を、厳しい顔で見据えた。
「ここから見て何か変わった所はあるかしら」
傾斜が急で金属製の非常階段は、夏の日射しに焼かれてとても熱そうだった。
これは夏場ならいつものことだ。しかも昼下がりなら仕方がない。他に変わったことはと言えば。
「屋上に上がる所の手すりに、何か引っ掛かっていますね。布でしょうか」
何かひらひらしてる。
「ああ、あれは先日、あの男が来たときに引っ掛けた装束よ」
あの男。そういえば、清香さんのお兄さんが転んだとか言っていた。とはいえ。
「装束、と言いますと」
「神職の衣装のような物ね」
「それでこの階段を昇るのは無謀ですよ」
清香さんのお兄さんは、いかにもな衣装でお仕事をするタイプの人らしい。あんなひらひらした衣装なら引っ掛けもするだろう。
細身のタイトスカートとハイヒールで昇るつもりらしいレイさんも無謀だと思いますけれど。
「他にはないかしら」
「ここから見える範囲ではなさそうですね」
「では行きましょうか。ちゃんとアシちゃんを守るのよ」
後半は、私の肩に乗っているしろさんに向けて。しっぽを振って答えたらしく、首がくすぐったい。
そして、レイさんは軽やかに階段を上がっていく。
私もその後を追いかける。久しぶりだけどやっぱりつらい。
レイさんのあのスカートだと歩幅的に無理があると思うんですけど、どうなってるんでしょう。
やっぱり物理法則がおかしいような。
屋上は、コンクリートの照り返しもあって灼熱の世界だった。エアコンを一部しか付けていないから、室外機の廃熱が少ないのが救いかも。
「暑いわね」
汗の一筋も見えない涼しげなお顔と声で言われても、全く説得力がありません。
「何か変わった所はあるかしら?」
「ここから見える範囲だと、特にありませんが、なんだか汚れてますね。夏の前にエアコンのメンテナンスで業者が入るので、少しは掃除するはずなんですが」
これはただメンテナンス費用をケチってるだけの可能性が否定できない。
それはともかく。
「気のせいかもしれませんが、なんか、嫌な感じがします」
もともと、室外機の狭間で空気は悪い。おまけに日射しで暑いというより熱い。なのになんだか、ぞわぞわと悪寒がする。熱中症とかではないと思うけれど。
「そうね。さっさと片付けましょう。祠は奥だったわね」
場所は御存知らしく、案内する必要はなかった。迷いなく歩いていくレイさんの後を追いかける。
そして、室外機の狭間に見つけた祠は。
「うわぁ……」
なかなか酷かった。
枯れ果てて残骸だけになった榊。倒れて床に転がるホコリまみれの御神酒のお銚子とお供えのお皿。祠の屋根も板壁も至るところ傷だらけで、台風も来ていないのに数ヶ月でこんなにも荒れるものだろうかと首を傾げたくなるほど。
そしてなによりも、正面の扉にべったり貼り付けられた、墨と朱で厳めしい漢字と記号のお札の異様な存在感。いかにも過ぎてそこだけ異空間になっている。
「あの男はろくなことをしないわね」
溜め息を吐くレイさんの様子からして、滝淵さんのお札なのだろう。
「あれは、封印なんですか?」
でも私、さっき襲われましたよね? 封印できてないじゃありませんか。
「これは、祠の中に封じるのではなく、祠に逃げ込めないようにするためのものね。狐は別なものに封じて連れ去るつもりだった、というか一度は封じたけれど、分離させたことが原因で失敗したのでしょう。あの男はそもそも狐と相性が悪いのに、事前調査不足だわ」
祠をよく見ると、傷はなにかで引っ掻いたような感じだった。
お札が「中に逃げ込めない」効果があるものなら、この傷は中に入ろうとしたせい?
……ということはこのあたりををうろうろしているので、屋上にいると危ないのでは?! さっき襲われたばっかりなのに、こんなところにのこのこついてきてしまった私もうっかりすぎですが!
「アシちゃん、箱をこちらに。あとは危ないから下がっていて」
私のバッグにいれていた例のテキトーな箱を渡して、レイさんよりかなり後ろに下がる。
私の立ち位置と、肩に乗ったしろさんを確認して、レイさんは祠の扉のお札に手を掛け、一気に破り、剥ぎ取った。
暑苦しくて、じっとりと重い空気が動いた。
白いもやが祠の後ろに漂う。
水蒸気かと思ったら、それは次第に輪郭をはっきりさせていき、やがて、大きな獣になった。
白いのだろうけれど、ぼさぼさの薄汚れた毛皮。太めの尻尾は、根本から二つに分かれている。
これが、狐?
