第9話 牢獄の魔女 フーシャ
美久と別れると俺は家に戻り早めの睡眠をとった。夜中の3時に目が覚めると出発の準備を整え、夜が開ける前に街を出た。魔物は夜行性が多く朝方は遭遇率が低く、盗賊の類もこの時間はほとんどいない。朝方というのは冒険者の数も少ない。出会うとしたら遠征などで早い出発をする集団ぐらいだ。遠征の集団は完全武装となっているので、わざわざそこに飛び込む盗賊もおらず、旅に出るのなら朝方が良いとマスターが言っていた。マスターのアドバイス通り朝方に出発をすると、俺は誰にも出会うことなく書庫の管理人リーズさんに紹介してもらった村に到着した。
徒歩で2時間ほど草原を歩いた。荷馬車がギリギリすれ違えるぐらいの整備されていない道を進むと看板が出てきた。
〝大陸No.36〟と書かれた看板の奥には俺達のギルドがある街よりかなり小さな集落が木々に囲まれていた。砦も森林の木を削って突き立てただけのボロいものだった。
本当にこんな所で合っているのか不安になりながら入口に向かうと門には1人の男が立っていた。
「なんだ、冒険者がこんな所に何の用だ?」
中年ぐらいの男は疲れきったような目をしている。きっと小さな集落だからまともに警備できるものも少なく、働きすぎで疲労が溜まっているのだろう。防具もボロボロで武器の刃先も少し欠けていた。稼ぎが少なく装備を整えることも出来ないのだろうか。
俺はそんな事を思いながらリーズさんに言われたようにフーシャに会いに来たと門番に伝えた。
フーシャと言う単語を聞いた瞬間、ダルそうな表情の門番は血相を変えて集落の中へ走っていった。門の中から集落の中を覗いてみるとデホラの街とは違い、人も少なく店もほとんど出ていなかった。どうやらこの集落はまだ発展途上のようだ。門の脇の掲示板にはギルド募集の張り紙が貼ってある。メンバー募集ではなくギルド募集ってことはこの村にはギルドは無いのか。他の張り紙を見ていると先程の門番と一緒に杖をついたおじいさんが歩いてきた。
「お主がリーズから紹介されたという冒険者か。なにか手紙を預かってはいないか?」
俺はリーズさんから渡された紙切れをおじいさんに渡した。白く伸びた髭を触りながら紙を見る。なにが書かれていたから知らないが、おじいさんは手紙を読み終えると警戒していた様子を解き笑顔を見せた。
「これは間違いなくリーズからの手紙じゃ。疑ってすまんの…最近はタチの悪い冒険者が多いでのぉ。わしゃこの村の村長、ガイジュと申す。さっそくじゃがお主をフーシャの元へと案内しよう」
村長の後をついて行くと教会についた。中は至って普通の教会だ。広い天井に祭壇があり、多くの観衆席が並んでいた。真ん中の道を進むと祭壇の脇に下へ行く階段があり、俺と村長は地下へ歩いて行った。
「この先は牢獄となっておるのじゃが、今はフーシャ以外は誰も入っておらん。この鍵で牢獄の扉を開けて、こっちの鍵で牢獄の中の扉を開けると奥の地下闘技場に繋がっておる。フーシャを説得するのは構わないが、もし魔法を使うのであれば闘技場を使ってくれ」
村長は少し怯えた表情で俺に2つの鍵を渡すとポケットから数珠を取り出し祈り始めた。
「あぁ、どうかこの若者に神の御加護があらんことを…」
祈りを済ますと村長は最後に一言、こう言い残した。
「フーシャはとても危険だ。下手をすればお主が死ぬ可能性もある。危険を感じたらすぐに逃げるんじゃぞ」
真剣な表情を見せた村長の手は震えていた。フーシャという女はそんなに危険な人物なのだろうか、俺は再度気を引き締めるとフーシャの元へ向かった。
5、6人ぐらいで生活できそうな大きな牢が続くと牢獄の景観をぶち壊した檻だけがついている綺麗な部屋が出てきた。
