プロローグ:いろいろあんまりなお仕事
なんだかよくわからない大きな獣がいる。
白い……狐に近いのだろうか。薄汚れたぼさぼさの毛並みの尻尾が二本。後ろの二本の足だけで立ちあがった姿は人と同じか、むしろ大きいくらいの高さ。割けた口をぐわりと開き、肉食であることを主張する鋭い牙には唾液が糸を引いている。振り上げた前肢にも大きくて鋭い鉤爪。
怖い。逃げ出したいけど怖くて動けない。
でも、その獣に、真っ向から対峙している人がいる。
サイドだけまとめて背中に流している長い黒髪が、じっとり湿った蒸し暑い風に巻き上げられているというのに、汗の一滴も見えない涼しげな顔だ。
ぴしっとしたスーツのジャケットも大きくはためいている。それでいて、ビルの屋上の足場の悪い通路だというのに、細身のタイトスカートとハイヒールの足元には揺らぎがない。
掌に収まるくらいの箱を左手に乗せて獣に差し出し、右手を構える。
宙に模様を描くような動きと、呟かれる謎の言葉。
獣の唸り声が、威嚇から絶叫に変わった。
「封」
短くも鋭い一声。そして、断末魔とともに獣の姿はかき消えた。
どうやら、小箱に吸い込まれたらしい。
彼女は箱の蓋を押さえると、私に振り向いた。
「アシちゃん。封印を持って来て」
アシちゃん、とは私のことだ。芦田という名前と、アシスタントという立場のどちらが由来なのかは不明。
「は、はいっ」
腰が抜けかけているけれど、なんとかよろよろと彼女――レイさんに近づいて、用意してあったプラスチック製のA4三折のファイルを開いて差し出す。
中には、「封」と書いてある白いシールが並んでいる。
「ありがとう」
レイさんはそのシールを取ると、ぺたぺたと箱に貼っていく。
三枚くらい貼ったところで、箱が、跳ねた。
「うわっ!」
思わず逃げた私は悪くないと思います! 封印してるんですよね?! どうして動くんですか!
「大丈夫よ。もう私の支配下にあるから。封印の方法には物申したいらしいけれど」
ぺたり。
四枚目のシール(封印)が貼られると、箱は大人しくなった。
「さて、戻りましょうか」
さっさと歩き出すレイさんの後についていきながら、箱の中に封じ込められたモノにほんの少しだけ同意する。
そりゃあ、物申したくもなるでしょう。
その箱は百均で買った適当かつ悪趣味な箱だし、封印も事務用ラベルシール印刷機製ですもんね……。