鼻先が尖った顔と細い目は、狐に近いけれど、もっと凶暴そうだ。
お供えとかのお世話をしていたお稲荷さまの中味がこれだったのかと思うと大変に複雑な気持ちになる。とはいえ、使い魔みたいなものだったと聞くと納得ではあるような。でもそれならそんなものの世話をただの従業員にやらせないで欲しい。
祠の後ろにうずくまっていた獣は、周囲の靄が消えて姿がはっきりとすると、祠の屋根に前足をかけて飛び超える。レイさんと少し距離をとった場所に降りると、後ろ足で立ち上がった。
え、立つの?!
ますます狐らしさがなくなって、化け物じみていくんですけど!!
後ろ足で立ち上がると、女性としては背が高めで、ハイヒールも履いているレイさんを越えるくらい。割けた口を大きく開き、いかにも肉食系の牙を見せつけてくる。振り上げた前肢にも大きな鉤爪。
濁った赤い目がこちらを見た。
……目が、合ってしまった。
怖い。
逃げ出したいけど怖くて動けない。
「お前に用があるのは私よ」
獣の視線が外れ、思わず安堵しかけたけれど、事態はそれどころではなくなっていた。
獣は唸り声をあげ、大きく飛び上がり、レイさんに前足を振り上げる。
が、何かに阻まれて跳ね返り、体勢を崩しながらも着地した。
レイさんは、獣に飛びかかられても、いつも通りの涼しげな表情を崩していない。ただ冷たく、獣を見据えている。
サイドだけまとめて背中に流している長い黒髪が、急に強くなった風に巻き上げられ、ぴしっとしたスーツのジャケットも大きくはためいている。
それでいて、ビルの屋上の足場の悪い通路だというのに、細身のスカートとハイヒールの足元には揺らぎがない。
何度か、獣がレイさんに飛びかかっては弾かれる。その度に、唸り声は低く重く、割けた口はより牙を剥き出しにし、眉間には皺が寄り、面構えはさらに凶悪になっていく。
迎える側には、立ち位置の揺らぎも、汗の一筋もみられない。
怖い、けれど、どうにも現実味がない、寝苦しい熱帯夜の悪夢なんじゃないかという光景。
やがて、レイさんは左手に持った例のテキトーな箱を獣に向かって差し出し、右手を構えた。
宙に模様を描くような動きと、呟かれる謎の言葉。
獣の唸り声が、威嚇から絶叫に変わった。
「封」
短くも鋭い一声と共に、獣は姿を消した。
いや、小箱に吸い込まれた?
レイさんは箱の蓋を押さえると、私に振り向いた。
つい先程まで、あんなものと対峙していたとは思えないほどに、いつも通りだ。
「アシちゃん。封印を持って来て」
え、蓋押さえてるだけですよね? 出てきませんか?!
「は、はいっ」
でもまぁ、レイさんが呼んでいるのだからまさか大丈夫なんでしょう。
正直、腰が抜けかけて、足元もおぼつかないのですが……。
よろよろとレイさんに近づいて、用意してあったA4三折のファイルを開いて差し出す。
中には、封印こと例の「封」の白いラベルシールが並んでいる。
「ありがとう」
レイさんはそのシールを取ると、ぺたぺたと箱に貼っていく。
三枚くらい貼ったところで、箱が、跳ねた。
「うわっ!」
思わず逃げた私は悪くないと思います!
「活きがいいわねえ」
一方、浮き上がった箱を軽々と片手で捕まえたレイさんは、トロ箱の氷水漬けの魚が急に跳ねたのを捕まえた市場の魚屋さんくらいの落ち着き具合。
「大丈夫よ。封印の効力に問題はないわ。方法に物申したいようだけれど」
いつも思うけど、封じられても動ける「封印」とはなんなのか……。
ぺたり。
四枚目のシール(封印)が貼られると、箱は大人しくなった。
「さて、帰りましょうか」
さっさと歩き出すレイさんの後についていきながら、箱の中に封じ込められたアレにほんの少しだけ同意する。
そりゃあ、物申したくもなりますよね……。
百均のテキトーかつ悪趣味な箱に、ラベルシール製のお札ですもん。