言わなくてもわかる、ここがフーシャの部屋だ。牢獄とは思えないほど豪華な部屋にはベッドはもちろんキッチンや冷蔵庫、テレビなど生活品が多く取揃えてある。トイレや風呂が目視出来ないが、隣に繋がっている扉を見るとその先に個室があると思った。
部屋の中を観察していると牢獄の中の扉が開き1人の女性が出てきた。25歳ぐらいだろうか、大人びた彼女は囚人とは思えないほど綺麗な紫柄のローブを羽織り、ローブの上からでも分かる豊満な胸と色白の綺麗な肌、すらっとした体のラインに腰まで伸びる深紅の髪に思わず見とれてしまった。
「なんだ…この美女は…」
「あら〜、お客さん?珍しいわね」
こちらに気付いたフーシャは声をかけてきた。
第一印象が大切だ!と思った俺は元気よく自己紹介をした。
「リーズさんに紹介して頂き、あなたの全てを頂戴するために参上しました!松永駆琉です。以後お見知り置きを!」
「ふふっ、面白い坊やね。それにしても私の全てが欲しいとはね……いいわよ、それじゃ中に入ってきてちょうだい」
大人の色気と魅力が溢れ出ているフーシャに、まるで精神系の魔法をかけられたかのように躊躇うことなく俺は檻の鍵を開け中に入った。
「そこのベッドに座って私の目に見て」
俺は言う通りに座りフーシャの目を見た。宝石のルビーみたいな綺麗な瞳に引き込まれていくと徐々に体の力が抜けていった。
「なかなかいい魔力量ね。このまま全部頂くわよ」
そう言うとフーシャの瞳が大きくなったような錯覚をした。ダメだ、このままだと魔力が底を尽きてしまう…だが頭がぼんやりとしてきてまともな思考が出来ない。俺は彼女の瞳から逃れようと力を振り絞り両手を突き出した。
(むにゅ!?)
ん?この柔らかい感触は…
俺は視線を恐る恐るフーシャの方に向けると、なんと初対面の女性の胸を鷲掴みにしていた。
「へぇ、そんなに触りたかったの?」
フーシャは照れる様子も恥ずかしがることもなく、俺をベッドに押し倒し上に跨った。
「それにしても凄い魔力量ね。今まで私を連れ出しに来た愚か者は私の魔眼に魔力を全部吸われて廃人になったというのに。それに耐えて尚且つ動けたのは貴方が初めてよ。だからね……特別に…本気のやつ…してあげるわ」
フーシャは不意をつき俺の唇を奪った。柔らかい感触と甘い香りが脳の奥まで侵食した。頭が空っぽになった俺は凄い勢いで魔力を吸われ続ける。まるで全身の血を一気に抜かれているような感覚だった。意識が遠くなり瞼が落ちたその瞬間、体から流れ出る感覚が収まった。
魔力の流出が止まると、少しずつ意識がはっきりしてきた。完全に意識が戻ると、俺はあることに気付いた。魔力の流出は止まっているがフーシャの唇の感触はまだ残っている…
俺は少しずつ目を開くとまだフーシャとの口付けは続いていた。しかし魔力は吸われていない…それどころか徐々に回復している感覚がある。フーシャに両手でがっしりと掴まれて動けない俺は横目で周囲を確認した。
…時が止まってる。動かないフーシャに灰色の背景がこの状況を説明していた。どうやら俺の能力が発動したみたいだ。っていうことは俺は死ぬ寸前だったのか…
魔力が戻り頭が冴えると、把握した状況に背筋が凍るような恐怖を覚えた。傍から見ると男女がキスしているようにしか見えないが、実際は殺されかけていたのだ。
完全に魔力が戻ると時は再び動き出した。俺は勢いよくフーシャの手をを振り払った。
魔力を吸いきれたと思った油断に、相手が女性だったということももあり、容易に手を振り払えた。そのまま勢いに任せ俺はフーシャをベットの上に押し倒した。次は俺が上に跨る状態になった。
