前編
かこかこと、水面へ上る泡たちを、一人の少女が海底から眺めておりました。
少女の全身は、螺鈿のように繊細に輝いておりました。そして、細くて麗しい髪を持っていました。それは波に押されて美しく、ゆっくりとたなびきます。少女は螺鈿の瞳を細めながら、太陽の光と泡をそっと重ねました。
音が無いと思い込んでしまうくらい静かな海中で、少女は鼻歌を口ずさみ始めました。そして、海月のように柔らかなスカートの裾を揺らめかせて、ひとり、ゆったりと踊るのでした。その足元は、硝子でした。見渡す限りの海底が、硝子だったのです。くるくると踊り続ける少女を、硝子の海底が映しておりました。
「お嬢さん、お嬢さん。麗しいお嬢さん。ひとりぼっちで踊らないで、私と一緒に踊りませんか?」
さかなが一匹、とても礼儀正しそうに少女にそう声をかけました。それを聞いた少女は嬉しそうにくすくすと笑いましたが、はにかみながら断るのでした。
「いいえ、結構よ。私はあなたとは踊らない。だって、私の相手はもう決まっているんですもの。私はそれを待っているのよ」
「そうですか。それは残念です。でもどうして踊っているのですか?」
すると少女は答えました。
「踏み込むよりも優しくて、歩くよりも強いからよ」
さかなは首を傾げました。
「はて、おかしな理由だ」
さかなはそう言うと去っていきました。少女は手を振りながらさかなを見送り、再び踊りだすのでした。
少女はずっと踊っていました。けれどやがて日が沈み、あたりが暗くなると少女は踊るのを止めました。そして、寂しそうにため息をつくと、硝子の海底に身を横たえて、眠りました。硝子の海底には、珊瑚も海藻も岩も何もありません。なので暗く冷くするどく光るその海底に、少女はただ一人、ぽつんと眠るのでした。
次の日、少女はふたたび泡を眺めながら、踊っていました。すると今日は一頭のイルカがやって来ました。
「ああ美しいお嬢さん。どうか私と踊ってくださいな」
イルカはそう言って少女の周りをくるくると泳ぎました。その流れでふわりと浮いた少女の髪に見とれながらイルカは少女の手を取ろうとしましたが、彼女はすっと後ろで手を組んで笑うのでした。
「いいえ、結構よ。私はあなたとは踊らない。だって、私の相手はもう決まっているんですもの。私はそれを待っているのよ」
「そうですか。それは残念です。でもどうして踊っているのですか?」
すると少女は答えました。
「踏み込むよりも優しくて、歩くよりも強いからよ」
イルカは首を傾げました。
「はて、おかしな理由だ」
イルカはそう言うと去っていきました。少女は手を振りながらイルカを見送り、再び踊りだすのでした。
再び夜が来ました。少女は寂しそうに微笑むと、硝子の海底に横になりました。そして今日も、ただ一人、ぽつんと眠りにつくのでした。
その日、少女は夢を見ました。それは、少女にとってとても恐ろしい夢でした。はじめこそ、いつものように泡を眺めている寂しくて穏やかなものでした。けれどふと、少女はとても不安になりました。はっとして手を見たのが最後です。螺鈿のように輝く少女の体は、一瞬にして砂の城が崩れるように、その形を失ったのです。そして、少女だった白い砂が残る硝子の海底は、音を立てて割れました。