「へぇ〜、驚いたわ。あれだけ魔力を吸い取ったのにこんなに動けるとはね……って、あなた魔力が全く減ってないじゃない!?」
終始余裕の表情を浮かばせていたフーシャだが、流石に驚きを隠せない表情をしていた。
「駆琉………だったわね。いいわ、貴方に私の全てを捧げるわ。だから…そろそろどいて貰えるかしら?足が痺れきたわ」
勢いよく体勢を変えた俺はフーシャの両手を抑えてスネがベットについたままM字のような状態になっていた。
「あわわわ、すみません。つい夢中で…」
「構わないわ、気にしないで。私も本気で殺りに掛かったからね」
俺はフーシャの上から離れると、彼女は乱れた服を整え部屋の片隅に置いてあった背丈と同じぐらいの長い杖と顔が覆い隠れるほどの大きいとんがり帽子を取った。
「それじゃ闘技場へ行きましょ!折角だから私の実力を見せてあげるわ」
俺は鍵を出し闘技場へ繋がる扉を開けた。30メートル程の暗い廊下をフーシャと一緒に歩くと闘技場にでた。
「地下にこんな広い闘技場があるとは…」
地下には村と同じぐらいの大きさの闘技場が広がっていた。昔使われていたのか足場は凄く荒れており、地面や壁はそこら中にヒビが入っていた。
「昔は賑やかだったのだけどね、今はこの有様よ。本来はもっと綺麗だったのだけど私がストレス発散に魔法を使っていたらこうなっちゃたわ」
どうやらこの荒れた闘技場は昔の試合で出来たものではなく、ストレスの溜まったフーシャによって出来たものらしい。フーシャは微笑みながら自分のやった事を自白すると少し前に出た。
「それじゃ、そろそろいくわね」
フーシャは長い杖をまるで剣のように両手で持つと、前方の空間に狙いを定めた。
「ばぁーん!」
軽い掛け声とともに50m先の空間に半径1m程の丸い空気の塊が発生し爆発した。激しい爆風と砂埃がこちらまで届いた。えぐれた地面は魔法の威力を物語っていた。
爆発魔法。大気中の気体に微細な衝撃と魔力を与えることで意図的に爆発を起こせる上級魔法だ。習得に時間がかかる上に、天候が荒れたり魔力が乱れていると上手く発動しないが、威力と範囲は他の魔法に比べると高いのが魅力だ。
「さて準備運動はここまで。次は私の十八番の風魔法で行くわよ」
「ちょ、ちょっと待ったー!十八番の風魔法って…闘技場壊れたりしませんか?」
「心配ないわ!半壊程度で済ませるから」
フーシャは杖先を頭の上に掲げると大地が揺れ始めた。足元から杖の方へ風が流れていくのを感じる。杖の先端には風の流れで出来た球が徐々に大きくなっていく。
大きな風の塊は大気をも取り込み始めた。止まることなく大きくなる風の塊は次第に2mにも及ぶ大きさになっていた。
「…フーシャさん?いつになったら止まりますか?」
風の吹くことがない地下闘技場だというのに、台風並みの風が吹き始めた。気を抜くと体を持ってかれそうな風に耐えているとフーシャは満面の笑みでこちらを見た。
「暴走しちゃった………てへっ!」
「〝てへっ〟じゃないだろ!どうすんだ…このままじゃ闘技場が壊れるのじゃないか?」
「あまり私の魔法を甘く見ない事ね!十八番の風魔法が暴走したら村どころか街だって消し飛ぶわよ!」
危機的状況なのにフーシャの顔から笑顔が消えることはなかった。何か策があるのだろうか?風はさらに威力を増し観客席の固定されているベンチが吹き飛び始めた。打つ手が思い浮かばない俺はじたばたしているとフーシャが不思議そうな顔をしてこちらを見た。
「…それで駆琉、いつになったらその赤いの使ってくれるの?」
「赤いのってなんのこと…………って、なんじゃこれは!」
大きくなり続ける風の塊にしか意識が行っていなかった俺は、自分の腰袋が赤く光っていることに気付かなかった。急いで中を漁るとリーズさんから貰った腕輪が光っていた。
袋から取り出すと使い方も知らない俺はとりあえず腕輪を付けた。一か八かの状況で焦っている俺は、今までプレイしてきた数々のゲームのテンプレが頭をよぎった。これしかない!と思った俺は腕を天に掲げて叫んだ。
「リーズさん!ピンチなんだ!俺に力を分け与えてくれー!」
(……。…嫌じゃ)
「ん?今なんか拒絶されたような…」
天井に掲げた腕輪は赤い光を放ち続けるが、特に変わった様子はない。
「あれ?使い方違ったかな…」
呑気に腕輪の構造を見ているとフーシャが腕輪を渡すように要求してきた。外すのに手こずりながらも俺は腕輪をフーシャに渡した。
フーシャは使ったことがあるかのようにスムーズに腕輪を装着すると赤い光が彼女の体全体を覆い包んだ。その瞬間、留まることを知らない風の塊はみるみる小さくなっていく。次第に手のひらサイズまで小さくなると消滅した。
「た、助かったのか…」
極度の緊張感から開放された俺はボーッと突っ立っていると、フーシャの付けている腕輪は壊れ、俺の前に立っていたフーシャがよろけ始めた。
「お、おい、大丈夫か?」
倒れる寸前の所を俺は掴んだ。虚ろな目をしたフーシャは力の無い声で話した。
「あの腕輪…リーズから貰ったやつね。あれは魔封じの腕輪と言われる、魔法使用者の魔力を根こそぎ吸収する腕輪なのよ。魔法を使ってない貴方はなんの効果もなかったけど、私のはほとんど吸われちゃったみたい…」
徐々に弱まる声が聞こえなくなった時にはフーシャの目は閉じていた。
これは…やばいのじゃないか?早く手当をしないと…えーっとこの場合は魔力を回復させれば元に戻るんだよな。ってことは…またき、き、キッスをするという事か!
1人で悶々としていた俺は決心を決めた。
「よし!やるぞ!!」
初めて自分から女性にキスをする俺はもじもじしながら目を閉じているフーシャの顔に近づいた。
あと数mmで唇に触れる時だった
「あっ!そういえば魔力供給の魔法が使えるんだった!」
急に思い出した俺は、下級魔法〝マジックシェア〟を使った。フーシャの手を握ることで俺の魔力が少しづつフーシャ流れていくのを感じる。
5分程握り続けると、フーシャは目を開きこちらを見た。
「駆琉の意気地無し。ここはキスして起こす所でしょ…けど感謝はするわ」
まだ目が開いたばかりのフーシャは立ち上がろうとした。しかし、足元がおぼつかないフーシャは俺の方に体重をかけた。
「おぉ…柔らかな胸の感触が……って違う!フーシャさん大丈夫ですか?」
「フーシャでいいわよ。歳は私の方が上みたいだけど、駆琉に助けられちゃったね。これはお礼よっ!」
フーシャは俺の頬に軽く口づけをすると立ち上がり、笑顔を見せた。
「さぁ、行きましょうか!」
魔力がほとんど回復したのかピンピンしている様子で俺を引っ張った。どうやら肌の接触でも魔力が取り戻せるようだ。まだまだ知らないことだらけの俺はフーシャに引っ張られるがままついて行った。
フーシャと出会った牢獄という名の豪華な部屋に戻ると、棚に置いてある大量の道具を袋に詰め始めた。
魔法の発展したこの世界では袋の中に広がる異空間のお陰で1つのカバンで多くの荷物が入るらしい。もちろん袋の質で入る量も変わるらしいが、1番素朴な物でも袋の大きさの10倍ほどは入ると言われている。また取り出す時は欲しい道具を頭に浮かべると簡単に出てくるという便利なシステムらしい。
「よし、これで完了っと」
牢獄内にあったものをほとんど袋に詰め込むと俺とフーシャは地上に戻った。